30:風鬼
とりあえずの会計をツバサに押し付けて、愛三はもんじゃ焼きの店を飛び出した。
「奪取」
覚えたばかりの仏理呪術を用いて加速。ついでに天翔によって空中を足場にして、空を翔ける。警告が示す場所へ直線でいく。とはいえ、さすがにビルは避けてだが。
「暴風」
声が聞こえた。と思った瞬間、その言葉通りに暴風が吹いた。おそらく危険度で言えば台風時のそれに近い。家屋が吹っ飛んでいないのは、丈夫に造ったが故か。あるいはまだ風鬼が手加減しているのか。真っ先に辿り着いた愛三は、そこで襲われている人々を見る。スクランブル交差点の一角だ。信号待ちの人間が多数いて、ぞろぞろとどこにいたのか悩む程度には多い。東京の人口が多いのは話に聞いていたが、入試からこっち慣れることは難しい。彼にとっては六波羅機関の内部でさえも人が多いと感じるのだ。現れた鬼はスクランブル交差点の中央。十字に交差する道路の中心。そこから暴風を発生させて、都民の恐怖を呷っている。そもそも風が扱える鬼ともなれば、あまり候補は多くないのだが。
「藤原千方……の式神か」
「我が主を知っていらっしゃるので?」
風鳴が止んだ。まさかコミュニケーションが取れるとは思っておらず。八年前の金鬼は会話できるような知性を持っていなかった。だが今ここにいる風鬼はしっかりと意識を持っている。
「いや、風を使う鬼となれば他に候補もないしな」
あえて言うなら嵐を操る鬼王くらいだろう。その威力を愛三は知らないのだが。既に周囲の人間は逃げに走っており。当たり前だが立ち向かうのは愛三だけらしい。というかここで蛮勇じみた行為をされても困るので、それはいいとして。
「鎌鼬」
ポツリ、と風鬼が呟く。襲ってくる悪寒に従って陰陽二兎を展開した愛三は、そこで触れた風の斬撃を跳ね返す。ほぼ横に走るギロチンのように風の斬撃が奔ったが、それは風鬼を切り裂けない。威力的には申し分ないが、風限定で自在に操れるのだろう。
「暴風」
さらに風が吹き荒れる。先ほどの比ではない。逃げ遅れた被害者が風に捕まって持ち上げられ、散る木っ端のごとく流されていく。そっちを助けようにも愛三にも限界はある。さて、どうしたものか。悩んでいると風を切る斬撃が一閃。風鬼によって作られた暴風が、鎮圧される。それはギラリと輝く怪しい光を宿し、まだ昼に高い太陽光を反射している。
「ロープライスロープ」
愛三が正解。一篇一律を宿した魔性の刀。童子切安綱を安直に英語に訳した剣。ロープライスロープがそこにあった。それも握り手である頼光を連れて。
「?」
その風を鎮めた頼光の呪いがわからなかったのか。まぁ分かれという方が無理難題なのだが。
「ご主人様。祓いますか?」
すわった目で風鬼を見て、手にした剣は下段。ここに頼光がいることに安堵を覚える愛三。一種の例外を除いて、風鬼の暴風を止める手段が愛三には無い。
「このまま二対一でいこう。突っ込めるよな?」
聞くまでもないことを聞いた気がする。バチリ、と雷光が奔る。
雷光頼光。
その名の通りに雲耀になる頼光。
「ッ! 暴風」
何を感じたのか。風を起こす風鬼、だがその風を丸ごと切って、頼光は間合いを踏み潰す。下段に構えた剣が上方へと振るわれて暴風を斬り、返す刀で風鬼へと踏み込む。速さ的には異常極まる。風鬼が反応できたのも、あるいは偶然かもしれない。とっさの悪寒に飛び上がった風鬼の、その左腕が肩の付け根から斬り飛ばされていた。そのまま風を操って上空へと避難した風鬼。無き左腕を押さえるように、切られた付け根を右手で掻く。その風鬼目掛けて、さらに頭上を取った愛三の蹴りが地面へと叩き落とす。強力な蹴撃。それによってメテオのごとく地面に堕とされた風鬼は、自らの左腕を拾いながら切り捨てようとしてくる頼光から逃げる。血も流れない呪いの集合体。それでもロープライスロープに触れて術式が解除されないということは形代による式神ではない。肉体を調整したのだろう。それ自体が非人道的だと揶揄できるが。
「やっぱり男の身体の方がしっくりくるな」
トントンと空中を蹴りながら、そう愛三は言う。実際に彼にとって戦闘に女体は向いていない。風鬼は拾った腕を肩の付け根に設置し、そうして呪いを発生させてくっ付ける。図画工作でもないのに、くっつけるだけで繋がるというのは、あるいはカーステラーの便利なところだろう。
「ふむ」
「…………」
既に頼光の速度はバレている。彼女が踏み出そうとするより早く、風鬼は上空に舞い上がった。さすがに異常な加速も空中では意味をなさないだろうという。実際にその通りだが。その風鬼へと襲い掛かる愛三。こっちは普通に宙を蹴って移動できる。しかも何故か風まで反射してしまうのだ。
「鎌鼬」
ズバン! と超気圧が斬撃となって愛三を襲うが、それは愛三に触れると反射されて風鬼を襲う。その風を解呪しながら、次なる手を考える風鬼。もはや何と戦っているのか。そこから鬼には分からない。
ほぼ同時に地上ではタァンッ! と銃声が鳴った。見れば逃げ惑う人間の中に三人ほど。拳銃を構えて頼光を狙っている猛者がいる。それについて愛三が何か言うより早く。銃弾が意識していない頼光を穿った。
「ちぃ!」
撃たれたのは腹部。そっちに愛三はホロウボースを回す。頼光とは忠誠応酬によって繋がっている。つまり彼との伝死レンジは類感の範囲。すぐさま時間の巻き戻しによる回復を図る。ホロウボースそのものは幾らでも溢れている。だが意識のリソースまでは増えることは無い。走ることと泳ぐことは同時に出来ないのだ。まだしも天翔を維持しながら頼光を快癒させているだけで異常と言えるだろう。
「鎌鼬」
さらに発生する風の斬撃。それを愛三は躱した。防いだでも跳ね返したでもなく。
「ッ」
それで風鬼も悟る。今現在の愛三は呪術のリソースを別のことに割いている。故に風の攻撃を反射できない。であればそれは何か、と考えれば。
「ケケケケケッ!」
日本刀を持った女……頼光に相違ないと。
思った瞬間に風鬼は命令を下した。
「その女を狙いなさい!」
頼光のことだ。言われて、既に狙っていた衆人環視の中に潜む三名が、悪意の中で拳銃を頼光に向ける。何故か銃痕が快癒しているが、それも二発三発となれば話は違ってくる。殺すなら今しかない。とはいえ、彼女の速度がそれを許すか。
「ッッッ!」
そうして慈悲も容赦もなく拳銃を撃つ三人。それらは。
「ふぅ」
必要最低限の動きで躱された。雷光頼光。結界を張れば銃弾くらいは訳もない。とはいえ、染みるような痛覚の覚えには集中力が阻害されるが。
「大丈夫か?」
その頼光の隣に立つ愛三。
「大丈夫です。不覚に陥ったことまこと相すみません」
「気にするな。そうか。鬼と人間が連携しているのか……」
それが問題になっているとはいえ、油断したのも事実。
「ボクが足を引っ張っているんですね」
「誤解を恐れず言えばその通りだ」
だから去れとは言えないまでも。




