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#040 由比ヶ浜にて(前)

旅行二日目――。

 一夜明けて。

 玉縄城を出発した私と両親は、まず鎌倉に向かい、鶴岡八幡宮に参詣した。

 極論、早川郷の我が家や小田原城の屋敷と同様に木造建築である事に間違いは無いが…その作りや装飾は質実剛健にして荘厳で、前世インターネットを介して強力な刺激に慣れて来た筈の私の心をも打つものがあった。


「この鶴岡八幡宮は戦乱に巻き込まれて荒れ放題だった。それを再建したのは誰だと思う?…俺の父、春松院殿(氏綱)よ。」


 一通りの手続きが終わり、皆で列をなして長い石段を降る途中で、父上が誇らしげに言った。


「坂東一円の武士に、八幡宮の復興に合力(ごうりき)するよう呼び掛けてな…正殿の落慶法要まで八年かかったが、親父殿がこの世を去る前に一応の目途は立ったって訳だ。当世俺達が坂東でデカい顔をしてられるのは、初代早雲殿の功績も勿論だが…『北条』って(ハク)を付けてくれた親父殿に感謝しねえのは筋が通らねえ。」

「…申し訳ございません、今一つ…鶴岡八幡宮の再建が、『北条』の益になったとはどういう…?」


 転生してこの方、私も実家にまつわる歴史は一通り履修済みではある。

 最初は『伊勢』の名字を使っていたものの、明らかにヨソ者であるという弱みを突かれて不安定な立場にあったご先祖様は、かつて日本を実質的に統治していた執権北条氏の末裔…を装って家格を高め、今川や武田といった名門オブ名門と対等な同盟を結ぶまでに成長した、という。

 しかし考えてみれば、ぽっと出の成り上がりがいきなり「実はわたくし共、北条の末裔なんです」と言い出しても、「おおそうだったんですか、それは失礼しました」とはならないだろう。そこにはイメージ戦略というか、然るべき手続きというか、そういう段階があった筈なのだ。


「武士の崇敬を集める寺社ってえのは日の本に五万とあるが…鎌倉殿とそれを支えた執権の一族にとって取り分け重要なのが、箱根権現、三島大社、寒川神社の三社と、ここ鶴岡八幡宮だ。だが鎌倉公方(室町幕府の分家)殿も関東管領(上杉家)殿も内輪揉めに大童(おおわらわ)で、三社一宮を蔑ろにしてやがった。それを立て直したと来りゃあ、北条の由緒が怪しかろうとなかろうと、誰しも一目も二目も置かざるを得ねえって寸法よ。」


 …何と言うか、予想以上に理路整然としている。

 北条(じっか)の権力を裏付けているのが自前の武力だけではないという事実を思い知らされて、軽くショックを受けているうちに鶴岡八幡宮の敷地を出て、馬と輿が待機していた、いわば駐車場に戻って来ていた。


「さて、参詣も済ませたし…次は由比ヶ浜に行く。着いて来い。」




 由比ヶ浜は鶴岡八幡宮のすぐ南にある。父上の一声で輿に乗り込んだ私は、鎌倉の市街地を通り抜けて一時間としない内に目的地に到着し、輿を降りた。


「良い日和だ…まずは軽くメシにするか。」

『良い天気だなあ、まずはお昼食べようか!』


 父上のぶっきらぼうな台詞に、前世の…生物学上の父親の声が重なって聞こえて、私は咄嗟に頭を強く振った。

 存在しない記憶だ。

 あいつは、休日に家族を旅行に連れていくような人間じゃなかった。そういうイベントがあったとしても、『私』は連れていってもらえなかった。

 …きっとこの鶴岡八幡宮参詣にも、何か裏があるに違いない。何か変な儀式の一環で、由比ヶ浜で私の首を落とす必要がある…というのは考え過ぎかも知れないが、厄介な相談か命令の一つや二つ、覚悟しておくべきだろう。

 そう身構えながら親子三人で軽食を摂った後、母上は木陰で休み、私は父上と共に浜辺を散策する事になった。

 天気は快晴、吹き寄せる潮風は穏やかで、見渡す限りの砂浜には遠巻きに見守る護衛要員を除いて人っ子一人いない。沖には漁船と思しき小舟がポツポツと浮かんでいる。


「流石は助五郎(氏規)、良い勘してやがる。あいつが勧めた日取りに従って旅程を組んだらこの通り…。」

「そろそろお聞かせ願えませんか、私をこの道程に同道させた理由を。」


 いい加減焦れて来て、口調がとげとげしくなるのを止められない。

 さっきから胸がムカムカして、吐きそうだ。

 陰謀でも何でもいいから、とっとと本題に入って欲しい。


「理由?」

「…『早川源吾』殿の件でお手を煩わせた事はお詫びいたします。その貸しを返せと仰せにございましょう?私に出来る事ならなんなりと。」


 マジで首よこせとか言われたらどう逃げよう、と逃亡ルートを脳内に描きながら、横目で睨むと、父上は珍しく戸惑ったような表情を浮かべていた。


「…お前大丈夫か?不俱戴天(ふぐたいてん)の仇でも見るような眼えしやがって…俺も散々振り回した自覚はあるが、そこまで恨まれる事をしたか?」

「何を…!」


 頭に血が上った直後、氷を突っ込まれたように背筋が冷たくなる。

 私は何をしている?

 前世のロクデナシの両親と、今世の両親を混同して…きっとこの人たちも、私に危害を加える積もりだと…そう思い込んで、いた…?


「ん…俺も言葉足らずだったな。まあ座れ。」


 立ち尽くす私を見かねたように言うと、父上は浜辺に転がっていた流木に腰を下ろし、隣に私を誘った。私が恐る恐るそこに座ると、父上はゆっくりと口を開いた。


「誤解させて悪かった。お前もいい歳になったし、回りくどい言い回しでも問題ねえだろうと踏んでた。詰まる所…お前をここに連れて来たかったってこった。この…由比(ゆい)ヶ浜にな。」

ある程度歴史に詳しい方はご存知の事と思いますが、日本において、女性の本名が公式記録に残る事例は明治時代あたりまでほとんどありませんでした。

よって小説に登場する女性の名前はよく知られている通称か著者のネーミングセンスによる所が大きいのですが、本作では鎌倉に古くから存在する地名を由来の一つとして決めました。

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