基本何を言われても良いが、それだけは許さん。
この世界には薬や毒の素となる植物が溢れている。
感覚を麻痺させるものや幻覚を見せるもの、深い眠りに落とすものや体を蝕むもの……。
そのような、人体に何らかの作用を与える植物には決まって独特な魔力が備わっていた。
私にはその魔力の色や質を見分ける才があった。
この事実を知った両親は、悪い大人に目を付けられては堪ったものじゃないと、私に体質の事を隠し通すよう言った。
私はそれに従ったけれど、仮令公にできないような体質であったとしても、何か人の役に立てればと思い、薬学の知識に触れる機会を増やすようになった。
幼少期、親に連れられて参加した夜会で、私は迷子になってしまった事がある。
両親を探して歩き回った先、ある庭園で自分と同じくらいの歳の男の子を見つけた。
これまで見て来た同年代の子供の中でも、一際美しい容姿を持つ、天使のような子だった。
「こんばんは」
独りぼっちから脱却した私は安心して彼に話し掛ける。
しかし反応はなかった。
彼は地面に腰を下ろしたままぼんやりとしている。
「ねぇ」
不思議に思った私は、彼に近づいて……そこで漸く、彼に纏う嫌な空気に気付いた。
これが植物由来の魔力による反応である事はすぐに分かった。
そして人体に毒として影響を与える類のものである事も。
「っ、だ、大丈夫……!?」
幸い、すぐに命を落とすようなものではなかった。
毒の反応自体は弱く、繰り返し服用する事で命をすり減らしていくような類のもの。
慌てふためいた私が男の子の肩を揺すれば、彼は漸く私に気付いたように顔を上げた。
「……こんばんは」
「あなた、大変よ! 体に悪いものを食べたんじゃないの?」
暗に毒を盛られていないか等と最初に切り出してしまう方法はあまりに悪手だろう。
相手によっては不安に思わせてしまうだろうし、そうでないにしても唐突に変な事を言い出す女だと思われかねない。
けれど幼い頃の私にそのような判断力はなく、ただ虚ろな目で答える彼が心配で、私はそう言った。
「体に悪いもの……? ああ、毒でも盛られてるのかな」
そして、男の子はまるで動じていないように、のんびりとした口調で言った。
「お、落ち着いている場合じゃないわ。今すぐお医者さまに見てもらった方が……」
「……必要ないよ。確かに体は重いけど、痛くないんだ。このままでいれば、痛くないまま、ぼくは母さんのところに行けるんでしょう?」
男の子の言葉から、彼がどんな環境にいるのか幼いながらに理解することが出来た。
服毒が自分の意志ではないという事は、誰かから日常的に毒を盛られる環境に居り、また母を亡くしている孤独な男の子。
自分と同じくらいの歳の子供が孤独を抱え、あまつさえ命を狙われ、それを簡単に受け入れようとしている現実が私は酷く悲しかった。
そして気が付けば……私は静かに涙を流していた。
「こんなのってないわ」
「どうして君が泣くの」
「悲しいからよ。あなたのこと、全然知らないけど、でもあなたが私よりずっと苦労しているってことは、すごくわかったから」
私は男の子の手を握る。
「あなたが死んだら、私はすごく悲しいと思う。だからお願い、どうか死なないで……生きていて」
この頃の私は時に生きる事が死ぬ事よりも苦しいものである等という発想はなかった。
これは幼く浅はかだった私のエゴだった。
男の子の、綺麗な赤い瞳が見開かれる。
大きな瞳が、ただただ不思議そうに私を見ていた。
私は男の子に、彼の体を蝕む作用を打ち消す為の植物をいくつか教えた。
彼はそれを静かに聞いていたけれど、内心で何を考えていたのかまではわからない。
その後、私は両親の迎えが来てその場を去ってしまったし、天使のような儚げな男の子に会ったのもこの日が最後だった。
ただ、死を望んでいた小さな男の子の気が変わって、どこかで生きていてくれたらいいと、ふと思う事がある。
***
「マリエット・ド・ノヴェール!! お前との婚約を破棄する!」
「……えぇ…………」
王立魔法学園。
その真ん中で、私は婚約者モイーズ・カスタニエ伯爵子息からそう言い放たれた。
モイーズの隣にはパメラ・ラルエット男爵令嬢という、最近常に傍に置いている女性が立っていた。
「お前はパメラの愛しさと、俺が彼女と親しくしている事に嫉妬し、彼女を虐めた! そのような女と婚約など、できるはずもあるまい!」
「いや、私がパメラ様を虐めた話からそもそも初耳ですが……それはそれとして、そもそもこの婚約は我がノヴェール侯爵家との繋がりを求めた貴方のご両親からの申し出なのですが……」
「そんな事は知らん! お前の卑しさが分かれば、父さんや母さんも認めてくださるだろう!」
「まぁ……婚約が破棄される事については構いませんが。それはそれとして謂われない罪を被せられるのは我が家の評判にも関わるので撤回いただいても?」
「な……ッ、白を切ると言うのか! 何と言う悪女……」
