その34 去り行く者
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海賊サエラス一家との一件から一ヶ月が過ぎた。
今年の最後の月。一隻の中型船がホマレの港を出航した。
その船上にはヤラとカタリナ、二人の姉妹の姿があった。
ヤラは小さくなっていくホマレの港町を黙って見つめていた。
そんな彼女の手を妹のカタリナが握った。
「ナカジマ様のお屋敷が見えなくなっちゃったね」
「ああ、そうだな」
ホマレの港の先には小高い丘がある。そこにはこの土地の領主、ティトゥ・ナカジマの屋敷がある。
二人は今朝までその屋敷で世話になっていた。
あれから一月。
叔父のオリパと父親が死んだ事はティトゥから聞かされた。
オリパはハヤテとティトゥ、二人の目の前で海賊達によって処刑され、父親は船内で殺されていたのを、聖国海軍騎士団が発見したそうだ。
叔父の方はまだしも、父親の死を告げられても、ヤラは自分でも意外な程、何の動揺も覚えなかった。
実の親に対して冷たいようだが、再会した時の見苦しい姿、そしてナイフで刺されて殺されかけた事により、彼女の中であの男は完全に過去の存在となっていたのかもしれない。
悲しむどころか、むしろ二度と顔を会わせずに済んだ事に、少しホッとしたくらいである。
捕えられた海賊達は聖国に送られ、海軍騎士団が情報を聞き出した上で、全員縛り首にされるそうである。
得られた情報はナカジマ家にも共有され、港町ホマレの今後の治安維持に一役買う事になるだろう。
といった訳で聖国海軍騎士団は船で海賊達を聖国本土まで送り届けた。
その海軍騎士団が、経過報告のために再びこの国に訪れたのが数日前の事だった。
彼らは近隣の海賊組織の情報と、そして意外な話を持ち帰っていた。
「私の叔母さんですか?」
「ええ。その方があなた達を引き取ってもいいと言っているそうですわ」
聖国海軍騎士団のバース副隊長は、サエラス一家の調査をして行くうちに、ヤラ達の故郷、港町カルパレスへとたどり着いた。
その地で二人の叔母――ヤラ達の父親の妹に会ったのである。
「どうやらあなた達の叔母さんは、叔父さんと別れて実家に戻っていたようですわね」
叔母は夫を――オリパを――ずっと真っ当な商人だと思っていたそうだ。
つまりは騙されて結婚していた訳だが、昨年の聖国でのマリエッタ王女の海賊退治があって以来、ずっと何かに怯えているような夫の様子を見て、「どこか変だ」と疑問に思っていたらしい。
そこで夫を問いただした所、真実を――夫の仕事仲間が海賊である事、そして夫の仕事が本当は違法な奴隷商人だという事を知ったそうである。
叔母は激怒した。しかし、流石に夫を役人に突き出すような事は出来なかった。
海賊は縛り首である。流石に夫の命を自分の手で奪うようなマネは出来なかったのである。
彼女は夫と別れ、港町カルパレスの実家へと戻った。
オリパが港町カルパレスに立ち寄ったのは、奴隷の仕入れのためだけではなく、家を飛び出した妻に頭を下げて帰って来て貰うためでもあったのである。
しかし叔母は彼とは会わなかった。
そしてオリパは仕事で会った顔役から、ヤラの父親の借金の肩代わりを頼まれる事になる。
その後の経緯は知っての通りである。
「バース副隊長から詳しい話を聞かされた叔母さんは、それならば自分が姪達を引き取ってもいい、とおっしゃったそうですわ」
実家には叔母の両親――ヤラとカタリナの祖父母もいる。
二人は喜んで「是非、家に来て欲しい」と言っていたそうである。
「お爺ちゃんとお婆ちゃんが・・・」
「先ずはお話だけでも聞いてみればいいんじゃありませんの? それで気が乗らないようなら、このホマレに戻って来ればいいんですし」
ティトゥは、その上で二人が望むなら、ナカジマ家の屋敷で雇ってもいい、とも告げた。
「ゆっくり考えてみて頂戴」
「いえ。大丈夫です」
ヤラは即答した。
「私達はカルパレスに戻ります」
それからはあっという間だった。
ティトゥは代官のオットーに命じて、船便を手配させた。
幸い、数日後に出航予定の船があったので、ヤラ達姉妹はそれに乗って故郷に戻ることになった。
「何かあったら遠慮しなくていいから戻っていらっしゃい。私もハヤテも待っていますわ」
「ありがとうございます。その時はお世話になります」
ヤラはそう言って頭を下げたが、そうなる事はないだろうとも思っていた。
昔からどこか胡散臭い印象があった叔父とは違い、叔母は裏表のない気風の良い女性で、その彼女が「引き取っていい」と言った以上、何か裏があるとは思えなかったからである。
カタリナは懐かしむような顔で遠くを見つめた。
「ナカジマ家のお屋敷はすごかったなあ。ご飯も毎回スゴく美味しかったし。あれが本当のドラゴンメニューで、みんなが町で食べてるドラゴンメニューは偽物なんだって。ドラゴンと言えば、お姉ちゃんは結局、一度もハヤテ様と会わなかったね」
