三十人目:船の女
呼び声に反応し、振り向いた俺達の前に二十四、五ぐらいの女が仁王立ちしていた
女は日に焼けているのだろうか浅黒く、健康的で艶やかな肌を持つ
その肌を隠している布は、馬鹿でかい胸に巻いているサラシと、パレオのような腰巻きしかなく、目のやり場に困る
「……あ! やっぱり」
始めは俺達を睨んでいた女の頬が、急に柔らかくなった。柔らかくなると、掘りの深い顔立ちは優しげになって、不思議な魅力を感じさせる
「ダーマ!」
「……ミネルバ?」
「そう! ミネルバだよダーマ!!」
ミネルバと呼ばれた女は何度も頷き、ダーマに駆け寄った
「ダーマ! 久しぶりだねぇ!!」
「本当ね。……村はどうしたの?」
「出て来た」
「え? だってアンタ」
「あいつの事だったら何も言うな。あんなアホ、捨てて来たから」
ミネルバ……でいいのかな、ミネルバは苦々しげにそう言い、次に興味深そうに俺達を見た
「一匹狼のダーマ様がまたえらく珍妙な集団とつるんでいるじゃない? しかもダーマが嫌いな男までいるし」
「別に一匹狼だった訳じゃ無いわよ。それに男嫌いって訳でも無い。アタシに釣り合う男が居なかっただけよ」
「相変わらず語るねぇ。で、このボーヤがダーマに釣り合う男か?」
アゴで俺を指しやがる
「まあね。可愛い顔してるけど結構ヤるわよ?」
「ふ~ん。……ダーマをしてそこまで言わせるか。ねぇボーヤ、お姉さんと一発ヤらない?」
「駄目です!」
俺に近付き迫るミネルバを、エルテが牽制する。するとエルテの前へ、アネモネが守るように立ち塞がった
「あらら、からかい過ぎたかね」
参ったよと、両手を上げてミネルバはカラカラと笑う。だがその双眼は油断無く俺達を睨んでいた。いや、分析していると言った方が近いかも知れない
「積もる話しもあるし、飯でもどうだい? ご馳走するよ」
「今、急いでいるのよ」
「そうか、残念だ」
本当に残念そうな声でミネルバは言い、何かを決心するためか、深く頷いた
「……ところでダーマ?」
「何かしら?」
「アタシは今、何でこの国に居るか分かる?」
「さあ? 良かったら教えてくれる?」
ダーマはマントを外し、ゆらゆらと体を揺らし始めた
そしてミネルバもまた軽く足を開き、とんとんと軽いステップを刻む
「やり過ぎだったよダーマ。あれじゃこうなる事分かってただろ?」
「何でわざわざ声を掛けたの?」
「アンタが一人で居たのなら不意打ちするつもりだったさ。びっくりしたよ、アンタが仲間を連れてるなんてね。びっくりして、少し嬉しかった」
「……相変わらず甘すぎるわ、ミネルバ」
「性分だからねぇ……。よっと」
ミネルバは軽く声を上げた後、体勢をダーマの膝の高さまで低くし、そのままダーマへ突っ込んだ
これは――タックル!? 速い!
ダーマは素早く前に出て、間合いを二歩分詰めた。そして右のローキック、ミネルバの頭を狙う
ミネルバは肩を上げて蹴りを防ぎ、そのままダーマの左足に飛び付いた
――がこ
でかい石が車のボンネットに落ちた時、こんな音がする。ダーマの右肘が、ミネルバの後頭部へ落ちたのだ
だが、ミネルバの勢いは落ちず、そのままダーマを押し倒す。当然、足は掴んだまま
「まったく……踏ん張り利かないってのに、凄い肘を入れてくれたね」
ミネルバの後頭部から顔へ、血が流れ落ちた
「相変わらず石頭ね。肘が傷んだわ」
昨夜は何食べた? そんな気楽さで二人は話す。だが今もミネルバは、ダーマの足の関節を狙いながら押し倒そうとしているし、ダーマもまた、それをさせまいとミネルバの耳裏辺りを何度も殴って引き離そうとしている
なんだこれは。俺達は突然始まったこの戦いを理解出来ず、ただ見ていた
「……っ! だ、ダーマ!」
助けなくては。我に返った俺は、二人の所へ走り向う
「来ないでイチヤ、これは私の問題よ。それに――」
ミネルバの絡み付く蛇のような動きを捌きながら、ダーマは素早く周囲を見回す。戦いに気付いた作業員達が、集まり始めていた
「直ぐに終わるわ」
ダーマの目の色が変わる。それは比喩では無く、本当に黒から赤へ
「……本気だねぇ。本気のダーマ、嫌だねぇ」
そう呟くミネルバの目の色も、赤へと変わった。それと同時に呻き声
気付くとミネルバの右耳に、ダーマの人差し指が深く刺さっていた
激痛に耐え兼ね、ミネルバの力が緩む
パキ
枯れ木を踏んで折ったような音。ミネルバの人差し指が、逆方向に曲がる
ダーマは足に絡み付いていたミネルバの腕から抜け出し、そのまま顔面に前蹴りを入れて、距離を開けた
「ぐ、ぅ」
苦悶の声を出すミネルバの顔は、蹴りで歪でおり、血と合わさって壮絶な形相となっている
「出来れば死なないでね」
ダーマはボソリと呟き、
「ふっ」
息を吐き出して、駆けた
猫科の動物が獲物を襲う時の様な、しなやかで素早く、無駄のない動き。ミネルバは両腕を顔の前で構え、ダーマの攻撃を待つ
ダーマの左ミドル
フェイント。俺でもそう分かる、明らかに当てる気の無い蹴り
ミネルバは一歩踏み込んでダーマの蹴り脇腹で受け、その足首を左腕で抱えて――!?
