その19 調査準備
帝国がこの国の国境線に軍を集結させているらしい。
その数三万。
今も続々と増え続け、最終的には四万を超えると予想されているそうだ。
この報告を受けて、ベネセ家の新当主マムスは敵対している連合軍との休戦を選択した。
現在同盟軍は、総力を挙げて対帝国との戦に向けて動き始めたはずである。
僕が叡智の苔ことバラクから教えられたネドマの発生は、後回しにされた形となる。
そこで僕達が彼らに代わって、その調査を引き受けたのだった。
ネドマの発生は二個所。
西の山脈のどこかと、東の港町の沖合。
山脈の方と違って海の方が場所が具体的なのは、地形によるものや障害物の多さも関係しているのかもしれない。
東の港町デンプションは、かつて水運商ギルドのジャネタお婆ちゃんの赴任先だった町だ。
彼女に話せば何か融通を利かせてくれるかもしれない。
僕達は彼女のいるチェクレチュニカの町へと飛ぶ事にした。
『~♪』
・・・さっきからどうもティトゥの様子がおかしい。
彼女は上機嫌で、以前僕が教えた米〇CLUBの浪〇飛行を口ずさんでいる。
『ねえハヤテ。もう一度歌ってみて頂戴』
何だろうか、このモヤモヤとする感じ。
何かを見落としているような、明らかに罠が見えているのにそれに気付けていないような。
例えて言うなら、肉食獣に狙われている草食動物の気持ちだろうか?
周囲の様子がいつもと違う。違うのは分かるけどどこが違うのか分からない。
そんな不穏な空気を感じながらも、警戒しつつ草を食んでいる。そんな感じ。
いっそティトゥに聞いてみたい。けど何をどう聞けばいいのかが分からない。
ていうか、ティトゥのこの感じから見て、絶対に素直に答えてくれそうにないし。
新しい遊びを発見してワクワクしている子供の顔にしか見えないし。
『あっ! チェクレチュニカが見えて来ましたわ!』
おっと、どうやらここで時間切れのようだ。
この話の続きはまた後で。
僕は翼を翻すと、いつものように水運商ギルドの中庭に降り立つのだった。
僕が降りる音を聞きつけたのだろう。建物の中からジャネタお婆ちゃんが走り出て来た。
手には何かの書類を抱えている。
相変わらず悪巧みを――じゃなくて、精力的に働いているようだ。
『ハヤテ様さえ協力して下されば、この国の経済を牛耳る事だって夢じゃありませんよ』
挨拶もそこそこに、開口一番、とんでもない事を言い出すジャネタお婆ちゃん。
いやいや、誰もそんな事を望んでないから。あなたは一体、どこの悪の秘密結社の勧誘員ですか。
『それよりも今日はお願いがあって来たんですの』
『ほう。アタシなんかで役に立つならいくらでも。それで、今度はどこを干上がらせればいいんです?』
いい加減そっち方面の話から離れてくれないかな! 僕は誰よりも平和を愛するドラゴンだから。ラブアンドピースドラゴンだから。
ティトゥから説明を聞いて、ジャネタお婆ちゃんは眉間に皺を寄せた。
『帝国軍かい・・・まあヤツらにとってみれば、この国の大規模な内乱は、恰好の進軍の機会だろうね』
その様子は落ち着いていて、なんだか意外だった。
もっと怒りを露わにするか、逆に「稼ぎ時だ」とばかりに目を輝かせるかと思ってた。
『戦で稼げるのは金貸しと一部の限られた商人だけですよ。アタシらのような真っ当な商人は損しかありゃしません』
『そうなんですの?』
ジャネタお婆ちゃんが言うには、戦争があっても儲けが出るのは武器や防具を作っている職人と、その品を卸している武器商人くらいらしい。
ちょっと不思議だね。
『軍隊に食料が売れるんじゃありませんの?』
『勿論それで儲けを出す商人もいます。ですがアタシらギルドには戦時負担金というものがありますから』
この国では戦争が起こると、国からギルドに対して戦時負担金という名の税金が課せられるそうだ。
どうやら、「お前ら国民を守るために戦争をするんだから、そのための金を出せ」という理屈らしい。
