その4 仕手筋ジャネタ
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ここはオアシスの町ステージに一軒だけある宿屋。
水運商ギルドのジャネタは酒を片手に、こみ上げて来る笑いを堪えきれなかった。
「これが笑わずにいられるかい! ボロ儲けじゃないか!」
彼女の前に座っているのは、彼女と同じ水運商ギルドの青年マイラス。
マイラスはリリエラの塩湖採掘作業の資材調達のために、この町に戻って来ていた。
自分の師匠のあくどい表情に、マイラスは日に焼けて真っ黒になった顔を歪めた。
「しかし師匠、これは酷すぎますよ。いくらなんでも王城が黙っていないでしょう」
先程からマイラスは、自分がいない間にジャネタが始めた”新しい商売”の話を聞かされていた。
最初は興味深そうに聞いていたマイラスだったが、話を理解するにつれてその表情は次第に険しくなっていった。
どうやら彼は”塩切手”に潜む巨大な爆弾に気が付いたようである。
しかし、マイラスの最もな意見にジャネタはどこ吹く風。
「はんっ」と軽く鼻で笑い飛ばすと、クイッと酒をあおった。
「ヤツらが気付く頃にはとっくに事は終わってるさ。そもそもコイツはアタシら帆装派と現王城派の戦争だ。そしてチェルヌィフは商人の国。相手を殺す武器は何も剣や槍だけとは限らない。矢が飛び交う前線だけが戦場だと思っているヤツの方が大甘なんだよ」
ジャネタの言葉は屁理屈なのだが、ある意味では正しくもある。
敵の経済を攻めるというのは戦術としては間違っていない。
と言っても、やはり実際のところはハヤテの話に刺激を受けたジャネタが、「やってみたくて仕方が無くなった」といった所が正解なのだろう。
要は、彼女の商人としての血が騒いでしまったのだ。
これ以上は何を言っても聞き分けそうにない。そうマイラスは諦めるとチビチビとカップの酒を口にした。
そもそも既に賽は投げられている。
ここまで事態が進行している以上、今更、途中下車は出来ない。
そして、どうせ破綻する未来しかないのなら、せめてこちらが最大限の利益を得るべきだろう。
マイラスはそう判断した。
彼もやはり一流の商人――ジャネタの弟子なのだ。
「しかし、ハヤテ様は一体どれほどの叡智を秘めているんでしょうね。まさか我々チェルヌィフの商人が思いも付かないような商売をご存じだったとは」
マイラスの言葉に、浮かれていたジャネタが途端に真顔になった。
彼女は水差しから水を飲むと、少しだけ酔いを醒ました。
「ああ。アタシも長くこの仕事をやっているが、形のない権利を商人以外も参加して売り買いするなんて発想はさすがに無かった。コイツはある意味では商売じゃない。バクチだ」
「――しかし、経済です」
「そう。その通り。コイツをバクチと言い切ってしまえば、アタシらのやってる真っ当な商売だって全部バクチになっちまう。これは新しい価値観。未来の商売なんだよ」
ジャネタはハヤテから先物取引の話を聞かされて、そのあまりに斬新な発想に触れて、頭の血が沸騰したのではないかと思う程の興奮を覚えた。
そして、今なら――誰も手を出していない今なら必勝方法が使える。
これは誰も見た事もない新しい商売。そして誰も攻略方法を知らない今、十分な資本力を持つ水運商ギルドなら、絶対に勝つ事が出来る商売なのだ。
それに気が付いてしまった以上、根っからのチェルヌィフ商人のジャネタが、夢中になってしまったのも当然と言えるだろう。
「アタシはこのひと月程、竜 騎 士のお二人と関わって思い知らされたよ。あの方達は見えている世界が違う。
ハヤテ様はアタシなんかじゃ計り知れない程の叡智の持ち主だ。あるいはドラゴンはみんなハヤテ様みたいに聡明なのかもしれない。
そして多分、ドラゴンが聡明なのは、人間とは時間の感覚が違うからなんだろうよ。
アタシら人間が馬車でえっちらおっちら何日もかけて移動する距離を、ドラゴンは半日もかからずに往復しちまえる。
時間に対しての情報の密度が桁外れに違うんだよ。
ハヤテ様はその武力に注目が集まりがちだが、アタシは違うと思う。アタシ達人間が真にドラゴンを恐れなければならない理由は武力じゃない。人間の何倍もの馬鹿げた情報収集力と、情報を活かす高い知性。ドラゴンの知識と知恵こそアタシらは恐れ敬う必要があると思うね」
