閑話 パチモノ聖女のはじまり4
わたしの意識が一時的に戻ったのは、三日後である。
――えっ? である。
困惑しかない。
確かに身を襲った衝撃は大きかったが、バチバチとした静電気には慣れつつあったので、まさか気絶するなんて、と。
わたしが目を覚ましたのは駐屯地の療養所らしかった。お医者様の後姿が見えたのでそうと分かったが、状況はさっぱり分からなかった。救護スペースならばともかく、どこかの室内だったのだ。
なぜだか身体がだるい。全身が重たい。インフルエンザで高熱が続いていた後みたいなぼうっとした感じがする。お風呂で汗を流したい。
「ミスズ殿……?気がつかれましたか、今、ラインホルトを」
耳元でクライフさんの声がする。
明瞭なはずの声がよく聞こえない。熱っぽい感じもする。どうやらわたしはまだ高熱が落ち着いていないらしい、と分かる。なかなか器用だな、わたし。
「……ミスズ殿」
泣きそうな声だなぁ、と申し訳なく思った。
※ ※ ※
さて、さらに三日後。
今度こそわたしは意識を回復させた。
どうやら一度目が覚めて会話……はたぶんしてないが、クライフさんへと意識を向けた後、また気絶してしまっていたらしい。
合計六日にも及ぶ高熱続きの日々に、村の窮状はすっかり終わっていた。病人は全員回復し、もとの生活に戻っているらしい。
わたしは駐屯地の建物内で部屋を貸してもらい、もともとは貴賓室だったという風呂場等を専用にしてもらった。
汗を流して着替えも借りる。女性用の服は用意がないということで騎士の誰かの古着である。長袖長ズボンは真夏には暑いだろうかと思ったのだけど、ロングスカートよりも歩きやすいのでありがたかった。
用意してもらった食事を終えた後、改めてわたしはクライフさんと向き合った。
ゴルト騎士隊隊長の執務室である。
「このたびは本当に申し訳ありませんでした」
まず、謝られた。
深々と、土下座する勢いで頭を下げられて、困り果てる。クライフさんのような成人男性に頭を下げてもらうようなことは何もない。
「別に、謝っていただくようなことじゃありません」
「いいえ。これでもまったく足りないくらいです。
ミスズ殿は献身的に病人の治療に協力してくださった。それだけでも感謝が絶えないというのに、暴走した隊員による迷惑をこうむった。お望みなら首を落として詫びさせるところです」
「!?いえ、何言ってるんです!?」
ぎょっと目を見開いたわたしへ、クライフさんは真剣だった。
「緊急事態ではあったものの、あなたには何の義務もなかった。病気が蔓延していると分かっていた以上、あなたにしかるべき護衛をつけて安全な街までお送りするのが本筋だったのです。
――それを、結果として村へ誘導してしまったのは自分の責任です」
「クライフさんが責任を感じる必要はないと思います、森を出たあとでクライフさんの足跡を追ったのは確かですけど、それは」
「あります」
クライフさんはきっぱりと答えた。
「道が分からないあなたには、他に道しるべはなかったはずです。自分が足跡を残したとあれば、それを追ったのは理性的であり賢い選択でしかなかった。代理となる者をすぐに寄越さずにいた自分の責任です。
それに、小隊であっても隊長を務める者へ、無責任であれとはおっしゃらないでいただきたい」
「……ごめんなさい」
「あなたこそ謝る必要などありません。
――そして、それ以上に、……礼を言わせてほしい」
「え?」
首をひねったわたしの前で、隊で一番偉いひとであるはずのクライフさんは、もう一度、今度は笑みさせ浮かべて頭を下げた。
「――大事な部下を、斬らずに済んだ」
わたしはクライフさんの言葉の真意には気づかなかった。
ただ単純に、隊長である彼が部下を斬らずに済んで本当に良かったと思った。
カイさんはわたしに対しては嫌悪と警戒を向けてきたけれど、それは村を病魔で脅かす犯人に対する憎悪であり、事件を解決させたいと願ったがゆえだ。ちょっと態度が荒くて口が悪いひとのようなので怖くはあったけども。
「……カイさんは、どうなりました?」
話をそらすようにしてわたしが問いかけると、クライフさんは眉を寄せ難しい表情になった。苦々しいというか、言いづらそうだ。
