その12 二列侯への勅諚
「――それがまさかこんな事になろうとは。昔、ワシがいらぬ浅知恵を出してさえいなければ・・・」
ユリウス元宰相の顔は後悔に歪んでいた。
「それが”二列侯への勅諚”ですか」
ずけずけと言い放ったのは若いチェルヌィフ商人。シーロだ。
ユリウスの眉がピクリと跳ね上がった。
「・・・ワシも迂闊だった。あの時は切羽詰まって、迂闊にも勅諚の事を失念しておったのだ」
ユリウスは「ふう」とため息をつくとカップの酒をあおった。
聖国の上等な果実酒も、今の彼を酔わせる事は出来ないようだ。
シーロはユリウスのカップに酒を注いだ。
「閣下らしからぬしくじりでしたね」
「・・・あの時は、正しい事をした、そう思っていた。今となれば後悔しかないがな」
ユリウスは大きくかぶりを振った。
”二列侯への勅諚”。
それは当時宰相だったユリウスが、国王ノルベルサンドの名のもとに、七列侯の子孫にあたる上士家の上位二家、ネライ家とメルトルナ家に極秘裏に送った勅諚――命令書の事を言う。
その内容は大雑把に言うと、『もしも国を簒奪した者が王として即位した際には、ネライ家とメルトルナ家が先頭に立って貴族家を纏めてこれを討伐せよ』というものであった。
ただし、そこにはもう少し具体的に書かれていた。
もし”何者か”が王城を押さえ、「王は生前に俺に王位を譲ると遺言していた。この遺言状がその証拠だ」と発表したとしても、その遺言状は偽造された真っ赤なニセモノである。
ミロスラフ王国では一年ごとに国王の遺言状が更新される。
そして更新の際には宰相、皇后、近衛隊長の三人が立ち会う事になっている。
よって立会人の無い遺言状は無効である。
更にひとつ前の遺言状に遡って、継承権の序列に大きな入れ替わりがある場合も、後の書状は偽造されたものとみなして無効とする。
これが何の事を言っているか分かるだろうか?
そう。これは特定の”何者か”に対する警戒心から生まれた指令書なのだ。
特定の”何者か”――国王の弟、カミルバルトである。
つまり、当時のユリウス宰相と国王ノルベルサンドは、カミルバルトがその武力で王城を制圧し、王と宰相を亡き者にした上で遺言状を捏造、あるいはその暴力で無理やり王城を押さえつけ、国王が王位を移譲するという書類を捏造した場合を想定し、その即位を不当なものとして排除出来るように、事前に準備を整えていたのである。
ユリウスは、あくまでも非常の事態に対抗する策を練ったつもりだった。
仮にカミルバルトが強引に王位に就いたとしても、この勅諚さえあれば、カミルバルトを打倒するための大義名分を得る。
正当性の無い即位は王位の簒奪だ。当然、諸外国もカミルバルトを王とは認めないだろう。
小国のミロスラフが、チェルヌィフ王朝やランピーニ聖国の後ろ盾を失えばどうなるかなど、考えるまでも無い。
しかし、今になって思えばカミルバルトの影を恐れていただけ、という事がユリウスにも分かっている。
カミルバルトは国を割るのを避けるため、若くして兄の臣下に下っている。
カミルバルトに翻意が無いのは誰の目にも明らかだ。
ならばユリウス達は一体何と戦っていたのだろうか?
