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#073 渡鴉、西へ征く(前)

今回から徐々にシリアスモードに入ります。

元亀三年(西暦1572年)九月 相模国 早川郷


 箱根湯本から小田原に戻り、母上と別れて帰宅した私達を待ち受けていたのは、大藤(だいとう)式部丞(しきぶのじょう)政信(まさのぶ)殿だった。


「これから上総介殿の旧領にお邪魔するんでねェ。元々の主にご挨拶していくのが(スジ)だろうと思いやして…。」


 屋敷の応接間にて。

 相変わらずの不気味な笑顔でこちらを見上げる政信殿を、五郎殿と並んで上座から出迎える。彼の口ぶりは軽薄だったが、その内容は極めて重要だった。


「左様か、駿河へ…甲州勢の加勢に参るのか。そうか、いよいよ徳川攻めが始まるか…。」


 私と同様、政信殿の言わんとする所を正確に読み取った五郎殿が言うと、政信殿はいつもの下卑た笑い声を漏らした。

 …今更だが政信殿は言動の割に、公式行事の場で無礼や失態があったという話を聞いた事が無い。つまり相応のマナーもちゃんと身に付けている筈なのだが…どうしてこうバトル漫画の序盤に出て来るチンピラの親分みたいな喋り方や笑い方をするのか、ちょっと気になる。


「いやァ流石上総介殿。一を聞いて十を知る…ってか。お察しの通りでさあ。ついてはちいと頼みたい事がありやしてねえ…。」

「陽斎の事であれば、当人が得心しない限りどうにもなるまいが…。」

「ああいや、それはもう諦めやした。」


 赤羽陽斎殿の引抜を諦めた、と政信殿があっさり白旗を上げた事に、私は少し驚き、そして安堵した。ただでさえ今川家臣団が縮小している現在、陽斎殿にまで抜けられるのは痛すぎる…。


「お二方にお伺いしたいのは…駿河、遠江、事によっちゃあ三河での振る舞いについて、でねェ…。」

「ふむ…確かに式部丞殿の振る舞い如何(いかん)で、北条と武田、北条と徳川の間柄に(ひずみ)が生じかねぬからのう。左京大夫(氏政)殿が甲州勢への加勢に式部丞殿を選んだのも(むべ)なる(かな)…。」


 今の北条は武田と同盟を結んでいるが、徳川とも(一応)友好関係にある。何故なら今川家(わたしたち)が掛川城を家康に引き渡して北条領に退去する際、徳川と北条の間でも停戦が結ばれているからだ。




 整理しよう。

 永禄十二年(西暦1569年)当時、駿甲相三国同盟は崩壊し、北条と今川の同盟関係だけが残っていた。

 家康は武田信玄と密約を交わした上で今川領に進攻し、掛川城を含む遠江一帯で今川および北条と戦っていた。

 そして掛川城を開城させるために今川および北条と和睦したのだが…これは信玄の不興を買う行動だった。何せ信玄は駿河で北条と交戦しているのだから、『敵の味方は敵』理論で徳川も敵になりかねない。

 家康にしてみれば既に信玄との同盟もぐらついていたので、保険をかける意味もあって北条と和睦したのだろうが…結果的にその決断は裏目に出た、と言えるのかも知れない。

 今川という共通の敵がいなくなるや武田と徳川の関係は悪化。先述の和睦をテコに北条と組み、駿河の武田勢を挟み撃ちにする、という手も家康にはあったのかも知れないが…信長に付き合って近畿方面の合戦にたびたび出陣していた事もあってか、そんな展開にはならなかった。

 そうこうしている内に武田との対決姿勢を堅持していた北条氏康(ちちうえ)がこの世を去り、跡を継いだ氏政(にいさん)が武田と和睦。既に信玄に同盟破棄を通告していた家康は、ほぼ単独で武田と対峙しなくてはならなくなったのだ。

 …政治と外交は結果論とは言え、間抜けと貶すべきか可哀想と憐れむべきか、迷う経緯である。




 ともあれ、ついに信玄が徳川を攻める事となり、同盟のよしみで北条も援軍を出すとなると、迂闊な人選は命取りになる。

 武田との義理を優先して御一家衆や宿老を派遣すれば、北条は武田に完全に肩入れしたと見なされて徳川との関係は決裂するだろう。

 かと言って、お義理で下級家臣を派遣すれば、北条は同盟を遵守する気がないのかと信玄の不興を買うかも知れない。

 しかも戦況の推移次第では、家康と直接交戦したり、旧今川領の領民とトラブルを起こしたりといった問題が発生するリスクまで潜在しているのだ。

 これらを踏まえて氏政兄さんが選んだのが…政信殿。代々北条に仕えて相応に大きな知行をもらってはいるが、諸足軽衆の大将――会社で言えば超ベテランのパートリーダーに過ぎないため、最悪の場合トカゲの尻尾に出来る。その上実戦経験が豊富だから、武田勢の一員として行動しつつも家康との直接対決を避けたり、領民とのトラブルを極力避けたりといった芸当も可能な筈だ。


「ふむ…式部丞殿の頼みとあらば助力もやぶさかではないが…。」


 五郎殿が思わせぶりに言うと、政信殿は待ってましたとばかりに身を乗り出した。


情報(ネタ)には情報(ネタ)でお返しするってえのはいかがで?…陣中から都度、文をお送りしまさあ。」


 流石政信殿、と私は心の中で叫んだ。

 武田勢の中から手紙を出すという事は、普段中々内情が掴めない武田勢の内情をリークするのとほとんど同義。五郎殿なら…いや、私だって大金を出しても欲しい情報だ。


「ほほ。流石は北条の渡鴉よな。相分かった、儂に異存は無いが…結、お主はどうじゃ?」

「私にも、異存はございません。」


 そう返答すると、五郎殿は東海道一帯の地図を持って来るよう下人に命じた。…さあ、気を引き締めていこう。

『ネタ』は『種』をひっくり返したもので、厳密には江戸時代以降に出来た言葉と思われますが、話の流れにちょうど良さそうだったので使用しました。

もっと適切な表現を思いついたら修正する可能性があります。

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