ジャネタの言葉に深々と頷くマイラス。
実は彼もハヤテの洞察力と知識量に深い感銘を受けていたのだ。
ドラゴンの底知れぬ叡智に神妙な面持ちとなる二人。
もしこの場にティトゥがいれば、緩む頬を抑えきれなかったに違いない。
言うまでもない事だが、二人の感想は多分に買い被りを含んでいる。
ハヤテの中身はややオタク気質な日本の一般的な成人男性で、学歴だって平凡なものに過ぎない。
多少は雑学に詳しくはあるが、それとてネットやテレビの聞きかじりで、専門分野に関してはまるでお手上げである。
要は、彼は極普通の現代人なのだ。
ハヤテ本人もそれはハッキリと自覚している。
だが、ハヤテは気付いていないが、その現代人の持つ知識や価値観は、この異世界では未来の知識であり、未来の価値観なのだ。
ハヤテの状況を知るには、我々現代人が当たり前のように触れる知識が、多くの賢人のもたらした膨大な知恵の集大成である事から自覚しなければならない。
長年に渡る数多くの専門家の思考と努力、天才的な気付きとひらめき。
それら気が遠くなる程の膨大な積み重ねの上に完成された、知識というピラミッドの頂点。
現代人はそんな宝石のような叡智に、極当たり前に触れる事が出来る。
我々は贅沢にも、選り取り見取りでいいとこどりが許されているのである。
そう考えれば、ハヤテの知識もハヤテの自由な価値観も、この世界においては他に類のない程の叡智の結晶。知識の頂点と言えるだろう。
もっとも、日頃のとぼけたハヤテの姿からは想像もつかないだろうが。
「それで師匠。どのタイミングで事を起こすつもりなんですか?」
マイラスの言葉にジャネタは少し考えた。
「そうだね。今は市場を操作出来てるが、さすがにアタシも短期間でここまで膨らむとはちょいと予想出来なかったからね・・・」
現在、塩切手の価格は、なんと元値の五倍にまで跳ね上がっている。
塩切手を売り出した時点で、下がっていた岩塩の相場は大体例年通りの価格に戻っていた。
つまり、現在バルム領では岩塩が普段の五倍の値段で取引きされている事になる。
冷静に考えればこれがいかに異常な事態か分かるだろう。
商人達の投資が過熱するのも無理が無いというものだ。
「十倍を目途に売りをぶつけて売り逃げるかね」
「十倍ですか?! 本当にそこまで上がると思いますか?!」
途方もない数字に驚愕するマイラス。
弟子の反応にジャネタは少し思案顔を見せた。
この国始まって以来、初めての先物取引だ。実際のところ彼女にも市場の限界がどこにあるのか、自分の読みに自信がなかった。
「まあその辺は様子を見ながらボチボチやるさ。何せこっちにはハヤテ様が付いているんだからね。そのために毎日あちこち飛び回っては最新の情報を集めているんだ。アタシら以上に市場の動きに詳しいヤツはいないよ」
チェクレチュニカの水運商ギルド支店を中心とした塩切手販売網は、各地の町に広がっている。
少しの相場の変動も見逃していない自信がジャネタにはあった。
「口コミでチョウチンを誘った効果が出始めた所だ。きっとここからガツンと上がるよ」
ジャネタの口にしたチョウチン。
これは株の用語で”提灯”。株価の動きにつられて、その相場に参加する個人投資家の事を言う。
そしてこの世界には――少なくともこの国には提灯は存在しない。
当然これもハヤテから出た怪しげな知識である。
「だといいんですが・・・」
マイラスは不審げな表情である。
現場の商人達の熱を知らない彼には、どうも今一つピンと来なかったようだ。
翌日、マイラスは隊商に同行して発掘現場へと戻って行った。
ジャネタはハヤテに乗っていつものように水運商ギルドの支店を回った。
それから三日後。
塩切手の値は十倍の天井に到達した。
ジャネタは「この分ならまだ行ける」と判断。ギリギリまで売りに出ない事に決めた。
この日、彼女は過熱し過ぎた買いを冷ますため、逆に若干の売りを入れ、市場を見守った。
仕手筋ジャネタによる塩切手吊り上げ工作は、多くの商人を巻き込み、未知の領域へと突入していた。
次回「膨らむ泡」




