4-12 何時も近くで見ていたと思っていた娘が、いつの間にかいけないことを知ってしまっていた驚き
「儀式を早く行うのですか?」
「そうだ」
私が賊の侵入を告げ、場内が慌ただしくなった。
結局彼を捕まえることはできなかったが、同時にホッとしている自分もいる。
やはり、私は王族になり切れていない。どこかにあの子に対する未練が残っている。
陛下は、後宮を女官と女兵士たちに捜索させ、場内もかなりの数の兵士を動員したらしい。
それで見つかったものは、地下の遺跡へと通じている扉の破壊跡。
鉄格子の根本が破壊され、強引に隙間を通り抜けたようだ。
見た目は華奢な子であったというのに、どうやってそんな荒業を成し遂げたのか。
不思議は尽きないが、今は目の前のことである。
「遺跡に入って何ができるかと思うところではあるが、警戒はしておくべきだ。祈祷祭当日に事を起こされ儀式を妨害されるなど、絶対にあってはならないことだ」
「そうですね……」
「それと、賊は後宮の隠し通路を使っていたことも判明した。しばらくの間、お前たちには安全のため王城に部屋を用意させる」
「ティアはどうするのですか?」
ティアの存在を知るのは、この後宮に入ることが許された世話係の者たちだけ。数で言っても十は超えないはずである。
だが王城に部屋を用意するとなれば、多くの人があの子の姿を見ることになるだろう。
「あの子はお前の専属メイド見習いという立場にする。すでに服を世話係の者が持って行っているはずだ」
「そうですか」
「仕事はできないだろうが、世話係たちに紛れていれば変な噂も立たんだろう」
確かにあの子に世話係としての仕事ができるとは思えない。あの子にはほとんどのことを教えてこなかった。
どうせ死んでしまうのだから。私が何かを与えれば与えるほど、それは情となって私にも溜まっていく。
それが怖くて、ティアにはなるべく関わらないようにしてきた。
あの子の知識は、後宮の書棚にあった本だけ。誰かが教えたわけもないのに、いつの間にか文字も覚え、パンを作るのが楽しいと言って笑っていた。
そんな姿に、私は胸を締め付けられた。
ティアがどうして死ななければならないのかと。贄などになるために育てなければならないのかと。
王族の地位も、権力もいらない。ただあの子と静かに暮らせたらどれだけ幸せなことか。
「儀式は明後日行う。当日お前を連れていくことは出来ん。別れを言うならば、早めにな」
「はい。お心遣い、感謝いたします」
私が頭を下げると、陛下は踵を返して後宮を後にする。
私は世話係たちへと指示を出し、移動の準備を始めるのだった。
◇
月兎さんが来てくれた。
賊が侵入したと聞いた時、そう思った。
彼には私の素性など何も教えなかった。教えることが許されない立場だ。それは仕方がない。だけど、私はわずかな希望を月兎さんに託した。
彼ならば、私を助けてくれるのではないかと。
けど、結局月兎さんが私の元にたどり着くことはなかった。
おそらくここにはあの通路を使ってきたはず。そこで偶然お母さまに鉢合わせてしまったのだろう。
月兎さんは大丈夫だろうか。賊はまだ捕まっていないという話だから、うまく逃げることは出来たはず。
けど、遺跡へと向かうなんて、月兎さんも無茶をしますわね。
月兎さんは自分のことを探索者だと言っていたから、遺跡には強いとは思いますけど、王都の地下遺跡は広大と聞きますから心配ですわ。
そもそも、あそこの入り口には鉄格子が取り付けられていたはず。私もこれまで、何度かあの場へと赴いたことはあったけど、あの鉄格子が開いているところを見たことはなかった。
あの鉄格子の先に儀式の間があり、そこが私の最後の場所となる。
幼いころからずっと言い聞かせられてきた。私は王族として国の礎になるのだと。
だけど、その時が近づけば近づくほど怖くなってくる。
私はまだ死にたくない。
もっと沢山の本を読みたい。身分を隠して仲良くなったシェフたちと、もっと美味しいパンを焼きたい。
お母さまに私のパンを食べてもらいたい。
けど、私が贄になる意味も知っている。
この国が豊なのは、地下にある魔道具がこの国の土地を豊にしてくれているから。それを維持するために王族の血が必要であるのならば、誰かが犠牲にならなければならないのも事実。
今知られている陛下の子供は、男子が二人に女性が二人。一人はすでに皇太子として政治の場にも出ており、下の男子も兄を支えるための勉強をしている。上の姉はすでに他国へと嫁いでおり、下の姉も国内の有力貴族への降嫁も決まっている。
全員にそれぞれ国を支えるための役目が与えられており、私の代わりはいない。
私の使命と感情。正反対な二つの想いが、私の心をぎゅっと締め付けていた。
「私はどうしたいの……」
小さく呟いたところで、部屋の扉がノックされた。
私は握りしめて乱れた胸元を整え、どうぞと答える。
「失礼します。陛下より、安全のため部屋を移動せよとのご命令です。アントレティア様には、シルフェスティ様の世話係に扮して部屋を移動していただきます」
「それでその服なのかしら」
世話係が腕に抱えていたのは、彼女の着ているものと同じタイプのメイド服。
王族でメイド服を着るのも、ある意味私だけの特権かもしれませんわね。
「窮屈とは思いますが、ご容赦ください」
