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閑話 パチモノ聖女のはじまり3

 

 駐屯地に建てられた小屋の一室を与えられ、夜食にと堅いパンをひとついただいた。数時間の仮眠だが、ぐっすりと眠り、翌朝。

 手伝いの続きをしようと救護スペースへ向かったわたしが見たものは、桶を囲んで難しい表情を浮かべた三人の男性だった。

 救護スペース近くに置かれた巨大な桶。その隣には全身甲冑を身に着けたクライフさんと、赤毛の男の人、それとお医者様が難しい顔をして集まっていた。

 騎士隊の面々が川から運んできた水はこの桶に溜められ、ここから医療用や煮炊きに使われている。

 ただならぬ気配を感じたわたしが問う視線を向けると、三人の視線がわたしを向いた。最初にお医者様が口を開く。

「――あの?」

「おまえは昨夜ヨハンに連れられて駐屯地に向かったはずだな?」

「?はい」

「夜半に起きだしたりはしていないな?」

「はい」

 こくりとうなずく。何しろ疲れていたので横になるなり熟睡していた。パジャマがあれば少しはリラックスできるだろうけど、他に持ち合わせがないので制服のままでだ。

「昨夜、救護スペースに確保していた水に毒が混入した」

「えっ……」

「現在代わりになる水を汲みに向かわせている。代用品が揃うまで待機しろ」

「……、向かわせ?」

 ハタと気づいて改めて見やる。

 救護スペースには何名か騎士さんがいたのだが、一様にバケツのような持ち手のある桶を抱えているのだ。おそらく混入が判明してからずっと水汲みを続けていたに違いない。お疲れ様すぎる。用意された別の桶は半分程度しか水が溜まっておらず、万が一のことを考えれば手伝いを買って出るべきだと思ったりもした。

「今日はこれを参考に――……」

 お医者様は薬草を煎じるのをわたしにやらせようと考えたらしい。メモや配合が書かれていると思わしき羊皮紙を見せられ、「できるか」と聞いてきた。

「……、……?」

 いや、ごめんなさい。羊皮紙を見てわたしは首をかしげるしかなかった。何が書かれているのかさっぱりなのだ。

 ミミズがのたくったような、達筆にもほどがあるような、むしろ、文字?これ?ただ線が書いてあるだけじゃあ……?多分横書きだと思うのだがそれさえ確証はない、という感じだ。

 かろうじて数字っぽいのがあるのは分かる。だがその数字も筆記体をさらに崩して幼稚園児の落書きに進化させた横に書かれていては何を意味しているのかが分からない。

 お医者様だからか?カルテはドイツ語とか、そういう?とさらに首をひねる。

 わたしの態度を見てラインホルトさんはあっさりと切り替えた。説明するより自分がやった方が早いと思ったらしい。すみません。


 水がある程度溜まったら、朝ごはんの準備をして、それから治療再開である。

 ヨハンくんが街から運んできたらしい薬草をラインホルトさんが煎じ、薬を作る。症状の重い患者から順に、この薬を飲ませていくという手順だ。

 意識が戻っていない人のために、ラインホルトさんはお湯を沸かした。刻んだ薬草を溶かし込んだお水――つまり、ハーブティのようなものだろう。芳香はわずかだが、心地よい。

 救護スペース全体にハーブ系の香りが漂っていく。

「これ、どういう効果があるんですか?」

「毒抜きだ。……まあ、気休めだな。こういった治療方法は世間では認められていない」

「じゃあ、独自に編み出した治療方法ってことですか?すごいですねぇ」

「実証実験を兼ねている。感心される代物ではない」

「少なくともリラックス効果は絶対にありますよ!患者さんによくなってほしいっていう、お医者様のお気持ちが伝わってきますし!あ、でもハーブなら、アロマオイルみたいに香油にすることができたらもっと効果ありそうですね」

 わたしの言葉に、ラインホルトさんは興味がありそうだったけれど、騎士隊にはアロマオイルはないらしい。医療現場でアロマテラピーの導入って、外国でこそ積極的に取り入れられてると思ったんだけど。

 無事に薬を飲むことができた者にはお粥を食べさせていく。麦を細かく砕いてたっぷりの水でふやかした胃にやさしいお粥らしい。騎士隊の面々も同じものを食べているけど、味が薄くて食べ応えがなく、朝食とはいえ軽すぎるなあという印象だ。

