その2 バードストライク
大きな衝撃と共に僕の風防が血で真っ赤に染まった。
所々に見える白い塊は鳩の羽毛だろう。
そう。バードストライクである。
野鳥が航空機にぶつかる”バードストライク”は、日本でも年間何百件と起きる比較的ポピュラーな航空事故である。
高度が低く、離着陸で航空機の速度が遅いときに発生しやすい。
なにせジェット機のエンジンは開発の際には、鳥を吸い込ませるテストを行うほどだ。
つまりは航空機にとってそれほど頻繁に起きる事故とも言える。
だからといって、実際に自分の身に降りかかるとなれば話は別だ。
『『『キャアアアアアッ!』』』
重い衝撃とショッキングな光景に、操縦席のティトゥ達の悲鳴が上がった。
だが今の僕はそれどころじゃない。
僕は必死になって状況の把握に努めようとしていた。
プロペラは? ――無事か。
けど、さっきよりも速度が出ていない気がするし、いつも聞き慣れた風きり音の中に違和感を感じる。
どこかが損傷しているのは間違いない。
エンジンは無事だろうか?
今のところ異常は感じない。幸いエンジンに損傷は無いらしい。
だが、機体下部の空気取り入れ口が鳩の残骸を吸い込んだかもしれない。
一応、吸気管の内部には防塵網が付いているはずだが、あれはホコリの吸入を防ぐものなので、この場合はあまりあてにしない方がいいだろう。
もしキャブレターに異物が混入したら、最悪エンジンが焼け付く恐れもある。
一刻も早く着陸して整備するべきだ。
そこまで確認したところで、僕は初めて血に染まった風防に意識が向いた。
風防は――取り敢えず割れてはいない様子だ。
四式戦闘機の風防の前面は70mm厚の防弾ガラスとなっている。
弾丸も防ぐ防弾ガラスは鳩の直撃にも耐え切ったらしい。
『大丈夫ですの?! ハヤテ?! 返事をして頂戴?!』
どうやらティトゥはさっきから必死に僕に呼びかけていたようだ。
カーチャとカルーラは驚きのあまり声も出ない様子だ。
この時僕は、自分の機体の事ばかり心配して、ティトゥ達の心配を後回しにしていた自分が酷く自分本位でイヤなヤツに感じられた。
『ダイジョウブ。オリル』
『そう? だったらいいんですわ。あなたの好きにして頂戴』
とにかくこのまま飛び続けるのは危険だ。
僕は適当に開けた場所を見つけると緊急着陸した。
降りてから気が付いたけど、広場には大きな岩がゴロゴロ転がっていた。
すっかり頭に血が上った僕は、どうやらそれらを見落としていたらしい。
よくこれで着陸時に岩に乗り上げなかったものである。
最悪、大きめの岩にぶつかって主脚を折っていたかもしれない。
そうなればプロペラを破損していたばかりか、機首から地面に突っ込んで二度とエンジンが使い物にならなくなっていた可能性すらある。
僕は今更ながら紙一重の幸運にゾッとした。
『どう? ハヤテ』
『・・・ダメ』
こうして落ち着いて体の感覚を探ってみると、やはり機内に若干の違和感がある。
どうやら鳩の残骸がいくらか入り込んでしまったらしい。
さっきは大丈夫だったが、安全を考えるならこれらが取り除かれるまではエンジンを動かさない方がいいだろう。
とはいえ――
『とはいえ困りましたわ。私達だけでは難しいでしょうし』
そう。僕の機体をクリーンにするには少女三人では手に余る。
助っ人が、――出来れば男手が何人か必要だ。
僕の機体は破損があっても時間が経てば直ってしまう。
とはいえ、機体に入った異物まで取り除かれるかどうかは分からない。
今までそんな経験をした事が無いからだ。
――直る時間が必要なのは事実か。
何となくだが、さっきからずっとプロペラにも違和感を感じている。
プロペラブレードが曲がってしまっているか、その付け根――プロペラピッチの可変装置に何らかの不具合が起こっているのかもしれない。
鳩の体をかみ砕いちゃったからね。
流石にこの世界にはこんな精密機械をバラして直せるだけの技術者も工具も無いはずだ。
ここは自分の自然治癒力に期待するしかないだろう。
『こうして考え込んでいても仕方がありませんわ。昨日の町でチェルヌィフ商人の力を借りましょう』
ティトゥは町まで出向いて助けを求めるつもりのようだ。
『昨日の町はあっちの方角だったはず』
『すぐに準備します』
僕はカーチャの求めに応じて、彼女達の私物が詰め込まれた増槽を出した。
いつもの樽増槽ではなく、投下用増槽の方だ。
これなら僕の意志で開け閉め出来るからね。
カルーラはどこからともなく現れた投下用増槽を興味深そうに眺めている。
『昨日も見たけど、やっぱり不思議』
ホントに不思議だよね。まあ僕は存在自体が不思議の塊なんだけどね。
やがて三人は支度を整えると町があると思われる方向へ歩いて行った。
僕はそんな彼女達におにぎりと水筒を出してあげる事しか出来なかった。
全くもって不甲斐ない。
僕は忸怩たる思いを抱えながら三人の後ろ姿を見送るのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