抱えられた瞬間、ダーマの右足が跳ね上がり、ミネルバの首に突き刺さった。ミネルバはダーマの足を抱えたまま、後ろへ倒れ込む
アキレス腱固め。それを狙っていたのだろうか? だが、それは叶わない
ダーマは倒れる前に腹筋で上半身を起き上がらせ、ミネルバの両目に指を突き入れた
「ぎっ!」
しかしそれでもミネルバは、足を離さない。だからダーマは止めを刺した。先ほどよりも速い、雷光の肘
「あ……が」
ミネルバの目が裏返り、ようやく力が抜けた。ダーマは足を引き抜き、庇いながら地面へと着地する。そして
グシャ
倒れるミネルバの顔へ右足を踏み込んだ
ぴくん、ぴくん
ミネルバの体は数回跳ね動いたのち、停止する
「……………」
誰もが無言だった。アネモネやベロニカに至っては震えさえ起こしている
そんな静寂の中、ダーマは左足を引きずりながらエルテの前に立ち、泣きそうな顔で
「お願い、目だけ治してあげて」
と言った
「ミネルバとは同じ村の出身なのよ」
ミネルバを人通りが少ない倉庫裏に運び、エルテの治療を受けさせる。その間、ダーマがぽつりと語りだした
「私の村は武術に優れた所でね、その体術は大陸一と言われているわ。だけど酷く閉鎖的で、新しい物を生み出そうとはしない。その典型が村の者以外の血を混ぜる事は許されないと言う、くだらない規則ね」
本当に下らなそうにダーマは呟く
「四年前、十八の時に、私は村の武道会で優勝した。そしてその夜、夫が決まって即初夜って事になったんだけど……」
「ダーマは拒否し、初夜を見張ってた連中や村の猛者を薙ぎ倒して村から逃げたって訳さ。いや~凄かったね~」
いつから目覚めていたのか、ミネルバは面白そうに言う
「村の中でミネルバは二番目に強い女だった。だから追って来るのならミネルバだろうと思っていたわ」
「まぁ、見事に負けたけどね。……もう治療は良いよ、ありがとう」
「え? で、ですがまだ目も完治していません」
「見えるから大丈夫さ。これ以上治して貰っちゃうと大婆様に疑われるからね」
ミネルバはよっと立ち上がり、鼻を摘んでゴキリと鳴らす。黒い血の固まりが、鼻からドロリと流れた
「アタシみたいな美女の顔面を踏み潰すなんて、相変わらずえげつないねぇ」
「アンタに手加減出来ないからね。でも歯は折らないであげたでしょ?」
二人は微笑む。なんの蟠りも無い、凄く自然な笑みだった
「マルコを人質にされてるんでしょ?」
「ん、まぁ人質とは違うんだけどねぇ。アタシらにはまだ子供がいないからさ、マルコには別の女を用意するって言われてね」
「…………そう」
「四年も掛かって子の一人産めなかったアタシが悪い、仕方ないさ。村一番の男だからねマルコは。本来はアンタの……」
「アタシの好みじゃなかった。それだけよ」
「……アンタを追って、もし独り身なら連れ戻せ。子が居たのなら、その子や父親、そしてアンタを殺せ、そう言われた。それが出来たのなら、マルコはお前の夫のままだともね」
「…………」
「マルコはアタシに村を出て一緒に生きようと言ってくれたよ。でもアタシはそれが出来なかった。村を出て生きる自信がアタシには無かったからさ……。情けないねぇ」
「マルコは強い人よ。アンタやいずれ生まる子ぐらい守る事が出来る。アンタはもっと旦那を信じなさい」
「……敵わないねぇ」
ミネルバは小声で呟き、空を見る。そして何かを決心したかの様に、ダーマを真っ直ぐ見つめた
「ダーマ、アンタを追ってるのはアタシだけじゃ無いよ。そしてソイツはアタシより強い」
「アンタより? …………だ、だってあの子、まだ十六でしょう? 男だってまだ……」
「アイツはもう四年前のアンタをとっくに越えてるよ。それにアイツには男こそ居ないが、そんなのは関係無い。アイツはどこかで子を作るような奴じゃ無いし、何よりアンタを恨んでいるからね」
恨んでいる。その言葉にダーマの顔が曇った