 薬を飲むことができない者は、濡らした綺麗な布で顔や身体を拭く。こうすることで、身体の表面に汗と一緒に出てきた毒素を拭い去っていくらしい。

 クライフさんと赤毛の副隊長さんは隊を取りまとめる必要があるとかで救護スペースにはいない。

 薬草を運び終えたヨハンくんは、症状のないひとたちが避難している場所へ応援に行っている。

 ――つまり。この場に残っているのはわたし一人だった。



 救護スペースに横になっているのは二十名を超える患者である。半分はまだ意識が戻っていない。残りも薬とお粥を食べたところで疲れが出て、静かな眠りについている。起き上がれるほど元気なひとは自宅に帰って休んでいるのだ。なにせここは露天なので。 

 一抱えほどの手桶に水を入れ、患者一人一人の身体を清めていく。綺麗な布を上からかけて、なるべく肌を露出しないように気を付けた。露天だから、周囲に丸見えなのは嫌でしょう?

 気分は看護師さん――なんて言ったらおこがましいかな。ラインホルトさんが調合した薬は効果覿面のようで、意識こそ戻ってないけど昨日は土気色だったのに少し顔色が悪い程度まで調子が戻っている人もいた。

 ひととおり拭き終わったら次の時間までは洗濯時間。一度使用した布は洗浄しないといけないわけだ。石鹸や洗剤はないらしく、代わりの洗濯粉なるものを使う。踏み洗い、押し洗いである。

 ロング巻スカートで踏み洗いはさすがにありえないと思ったわたしは、この時ばかりは巻いた布をミニ丈にさせてもらったし、靴下だって脱いだ。

 どうして石鹸がないんだろう?石鹸の成分と病気の相性が悪いとかだろうか。あとで聞いてみよう。

「あ、急に起き上がらない方がいいですよ!」

 横になっていた女の人がもぞもぞと動くのが見えた。どうやら意識が戻ったらしい。

 洗いかけの洗濯桶の上から降り、足を拭く。

「お薬は飲めそうですか?少しでも食欲があるようならお粥もありますけど、まずは水分を――」

 言いかけ、お薬を手に振り向こうとしたわたしは、ハタと動きを止めた。


 女の人は隣に眠っている男の人の首筋に手を触れ、息を確認するように顔を近づけた。うっとりとした目で数度首を撫でる。その指先が紫色をしているのに気づいた。

「あの?」

 声をかけたわたしへ、ギッと憎々しげな視線が返ってくる。

「……?」

「あなた、村はずれで会ったひとね?ここは、……どこ?」

 不穏な表情は一瞬で消えた。土気色で紫色の斑点がある他の患者たちに比べ、彼女の症状はもともと軽い。話ができるなら自宅療養にも移れそうだ。

「騎士隊の、救護スペースですよ。お薬が飲めるようでしたらこちらをどうぞ。すぐにお医者様が戻ってらっしゃいますから、診ていただいて――……」

「彼は?」

 彼女は隣に眠っている男性のことをちらりと見た後、続けた。

「彼の症状はどうなのかしら。良くなりそうなの?水魔の毒については、騎士隊に報告してくれたのよね?」

「え?ええと……」

 早口で言われて戸惑った後、わたしはゆっくりと答えた。

「そちらの方は、まだ意識が戻っておりません。けど、お医者様がしっかり診てくださってますから。ご心配でしたら、お医者様に直接お聞きになってください」

「……そ、そう、ね。そうするわ……」

「スイマの毒だっていうお話も、お医者様に報告してありますよ。安心してください」

「そう。良かった……」

 ほっと息を吐き、彼女はうつむいた。

「犯人は水魔よ。これは水魔の毒だわ。気づいたのは数日前だけど、村の祠が汚されていたの。それで女神の守護が薄れたんだわ、きっと……」

「詳しく聞かせてもらおうか」

「!?」

 突然会話に割って入ってきたのは全身甲冑を身に着けた人物だった。

 鉄仮面を抱えた姿には見覚えがある。金髪の――クライフさんだ。

「ゴルト騎士隊の隊長職を預かっている、クライフ・K・ゴルトという。今の話を詳しく聞かせてもらいたいのだが――……」

 クライフさんはそこで一度言葉を切ってわたしを見た。「彼女の体調は?」

「今しがた目が覚めたばかりで、お薬もまだなんです」

「では、それからで構わない」

 クライフさんがそう言うと、彼女は慌てたように首を振った。

「いえ!いえ!隊長さんでしたら、ぜひ聞いてください!」

 両手を胸の前で組んで、彼女は必死に口を開く。その直後、ハッと気づいたように口をつぐんでからそっと口を開きなおした。大声で言うべきことではない、と自覚したかのようだった。