つまり、いくらギルドが軍に兵糧を売ったとしても、結局その金の出どころは自分達の懐という事になる。だったら儲けにならないのも当然だ。
『過去に戦争景気で荒稼ぎをしたギルドがあったせいでこうなったと聞いてますがね。まあ、そんな不届きなヤツらがいたんじゃ仕方ありませんわな』
『それでいいんですの?』
金の亡者(失礼)のジャネタお婆ちゃんから出たにしては意外とも思える言葉に、ティトゥも驚いているようだ。
ジャネタお婆ちゃんは、当然、といった顔で頷いた。
『アタシら商人が本当に稼げるのは世の中が安定してこそですから。領主がきちんと政をして、領民が安心して田畑を耕してくれてこその商売なんですよ。アタシらの仕事の本当の所は、人と人との仲立ちをして、その謝礼として幾ばくかの金銭を頂く事です。しかし、残念な事に商人の中にもそれが分かっていない輩が多すぎる。全くもって嘆かわしいことですよ』
『はあ、そうですの』
ティトゥは今一つピンと来ていない様子だが、僕はジャネタお婆ちゃんの考え方に驚きを感じていた。
ジャネタお婆ちゃんは”商売”というモノを明確に”サービス業”として捉えているからだ。
そしてサービス業にとって必要なのは、安定した経済活動――安全と平和だという事も分かっている。
この世界は、まだ産業革命すら起こっていない。
経済社会としては原始的と言ってもいいだろう。
そんな中、ジャネタお婆ちゃんは、現代の経営思想家にも通じるものの見方をしているのだ。
この人は本当に凄い商人だったんだな。
僕は今更ながら、マイラスが彼女の事を”師匠”と呼んでいる意味が分かった気がした。
『ネドマかい・・・また厄介な相手が』
おっと、いつの間にか二人の話が続いていた。
この国は昨年、ネドモヴァーの節を宣言――ネドマが到来している。
件のデンプションの港町も、この春まで半年ばかり軍によって封鎖させられていたそうだ。
『それで、私とハヤテが調査に向かう事になりましたの』
『お二人だけで?! ああ、ハヤテ様のお力があれば、離れた二か所を調査する事も可能でしょうな』
そういう事。
『港町デンプションの沖合ですか・・・ いいでしょう。勝手知ったる土地ですし、向こうには以前の部下もおります。アタシも是非お二人の調査に協力させて下さい』
えっ? ジャネタお婆ちゃん本人が来るわけ?
今は岩塩の売り買いや、リリエラの塩の流通で忙しいんじゃないの?
『何をおっしゃいます! お二人のお力になれるなら、そんなものどうって事ありませんよ! それにこちらは部下に任せればいいんです。いつまでもアタシがやっていたら下が育ちませんから』
う~ん、そうなのかな。
遠くでコッチの様子を伺っている人達が、今の言葉を聞いて一斉に青ざめたようにも見えるけど。
あれってジャネタお婆ちゃんの部下の人達じゃないの? 本当に大丈夫なのかな。
『(これは竜 騎 士のお二人に恩を売れる絶好の機会じゃないか。こんな大事なもの他人任せにする訳にはいかないね)』
あ、今の呟き、僕には聞こえているから。
まあ恩くらいで済むなら、いくらでも売ってくれて結構だけどさ。
でも、僕らはいずれこの国を去ってミロスラフ王国に戻るけど、それでもいいの?
貸しの取りっぱぐれになるだけなんじゃない?
『それで今から向かわれるんですか?』
『今日はオアシスの町に帰りますわ』
カルーラ達が王城に残る事になったと、彼女達の家族に報告しないといけないからね。
本格的な調査は明日からになるかな。
『! それは助かります! 良ければアタシの合流は明日からという事にして、明日またここに寄って頂けませんか?!』
仕事の引継ぎとかあるだろうし、それは仕方ないよね。
ティトゥもジャネタお婆ちゃんの事情を察して頷いた。
そしてジャネタお婆ちゃんの部下達は絶望の表情で天を仰いでいる。
気の毒とは思うけど、こっちはこっちで大事な調査だから。君達も頑張ってくれたまえ。
次回「ギルド事務員ヤロヴィナの受難」