カーチャは彼女の主人のティトゥが上機嫌なのが気になった。
「あの、ティトゥ様。何がそんなに嬉しいんですか?」
「嬉しい? ・・・そうね。確かに私は嬉しいのかもしれませんわ」
ティトゥはそう言うと、ちょっと申し訳なさそうにカルーラに振り返った。
「ごめんなさいカズダ様。不謹慎でしたわね」
「別に構わない」
思わぬ事故に落ち込んだりイラついたりするよりも、心に余裕がある方がずっと良い。
それにまだまだ焦るような時期ではない。
たった一日でゾルタを越えて帝国に入っている事からも、ハヤテでの旅は船でのそれに比べて何倍も速いと彼女にも分かっている。
トラブルで少々遅れるくらいは誤差の内と言ってもいいだろう。
「私はいつもハヤテに助けられてばかりでしたの」
ティトゥはそう言って空を見上げた。
「一年前のあの日も、私はこうやって空を見上げていました。自分にはどうする事も出来ない問題を抱えて、現実に押しつぶされそうな私は意地を張って空を見上げる事しか出来なかったのですわ。そんな時に私はハヤテと出会ったのです」
一年前のティトゥは追い詰められていた。
王国の元王族に目を付けられた彼女には暗い未来しか待ち受けていなかったのだ。
「そんな未来を全て吹き飛ばしてくれたのがハヤテでしたの。ハヤテは私を救い、ランピーニ聖国のマリエッタ様とパロマ様を助け、ナカジマ領の開発のために湿地帯を焼き払ったばかりか、強大な帝国軍すら蹴散らしてくれました」
カーチャは「こうして改めて聞くとハヤテ様はとんでもない事をしていたんだなあ」と感心してしまった。
日頃のハヤテはものぐさな昼行灯でしかないため、どうしてもカーチャの評価は下がり気味なのである。
「ハヤテがこれほど私達に良くしてくれたのに、私はずっと彼に甘えてばかりで何もしてあげられませんでした。だってハヤテは食事もしなければお金も地位も必要としないし、テントさえあれば中でずっとじっとしているだけなんですもの」
「それは・・・ハヤテ様は人間じゃないし」
「それでも私はハヤテのために何かしてあげたかったのですわ」
ティトゥは立ち止まると二人に振り返った。
「だからこうしてハヤテが私を頼ってくれたのが嬉しいんですわ!」
二人の少女はティトゥの真っ直ぐで素直な気持ちに胸を打たれた。
カルーラは小さく頷いた。
「それなら私も。トマスとアネタは私のせいで帝国人に攫われた。二人が無事に戻ったのはナカジマ様とハヤテ様のおかげ。私も彼が困っている時には恩返しをしたい」
「わ、私もティトゥ様と同じ気持ちです!」
二人の返事にティトゥは朗らかな笑みを浮かべた。
「さあ、行きましょう! ハヤテが首を長くして私達の帰りを待っていますわ!」
三人の少女達は決意も新たに再び歩き始めた。
こうして彼女達は正午になる前には昨日宿を取った町に戻る事が出来たのだった。
早速昨日世話になったチェルヌィフ商人の店を訪ねた三人は、そこで知らない中年男に出迎えられた。
「これはこれは! ここの店主からすれ違ったと聞かされてガッカリしておりましたが、大逆転ではないですか! 幸運の女神は私に微笑みかけてくれました!」
「誰ですの?」
男は昼間から酒を飲んでいたのだろう。
酒臭い息を吐きながら赤ら顔で興奮してまくし立てている。
テンションも高く詰め寄るふくよかな中年男にティトゥはイヤな顔を隠せなかった。
男は顔一杯にうさん臭い笑みをたたえながら自己紹介をした。
「これは失礼! 私はチェルヌィフ商人のレオミール! そちらの領地でお世話になっているシーロの遠縁にあたる者です!」
ああ、なるほど。
うさん臭さい笑みと独特のテンションの高さに、ティトゥとカーチャは納得の表情を浮かべた。
一人だけシーロとほとんど面識の無いカルーラは、不思議そうにレオミールに尋ねた。
「それであなた、この人が誰だか知っていて用があるの?」
レオミールは上機嫌で揉み手をしながらカルーラの問いに答えた。
「もちろん存じあげておりますとも! ミロスラフ王国初の小上士ナカジマ家、そのナカジマ家のご当主様にして王国初となる女性領主様! 人類史上初めてドラゴンと契約を交わした誉れ高き美貌の竜 騎 士! ミロスラフに余すところなくその名を轟かせる姫 竜 騎 士、ティトゥ・ナカジマ様でございます!」
立て板に水と美辞麗句を尽くしてティトゥを褒めそやすレオミールに、思わずカーチャは「確かにこの人はシーロの親戚に違いない」と、変な感心の仕方をしてしまった。
ここでレオミールは居住まいを正した。
その途端に先程までのうさん臭さが嘘のように鳴りを潜め、大店の店主に相応しい威厳をまとった。
「実は私をごひいきにして頂いている、とある公爵様がちと厄介な事になっておりまして・・・ ここで偶然出会えたのは天が与えた千載一遇の好機。是非あなた様とドラゴン・ハヤテ様のお力を私めにお貸し頂けないでしょうか」
レオミールの思いもかけない申し出に、ティトゥ達少女三人は戸惑いの表情を浮かべるのだった。
次回「チェルヌィフ商人レオミール」