「ああ、そうだな」
ヤラは結局、最後まで一度もハヤテと会う事はなかった。
妹のカタリナが毎日のようにハヤテの下を訪れ、ハヤテやハヤテの子供達――ファル子とハヤブサと会っていたのとは対照的である。
勿論、ケガの治療のため、ベッドで寝ていたせいもある。しかし、途中からは中庭に出られる程度には歩けるようになっていた。
だが、彼女は頑なにハヤテと会う事を避けていた。
ヤラは怖かったのだ。
ハヤテと会ってしまえば、彼が人間ではなく、ドラゴンであるという事を思い知らされてしまう。
自分とは縁のない、特別な存在であると、頭ではなく、心で理解してしまう。
ヤラはハヤテが自分とは別世界の存在になってしまう事を恐れたのである。
カタリナはプクリと頬を膨らませた。
「もう! お姉ちゃんさっきから『ああ、そうだな』ばっかり!」
「そ、そうか? いや、そんな事はないだろう?」
「そうだよ! ・・・ねえ、お姉ちゃん」
ここでカタリナは少し真面目な顔になった。
「もしかしてホマレを離れるのがイヤだったの? あそこで誰か好きな人が出来たとか?」
「はあ? 好きな人って、お前何言って――」
ヤラは反射的に妹の言葉を否定しようとした。
バカな事を言うな。アタシにそんなのいる訳ないだろう。そう言って鼻で笑おうとした。
しかし、彼女はその言葉を口に出来なかった。
(アタシは・・・ハヤテの事が好きだったのか)
他人に言われて初めて分かる事もある。言語化された事で初めて気付く気持ちもある。
ヤラにとってハヤテは口喧嘩友達。互いに隠し事が出来ない鬱陶しい相手。
しかし逆に言えば、彼ほど(強制的とはいえ)本音で付き合った相手は今までいなかったのだ。
こんな相手は今後の人生でもう二度と現れないだろう。
そんな特別な存在。
ハヤテは怒ったり不満を言っても、ヤラやカタリナの事を嫌ったりはしなかった。
それは彼の性根がお人好しで、心の底から本気で人を憎んだり恨んだりする事の出来ない性格だからである。
ハヤテは小心者で臆病だが、やると決めたらやり通す勇気も持っている。
それは危険を承知の上で、ヤラとカタリナを助けに飛んだ事からも分かる。
ハヤテは頭が良いのにそれをひけらかさない。
それどころか、他人に知識を分け与える事に全く抵抗を覚えない。
ハヤテは――ハヤテは――
ヤラは不意にあふれ出した感情に押し流されそうになっていた。
その時、マストの上、見張り台にいた船員が、船の後方を指差して叫んだ。
「ドラゴンだ! ナカジマ家のドラゴンが飛んでるぞ!」
途端に辺りが騒がしくなった。船の中にいた乗客達もこの騒ぎを聞き付け、続々と甲板に現れた。
「どこだ? ドラゴンはどこにいる?」
「あ、あそこ。こっちに向かって飛んで来るぞ。おおい!」
彼らは一斉に手を振った。
ヴーン・・・。羽音のような低い音が空から響いて来る。
「ホラ、お姉ちゃん! ハヤテ様だよ! おーい、ハヤテ様ー!」
「あれが・・・ハヤテの本当の姿」
キラリと陽光を反射する大きな翼。
それは羽根を広げた猛禽の姿にも似ていた。
対比物のない空を飛んでいるため、どのくらいの大きさかは分からない。
腹の色はグレー。体を傾けた時に見えた背中は緑色をしていた。
(なんだ・・・意外とカッコイイじゃねえか)
ヤラはドラゴンと聞いて、もっとグロテスクで恐ろしい姿を想像していた。
しかし、冷静に考えてみればカタリナが良く遊びに行っていた以上、そんな怖い姿をしている訳はないのだ。
彼女は少しだけホッとした。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん! ハヤテ様が翼を振ってるよ! ホラ、お姉ちゃんも手を振り返して!」
「あ、ああ、うん」
ヤラは妹に言われて慌てて手を振った。
「ハヤテ様、バイバーイ! バイバーイ!」
「・・・ハヤテ、様」
ヤラはポツリと呟くと「いいや違う」と首を振った。
「ハヤテー! 元気でなー! 今までありがとう! お前の事は忘れないぜー! 痛ててて・・・」
彼女は力の限り声を張り上げた。
ムリをした事でお腹の傷が引きつり、ヤラはお腹を押さえてうずくまった。
その目から涙がこぼれ落ちる。
「お、お姉ちゃん、大丈夫?!」
「だ、大丈夫だ。グズッ・・・。情けねえな。痛くて涙が止まらねえぜ」
ヤラはグスリと鼻をすすった。
その涙は果たして傷の痛みのせいだったのだろうか?
彼女はいつまでも涙を流し続けたのだった。
ヤラとカタリナを乗せた船はハヤテに見守られながら、ホマレの沖に出た。
明日には懐かしの故郷、隣国の港町カルパレスへと到着するだろう。
こうして二人の冒険の旅は無事に終わりを告げたのだった。
次回「エピローグ ホマレに降る雪」