モイーズは顔を真っ赤にして覚えのない罪をあれこれ捲し立てた。
しかしその話の殆どは私の耳に入って来なかった。
(……催眠系の強い作用の影響かなぁ)
私はモイーズから漂う強い気配……そして彼の話を鵜呑みにして私に冷たい視線を投げ掛ける野次馬の生徒達からも微量に漂う同様の気配を感じて途方に暮れていた。
最近突然、学園でモイーズが話したような噂が流れるようになった。
編入生であるパメラ男爵令嬢を私が虐めているという類の悪評。
勿論事実無根で根も葉もない噂だったのだが、それにしては噂が広まる速度も、それを信じる生徒の数も圧倒的だった。
その理由が、今私が感じている作用によるものであるだろうという結論に私は至っていた。
そしてその発生源こそが――パメラにある。
彼女の体から最も強い気配を感じるのだ。
恐らくは香水などに催眠の効果を引き寄せる植物の成分を混ぜているのだろう。
厄介なのは、この効果が相当強力なものである事。
私に無関心であったり、元々良い印象を抱いていない者であれば、彼女の話す言葉を信じてしまうだけの効果を秘めていそうだという事だった。
(即座に直すなら物理的な衝撃を与えればいいのだけれど……流石に手荒すぎるし、集まった生徒達まで一人ひとり殴っていくのはあまりにも現実的ではない。あとは、この効果を相殺する類の植物を用いた薬が手に入ればいいのだけれど、生憎まだ手元にはないのよね……)
「マリエット嬢」
そんな事を考えていると、離れた場所から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
しかし私の注意は、その声に向けられるより先に――
「挙句の果てに――お前が詳しい薬学を用いて彼女を殺そうとした!」
というモイーズの言葉に吸い込まれた。
「……は?」
彼は知らなかったのだろう。
ある程度の嫌味皮肉であればのらりくらりと躱せる私だが、その一言だけは言ってはならない者であったという事を。
私は笑顔でモイーズを見る。
しかし静かな怒りは誤魔化し切れていなかったのだろう。
笑顔から滲んだそれを見たモイーズが「ヒッ」と引き攣った声を上げる。
「…………私が薬学で人を害そうとするような人間だと?」
「ま、マリエット、まて、こちらへ来るな!」
じりじりとにじり寄る私と、後退るモイーズ。
モイーズはその最中で体勢を崩し、尻餅をついた。
そんな彼の胸ぐらを掴み、片手を構えた。
「失礼します、モイーズ。手荒な真似をしますが、薬の影響を消す為のものですので、精々歯を食いしばってくださいませ」
「ま、待て待て待てマリエット、仮にも侯爵令嬢が――ヘブゥ!!」
スパーン!! という小気味い音と共にモイーズの頬に平手打ちが炸裂するのだった。
「失礼しました。本当はこんなことしたくなかったのだけれど……」
べそべそと泣き始めたモイーズに私は問う。
「お加減はどう? モイーズ」
「どうも何も、頬が痛いし最悪だ……酷いぞマリエット…………ん? なんだか、頭が軽いような……」
「ええ、そうでしょうとも。パメラ様がお使いになられている香水の催眠から目を覚まさせて差し上げたのですから」
「な……ッ!」
すぐ傍で、パメラ様が息を呑む。
そんな彼女の事は一旦置いておき、私は未だにしわくちゃな顔でぺそぺそしている婚約者に問いを投げた。
「それで、私がパメラ様を虐げたという話は、本当ですか?」
「それは……っ、…………あ、れ?」
「ないでしょう?」
「確かにあった……様な気は、するのだが……」
「具体的な話は思い出せない。パメラ様からその様に話す事を促された事実しか記憶にはないでしょう?」
「そ、それは…………」
モイーズは言葉を濁したが、最後には困惑しながらも頷いた。
「そ、そんな……っ、どうして……!?」
そんな彼の様子を見たパメラ様が狼狽え、数歩後退る。
その時だった。
「失礼」
大きな咳払いと共に、周囲の視線を掻っ攫う男子生徒が一人。
彼は野次馬の中から私達の前まで姿を見せる。
黒髪の美青年。
ジェラルド王太子殿下――我が国の未来を背負う人物だ。
「マリエット嬢。頼まれていたものの用意が出来たのだが……まさか、この場にいる全員をその様な方法で正気に戻すつもりではないだろうな」
「まさか。殿下がいらっしゃっていると知っていればこのようなはしたない真似はしませんでしたのに」
「……どうだかなぁ」
上位貴族の令嬢が婚約者を往復ビンタして泣かせるという珍事件を目の当たりにした彼は何故だか楽しそうで、咳払いと共に手で隠した口元にはニヤニヤとした笑みが浮かんでいる。
中々にいい性格をしていそうだ。
「まあいい。ほら」
「ありがとうございます」
ジェラルド殿下は私に香水の瓶を渡す。
私はそれを受け取ると、空気中に霧散させる。
そして風魔法を使い、漂わせた香りを周囲の生徒達まで運ばせ――
