33 アーノルドをデロデロに甘やかす
ディアが目覚めると見慣れたベッドの上にいた。隣には、椅子に俯き眠っているエイダの姿があった。
(あれ……? 今のは全部、夢?)
ディアは起き上がろうとしたが、力が入らず起き上がれなかった。物音を聞いたエイダが飛び起き「お嬢様!?」と叫ぶ。
『おはよう、エイダ』と言いたいのに、声がかれて出てこない。
駆け寄ったエイダは両手でディアの手を握りしめると、涙を流して「良かった」と呟いた。
「お嬢様がお城から戻られてから、もう5日も目覚めなくて……。ああっ、みんなに知らせないと!」
どうやら夢ではなかったようだ。言われてみれば、全身がきしむように痛い。エイダが部屋から飛び出した後、すぐに父と兄が部屋に駆け込んできた。
「ディア!」
父の瞳に涙が浮かんでいる。
(あれ? いつもより静かね)
涙を浮かべ黙り込んだ父と兄から、心の声が聞こえてこない。
(ああ、そっか。神様との関りがなくなったから、心の声が聞こえなくなったのね)
前世の記憶や小説『アルディフィア戦記』のことを思い出そうとしても、頭に霧がかかったようにぼんやりとしか思い出せない。ディアが咳込むと、エイダが水を飲ませてくれた。
「お兄様、アーノルドは無事ですか?」
「無事だ。王命により、アーノルド殿下が、成人されればすぐに王位を継ぐことが決まった。婚約者はお前だ、ディア」
「そっか……良かった」
父がディアの手を強く握った。
「ゆっくり休んで、体調を整えなさい」
「はい、お父様」
ディアはまた目を閉じた。
それからベッドの上でのんびりと一週間過ごして、ようやくディアは出歩けるようになった。
今日は、お城に行ってアーノルドに会える日だった。
(ずっと会ってなかったけど、アーノルドは元気かな?)
アーノルドからは毎日のように手紙と花が届いたが、会うのはこれが初めてだった。
朝から気合を入れて、エイダやメイド達に磨きに磨きこんでもらった。数時間後、鏡の前にはエイダたちの最高傑作のディアの姿があった。
「お美しいです、お嬢様!」
「ありがとう」
微笑みかけると、エイダやメイド達も嬉しそうに微笑んだ。
王家からの迎えの馬車まではベイルがエスコートしてくれた。その間、ベイルはずっと小言を言っていた。
「ディア、婚約者といえども、お前たちはまだ未成年だ。節度を守ってお付き合いするんだぞ」
「はい」
「夕方までには帰ってこい。お泊りなんて厳禁だからな!?」
「はい」
「ああ、心配だ! やっぱり俺も一緒に!」
一緒についてきそうなベイルを残して、ディアは馬車の扉を閉めた。
(早くアーノルドに会いたいな)
そんなことを考えていたら、馬車はあっという間に王宮にたどり着いた。馬車の御者が恭しく扉を開くと、見知らぬ男性がディアをエスコートしてくれた。そして、そのまま王宮の庭園内へと案内される。
薔薇が咲き乱れる庭園には、一人の王子様が立っていた。
王子様が身にまとう衣装は、光沢のある黒い生地に、金糸で刺繍が施されている。黒と金のコントラストは、燃える様な赤い髪にとても良く似合っていた。王子様が振り返り、黄色の瞳を優しく細めた。
「ディア」
「アーノルド」
駆け寄りお互いに抱きしめあう。
「ディアに会いたかった」
「私も」
「身体は大丈夫?」
「うん、もう大丈夫」
「良かった……」
アーノルドの背丈は、ディアの記憶の中より伸びていた。肌の艶もいいし、髪も綺麗に整えられている。
「アーノルド、王子様みたい。あ、元から王子様だったね」
「変かな?」
「ううん、すごくカッコいい」
アーノルドは頬を赤く染める。
「ディアも、すごく綺麗で……」
アーノルドは黙り込んでしまった。
(こういう時、心の声が聞こえたら楽なのにね)
仕方がないので、ディアはアーノルドの顔を覗き込んだ。
「綺麗で、何?」
「あ、えっと……綺麗すぎて……その、すごく緊張する」
「嬉しい、ありがとう」
ディアが微笑みかけるとアーノルドは首から耳まで真っ赤に染めた。可愛いアーノルドを堪能しながら、ディアはため息をついた。
「でもね……少し悔しいな。私が一番にアーノルドのお世話をしたかったのに……」
「お世話って?」
アーノルドは、不思議そうに首をかしげた。
「お世話って言うのは、アーノルドの髪をとかしたり、服を着替えさせたり、そういうの」
ポカンとアーノルドの口が開いた後に、その瞳がキラキラと輝いた。
「し、して!」
「いいの?」
首を激しく上下に振っている。
「僕の部屋に行こう!」
「え? 今から?」
振り返ったアーノルドは「だ、だめ?」と子猫のように瞳を潤ませた。
(くはっ!? かわぁいいいい!)
