合い言葉など知るものですか。
この作品は、「第7回下野紘・巽悠衣子の小説家になろうラジオ大賞」に応募しているため、1000文字以内という規定に沿った掌編となっております。ご了承ください。
「あら、あなたの分はありませんわよ」
王妃が驚いたような声をあげる。金色に輝く蜂蜜のかかったホットケーキが、目の前から遠ざけられた。メリッサはぐっと唇を引き結ぶ。姫と呼ばれる身分に生まれたとて、不自由なものだ。兄たちは肩を小さく震わせている。泣き叫んだところで意味がないと理解していた。それでも不満をすべて呑み込むほど大人にはなれなくて、メリッサの視界は雨宿り中に見える景色のようにけぶり、にじんだ。
風鈴ではなく風鐸に囲まれた自室は要塞のような堅牢さだ。窓の向こうを吹き抜ける木枯らしの音にため息をついた。ぐずるメリッサは、先ほど食堂から退出を命じられてしまったのだ。どうかひとりにしないで。自転車で綱渡りをしているような孤独感に泣き叫んでも周囲の者は笑うばかり。
哀れなメリッサの心の支えは無骨な護衛騎士である。彼だけはどんな時も、メリッサの隣にいてくれる。いつか彼の元に嫁ぐことができたなら。けれど王女に結婚の自由はなく、そもそも自分のような子どもなど相手にもされない。それでもメリッサは、花咲くような微笑みとともに彼の名を呼んだのだった。
***
「今日も可愛かったね」
「見ているだけで癒されるよ」
「もっと一緒にいたいなあ」
「今はたくさん寝て、大きくなることがメリッサのお仕事なの。もう少し待っていてちょうだいね」
メリッサは、今年生まれた末王女である。サバイバル能力をギフトとして与えられた神の愛し子なのだ。
舞踏会の最中、腹を蹴り飛ばされた王妃がうずくまった際には暗殺者の攻撃を避けることができた。重いつわりで食事を摂ることができなかった時には、城内の使用人に敵国の間者が紛れていたことが判明し大騒ぎになった。
生まれてからもその能力には磨きがかかっている。珍しく国王が大切にしているオルゴールを放り投げて壊したかと思えば毒針が見つかったし、吐き戻しをしたせいで処分する羽目になった他国からの年賀状にはとんでもない呪詛がかけられていた。
もはや神が遣わしたとしか思えない奇跡の姫君。それがメリッサなのであった。家族の合い言葉は、「末の妹姫を娶りたければ、自分たちの屍を越えていけ」である。
ちなみにメリッサが最初に覚えた言葉は護衛騎士の名であった。しかし嘆き悲しんだ国王により、この事実は秘匿されている。とりあえず枯れ専イケオジ好きに育つメリッサの婚活が混迷を極めるであろうことは、現時点で確定のようだった。
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