「まだ意識が戻らないため、実家で療養することになっています。除隊することになるか、投獄となるかは事情聴取後になるでしょう。
突然の暴走理由が確かになるまでは処刑にはできませんので」
「それ、なんですが」
わたしはおそるおそる問いかける。
「祠――でしたっけ、あの白い建物。あちらに置かれていた動物は、あのあときちんと埋葬していただけました?」
「……?ええ、まあ」
「祠に集まっていた黒っぽいオーラみたいなのが、カイさんに影響していたせいで、あんなことになったんだと思います。暴走しているカイさんは、獣みたいな雰囲気でしたし。クライフさんと戦っている最中にもどんどん抜けていってましたし、供養がきちんと行われれば、もう大丈夫だと思うんです」
「……」
クライフさんはピンと来ないという顔をした。
「……おー、ら……とは……?」
「あ、ごめんなさい。なんというか、――雰囲気です。あの祠、ちょっと嫌な雰囲気になってましたでしょう?」
「……」
「神様に対して罰当たりというか、そういった類のものだと思います。祠を綺麗に建て直して、あの動物さんの冥福を祈って――……そうしたらよいと思います。
カイさんはたまたまあの場に居合わせただけで、恨まれていたわけではないと思うので」
クライフさんはわたしの説明にピンと来なかったようだけど、カイさんに非はないというわたしの伝えたいことは分かったらしかった。ホッとしているように思えた。
「あの祠は規模こそ小さいですが、女神の聖堂と同じ機能を持ちます。それを、汚された故――ということですね」
「はい」
コクコクとうなずいた。
「それにしても、誰が祠を汚したんでしょう?」
「村の娘だったようです」
クライフさんはそう言って、事の次第を説明してくれた。
曰く、恋仲だった相手と仲がこじれた娘が、無理心中をはかって井戸に毒を入れた。毒は外部の行商人から買っていたため、出所を調べているところである。
「……!?」
「犯人を水魔だということにすれば、自分のせいだと気づかれないまま一緒に死ねるはずだという理屈らしいですが、……下手をすれば村全体が死に至るところでした。娘はすでに大量殺人未遂として捕らえました」
「……」
驚きに声が出ないわたしへ、クライフさんは淡々とした声で続けた。
「ミスズ殿、聖堂に同行していただけませんか」
「――え?」
「隊の薬師であるラインホルトが言っていましたが、あなたが治療に協力してくださったために村人に死者はひとりも出ませんでした。ハーブによる毒抜きは実証実験中で、あれほど効果があるとは彼としても予想していなかった。その他の要因といえば、あなただけです。あなたが、真水を使って患者の肌を清めてくれていた。……カイについても、そうです。あなたの手により彼は助かった」
「???わたし?」
わたしは首をかしげた。
思い当たるものは特にない。
「何よりも、――あなたは《女神の泉》のそばに現れた。毒により身を侵されていた自分は、あなたから差し出された水を飲んで回復している」
スッと彼はわたしの両手を包み込み、懇願するような目を向けた。
「おそらくあなたは聖女だ。
――ミスズ殿」
まあ、結果としてこれは正しくなかった。
わたしは『聖女もどき』として活動ができるだけの、パチモノだったのだ。
※ ※ ※
――牢獄は寒い。
冷え切った石の床も、格子のついた小さな窓から入り込んでくる雪も。
クライフさんたちゴルト騎士隊の皆さんに守られて、街の人々に温かく接してもらえて、わたしはすっかり忘れてしまっていたらしい。
パチモノなのだ、所詮。
『聖女もどき』ミスズは、聖女ではない。聖女かどうかを確認するため訪れた聖堂で『泉の魔女』と呼ばれることになった、高校生でさえない小娘なのだ。
アクアシュタット王国へわたしを呼んだのが、本当に女神かどうかさえ定かではなく、ただ、故郷へ戻るために十二の泉を浄化するのが役割。
王都の聖堂に連れていかれたわたしが受けた託宣はこうだ。
――汝、泉の魔女よ。十二の泉を浄化せよ。
噴水の中に浮かび上がった日本語は、誰かがわたしへ告げた、わたしへのメッセージだ。
