徳川信康
岡崎城
今川義元こと我徳川信康は1人二役を演じることとなっていた。
駿河、遠江、三河を治める街道一の鉄砲撃ち今川義元と、その傘下である一門衆徳川信康である。
この1人二役の理由は細かい真実を知らぬ三河衆や三河民達への対策、そして宿敵織田信長対策でもある。
駿府と岡崎を行ったり来たりする都合上、東海道の整備を早急にしたことは言うまでもない。
そんな中で岡崎城に思いがけぬと言うか招かざる客が訪れた。
信長「会ってくれて感謝する。儂は其方の父親である徳川家康の幼馴染であり一番の友である織田信長じゃ」
信康「これはこれは信長殿、我が主である今川義元公の仇である貴殿が某にいかようですかな」
織田信長は徳川信康を幼子と侮っていたが、目の前の堂々としてまわりの言葉に動じず笑顔だが目が笑ったっていない徳川信康に舌を巻いていた。
織田信長と言う男の長所であり頭の良いところでもあるのだが、信長は考えを改めて工作をするのをやめて本心で語りかけた。
信長「単刀直入にもうす。信康殿から今川義元殿に話をつけていただきたい。熱田を除く小牧山城より南の織田領を割譲するゆえ桶狭間の戦いでのことを水に流して両家の同盟を結んでほしい。尾張南を差し出す理由は長島一向一揆への対策と、美濃の稲葉山城を攻め落とす援軍を出してほしいのじゃ」
信康「ふむ、某に今川義元様への口利きを依頼したいのだな?」
信長「うむ間違いない。ただし領土の割譲に関しては美濃を攻め落とした後にして欲しい」
信康「ふむ、織田殿の話はよくわかった。某より義元公へことがうまくいくよう話を持っていく所存だ」
信長「おお、それはありがたい。その御礼として何故か我が手元よりなくなり、貴殿の背後にある宗三左文字に関しては不問と致す」
信康「フフフフフ、元々今川義元公の物である左文字は某が三河国主に就任した際に頂いたものではあるが、まあ良しとしよう」
織田信長は一体この目の前の化け物は何なのだと叫びたくなったが、何とか思いとどまることができた。
今川義元、徳川信康、どちらもとんでもない
化け物だと言うことは認識した。
そしてこの後正式に今川家と織田家の同盟が成立したのである。
稲葉山城攻めには本多忠勝を大将とした軍勢を送り、川並衆と蜂須賀小六の調略を服部半蔵に行わせることにより、墨俣城(一夜城)を完成させて稲葉山城を攻め落とすことに成功した。
史実より一年早い稲葉山城の落城であり、我が今川家としては竹中半兵衛の身柄を確保して傘下に加えることに成功した。
約束通り織田信長は尾張の半分を今川家に引き渡した為、今川義元(自分)の命により徳川信康は清洲城の領主となり、岡崎城は石川数正を城代にしたのである。
熱田に関しては織田信長との盟約により奪うことが出来なかったが、徐々に奪い去る予定である。
織田信長と協力して斎藤家を滅ぼしたことにより領土が増えた今川家であったが、長島一向一揆と言う目の上のたんこぶを抱えることとなり水軍の強化も急務となった。
伊豆諸島において難破した西洋の船団を拿捕していた為、宝や大砲などの武器、奴隷にした者達の航海術など海軍に関する伸び代は確保してはいるものの、今後が忙しくなりそうである。
そして冬が来る前に、今川海軍は長島城をはじめとする周辺を火の海とかして制圧したのであった。
赤い鳥と共に戦えば勝ち続ける。




