6-12.
「ごめん!」
春田は勢いよく頭を下げた。
先ほどの俺たちみたいに、周りの目など気にしていない様子だった。
今までの俺なら、だせぇってこいつのことを笑ってた。なに必死になってんだって。てか、周りの迷惑じゃねって。
でも、今はそんな気になれなくて。それどころか、明の顔色を窺って、俺がどうすべきかってことを考えるのに必死だ。俺だって、必死だった。
俺は、春田のことなんて何一つ知らない。名前しか知らない。だけど、多分、俺がこいつを責める資格なんてないってことはわかる。どうすべきかを決めるのは明だってことも。
だから、俺はただ明の隣にいることにした。それだけでいいって自分に言い聞かせて。
「……は、るた、くん」
呼ばれて、春田がハッと顔を上げた。明のハスキーな声は、不思議と喧騒の中でもよく聞こえるから。
明は相手の顔を見て、一度口を引き結んだ。言葉を慎重に選んでいるらしい。明は少し考えるような素振りを見せてから、もう一度、春田へと視線を向ける。
それはどこか強張っていて、泣きそうで、だけど、がむしゃらにそれを飲み込んだ顔だった。
「ひ、ひさし……ぶり……」
明はぎこちなくはにかむ。付き合わせた両手の指先をぎゅっと絡めて、手の震えを抑え込もうとしている。かたい口調からは、自分自身を閉じ込めているような窮屈さも感じる。
無理に笑う必要なんてねえのに。それを伝えるべきか迷って、でも、口挟むのはやっぱお門違いだよなって、俺はまた口をつぐむ。
でも、それ以上、明と春田の間に会話は生まれなかった。お互いぎこちなさを背負うだけ背負って道端に立ち尽くしていた。適当に濁して別れたっていいし、きっぱり決別したっていいし、なんなら、仲直りするのが一番なのに。明も、春田も、どうすればいいのかわからずに、俺たちを包む妙な緊張感に身をゆだねているだけで精一杯のようだ。
かくいう俺も、こんな時にどうすればいいかなんて知らなくて。
誰かが観念しなければいけない。そんな状況で音を上げたのは俺のスマホだった。
俺の代わりとでも言うように「ヴーッ」と唸り声を発している。
立て続けにもう一度鳴いたスマホは、チカチカと光って翔太からのメッセージを表示した。
『リハ始まりそう~』『まだぁ?』
「げ」
思わず声が漏れた。
明と春田が一斉に俺を見る。
二人の間にはまだ、明らかにわだかまりが残っている。でも。どうする? って聞くまでもなく、今優先すべきはこれだろって俺はスマホを明に見せる。
「……リハ、始まるって」
俺は仕方なくそのメッセージを読み上げた。明の手を掴んで、「とりあえず、行こうぜ」と先ほどは言いたくても言えなかったことを口に出す。
「あ、りょ、りょうくん」
「リハ出れなくて失格とか笑えねえだろ」
「あっ……でも……」
歩き出した俺の隣で、明はまだ足を止めていた。チラと後方の春田を窺っている。見れば、春田は微動だにせず、ただうつむいていた。春田の中に存在する困惑と戸惑いが、彼の足を止めているようだった。
まじで、昔の俺かよ。てか、俺、こんなうざかったのかよ。
俺の口から思わず舌打ちが飛び出す。掴んでいた明の手を離して、俺はガシガシと頭をかいた。そんな簡単に心は整理できない。けれど、このままじゃ多分、俺たち全滅してゲームオーバーだ。そうなることだけは目に見えている。
どうすっかな。俺が明に視線を戻すと、明の目はまだ春田に向いていた。
あんなやつ、ほっといて行こうぜ。そう提案してもよかったのに。
多分、昔の俺と一緒だから。
「おい」
気づいたら、俺は春田に向かって声をかけていた。
呼ばれて、男がビクリと肩を揺らす。次いで、明を見て、俺を見た。赤く染められた髪の奥にゆらゆらと揺れている瞳は迷子そっくりだ。つまり、俺そっくりでもあった。そういうところも、マジでムカツク。
俺は自嘲を奥歯でかみ殺して、春田を見据える。
「お前、出場者?」
「あ……いや……出場者じゃない、けど」
「ちげえのかよ」
「運営……側……」
「まじか。お前、いなくてもリハできるわけ」
「た、多分」
春田は窺うように俺を見た。それがうざくて、俺はため息を隠すことなく吐き出す。俺とおんなじタイプなら、このため息の意味が分かるだろって押しつけがましい気持ちを置いておく。
続けて明を見た。明はそんな俺と春田のやり取りをハラハラと見つめているだけだった。メガネの奥でせわしなく動く目は、心細そうで――同時、後悔を抱えているようにも見える。
「明」
名を呼べば、明は視線だけで俺を引き止めた。
こいつ、まじでわかりやすいよな。
俺はそんな明の背中を強く押して、
「お前、リハとか出なくてもいいよな」
とその背に話しかける。
正直、俺一人じゃ不安だし、そもそも二人の走者の一人がいなくてもリハとかできんのかわかんねえから、目を見て言えるほどの自信はなくて。
そんなダセエ自分に、それでもよくやってるだろ俺、って及第点を送る。
「言いたいこと、はっきり言えよ」
「あ、え……え」
明が不安げな目で俺を見る。そんな犬みたいな目で見んな。俺は目をそらして
「いいから」
と明の背をもう一度強く押した。
「俺が、お前の、今の親友だってことだけ、覚えとけよ。それだけでいいから」
祈りと怨念はよく似ていると思う。
俺は自らの捨て台詞に我ながらそんなバカみたいなことを考えながら、それ以上二人を見なくていいように背を向けた。
「りょ、亮くん!」
背中に声がかかる。俺はいつもみたいに、ヒラヒラと手を振った。
「じゃーな。待ってんぞ」
翔太たちが、俺にそうしてくれたように。行ってらっしゃいってただ、送りだしてくれたように、俺は歩き出す。
リハ開始まで後十分。
明と春田を置いて――正しくは、二人に追いつかれないように全力で――俺は一人、会場へと駆け出した。