――それからすぐに、生徒達は我に返ったように目を丸くさせた。
自分達は一体……などという困惑の声が湧いている。
「さて。パメラ嬢」
生徒達が正気に戻ったのを確認し、ジェラルド殿下はパメラを見る。
「貴女がその様な強力な薬物をどのようにして手に入れたのか、詳しく聞く必要がありそうだ」
「そ、んな……っ」
パメラは真っ青になって震え上がるのだった。
……その後、彼女はジェラルド殿下が呼びつけた騎士によって捕らえられた。
すぐにでもラルエット男爵家には調べが入るだろうとの事だ。
***
「それにしても……何故、ジェラルド殿下には香水の効果がなかったのでしょうね。私達、これまで殆ど接点がなかったのに」
「王族だからじゃないか?」
騒動のあった現場を離れ、連れて行かれるパメラを見送りながらふと疑問を零せば、適当すぎる返事が返される。
「でしたら王宮の毒見役の仕事はなくなるでしょう」
「そうだな」
くつくつと愉快そうに笑うジェラルド殿下。
端正な顔立ちではあるが、常に浮かべる余裕そうな笑みのせいで彼の腹の底はよくわからない。
王族という立場上、そう在る事が正しいのだとは思うが……どうにも胡散臭い、と思ってしまう私がいた。
とはいえ、今回の騒動に手を貸してくれたのはパメラの香水の影響を受けなかった数少ない生徒であり、権力も財も、伝手も持っているジェラルド殿下だ。
学園の異変にいち早く気付いた彼が私に声を掛けてくれたおかげで、パメラの香水の効果を打ち消す稀少な植物を早急に取り寄せ、加工させる事にも成功した……以上、彼に感謝しなくてはならない。
「この度は、私のような者にお力添えいただき、誠にありがとうございました」
「気にするな。俺は借りを返しただけだ」
「…………借り?」
ジェラルド殿下の話には身に覚えがない。
不思議に思い聞き返せば、ジェラルド殿下は大きく肩を竦めた。
「俺は王族だからな。幼い頃から何度か毒殺を企てられた事があるのだが」
「……はい」
突然切り出された真剣な話に驚きつつ、相槌を打つ。
「一度、とり続ければいつか死ぬ毒を、その存在を知っていながら服毒していた事がある」
「な……っ」
何故そのような事を、と思わずジェラルド殿下を見る。
彼は困ったように笑った。
先程までの胡散臭い笑みとは違う、呆れと僅かな喜びが垣間見えるような、歳相応の笑みだった。
「馬鹿な話だろう。ただ、そう思えたのは……俺がその時を生き長らえたからだ」
ジェラルド殿下が私に手を伸ばす。
横髪を掬い上げながら、彼は真っ直ぐと私を見据えた。
「当時、『生きて』と言ってくれた人が、一人だけいた。初めて出会った人だったが……俺の体に気付いたのも、その人だった」
「…………あ」
風が吹く。
黒い髪が揺れ、前髪の下で輝く赤い瞳が、よく見えた。
――ジェラルド殿下は妾腹の子だ。
幼い頃に病で母を亡くした彼は、大人達から蔑まれながらも努力を重ね、その成果から王太子に認められた優秀なお方だった。
そしてそんな彼の顔が――幼い頃に出会った男の子と重なる。
「…………よ、かった」
気付けば、そんな言葉が漏れていた。
潤む瞳から涙が零れるのを必死に耐えているとジェラルド殿下が目元を和らげて笑った。
「何だ、忘れられていた訳ではなかったのか」
「だって……あんな天使みたいな子が、こんな腹の底が分からないような胡散臭い殿方になってしまうなんて想像もつかなくて……」
「おい」
俺の容姿を見て不満を溢すのは君くらいだとジェラルド殿下がわざとらしく溜息を吐く。
しかしそこまで気に留めていなさそうなのは、くつくつと笑う気配から感じ取れた。
「マリエット嬢」
それから彼は膝を突き、私に手を差し出す。
「俺と婚約してくれないか」
私は驚いて彼を見る。
「君が薬に詳しいとか、侯爵家の令嬢という十分な地位を持っているとか……そういう合理的な話ではなく……俺は君以外を選ぶことは出来そうにないんだ」
彼の言葉の意味。
それを汲むだけの情報は既にで揃っていた。
――彼がパメラの香水の影響を受けなかった時から。
どうやら私は、彼を勘違いしていたようだった。
胡散臭い人だと思っていた彼はその本質を隠していただけ。
少なくとも、彼が私に向ける思いは純情そのもの――どこまでも真っ直ぐで誠実な想いであると、私は気付かされてしまった。
私を映す瞳と優しい視線から、それが痛いほど伝わってくる。
そしてそれが……悪くはないと、そう思ってしまう自分がいた。
仮令、恩義を感じていなかったとしても、きっと私はこの手をとっただろう。
「……よ、よろこんで」
赤い瞳が嬉しそうに細められる。
そんな彼の様子に、とくとくと鼓動が高鳴るのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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