その5 膨らむ泡(バブル)
砂漠のオアシスに朝日が昇る。
いつもの僕のテント。
カルーラがいつになく思案顔で僕の所にやって来た。
『相談に乗って欲しい』
「僕? 勿論、構わないけど?」
彼女が大事そうに取り出したのは数枚の小さな木の板。
最近巷で話題沸騰中の”塩切手”だ。
それ、一体どうしたの?
『ジャネタから買った』
カルーラが言うには、塩切手を売り出した割と初期の頃、物珍しさと好奇心でティトゥに頼んで買ってきて貰ったんだそうだ。
いつの間に。
ちなみに同じ枚数をティトゥも持っているらしい。
いつの間に。
で、カルーラが言うには、昨日これが彼女の兄で現カズダ家当主エドリアさんに見付かって、ちょっとした口論になったんだそうだ。
『エドリアは売れと言った。でも私は反対した』
現在、塩切手は最初の販売価格の十倍以上で取引されている。
いくらなんでもあり得ない価格だ。
みんな元は岩塩の引換証だって事を忘れているんじゃない?
・・・忘れているんだろうなあ、きっと。
そうでなきゃ、あり得ない価格だからね。
『ジャネタはまだ売らないでいいと言っていた。まだ値を吊り上げるからって』
おっと、僕が他の事を考えてる間もカルーラの話が続いてた。
とはいえ大体の事情は分かった。
カルーラはジャネタお婆ちゃんに言われた通りに値上がりを待つつもりだけど、エドリアさんは値崩れする前に売って金に換えてしまえと言っているんだな。
普通に考えればエドリアさんの言ってる事が正しい。
そもそも今の価格が異常過ぎるのだ。
なら十分に得なうちに、現金化しておく方がいいに決まってる。
欲をかいて値崩れしてしまったら台無しだからね。
後悔先に立たず。後で「あの時ああしていれば」なんて思いをした事は誰しもあるはずだ。
けど、今回に限っては多分、カルーラの方が正しいかな?
何せ市場が高騰するように仕組んだのは、他でもないジャネタお婆ちゃんだからだ。
もちろん市場が彼女のコントロールを外れて暴走する危険性は十分にある。
というより、未だに彼女が売り逃げをしていないのが僕には驚きなんだけど。
どう考えても現状で市場はもう限界でしょ。
いつ破裂してもおかしくない風船のように、パンパンに膨らんでいるようにしか見えないんだけど。
僕なら絶対にこの時点で手仕舞いしている所だけど、ジャネタお婆ちゃんは「まだいける」と踏んでいるようだ。
単に欲に目がくらんでいるのか、それとも商売人としてのカンがそうさせているのか、それは僕には分からない。
けど、凡人である僕の判断より、一流ギルドの商人のジャネタお婆ちゃんの判断の方を信じた方が間違いない。はずだ。
ならここは”待ち”で。
『・・・分かった。エドリアにはハヤテ様がそう言っていたと言う』
「ええっ?! そうなるの?! う~ん、そうなる、のか? まあいいや」
どうせカルーラのお小遣いで買った物だからね。エドリアさんにどうこう言える物じゃないはずだ。
けど一応忠告だけはしておこう。
「それはティトゥに預けておいた方がいいと思うよ。市場が急に動いて売った方が良くなった時に、現場の僕達なら直ぐに対応する事が出来るからね」
『そうする』
カルーラはコクリと頷くと、ティトゥを捜してテントを出て行った。
そして彼女と入れ違うように、今日も元気なお婆ちゃんがやって来た。
『おはようございますハヤテ様! 本日もよろしく頼みますよ!』
朝から無駄にテンションの高いジャネタお婆ちゃんに、僕は若干の胃もたれを感じるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
時間は数日前に戻る。ここはバルム家当主の屋敷。
その執務室で、若い小男が岩塩商ギルドの役員と打ち合わせをしていた。
小男はバルム家当主の次男ファンデル。
彼の仕事は商人との仲立ち。具体的には岩塩商ギルドから資金を引き出し、財政面からこのバルム家を支える事にあった。
「そうか。では商人達からの不平不満はもう無いのだな」
ファンデルはホッと胸を出下ろした。
ベネセ家当主エマヌエルが、帆装派の一部貴族に対して取った制裁。
バルム領の岩塩の販売差し止めという決定を受けて、少し前まで岩塩商ギルドの商人達は上を下への大騒ぎとなっていた。
先日、ファンデルは岩塩商ギルドの陳情を持って王城に出向いたものの、エマヌエルにけんもほろろに断られて追い返されていた。
そんなわけでファンデルは、一時はどうなることかと夜もおちおち眠れない状態だった。
だが、案ずるより産むがやすし。
どうやら彼の知らない所で騒ぎは無事に沈静化したようである。
「しかし、よく商人達が納得してくれたものだな。後学のためにどのような方法を取ったのか教えてもらえまいか?」
「それが・・・我々が何かしたわけではないのです」
少し言い辛そうに打ち明けるギルド役員の男。
実際、岩塩商ギルドとしても出来る限りの手は打ったものの、商人の不満を鎮める事は出来なかった。
正直言って手の打ちようがなくなったその時、彼らに救いの手が伸ばされたのだ。
「我々もほとほと困っていた所に、運良く水運商ギルドの者が岩塩の買い取りに応じてくれまして」
「水運商ギルドが? しかし、帆装派貴族に売るのはマズいのではないか?」
怪訝な表情になるファンデル。
しかしギルド役員は笑って彼の言葉を否定した。
「いえ。あちらさんにそのつもりは無いようです。契約にもそう明記しておりますし、商品はまだ我々の倉庫に残っています。もし王城が取引を禁止した貴族に売る気配があれば、直ぐにでも差し止められますよ」
水運商ギルドは昨年はロクに船が出せずに赤字を出している。その補填のために国内向けの新たな商売を模索しているのではないだろうか?