こんなお願いを断れるはずがない。アーノルドに手を引かれ庭園を抜けて王宮の中へと入っていく。行く先々ですれ違う人々がアーノルドに深く頭を下げた。
(うん、みんな、ちゃんとアーノルドに敬意を払ってくれている。良かった)
そのことがディアが嬉しかった。しばらくしてから、豪華な扉の前でアーノルドは立ち止まった。扉の前には二人の騎士が立っている。
「ここが僕の部屋」
騎士は恭しく部屋の扉を開いた。
中にはメイドが二人控えていた。そのメイド達にアーノルドは「出て行って」と冷たく伝える。
(あれ?)
「アーノルド、メイド、嫌なの?」
そう尋ねると、アーノルドは視線を泳がせた。
「嫌とかじゃないけど、今まで散々いないものや、邪魔者のように扱われてきたのに、急にかしずかれても……」
「そっか、複雑だよね……」
ディアはアーノルドの右手を優しく握った。
「じゃあ、王宮で頑張っているアーノルドを、今日は私がデロッデロに甘やかしてあげるね!」
「で、でろでろ?」
戸惑うアーノルドに「良いから良いから」と言って鏡の前に座らせた。引き出しからブラシを取り出すと、アーノルドの赤い髪に触れる。
「ずっと前からこの綺麗な髪を、こうしてといてみたかったの」
鏡越しのアーノルドが気持ちよさそうに目を閉じた。一通り髪をとくと、今度はアーノルドの上着にふれる。
「な、なに!?」
赤くなるアーノルドに、ディアは「もっと楽な服に着替えようよ」と微笑みかける。
「こういうお世話もしてみたかったの」
アーノルドの上着のボタンを一つ一つ外すと、アーノルドが顔を赤くして顔を逸らした。上着を脱ぐと下には白いシャツを着ていたので、シャツのボタンを上から2個ほど外した。
「着替えなくても、これで楽になったかな?」
アーノルドは赤い顔のまま無言で首を縦に振る。
「それでね……」
ディアはアーノルドのベッドの上に座って、その横を軽く叩いた。
「こっちに来て、アーノルド」
「だ、ダメだよ。僕たち……その、まだ……」
「いいから来て」
アーノルドは両手を強く握りしめると、覚悟を決めたように頷いた。
「アーノルドここに座って」
言われるままに隣に座ったアーノルドに向かって、ディアは自分の膝を叩いた。
「ここに頭を乗せて?」
「え? ……う、うん」
恐る恐る頭を乗せたアーノルドにディアは「耳掃除していい?」と聞いた。
「え?」
「さっきブラシを探していたら、耳かきを見つけたの。私、好きな人にこういうことをやってみたくて」
ディアが耳かきを見せると、アーノルドは「そ、そうだよね! 耳掃除だよね! 僕はいったい何を考えて……」と両手で顔を覆った。
耳掃除をしながらディアが「ねぇねぇ気持ちいい?」と聞くと、「……うん」とうっとりした声が返ってくる。
「はい、終わったよ。次はねぇ……」
ベッドからディアが立ち上がろうとすると、アーノルドに腕を掴まれた。
「あのね、ディア……」
少し潤んだ黄色の瞳が、まっすぐにディアを見つめている。アーノルドは何かを言いたそうにして俯いた。もう心の声は聞こえない。ディアは静かにアーノルドの言葉を待った。
「その、あの……えっと」
不器用だけど、一生懸命に何かを伝えようとしてくれるアーノルドが愛おしい。
「き、キス、したい、です」
なんとか絞り出した言葉を聞いたとたんに、ディアはアーノルドにキスをした。
「したよ。次は何をして欲しい? アーノルドのお願いは、私が何でも叶えてあげる」
アーノルドは、泣きそうな顔で「もう一回、して」と呟く。ディアがもう一度アーノルドに唇を重ねた。
「も、一回」
唇が離れる度に、アーノルドは「もう一回」を繰り返す。何度目か分からないキスの後、アーノルドは荒い呼吸を繰り返して切なそうにディアを見つめた。
「ディア……」
ディアはアーノルドの頬にキスをすると耳元で囁く。
「この続きは、結婚したらしようね」
顔を真っ赤に染めたアーノルドは、コクリと静かに頷いた。