「――あの、この件は」

「分かっている。情報提供者が誰かは言わない」

 クライフさんはそう短く答えた。

 それにしてもゴルト隊長っていうのはクライフさんのことだったんだな。騎士隊の面々の態度から、もしかしたらと思ってはいたのだけど。

「私、村の祠が汚されているのを見たんです。その後、病人が次々と出て……!水魔が村を呪っているのに違いありません……!」 

「祠か。場所は?日時は?」

「村はずれにあります。ええと、三日くらい前、だったと思います……」

「案内できるか?」

「……いえ、あの、その。それは、ちょっと……」

「ああ、そうだな。すまない。方角と場所だけでいい」

 村のような小さなコミュニティでは噂はすぐに回ってしまう。こんなに目立つ騎士さんを連れて歩いていたら、情報提供者が彼女だとすぐに伝わる、ということなんだろう。

 別に悪い情報じゃないのだし、構わないと思うのだけど、そこはいろいろな事情があるのかもしれない。

「祠を汚しているというのは、現場を見たのか?犯人は見たか?」

 クライフさんの質問に、彼女は一瞬大きく目を見開き、それから思い出すようにして「えぇと、たしか」と口ごもってから答えた。

「――暗かったので。顔ははっきりとは、分かりません」

「実行されたのは夜間ということか」

「…………夕方ごろ、です」

「村はずれの祠って、白い建物のことですか?」

 尋ねたわたしへ、彼女は訝しげな表情を浮かべる。

「最初に、あなたに会ったあたりでしょう?それなら、わたしが場所を覚えてます」

「え、ええ」

 うなずくのを確認したクライフさんがわたしを見やる。何か物問いたげな視線だった。



 ※ ※ ※



 ラインホルトさんと交代するようにして、わたしとクライフさんは救護スペースを離れた。例の建物は村はずれだったし、印象深かったので覚えている。

 動物の死骸や泥によって汚されていたはずだ。そのありさまに、この村の窮状を想像してゾッとしたのだから。

「すみません、余計なことを」

「――いえ。こちらこそ、お詫びしないといけないと思っておりましたので、良い機会です」

「?お詫び……?」

「ミスズ殿。あなたは村にも、騎士隊にも無関係だ。だというのにラインホルトの助手のような真似をさせてしまって。本当に申し訳ない」

「い、いえ、手伝いはわたしから言ったことですし」

「だがあなたはアクアシュタット王国の民でさえない」


 森の中でクライフさんと出会ってから、情報のすり合わせはほとんど出来ていなかった。状況に流され、なんとなく騎士隊にお世話になっているだけだ。

「ここは、アクアシュタット王国」

 わたしは確認するように口に出した。

「――の、ゴルト騎士隊駐屯地にほど近い場所にある村、ですよね」

「そうです」

「わたしは、この国の人間じゃありません。正直なところ、何があって、どうやってこの場所にやってきてしまったのかも分からないんです」

「迷い人ということですよね?」

「迷い……。そうですね、迷子です」

 認めてしまうとため息が出る。

 どういった理由かは知らないが、わたしは国家単位での神かくしに遭っているらしい。神様に罰当たりな真似をした覚えはないのだけど、ご機嫌を損ねてしまったのだろう。どうやったら帰れるのか、見当もつかない。

「隣国フォアン帝国とこちらとは、片道だけでも数日かかります。馬車に載せられたとか、……かどわかしに遭ったとか、そういった覚えはありますか?」

「いえ、まったく……」

 ふるふると首を振りながら、わたしは歩く。村はずれまでは一本道みたいなものなので迷うことはないだろう。

「森に至った経緯は?」

「それも、まったく、です。気が付いたら森の、泉の近くだったので」

「……そうですか」

 クライフさんは難しい表情を浮かべ、黙り込む。

「あ、あそこですよ、祠」

 わたしが指さす先には小さな建物があった。


 集落のはずれに位置する場所。高さ二メートルほどの、真っ白い石でできたお社みたいなもの。道祖神でも祭られていそうな雰囲気なのに、石は動物の死骸で汚され、泥のようなものが塗りたくられている。