「お父様のご指示なのですもの。仕方ありませんわ」
「それと、祈祷祭の儀式が前倒しされることになりました。儀式は明後日行われることとなります。陛下からは、準備を整えておくようにと。私どもは何をするのか存じません。アントレティア様がご指示をお願いします」
「大丈夫ですわ。準備するものなんて、私の心ぐらいですもの」
賊が侵入したから、念のため儀式を早く行うということですのね。
ドレスルームへと移動し、今着ているドレスを脱ぎ捨てる。
メイド服は、頭からかぶるワンピースとエプロンのセットになっているようだ。
着やすいように背中が大きく開いているドレスとは大違い。だけどこれなら、一人でも着替えることができるかもしれませんわね。
ドレスの背中は何回も紐を縛らないといけないから、面倒ですの。
ワンピースを着て、エプロンを付ける。腰に回した紐をキュッと締め、髪の毛を整えてカチューシャを付ける。
「どうかしら、世話係に見えまして?」
「少々綺麗すぎるかと」
「でも化粧を落とすのも大変よ?」
「今日はこのままで良いかと思います。明日の化粧係に相応の化粧をするようにと指示を出しておきますので」
「そうね」
お母さまはすでに移動の準備を進めているとのこと。私もすぐに準備をするように指示を出し、お母さまの元へと向かう。
「お母さま、お待たせしましたわ」
「あら、可愛い姿になっているのね」
「ふふ、お母さまには絶対に着られないドレスですわ」
その場でクルリと回って見せれば、ふわりと優雅にスカートが揺らめく。
「そんなことをしてははしたないですよ」
「ごめんなさい」
「シルフェスティ様、移動の準備が整いました」
「では行きましょうか。ティアも離れないようについて来なさい」
「はい」
王城へと来るのはいつ以来だろうか。
少なくとも、今年に入ってからは一度もない。
そもそも、私は秘匿の子。なるべくひと目に触れてはいけないのだから当然と言えば当然だが。
案内された部屋は、王の部屋のある区画。
基本的に王と正妃、そして王子たちの暮らしている区画。ここならば確かにひと目にもつかないだろう。
部屋は後宮の部屋とはあまり変わりがない。使いきれないほどの大きな部屋に豪華な調度品が溢れている。
世話係たちが、早速部屋の点検を始める中、私はメイド服でお母さまの対面に座っていた。
妾とはいえ、王の妻の前にメイド服の女性が座っているのは物凄い違和感がある。
お母さまは用意された紅茶に口を付けつつ、私を見ている。
「どうしましたの?」
「ティア……ティアはもし生き残ることがあれば、なにがしたいかしら?」
「――」
お母さまの言葉に、思わず固まってしまいましたわ。
今までそんなことをお母さまが言うことなんてなかった。私には、王国の礎になる大切な役目なのだと、贄になることをずっと肯定していたのに。
月兎さんと話したから? 月兎さんはお母さまに何を言ったの?
「ティア?」
「そ、そうですわね。パン屋さんをやって見たいですわ」
「パン屋さん?」
「そうですわ。どこかの町で、毎朝パンを焼きますの。色々なパンを焼いて、町の人気店になりますの」
「そんな簡単にできるかしら?」
「私の腕はなかなかのものですわよ。シェフたちに習いましたもの」
「まあ、そんなことをしていたの?」
「シェフたちは、私のことをどこかのメイドの子供だと思っていましたわ」
後宮内での移動は基本的に自由だった。
だから、ちょっと飾らない服を着て、後宮の中を色々と探索した。その時に見つけたのが、お母さまや私の食事を作っている厨房。
そこでパンを捏ねる職人の姿に見惚れて、最初はこっそりと物陰からその姿を見ていた。
次第にその場で動きを真似するようになり、そんなところをパン職人の方に見られて誘われた。
ドキドキしながら初めて触ったパン生地の感触は今でもはっきりと覚えている。
それから何度も通い、少しだけ素地を分けてもらって教えてもらいながらパンを捏ねた。色々な形の作り方や焼き方なんかも教えてもらって、今では一から全部一人でやることもできるようになってしまった。
「お母さまも気づいていませんでしたけど、実は何度か私の作ったパンを召し上がっていますのよ」
「まあ! 職人と変わらない味をだせているの!?」
「免許皆伝ですわ」
王宮のパン職人と同じ味を出せる私がお店を出せば、繁盛間違いなしですわ。
「お母さま、なぜそんな話を?」
「少しだけ、少しだけ夢を見てみたくなりました」
「それは、私の英雄のことかしら?」
「彼に何かができるとは思えません。相手は国です。そして人質はこの国の多くの民。迂闊に儀式を阻めば、彼は世紀の大悪党になる。それを覚悟してまで、儀式を止めることができるかしら?」
「お母さま――」
お母さまは勘違いをしていますわ。
英雄とは何かを覚悟して、犠牲の上に成り立つものではありませんの。
「――私の英雄は、犠牲なんて一人も出さない、きっと最高のエンディングを用意してくれていますわ」
だって、物語の英雄とはそういうものでしょ?
イタズラっぽい笑みを浮かべる私に、お母さまは小さく苦笑する。
「英雄に助けられるお姫様にしては、ティアは少しお転婆すぎるかもしれないわね」
「まあ!」
まさかのカウンターに、私はぷくっと頬を膨らませるのだった。