カミルバルトには力がある。ただそれだけの理由で、彼らが抱いた無意味な疑心暗鬼が、現在の国王不在の不安定な状況を生み出している。
自分達はなんとバカな事をしたのだろう。
今となってはユリウスには後悔しかなかった。
シーロは酒のカップを弄びながら首をかしげた。
「しかし、分からないんですがね。どうしてネライ家もメルトルナ家も、閣下の渡した二列侯への勅諚を表沙汰にしないんでしょうか?」
「したくても出来んのだろう。陛下は遺言状の存在を公表しておらんからな」
カミルバルトはあくまでも現在は国王代行であって、正式に国王の座に就いた訳ではない。
そして遺言状の存在も公表していない。
二列侯への勅諚は、カミルバルトが即位を発表後、遺言状の不備を指摘する事で初めて実行に移せる性質のものなのだ。
「ネライ家とメルトルナ家の当主はカミルバルト様と戦う道を選びますかね」
「選べんだろう。兵士が誰も集まらんわ。しかし、即位の正当性に非を鳴らす事で新国王の力を削ぐ事は可能だ。民衆は移り気だからな。”裏切られた”と感じたら、あっさり手のひらを反すやもしれん」
遺言状とひとつ前の遺言状を比較して、継承権が大きく変わっていれば(実際に変わっているのだが)、二列侯への勅諚により、その遺言状は効力を失う。例えその遺言状が本物であってもその事実にかかわらず、だ。
カミルバルトの即位は正当性を欠くものとなり、国民からの支持は大きく落ち込むだろう。
「ならばネライ家とメルトルナ家の目的はカミルバルト様の力を削ぐ事にあって、その即位を阻む事には無い、と閣下はお考えで?」
「無論だ。今、この国の王位に就けるのはあの方をおいて他にはおらん。そこはネライ家当主だろうがメルトルナ家当主だろうが否定はせんだろうよ。だが――」
「だが?」
「だが、もし二列侯への勅諚の使い方を誤れば、いや、僅かでも今後の対応を誤れば、勅諚は猛毒となってこの国を未曽有の混乱に叩き込むことになるやもしれん。それこそ内乱のチェルヌィフ王朝のように、国を真っ二つに割る内戦に突入してもおかしくはない。あるいはそれが分かっているからこそ、ネライ家とメルトルナ家は身動きが取れないのかもしれん・・・いや、これはいささか希望的観測が過ぎるか」
ユリウスの見立てでは、ネライ家当主とメルトルナ家当主に、カミルバルト国王の力を削ぐ意思はあっても、打倒する意思はない。はずだ。
両家に自殺願望があるのでもなければ、あるいは両家の当主の判断力が、昨年マリエッタ王女を捕らえようとしたマコフスキー家当主並みに低下しているのでなければ、常識的に考えてあり得ない話である。
しかし、両家にしても王家にしても、対外的な外聞もあれば、彼らを支持し、従う者達もいる。
彼らの立場が自らの逃げ道を塞ぎ。全面対決以外に選択の余地が無くなる可能性は十分にある。
両家にとって、二列侯への勅諚は敵を切りつける武器にもなれば、自らの体を蝕む猛毒にもなる、極めて取り扱いの難しい切り札なのである。
「両家にその覚悟はありますかね?」
「さてな。流石にお前からの情報だけでは、当主の考えまではわからんな。状況によっては本意ではなくとも動かざるを得なくなるかもしれん。その結果は国を割っての全面対決か、あるいは王家というタガが外れて隣国ゾルタのようになってしまうのか」
この国の隣国、ゾルタは、昨年末に帝国軍の手によって王家が断絶している。
現在は纏める者もなく、各領地ごとにバラバラに統治される混乱状態が続いている。
その生き馬の目を抜く状況の中、比較的政治が安定しているのが、敵国であるミロスラフ王国に隣接するピスカロヴァー伯爵領なのは何かの皮肉だろうか?
「商人の立場から言わせて貰えば、今のゾルタは商売になりませんな。治安も悪いし、領地を跨ぐ度にバカ高い税金も払わないといけない。
ですがね。商人が逃げ出せば経済は冷え込む。経済が冷え込めば金の流れが止まって領地が貧しくなる。
このままじゃあの国はお終いですぜ。そうなる前に、どこかのどなたかが何とかしてくれないものですかねえ」
「――勝手な事を。しかし、現状ではこの国も大陸への陸路を塞がれているに等しい。いずれは何とかせねばならんだろうな」
物資の流通という面だけを切り取ってみれば、海路まで塞がれた訳ではない。
まだこの国が完全に孤立化してしまった訳では無いのだ。
しかし、人の流れや、経済の流れを考えた場合、やはり大陸への道に蓋をされているのはよろしくない。
そうでなくとも半島の根元にはミュッリュニエミ帝国が居座っているのだ。
これ以上悪い条件が増えるのは好ましくなかった。
「ハヤテ様がひゅーんと飛んでゾルタを纏めてくれれば助かるんですが」
「ドラゴンか。――いや、あれの性格上、他国に手を出すような事はせんだろう。それに人間の事は人間の力でどうにかするべきだ。超常の力をあてにするべきではない」
「サヨウデゴザイマスカ」
シーロのハヤテのものまねに渋い顔をするユリウス。
ユリウスは今でもハヤテを苦手としていた。人知を超えた存在と、どういうスタンスで付き合えば良いのか分からないのだ。
「しかし、あの方が即位を決意したという事は、遺言状の内容も公開されるおつもりなのだろう。――覚悟を決められたのだな」
シーロも流石に今度は茶化す事はなかった。
彼は芝居じみた仕草で酒のカップを掲げると、ひと息にあおった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
この夜から二日後。
王都からコノ村に王城からの使者がやって来た。
来月、新国王カミルバルトの即位式が行われる。当主は家族を連れて式典に参加するように。
という内容であった。
そして、使者は今の話とは別に、非公式の依頼をティトゥへと伝えた。
それは少しの間、ハヤテの力を貸して貰いたい、というものだった。
ペニソラ半島の半ばに位置する小国、ミロスラフ王国。
この国は今、一つの大きな転機を迎えようとしていた。
次回「護衛任務」