 乾いて剥がれた泥の下からは紫色のシミのようなものが覗いていた。

「村に着いた時に見つけたんですけど、詳しくは確認してません。人が倒れているのを見てそちらに気を取られてしまって……」

 説明しながら違和感に気づいた。

 以前見た時と少し様子が違う気がする。

「触りました?」

「いいえ」

 クライフさんの端的な質問に対し、静かに首を横に振る。

「ラインホルトを連れてくるべきでした」

 そしてスラリと剣を抜き放った。


 祠は異常な光景だった。

 つい昨日見た時にはそうではなかったと思うのに、禍々しい紫色のオーラに包まれている。

 オーラを放つのは祠に打ち捨てられている動物の死骸だ。惨たらしく殺され、放り棄てられた無念がそれを包んでいるように見えた。

 もちろん、放置された死骸は気の毒だ。弔ってあげるべきだと思う。けれどそれさえ躊躇われるようなオーラがそこに漂っている。

 警戒の様子を見せるクライフさんが祠へと近づいていく。その様子を息を潜めながら見つめるわたしは――別のオーラに気づいて背後を見やった。

 家の影に誰かがいて、こちらを見ている。子供ではなさそうだが、それ以上のことはよく分からない。年齢も、性別も、服装も。

 ただジッと睨みつけるような視線に、どこか覚えがあるような気がする。

 目を細めて様子を見ようとしたところ、別の方角にも人の姿を見つけた。こちらは大小合わせて四つ。村人のようだ。回復して自宅に戻っているひとか、あるいは健康体だからこそ隔離されている人たちの方か……そう思うわたしの視線の先で、彼らはただ物陰に隠れてこちらの様子をうかがっている。

 

 クライフさんは祠を注意深く観察していたが、特に泥に隠れた紫色が気になるようだった。ハンカチに似た布を取り出すと、剣先でガリガリと削り取って粉末をそこに載せようとした。

「や、やめてくだされ、隊長殿!」

 泡を食ったような声がかかった。

 クライフさんは手を止めて声をかけてきた人物へと向き直る。そこに人がいたことは気づいていたのだろう、驚いた様子はなかった。

 四人で固まっていた村人のうち一人が思わずといった調子で声を上げ、残り三人はハラハラとしながら彼の後ろに隠れていた。声を上げたのは老人の域に入っている白髪の男性だった。

「め、女神の祠です。聖堂というほど大きなものではありませんが、村人たちを代表して大事に祀ってまいりました!け、剣は、剣で切りつけるようなことはおやめくだされ!」

「大事にしてきたわりには、……ずいぶんと薄汚れている様子だが」

「そ、それは、その」

「大方、穢れを背負った祠に手を触れるのを躊躇ったのだろう?祠の神聖を失わせる目的で置かれた死骸であれば、病魔を宿しているかもしれない、と」

「そ、そう、……その通りです、隊長殿。祠がこの状態になったのはほんの数日前、……街へ、聖堂の方に清め直しに来ていただけないかと申請したのですが、返答がくる前にこのようなことになってしまい……」

「村長の対応に非があるとは言わない。だが、そういった事情があるのであれば、我々が村に着いた時点で報告して欲しい。病人の対処に追われ、外部からの防衛を優先したばかりにいたずらに被害を拡大させることになりかねない」

 わずかに悔しさをにじませながら、クライフさんは静かに諭した。 

「村の者たちは皆、祠がこの状態であることを知っているのか?」

「い、いえ、変に噂が広まっても困るので最初に気づいたワシら四人のみでございます」

「あなたがたは、どういうきっかけでこれを?」

「祠の清掃を持ち回りで行っております。異常に気付き、ワシが彼らに伝えました。……もちろん、村の中でのことです、他にも気づいておる者はいるかと思いますが」

 はずれとはいっても、村の中だ。信仰を集めている祠であれば清掃担当でなくたって立ち寄ることはある。その結果、祠が異常に汚れていることに驚いた者だっていて当然だった。

「死骸を置いたのはあなたがたではないのだな?」

「と、当然ですじゃ!!決して!このような!」

 ショックを受けた顔でご年配の方が叫ぶ。ほか三人も同様だ、心底心外であると訴えていた。

「あ、あの、病気は……」

 四人はお互いに顔を見合わせ、ぶるりと震えながらクライフさんへ尋ねる。

「やはり、水魔のしわざなのでしょうか。祠が、こうなってしまった、ために……?」

「……」

 クライフさんは沈黙した。それを、是と取ったのか、説明していたご年配の方がますます顔色を悪くする。

「ワ、ワシらは、どうしたら……」

「……それについては」

 クライフさんは静かに答えた。

「まずは祠を清める。街の聖堂へ申請を出しているならば、そのうち街から担当者が来るだろう。その時に、この状態では良くない」

「き、清め……?しかし、ワシらでは……?」

「掃除するという意味だ」

 クライフさんはそう言うと、ぐいっと袖をまくり上げた。動物の死骸を躊躇いなく抱え上げ、村人たちへとこう続けた。

「川から水を汲んできてくれ。ひとり、十往復分。それと掃除用具があるようならば提供を」

 

