その19 我慢比べ
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この世界では外洋で軍艦同士の戦いが起きたという記録はほとんどない。
なぜなら普通の指揮官は船同士で戦おうとは考えないからである。
大抵の兵士は泳げないし、また、泳げる者であっても鎧を装備したまま海に落ちてしまえば溺れてしまう。
ましてや艦隊同士の戦いともなれば。その被害はどれ程のものになるのか想像すらできない。
勝っても負けても被害は甚大。そんな危険な戦いをわざわざ行おうとする指揮官などいないのだ。
そういった理由もあって、このカルシーク海海戦は、この世界の歴史上初めての本格的な艦隊同士のぶつかり合いとなったのだった。
黒竜艦隊旗艦のマストに狼作戦を意味する信号旗が上がると、小型船は次々と艦隊の列から離れ、いくつかの群れを形成した。
一つの群れを構成するのは五隻から六隻。
もし、この場にハヤテがいて空の上から見下ろしていたら、小集団に別れた黒竜艦隊の小型船が、戦場一杯に大きく広がって行く光景を見ただろう。
群れは互いに十分な距離を開けると、それぞれが独自に聖国艦隊を追い始めた。
この動きは直ぐに聖国艦隊にも知られる事となった。
「敵艦隊から小型船が脱落! 次々に後方に置いて行かれています!」
「おおーっ!」
兵士達の間から大きなどよめきが上がった。
エルヴィン王子は感心顔で頷いた。
「艦長の策が見事に当たったという訳だな。これでこちらが数の上で優位に立ったぞ」
しかし、嬉しそうなエルヴィン王子に対して、ハイドラド艦長は眉間に皺を寄せ、難しい顔をしている。
ハイドラド艦長は見張り台の兵士を見上げた。
「見張り台! 敵艦隊の動きはどうなっている!?」
「進路、速度、共に変わりなし! 旗艦の旗を立てた船を先頭に、こちらを追って来ます!」
「ううむ・・・」
「艦長、さっきから浮かない顔をしているが、何か気になる事でもあるのかい?」
「――敵の動きが妙です。あるいは小型船は脱落したのではないのかもしれません」
これにはエルヴィン王子だけではなく、周りで二人の会話を聞いていたバース副長達も怪訝な表情を浮かべた。
ハイドラド艦長の狙いは、速度で敵小型船を振り落とし、敵大型船をむき出しにする事にあった。
ちなみにこれは黒竜艦隊の副長の読み通りでもある。もしもこの場にバルトルン艦長がいれば、彼の勘の冴えに驚きの声を上げていただろう。
「私の予想では、敵の小型船が脱落するのは、もっと船速が伸びた後の話。こちらが転進を図った後となるはずなのです」
ハイドラド艦長は、スピードが十分に乗った所で船を転進させるつもりでいた。
これは敵小型船に対しての船首揺れ現象を狙ったものだが、この辺りの説明は黒竜艦隊の副長がしているのでここでは割愛する。
ハイドラド艦長の見立てでは、今はまだ敵小型船が脱落していくようなタイミングではないと見ていた。
「だが、実際に敵の小型船は付いて来られなくなっている訳だが?」
「いえ、小型船が脱落しているというのに、敵艦隊が相変わらずこちらを追って来ているのはおかしな話です。敵の指揮官が味方の動きに気付いていないはずはありません。だというのに、敵は数の不利を承知でこちらの後を追うのを止めようとはしない。これは敵指揮官の勇み足なのか、そうでなければ――」
ハイドラド艦長はチラリと背後を振り返った。
「そうでなければ、敵小型船の脱落は敵の作戦。敵の狙いは最初から別の所にあるのかもしれません」
その時、見張り台の兵士が声を上げた。
「後方の味方の船が数隻、隊列を離れました! どうやらすぐ近くを航行する敵小型船の小集団に攻撃を仕掛けるつもりのようです!」
「勝手なマネをしおって! 艦長!」
「ああ。もしこれが敵の作戦なら、みすみす自分から罠に飛び込むようなものだ」
バース副長の言葉に、ハイドラド艦長は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたのだった。
聖国隊列から離れた船は四隻。共にアラーニャの港に駐留する同じ艦隊から派遣された船だった。
指揮官は若い貴族。実家は三侯・オルバーニ侯爵家に連なる名家で、この戦いにも家の名を背負って参加していた。
「艦長、これは命令違反です! すぐに船の進路を元に戻して下さい!」
「バカめ、今更もう遅いわ! 艦長、気にする事などありません! 戦場においては抜け駆けは日常茶飯事! 要は手柄さえ上げてしまえば良いのです!」
青年艦長は部下の過激な言葉に頷いた。
どうやら若い指揮官が強硬派の意見に流され、抜け駆けの功名に走ったようだ。
「逃げてばかりではいつまでたっても敵は倒せん。あのハイドラドにはそれが分かっていないのだ。ならば我々アラーニャ隊が率先して範を示し、味方の目を覚まさせてやるしかなかろう」
「し、しかし!」
「ええい、もういい! 下がれ!」
慎重派の部下は強硬派の者達に捕まり、船内に連れられて行った。
聖国艦隊は寄せ集め部隊の弱点が思わぬ所で出た形となった。
ハイドラド艦長の消極的な指示に焦れた一部の部隊が、命令を無視して抜け駆けに走ったのである。
「そう。要は手柄さえ上げればいいのだ」
青年艦長は自分に言い聞かせるように呟いた。