『聖女もどき』はほどほどに忙しく、それでいて秘密が多かった。
クライフさんたちゴルト騎士隊はわたしに対してとても親切だが、機密事項については知らせないように情報規制をしている。
『ミスズ・ニーガキ』が憂いなく清らかな水の女神の聖女でいられるよう、どす黒い舞台裏を見せないようにしているのではないかと思っていた。
カイさんのことにしたってそうだ。
ゴルト騎士隊所属カイカウス・キルステン、十八歳。彼は、実はわたしと同い年だったらしい。
カイさんに飲ませたのはお医者様が処方していた薬だ。
意識が戻った女の人に渡す予定だったのが、渡し損ねたもの。
まさか気絶するように倒れるとまでは思わなかったけど、カイさんの身体を蝕んでいるスイマの毒とやらが抜ければ暴走が止まるのではないかと思ったのは、この行動が、どう考えてもカイさんの意思と真逆であると思ったためだ。
計画は成功だったようだが、問題はそのあとだった。
知らずに彼の毒を抜いたわたしはキャパシティオーバーで倒れた。高熱で倒れ寝込んでいる間に、彼は騎士隊を半年間の停職処分となり、故郷に戻ることを余儀なくされた。
聖堂は王国とは別系列の組織である。末端とはいえ、祠を破壊してしまった彼は騎士隊に留まることができなかったのだ。除隊にならなかっただけ温情だったとクライフさんは言った。
事件以来、彼には一度も会っていない。
村で騒動を起こした原因――毒を井戸に入れた犯人の正体を、騎士隊の皆さんはわたしに教えてくれなかった。けれど、その後何度か村を訪れて祠の浄化に協力しているうちに気づいてしまった。
なにしろ村は住人の数が多くない。
村にたどり着いた時、最初に出会った女性だ。救護スペースで隣で目覚めない男性の安否を気遣っている風だった女性だ。
彼女の姿を、あれから一度も見ない。
『聖女もどき』としてのわたしの初仕事は建て直された祠の浄化だった。
聖堂の人に指示された通りに祠を清め、犠牲となった気の毒な動物を供養する。水魔の仕業に見せかけたのは偽りだったわけだから、犯人はこの祠を汚す必要はまったくなかったのに。
群れの仲間を殺されたオオカミたちは復讐のために村を襲いさえしたのである。ただでさえ毒で弱っていたところへ、だ。騎士隊がいなかったらどうなっていたことか。
「せ、聖女様だったのですな……?」
祠を管理していた村の四人のうちひとり、クライフさんに意見した白髪の男性が狼狽えた声でそう告げた。
もどきです、と返しづらくて困った顔をすると、彼は心底ホッとした顔をした。
「ほ、本当に。本当にありがたいことですじゃ。あのようなことがあったのに、村にはただひとりも死者が出んかった。子供たちも、老人も、皆もうダメじゃと思っておったのに。ワ、ワシの、孫も……。見舞いにさえ、行かせてもらえんで、最期さえ、看取ってやれんのかと……」
彼はむせび泣くようにしてうずくまり、女神に感謝を捧げる。
「ああ、ああ、女神様…!感謝いたします……!」
わたしが本物の聖女だったなら、もっと良い解決方法をとれたのだろうか。たとえばアクアシュタット王国に来る前に誰かから能力の説明を受けていれば、解毒ができるのだと自覚していれば、効率よく、効果的に、的確に。
――誰かの役に立てる、わたしでいられただろうか。
決して口にしたり態度に出したりしているつもりはないのだけど、日々の不満についても気遣われていた。
前の日には薄っぺらくゴワゴワした布を手ぬぐいのようにして使っていたのに、数日後にはふわふわのタオルに変わっていたり、洗濯粉を使って踏み洗いしていたはずなのにいつのまにか石鹸と手回し洗濯機みたいなのが登場していたりもした。素肌に浴衣もどきで身を清めることへ抵抗を感じていれば、次の時には下に着る水着を誂えることになった。
『聖女もどき』の待遇はとてもよく、……それは彼らの信仰のありかただ。
この世界は女神によって支えられていて、聖女の存在はとても重い。
役割を果たせなかったわたしが投獄されるのは、仕方のないことなのだ。
「聖女ミスズ、あなたの処分が決まったようだ」
そう告げた迎えが、わたしを牢から外へと連れ出した。