 クライフさんが死骸を抱えたままその場を離れると、四人はお互いに顔を見合わせながらざわついた。

 彼の指示がうまく伝わらなかったのか、それとも突飛に聞こえて戸惑っているのだろう。

 クライフさんはおそらく死骸を弔いに行ったのだ。

 村人たちの証言を聞き、クライフさんはこの動物の死骸が村人たちの信仰によるものではないと理解した。そうであれば、この動物はただの犠牲者だ。いち早く弔ってあげたいと思ったのだろう。優しい人だ。

「――あの。バケツ……いえ、手桶と、汚れても良い布はありませんか?」

 おそるおそる話しかけたわたしへ、四人はハッと顔を上げた。

「あ、ああ、すみません。あなたも騎士隊の方なんですな?」

 違うけども。

「ん、ん――……。今は、そちらにお世話になっている者です。それよりも、川の水を汲みに行きましょう。十往復ってけっこう多いですから」

 わたしの言葉に彼らは戸惑ったまま、けれども協力してくれようとした、――その時だった。

「アンタは触るんじゃねえ」

 ピリリとヒリつくような声がした。

 

 先ほどから気になっていたもうひとつの視線の方だ。

 ゆっくりと近づいてくる人物もまた、全身甲冑姿だった。


「隊長の指示だ、アンタらは先に行けェ。ひとり十往復分の水を汲んできて、祠を洗いやがれ。普段清掃に従事してるってことなら勝手は分かるだろォ」

「は!は、はい!」

 慌てて走り出した四人を見送り、その鎧男さんはわたしを見やる。鋭い目つきがさらに険を増し、もはや憎々しげにさえ見える。

「アンタは、ダメだァ」

「……どうしてでしょう?」

 指先が剣の柄に触れているのを見つめながら、わたしは彼に問いかける。

「カイさん」


 ゴルト騎士隊の騎士のひとり、カイさん。救護スペースではじめて会った時から、これでもかと警戒の目を向けられているわたしだが、昨日よりもさらに嫌われているようだった。

「村の連中の証言によりゃァ、この祠が無事だった一週間前から昨日までの間に、祠に近づいた者は十名にも満たねェ」

「――……?」

「一週間のうちで不審な出来事がいくつかあった」

「ふしんなできごと」

 オウム返しに答えながら目をぱちぱちさせる。

「七日前、祠のそばで喧嘩をしている男女がいた。六日前、祠の近くで遊んでいて清掃担当者に叱られていた子供がいた。五日前、旅用の外套を着た見知らぬ人物が祠で祈りを捧げていた。四日前、清掃担当者が清掃をサボって転寝をしていて村長に叱られた。三日前、動物の死骸が置かれたうえ泥で汚されていた。二日前、清掃担当者たちが立てた立ち入り禁止の看板が壊されていた。一日前、家族の快癒を祈りにきた子供が祠の前で倒れていた。騎士隊の到着と同時に無事な者は隔離スペースへと移動することになったため、昨日の様子はそれ以上誰も見ていない。

 もちろん、現在昏睡状態であるやつらが目覚めれば他にも証言を得られるだろォが――……」

 カイさんは忌々しそうに続けた。

「決定的な場面を見た者はいねえ。深夜のうちに、何者かによって祠が悪戯されたことと、急激に病が広まったこととの間に関連性があるかどうかも分から無え」

「――!」

 昨日から今日までの間にそれほどの情報を収集したなんて。すごい。

「村の日常の中に、ひとつだけ異色なのが混じってる。五日前にいたっつー、旅用の外套を身に着けた見知らぬ人物、だ」

「なるほど、確かに」

「他人面してんじゃねーよ。アンタがそうじゃねェかっつー話だ」

「えっ?」

 ぱちぱちと瞬きしてわたしはカイさんを見返す。

「騎士隊の人間はァ全員見知っている。そもそも騎士隊が村に来たのは病人が出始めた後だァ。村人たちもお互いの顔が分かる。そン中に、アンタだけが不審者だ。ただの迷子っつーには、タイミングが悪ィ。しかも五日前に誰も顔を見てねえ不審人物が目撃されてる。ソイツが祠に何かしでかして、昨日まで森に隠れてた。たまたま森に調査に入った隊長に見つかったアンタは、迷子を装い村まで着いてきた。怪しまれないよう、救護に協力してまで。善良そうなマヌケ面で、いかにも無力な女に見せかけて、だ」

「えっ」

「村で何をしようとしていたか、洗いざらい吐いてもらおうか」

 今度こそカイさんは剣を抜いた。脅しではなく、斬るために。


 困った。困る。どうしたらいい?


