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#098 決断の時(前)

今回から再び主人公視点に戻ります。

元亀四年(西暦1573年)七月 相模国 小田原城


 その日、私は小田原城に登城し、氏政兄さんと面談していた。

 表向きの名目は今年の十月三日に執り行われる予定の、北条氏康(ちちうえ)の三回忌法要に関する報連相だった、が…その実、北条の外交方針を転換するよう、兄さんに迫るのが本当の目的だった。


「兄上もご覧になった筈。信玄公の判紙(はんがみ)を…武田は北条(あにうえ)のみならず、天下諸侯をも欺いているのです。」


 四月…昨年末に武田領内への潜入を開始した百ちゃんが音信不通になって三か月余りが経過したある日。子供達の手前平静を装って待ち続けていた私の前に無事生還した百ちゃんは、信玄が死亡したというビッグニュースと、それを裏付ける証拠を携えていた。

 証拠…それは外交文書に用いられる上質な紙の左端に、武田信玄の花押(サイン)だけが書き入れられた、いわゆる『判紙』である。

 花押は「この手紙は本人の意思に則って書かれました」という証明なのだから、本文を書いた後に記入するのが本来の順番だ。それが花押しかない、という事は…後から本文を書き加え、信玄の意向が忠実に反映されているかのように偽装するための、小細工だろう。やはり信玄はもう死んでいるのだ。

 …という情報を五郎殿が氏政兄さんにチクって、武田と北条の同盟を破棄に誘導しようと活動を開始してはや三か月。同盟は小揺るぎもしていない。


「お主はわしを(なじ)っておるのか。」

「…何を仰せか、分かりかねます。」


 一見突拍子も無い事を言い出した氏政兄さんに、私は警戒レベルを引き上げた。

 氏政兄さんは感覚派の父上と真逆の理論派であると同時に、物事の順逆や理非に恐ろしく敏感だ。論争の際には、まず自分の中で結論を出し、理論で武装する。

 意見を変えさせるには下手な感情論や目先の損得勘定は逆効果、こちらも理屈をこねて反論するしかない。

 理論に矛盾や無理、例外があった場合は潔く自分の誤りを認めてくれる、という事でもあるが、理論武装のレベルが半端じゃないので論争を挑む側にも相応の教養や知識、テクニックが求められるのだ。


「お主もとうに知っておろう。わしは大聖寺殿(ちちうえ)が病床に伏してより、密かに武田と(よしみ)を通じ…それを上杉に悟らせまいと父上の名を(かた)って文を出した。されどそれは一身の虚栄を求めての事ではなく、(ひとえ)に北条の武威を高めんがためである。」

「それは…。」


 私は反論出来ず、『一回休み』を選択するしかなかった。

 同盟相手を上杉から武田に乗り換えるという氏政兄さんの決断が正しかったかどうか、家中領民にアンケートを取れば十中八九過半数が「はい」と答えるだろう。

 上杉謙信は戦国(この)時代トップクラスの戦上手だが、家臣団の統制がうまく行っていない。力ずくで奪った城を調略で奪い返されるというパターンを繰り返した挙句、近年は北武蔵まで進出するのが精々になっている。

 一方、約束破りの常習犯だった信玄も、総合力で勝る北条と泥試合を続けるのは下策と判断したのか、同盟成立以来怪しい動きを見せた事は一度も無い。

 つまり兄さんの決断によって伊豆、相模、武蔵に平和が到来したといっても過言ではないのだ。


「仮に信玄公の死去が真実(まこと)であるとして…それを武田家中の面々がひた隠しにするのはなにゆえか。己が身可愛さゆえにあらず、武田の家と領国を守らんとしての行いであろう。それを不実と罵るのであれば…。」


 氏政兄さんの行動も不実だ、と糾弾する事になる、か…こりゃこの方面から攻めるのは無理っぽいな。


「されど兄上…元を辿れば今日の今川の有様は、武田が駿甲相の盟約に背いた事に端を発します。武田を慮って今川を軽んじるのもまた不実ではございませんか?」


 厳密には五郎殿も上杉と連絡を取って信玄を挟み撃ちにしようとしていたが、それは黙っておく。不発に終わった謀略は最初から無かったも同然だ。


「…成程。お主や上総介殿に不遇を強いておるのは疑いようの無い事実である。」


 行けるか?


「恥を承知で言おう。武田の領国に進んで討ち入るは…わしには荷が重い。三増合戦の経緯を知っておるか?」

「幾人かに聞いた限りではございますが…三増峠に陣を構えた武田勢を遠巻きにし、小田原から本隊が着到するのを待っていた所、不意に戦端が開かれ…統制を欠いたまま信玄に翻弄され、追い散らされた、と。」

「その際、武田勢の先手(さきて)を務めていたのが諏訪四郎…いや武田四郎(勝頼)殿じゃ。当方の先手は源三(氏照)であったが、およそ相手にならなんだ。」


 氏照兄さんは家中でも有数の実力者で、実戦経験豊富なベテランだ。その氏照兄さんが太刀打ち出来なかったとなれば、北条家中に勝頼と渡り合える人材はいないも同然だろう。

 地黄八幡の旗で知られる北条綱成殿ならどうか、と一瞬思ったが、三増合戦には綱成殿も参戦していた。…その上で負けたのだ、北条は。


「あの武田四郎殿が信玄公の遺した軍勢を率いるとなれば…今の北条では歯が立つまい。無論、武田の方から我が方に攻め込むとあらば死力を尽くして迎え撃とう。されど…」

「どうかそこまで。…兄上の苦衷、身に沁みましてございます。分限を(わきま)えずに無理難題を並べ立てた事、平にご容赦を。」


 慇懃(いんぎん)にまくし立てて立ち上がり、謁見の間を後にする――


「待て。…今の話で上総介殿は得心するのか。」


――直前、氏政兄さんに呼び止められた。やっぱり誤魔化されなかったか。


「さて、いかがにございましょう。お伝えは、いたしますが…。」

「既に誓詞の交換(同盟の再確認)を求める文を、武田四郎殿に送った。…妙な考えを起こす事の無いよう、くれぐれも言い含めておけ。」


 私は「はい」とも「いいえ」とも言わず、今度こそ謁見の間を後にした。


「我が死を三年秘せ」と信玄が言い残したというエピソードは有名ですが、実際にはかなり早い段階で周辺の戦国大名に露見していたようです。

問題はその可能性に全ベットして武田に反撃するか、武田の公式見解を尊重して『知らなかった振り』をするか…北条は後者を選んだようです。

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