「アンタは強い。有り余る才能と鍛練、そして経験による純粋な強さだ。だけどシータは努力や経験じゃ決して届かない、どこか異様な……化け物じみた強さを持ってる。はっきり言うよ、アタシはアイツが怖い」
ミネルバの体が僅かに震えた
「……アタシがこの町に来たのは偶然。アンタに負けたって奴が、ミンストの酒場でぼやいてたからね」
「ミンストは隣国の首都カジノが有名」
横からいきなりキョムが説明をしてくれる。なんつー気の利く奴……つか利き過ぎ
「だからまだ、アイツはこの町に来ていないと思う。来ていたらアタシより先にアンタとぶつかるだろうからね」
「…………ため息が出るわ」
「ため息で済むアンタも、やっぱり化け物だねぇ。……さてアタシは村に帰るよ。大婆様に報告しないといけないからさ」
「ミネルバ……」
「その後はマルコと相談さ。いつ村を逃げ出すかってね!」
そう言ってミネルバはニッコリと笑った。その笑顔には迷いが無い
「シータはアタシが倒すわ。ミネルバ、アンタより強い者はアタシだけよ」
「……ああ、そうだね。ありがとよ親友! 後、アンタ! しっかりダーマを支えるんだよ!!」
あははと豪快に笑い、ミネルバは去って行く
「……時間取らせてごめん」
ダーマはミネルバの背中を見送らず、俺達に頭を下げた
「村を出て四と半年。今もまだアタシを追ってたなんて、呆れたしつこさだわ」
ダーマは軽く言うが、その言葉の節々に痛さと寂しさを感じる
「……あのよ、ダーマ」
「何かしら?」
「気を遣ってどっかへ行くってのは無しだぜ? お前は俺らと一緒に居ろ」
俺がそう言うと、ダーマは一瞬驚いた顔をした
「お願いします、ダーマさん! このまま私にお力をお貸し下さい!」
エルテが泣きそうな声と顔で言い、
「み、味方だと便利そうだね、姉さん」
「え、ええ。そうねアネモネ」
二人の姉妹がビビりながら続く
「アンタら……」
「ただ黒いだけじゃなさそうだし、ちょっとは見直したわ。無礼な態度と乳は許してあげるわよ」
「ボクはどうでもいい」
「……まぁ、そういう訳だ」
どういう訳だ? 自分で言っててよく分からねぇが
「俺らの傍に居ろ、ダーマ」
「…………ありがとう、イチヤ。それじゃ今夜から一緒に寝ましょう!」
ダーマは俺に飛び付き、俺の顔を自分の胸に埋めやがった!
「ば、馬鹿、止め、離れろ!」
「俺の傍に居ろ、なんてストレートなプロポーズ受けたら離れられないわよ」
「ら、が付いただろ! らが!!」
「だ、ダーマさん!」
「あら、エルテも挟んであげましょうか? 結構気持ち良いらしいわよ。ね、イチヤ」「む、むぐぅ」
パフパフと、顔全体が柔らかくて甘い香りのマシュマロに包まれて……って!
「と、時と場所と場合を考えろ! た、助けてくれサーディア!!」
頼りになるのはもう奴しか居ねぇ!
「あのねぇ、あんたの使い魔でも無いサーディアが喚んで出る筈が……ってちょっと!?」
《なんや!? どないしたんやイチヤ! ……あ、こら!! 何してるん自分! 離れんかいアホ~!!》
サーディアは、ポカスカとダーマの頭を叩いた
「いた!? な、なに?」
ダーマは戸惑いの表情を浮かべ、叩かれた頭をさする
「早く離せ!」
「あら怖い。ちょっと悪ノリしすぎたかしらね」
そう言って、ようやくダーマは俺から離れてくれた
「た、助かった。サンキュー、サーディア。休んでたってのに、悪かったな」
《うちとイチヤの仲やないか。いつでも喚んだって》
そう言い、サーディアは地面に吸い込まれる雪の如く、大気に融けて消える
「……本当、良い奴だ」
何か今度、メシでも奢らねーと
「コラあんた! よくも人の使い魔を奪ってくれたわね!」
いきなしヴィヴィが俺の胸倉を掴み掛かった。目が血走っていて、こぇえ
「う、奪ってなんかねえだろ?」
「精霊は契約者以外の喚び掛けには反応しないのよ! く~、まさかこんな童貞っぽいガキに奪われるなんて!」
ヴィヴィは俺を前後に揺らしまくる。首がいてぇ!