 とりあえず五日前の不審者というのはわたしではない。何しろわたしはその時点ではアクアシュタット王国にはいなかった。だが、この突発的神かくしの話を彼にして、カイさんが信じてくれるかどうかというと――まあ、無理だよね?怪しいよな。うん。


「あるいは――隊長が戻ってくる前に、斬ってしまうのが一番早え」


 ――考えてる時間もないぃいいっっ!!

 

 


 ぱくぱくと口が動いた。

 何か話そうと思ったわけでは、――なかった。

 焦りのあまり身体が動いただけだ。逃げることも抵抗することもできず、ただ、ぱくぱくと金魚のように。

「――ぁ、あの」

 スローモーションのようにゆっくりと、カイさんの剣が空中を動く。

 頭上からスッパリと、まっすぐに、竹のように綺麗にわたしが両断される、――気がした。

「――カイ」

 静かにカイさんの剣が宙へ飛んだ。

「それは誰の指示だ」

 全身甲冑姿が視界を遮る。腕を覆う銀色の籠手で振り下ろされていた剣を弾き飛ばし、その人物は涼やかに見下ろした。

 ガシャリと甲冑が音を立てた。

 腹の上に足を置かれ、地面に沈められた人物が空を見上げる。

「――ッ」

 何か言おうとしたんだろうけど、グイっと体重をかけられて「ガハッ」と潰れたような声になった。



「……え。え。え」

 ちょっと待って。何が起きてる。


 目の前にあったのは全身甲冑がふたつ。

 今しがたわたしを斬りつけようとした方の甲冑が、横合いから割り込んできた甲冑によって弾かれ、踏みつけられ、地面に縫い付けられている。

 ――???

 わたしを斬ろうとしたのはカイさんだ。……だとすると、もう一方は?

 金髪で長身。後姿なので顔は見えていないが、鉄仮面をかぶっていないので声はきちんと聞こえる。声はクライフさんだ。――ということは、これは、クライフさん。

 ――???

 いつ戻ってきた?どこから戻ってきた?抱えていたはずの動物の死骸はどうなった?

 疑問符が頭の中で乱立している。


 理解できたのは、危ういところを間一髪、クライフさんに助けられたらしい、ということだけだった。



 ※ ※ ※



 剣を蹴り飛ばした後、クライフさんはカイさんをその場に縫い付けた。甲冑の首の後ろをぐいと押しつけ、そのまま地面にめり込ませながら、低く低く、――問う。

「――カイ。何のつもりだ」

「……たい、ちょう、こそ。ンな怪しい人物を放置なんざ、ありえねえ……」

 クライフさんの腕を振り払い、カイさんはその場に膝をつく。

 ズシャリと、ものすごく重いものに潰されているかのような音を立てた。

「……第一騎士団ゴルト騎士隊所属、カイカウス・キルステンが、無礼を承知で申し上げますがねェ。

 昨日、長時間救護スペースにおり、毒を入れるチャンスがいくらでもあった人物。手伝うふりをして、部外者でありながら何食わぬ顔をして近づくことができた者。桶から水を運んで患者に対して使用しているところを何人もの隊員が目撃しています。

 ……調査にあたってあからさまに怪しい人物を除外されるのはいかがな理由で?場合によりゃア、ゴルト騎士隊が全滅するってェ時に、知らねえ女を連れ込んだ理由もです。隊長らしくもねェ。まさかンなガキの色香に迷いました?女なんかお嫌いでしょうに?」

 忌々しそうに彼は言った。

 クライフさんに押さえつけられ、ギリギリとおかしな音を立てながらなおも言いつのった。

「……どっから聞いてらしたか知りませんがァ。――五日前、祠のそばで不審な旅装束の人物を見かけたっつー証言がありました。コイツが、ソイツでない、という保証がありますかね?」

 剥き出しの敵意を向けられて、わたしは思わず黙り込んだ。

 違うと否定したいのだが、どうやって伝えたらよいのか分からない。


 嫌味たっぷりに告げたカイさんへ、クライフさんは頭が痛いといった風に片手で顔を覆い、大きく大きく息を吐いた。

 ――そして。


 グワッと金色のオーラを膨れ上がらせた。

「……ぇっ」

 