岩塩商ギルドでは水運商ギルドの――ジャネタの行動をそう推測していた。
もちろんそれは彼らの勘違い。
ジャネタの狙いは他にあるのだが、それを彼らが知った時には手遅れになっているのだ。
「しかし、岩塩を買ったと言っても、普通に売れば岩塩商ギルドの販売網と競合するだけだろう。我がバルム家も岩塩商ギルドとの専売取引を止めるつもりはないし、ヤツらが入る隙などどこにもないのではないか?」
ファンデルの言葉にギルド役員は「少々お待ちを」と言うと懐を探った。
「こちらをご覧ください」
「? 何かの預かり証か? これは水運商ギルドの紋章だな」
ギルド役員が取り出したのは例の”塩切手”。
彼は身振り手振りを交えながらファンデルに説明を始めた。
男の説明にファンデルは、首を傾げた。
「――良く分からんが、つまりお前達はこの塩切手を取引しているという訳か」
「そうなのです。これは良く出来た方法ですよ。どうして今まで誰もこの方法に気付かなかったのか。全く上手く考えたものです」
興奮気味に熱弁を振るうギルド役員。
販売所の熱狂を知らないファンデルは、どこか胡散臭い物を見る目で、手の中の塩切手を弄んでいる。
「今では町の商人のほぼ全てが塩切手の販売に関わっております」
「何?! そんな事が可能なのか?!」
塩切手の革新的な所はそこだ。
岩塩の倉庫も販路も無い商人ですら塩切手の売買に参加出来るのだ。
いや、商人である必要すらない。
まとまった資金を持つ者なら誰でもこの新しい商売に参加可能なのだ。
実際、一部の商人は自らが窓口となって、職人等、一般の人達を相手に塩切手の売買を始めていた。
いわゆる”ノミ行為”というヤツだ。
「それはスゴイな・・・」
「どうです? 興味がお有りでしたら、ファンデル様も参加なされますか?」
塩切手の値段は今や当初の数倍となり、未だに高騰を続けているという。
ファンデルは手の中の小さな板が急に重みを増したように思えた。
彼は無意識のうちにゴクリと喉を鳴らしていた。
「そう・・・だな。軍備の出費で、今は当家もやや財政が心許ない。儲けになるなら手を出すのもやぶさかでないか」
「分かりました。私めが窓口になりましょう」
こうしてバルム家は塩切手に手を出す事になった。
バルム家の参入に市場は即座に反応。買いが殺到して、塩切手は一気に十倍の大台に乗る事になった。
濡れ手に粟のこの儲けに気を良くしたファンデルは、後日、追加でまとまった資金を投入した。
これを受けた市場は更に過熱。
なんと驚くことに一気に五十倍以上にまで達したのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
僕らがチェクレチュニカの水運商ギルドの屋敷の中庭に到着すると、いつもの職員が待ちかねたようにこちらに走って来た。
「ジャネタ様! 来ました! いきなり52.6倍の高値更新です!!」
「! 貸しな!」
ジャネタお婆ちゃんは彼からひったくるように資料を奪うと、ざっと目を通した。
ある一点の数字の上で彼女の目が止まると、瞳の奥がギラリと光った。
「この金――恐らく岩塩商ギルドの準備金か、あるいはバルム家だね。とうとう来たか! よし! 売り抜けだ! ここからは時間との戦いだ! 戦争だよ!」
彼女の言葉に職員の背筋がピンと伸びた。
そしてティトゥはあたふたとポケットを探って、自分達が買った塩切手を探し始めたのだった。
次回「X-DAY」