戦の目的というのは、究極的には敵に勝利する事にある。
その意味では過程は二の次。指揮官の命令に従うというのも、勝利という最終目的を達成するための手段に過ぎないのである。
正しくても負ければ元も子もないし、間違っても勝てば目的は果たした事になる。
そういった意味では、この青年艦長の言葉もあながち間違いとは言えないだろう。
ただ、この場合は彼の目的が艦隊の勝利を目指したものではなく、その欲望にたぎった目を見るまでもなく、戦いで功績を上げ、実家の名を高める事にあるのは明白だったが。
「敵の頭を押さえろ! 取り囲んで船の動きを止めるのだ!」
船の数はほぼ同数。ただし大きさが牛と猫ほども違う。
流石に抜け駆けを企てるだけあって、船員の練度は高いようだ。
数隻の小型船は、たちまちのうちに身動きが取れなくなってしまった。
こうなれば彼らにとっては手慣れたもの。海賊を相手にしているのと変わらない。
この後は敵船に兵士を送り込み、シート(※帆を下に引っ張るためのロープ)を切り落とす。これで船は動力を失い、移動する事が出来なくなる。つまりは降伏するしかなくなるのである。
敵船から矢が射かけられる。船に乗り移られまいと必死の抵抗をしているのだ。
「怯むな! 帝国人共に聖国海軍騎士団にアラーニャ隊ありと見せてやるのだ!」
「「「おおーっ!」」」
号令と共に敵船に雨のような矢が降り注ぐ。そもそもの兵の数が違うのだ。敵小型船の制圧は時間の問題と思われた。
その時、見張り台の兵士が叫んだ。
「か、艦長! 敵です! 周りから続々と! このままでは取り囲まれてしまいます!」
「なんだと!?」
青年艦長が慌てて周囲を見回すと、四方八方から敵船がこちらに押し寄せて来るのが見えた。
「バカな! 敵は艦隊から遅れて逃げ惑っているんじゃなかったのか!? なぜ我々を襲って来られる!」
青年艦長は青ざめた顔で悲鳴を上げた。
「副長! 敵艦隊から離脱した船に、群れが向かいました!」
「そうか。先ずは四隻いただきだな」
黒竜艦隊の旗艦では、副長が見張り台の兵士からの報告に頷いた。
大陸の歴史上、艦隊同士の戦いというものは前例がないが、黒竜艦隊が聖国海軍を仮想敵として創設された性質上、そういったケースも当然、想定しておかなければならない。
黒竜艦隊の生みの親、前任のハイネス艦長が考案したのが、この”狼作戦”だったのである。
狼作戦の名からも分かるように、この作戦は狼の狩りの方法を参考にしている。
狼はパックと呼ばれる群れで狩りを行う。
狩りのターゲットは、主に鹿やイノシシ、バイソンなどの大型の草食動物。大きな獲物に挑むのは、ウサギや野ネズミなどの小さな動物では、群れ全体の腹を満たす事が出来ないためである。
狼の狩りの基本はとにかく獲物を追いかける事。
群れ全体で獲物の群れを追いかけて追いかけて、体力の低い幼い個体や、老いやケガ、病気等で弱った個体が遅れた所を、連携で仕留めるのである。
余談だが、狼の狩りの結果、群れから弱った個体が間引かれ、結果的に個体群の健康度を高める効果が指摘されている。これは【衛生効果】と呼ばれ、近年、狼等の肉食動物の捕食活動の有用性が見直されているという。
狼作戦は狼の狩りのごとく、本隊となる戦闘艦で敵艦隊を追いかけ回し、脱落した船を小回りの利く小型船の小集団――群れで取り囲み、各個撃破していくというものである。
副長は前方の聖国艦隊を睨み付けると驚きの表情を浮かべた。
「この動き、はぐれた船と合流するつもりか。まさかもうこちらの意図に気付いたのか? 流石は聖国海軍。敵には随分と優秀な指揮官がいるようだ」
ハヤテのように空の上から全体を見渡す事が出来れば話は別だが、広大な戦場の一部を切り取っただけの限られた視界と、刻一刻とリアルタイムに変化する状況の中で、相手の考えを正確に読み取るのは極めて難しい。
ましてやここは命のかかった戦場。一つのミスが味方の命を奪う事すら珍しくはないのだ。
そんなプレッシャーの中で正しい判断を素早く行うためには、優秀な頭脳以外にも、人並外れた胆力をも必要とする。
副長は顔も知らない敵船上の指揮官に内心で舌を巻いていた。
「だが、こちらも行かせる訳にはいかん。おもぉぉかぁじ、いっぱぁぁい!」
副長は大声で号令をかけた。自分で舵輪を操作をしているのにわざわざ口に出した理由は、急な転進で船員に負傷者が出ないようにするためである。
副長は船員達が手近な物に掴まって体を支えるのを見て舵を操作。船は大きく左に傾きながら舳先を右へと向けた。聖国艦隊がこのまま進めば、隊列の半ばに交差するコースである。
すると聖国艦隊は進路を左に取った。帝国艦隊に隊列が分断されるのを避けたのだ。
やはり敵がこちらの作戦を読み取っているのは間違いないだろう。
「出来れば、作戦に気付かれる前にもう何隻か数を減らしておきたかったのだが・・・こうなってはやむを得んか」
副長は惜しむ心を捨てて気持ちを切り替えた。
ここからは我慢比べ。
体力と集中力を切らせた者から脱落する、出口のないサバイバルレースが始まるのだ。
聖国艦隊側がこの流れを断ち切るためには、正面切っての乱戦を挑む以外にはないように思われる。
だが、それでは数に劣る聖国側の不利が決定してしまう。
聖国艦隊にとっては厳しい状況となった。
次回「ハードウェアの差」