 簡単にオーラと言ったが、視覚的に色がついているのを見るのははじめてである。

 わたしは幼いころからなんとなくオーラを感じることができる性質たちだった。

 超能力じみたものではない。なんとなく怖い雰囲気だとか、視線の圧力めぢからだとか、試験時の張りつめた緊張感だとか、多くの人がごく自然に感じることがある、それ。

 バレンタインが近づくと女性陣の気合がむわっとした圧として周囲に振りまかれていたり、互いに牽制しあう空気でピリピリしていたり、男性陣もこちらはこちらでソワソワとした雰囲気を漂わせていたりと――、そういった類だ。みんな多かれ少なかれ経験があるんじゃないだろうか。

 それが、わたしの場合、ひとよりほんの少しだけ色を帯びて感じることができた。

 その経験から言おう。クライフさんは今、とてつもなく怒っている。


「――現在、我々ゴルト騎士隊は村を救援するための活動中だ。そのため、偶然居合わせた迷い人への対処が後回しにされている。この女人は自身がまったくの無関係であるにも関わらず、目の前で人が倒れているのを見過ごせず、助けを呼びに走ったばかりか、病人が多数いると知ったとたん、協力を申し出た、と報告を受けている。自身に、少しも、微塵も、まるきり利がないことを承知の上でだ。人手が足りないうえ、迅速な対応が命を分ける状況だった。どれほど有難いことか理解できるだろう」

 クライフさんはつらつらと述べた。

 声は平静だったけど、全身から立ち昇るオーラが物語っている。額に青筋が浮いて闇を背負っていてもおかしくないほど、心の底から怒っている。

 可視化されたオーラが、物理的にカイさんを地面に沈めているように見えた。

「――カイ。もう一度言うぞ。おまえは何をしている」

「……」

 ヒヤリとした視線がカイさんを見つめる。憮然とした目つきでカイさんは地面へ視線を落とす。否、地面に顔ごと押し付けられて、他のものは見えていないだろう。

「焦るな。そして見誤るな。犯人捜しをしたいのであれば、なおさらだ。

 毒を投げ入れた犯人には必ず罰を与えるが――……犯人の思惑が外れて一人の死者も出なければ。我々の勝利だ」

「っ……はい」

 うなだれたまま、カイさんは承知を返――そうとしたのだと、思う。


 毒々しいオーラが視界を遮った。

「グッガァアッ!ガアアアッッ!!」

 突然、首元をかきむしりながら叫びだす。

 その顔がみるみるうちに土気色に変わり、紫色の斑点に浸食されていくのが――見えた。


「ッ!?」

 クライフさんの目が驚愕に染まる。

「カイ、どうした!!」

「グガッアアアアアアアアア――――――ッッッ!!」

 絶叫。

 耳が割れるような大きな悲鳴がその場を満たしていく。

 水を汲んで戻ってきた村人たちが驚きに足を止め、カイさんを押さえていたクライフさんが力を緩めた瞬間。

 

 ――カイさんは紫色のオーラに包まれて変貌した。


 白い建物――祠――を包んでいた禍々しいオーラだ。それが、カイさんを飲み込むかのように飛んできた。滑るようにカイさんが開いた口から内部へと入り込み、肌に現れていた紫色の斑点がシミのように広がっていく。


 パッとクライフさんから距離をとったカイさんの目はどこも見ていない。白目部分が黒く染まり、瞳は焦点が合っていなかった。手を地面につき、背中を丸めてこちらを見上げる姿勢は、ひとというよりも獣。四つ足の生き物のようだった。大きな大きな、まるで狼のよう。

 蹴り飛ばされた剣の柄に手を置き、唸り声を上げる。

 ガラガラガラガラッッ……バギン!!!

 身に着けていた全身鎧が内側から弾け飛んだ。カイさんの身体が一回り大きくなるのが分かった。

 肥大化した筋肉により腕や脚の服がやぶれ、そこから土気色の肌が見える。手足の爪が長く太く伸びる一方で、カイさんは手にした剣だけは手放さなかった。

「――魔物化、……か……?」

 クライフさんが呟く。

 そこへ、言葉を遮るかのような勢いでカイさんが斬りかかった。

 

 変貌したカイさんとクライフさんとの対峙は数分続いた。

 飛び掛かってくるカイさんを剣でいなすクライフさん。

 ふたりがぶつかりあうたびに飛び散る火花。動きは正直なところ速すぎて目で追えない。交錯するたびキンキンギンギン音がするので、どうやら剣と剣がぶつかっているようだということは分かる。手の爪で引っかいたりはしないが、蹴りは容赦なく飛んできて、そのたびにクライフさんの金属鎧に亀裂が入った。

 剣士の戦いというのでは、ない。カイさんは獣じみた跳躍と徒手空拳を交え、そのうえで剣を振るう。一方のクライフさんはほとんどその場を動かずに剣と身のこなしだけで避けている。


 ギン!ギィイイイイイイン!ガツン!