「だから、奪ってねぇって! 試しに喚んでみろよ!」
「ふん! 来なさいサーディア! ……ほら来ないじゃ」
《なんや~》
空中からサーディアが超怠そうに出て来て、ふらふらと俺の頭に乗った
「…………あんた、あたしの使い魔よね?」
《ボケたんか?》
「ぐっ! な、なら何でこいつが喚んで出て来たのよ!?」
《……女は男の喚び声には弱い。ヴィヴィもそのうち分かる》
妙に艶っぽい声で、サーディアは呟いた
《特に用無いんやな? ほらな戻るわ》
ぽかんとしているヴィヴィにそう言い、サーディアは再び消えてゆく
「…………はっ!? ちょっと待ち……」
ヴィヴィが慌てて止めようとした時には既に消えていて、そして
「あ、あたしだって分かるわよ~!!」
虚しい声だけが響いた
「アンタ達、さっきから何と話しているの」
ぼーっと立つ俺達に、ダーマが不思議そうに尋ねる
「何ってサーディアの事か?」
「サーディア?」
「サーディアは、魔力の無い人間には見えないわよ。この中で見えるのは、あたしと灰色とエルテとあんただけね」
「……なるほどな」
どうりでさっきからアネモネとベロニカが、ヤバイ人間を見る目でこそこそと話している訳だ
「説明してやるよ。サーディアってのは―」
五分の説明。姉妹はまだ納得してなさそうだが、こればかりは実際に見ないと納得しないだろう
「……と、随分時間食っちまったな。そろそろ行こうぜ?」
「はい!」
何となく濁った雰囲気を、エルテの声が晴らす。その明るい声に、皆が頷いた
「……やっぱすげぇなエルテ」
女王。今なら素直に信じられるぜ
「こっちです」
エルテの後を続いて港を歩く。轟々と勢い良く流れている川は、町に近づくにつれ何故か勢いを落としていた
「……緩やかな坂になっていて、町付近の水深は浅くなってる」
川を覗き見ていた俺に、キョムが説明。もしかして、説明キャラなのかこいつ?
「ありがとよ。しかしすげぇ形の船ばっかだな」
川に浮かんでいる船は俺が知ってる物と違い、縦に長く、横幅は余り無い。魚のサンマみてーだ
「よくバランス取れてるな」
船には詳しく無いが、これで大丈夫なのか?
「あ、見えて来ました」
疑問に思っていると、エルテが数十メートル先にある凄まじくデカイ船を指差した
「あれは……魔導船、エルゼードか」
ヴィヴィが呟く
「全長300メートル、高さ13メートル、横幅37メートル。魔導砲が18門に12門のカノン砲を持った王家専用の鋼鉄船。しかもあの図体で、121ノットの速度をたたき出すのよね」
超詳しいダーマ。こいつは船マニアか?
「書いてあるわよ?」
側にある看板を読んでいただけだった
「す、凄い! あれに乗るんだ!!」
「余り興奮すると船酔いしますよアネモネ」
そう言うベロニカも、そわそわしている
「だが、確かに」
すげぇ。船は苦手だが、あれなら乗ってみたい
「…………あ、あの」
エルテは足を止め、振り返る。その顔は何故か酷く困っていた
「どうした、エルテ?」
「私達の船はあちらです」
再びエルテが指差す
「ああ、すげぇ船だな」
「……あちらです」
「ん? だからあの……あれ?」
エルテの指は、随分下を向いていた
「…………あれか?」
デカイ船の横。そこには木で出来た、屋形船みたいな物体があった。妙にぼろい
「…………」
「私達は」
「ああ! 分かったよ、ちくしょう!」
そんなオチだと思ってたぜ!!
「と、とにかく早く乗りましょう。余り時間を掛けてしまうと、警備兵に見付かってしまいます」
「そ、そうだな、行くぞ!」
エルテの言葉に従い、俺達は船へ向かい走る。そしてその勢いのまま、船へ飛び移った
「って人住んでるぞ!?」
船の上では真っ黒に日に焼けたオッサンと、ダーマぐらいの歳の女が、ちゃぶ台で飯を食っていた
「あ~ん? なんだお前ら……ひ、姫様!」
ガンをつけてきたオッサンは、エルテを見て平伏す
「あ! エルテ~。久しぶりぃ」
女の方は魚を食わえながら、手をひらひらと振っている
「お久しぶりです、ミゲルにフレイ。本来ならゆっくりお話をしたいのですが……お願いします! 私達を地下神殿まで運んで下さい!!」
「任せて下せぇ!」
「あいよ~」
二人は何も聞かず、直ぐに頷いた