 耳に痛い音ばかりが響いていく。


 さて、この攻防をギャラリーはのんびり観戦していた、というわけではない。

 突然戦いはじめた騎士ふたりにギョッとして、おろおろして、関わり合いになりたくないので逃げたい、という気配を濃厚にさせている村人たち四人は、だからといって指示されたことを放棄するのも怖かったようだった。そうっと気づかれないよう川から水を汲んできて、水を置くなり慌てて川へと逃げていく。

 残された水を使って祠を掃除するのはわたししかいなかった。

 

 布を使って祠にこびりついた汚れを落とす。洗濯粉は救護スペースにあるので、使えるのは水しかない。

 水拭きでどこまで土や血の汚れを落とせるかと思いながら作業をはじめたところへ――衝撃が落ちてきた。


 ガラガラガラガラガシャンッッ!!!


 クライフさんの振るう剣に弾かれたカイさんはそのままの勢いで祠に突っ込んできた。人型の塊が祠を崩し、掃除中だったわたしのうえに瓦礫が降りかかる。

 そのままなら生き埋めになったところを間一髪庇ってくれたのは、いつのまに移動したのかクライフさんだ。

 片手にわたしを抱えて瓦礫を丸ごと周囲へと弾き飛ばす。片手で剣を振るいながら、クライフさんは重いため息をひとつついた。

「――カイ」

 低い、低い声。

「グッガァアッ!ガアアアッッ!!

 カイさんの喉が漏らす声は正気のそれとは思われない。

 それをひどく残念そうに見つめて、――クライフさんは、牽制だけに留めていた剣の切っ先をカイさんへ向けようとした。

「待……って、ください」

 抱えられたわたしが発した言葉へ、クライフさんはわずかに怪訝な目線を返した。

「これを」

 わたしが差し出したものを見てクライフさんは目を見開いた。



 正気を失った目で唸り続けるカイさん。

 クライフさんはわたしを祠のそばにそっと置くと、戦いの場を離すべくカイさんを払いのける。剣で押し返されたカイさんを覆うオーラがわずかに薄い色になっているのを見て、わたしはコクコクとうなずいて見せた。

 チラっとだけ、クライフさんはわたしを見やった。

 飛び掛かってきたカイさんの顔へ剣の柄を打ち付け、のけぞったところを掌底で地面へ沈め、そのまま足で抑え込んだ。

 ガァッと息を吐き出した口の中へと小さな包みを押し付ける。驚き吐き出そうとする顔をそのまま地面に沈め、ギリギリと押し付ける。確かに飲み込むまで、クライフさんは力を緩めなかった。


 片手で構えた剣で相手をいなしながら、クライフさんはその時を待つ。

 本気で剣を振るう相手を傷つけず無力化するなんて難しいだろうに、クライフさんはわたしの希望を叶えてくれた。

 腕の太さが倍ほどになったカイさんの両手から繰り出される剣を、片手で払い、あるいは蹴り上げる。そのまま数分も攻防が続いたころだ、――プツッと糸が切れたかのようにカイさんの動きが止まった。

 

 ――グシャリ。


 地面に崩れ落ちたカイさんを見下ろしてクライフさんが息を吐いた。警戒は解かず、だがそれ以上攻勢は続けない。

 長い長い一分間が過ぎたころ、クライフさんは剣を置いてカイさんの様子を確認するべく身を屈めた。

「……息が、ありますね。見たところ怪我もない」

 みるみるうちに腕と足の太さが戻っていく。紫色のオーラが霞んでいくのが見てとれた。

 オーラの正体はよく分からないが、クライフさんと交戦する間もどんどん薄くなっていったので、やはり動物の遺体に残る残留思念だか無念だかが近くにいたカイさんに悪影響を与えたようなものだったんだろう。初めて見るので判断できないが。

「いまのうちです。クライフさん、お水を早く!」

 わたしは急いでカイさんへ近づくと彼の意識が戻らぬうちにと綺麗な布と水とで身体を拭き始め――……。


 バチイイイイイイイイイイイイイイイイッッッ!!!


 静電気の範囲を大きく超えた衝撃に、そのまま意識を失った。




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