6-11.
「あ、おい!」
気づいたら、明が走りだしていた。いつもの明からは想像もつかないスピードだった。
その背を追わなくちゃいけない。
自分でも理解できない衝動にかられ、俺が足を動かそうとすれば、
「ま、待ってください!」
俺の手をグンと引っ張る力に体を引き止められる。
「んだよ!」
振り向けば、なぜか春田ってやつも泣きそうな顔をしていた。
それだけでわかる。こいつが、多分、中学のときの明の親友で、明を裏切ったやつなんだってことも。そいつが、多分、後悔していて、明とまた再会を望んでいたんじゃないかってことも。
俺の勝手な妄想かもしれないけど、でも、多分、あってるんじゃねえかなって思った。
だって、そいつは、少し前の俺によく似ていたから。
――でも。
俺は。今の俺は。
俺は、お前じゃない。
「……俺、あいつ追いかけなきゃいけねえから」
掴まれた手をほどくまでもなかった。俺の言葉に、春田が勝手に手を離したんだ。
だから、俺は会釈も挨拶もせずにただ明の背を追いかけて走り出した。
トイレを出たすぐの廊下にはもう明の姿はない。右も左もわからず、俺は直感にしたがってエレベーターホールのある方向へと足を向ける。三台並んだエレベーターのうち、一台は稼働中で下へ向かっている。多分、一階。俺は慌てて下ボタンを連打する。エレベーターに乗り込んで、慌てて扉を閉め、今度は一階のボタンを押した。あの状況で、明が受付に向かうとは考えにくい。だから、方向はあってるはず。あ、とりあえず翔太たちに連絡しとかねえと。てか、受付、何時までだっけ。リハは? 何時から?
焦燥をぐっと押しとどめて、スマホをタップしていく。メッセージはすぐに既読がついて、物分かりのよい『了解』の二文字が俺を冷静にさせた。
同時、エレベーターが一階へと到着する。
「うし」
俺は気合を入れなおしてエレベーターを飛び出す。
足の速さなら、明に負けることはない。RTAなら五分五分だけど、リアルなら俺のほうが速い。
エレベーターホールを飛び出し、広い吹き抜けのエントランスを見回す。サラリーマン集団とすれ違い、大会関係者っぽいグループの間を割って、俺はガラス張りの大きな自動ドアをくぐる。
冷たい冬風に一瞬身を縮めるも、目の前に見慣れた背中を見つけた。
俺は短く息を吐き、その背中をターゲットに定める。地面を強く蹴り出す。苦手だったスタートダッシュも今日は憎いくらい完璧だった。
「明!」
周りの人の視線など気にせず、俺はその名を大声で呼んだ。聞こえていないのか、それともあとには引けないのか、明は振り返ることもなくがむしゃらに人ごみをかき分けて走っている。俺もそれに続いて、明を見失わないように人ごみをかいくぐる。
「明!」
リレーでバトンを渡すみたいに、必死で手を伸ばした。
目の前には明の小さな背中。
「明!」
俺の指先から、バチリと光が突き抜けたように見えた。
明の背に手が届き、指先が触れ、俺はその指先に力を込める。
ぐん、と布を引っ張れば、ようやく明の足が止まった。代わりに、明の肩が震えだす。俺がまわりこめば、息を切らした明が迷子みたいに俺を見た。
「……りょ、りょう、くん」
「そうだよ。俺。俺だよ」
「りょ、りょうくん」
明はやがて唇を噛みしめ、泣くのを我慢するみたいに、俺から視線を背けた。うつむいた明の目には、多分、真っ黒なアスファルトに落ちた真っ黒な影が映っていることだろう。
「……ご、ごめ……」
「謝んなって!」
俺はそんな明の頬を無理やりに掴んで、顔を上げさせる。
「そんで、泣くな! お前、なんも悪くねえだろ!」
俺を見ろ。
ただその思いだけを込めて睨みつける。
お前の前にいるのは俺で、お前の隣にいるのも俺で。
「今のお前の親友は、俺だろ!」
腹の底から声が出た。
俺が肩で息をすれば、明が真ん丸な目をさらに見開いて、メガネの奥から俺を捉えた。ようやく、だ。
「俺と、ゲームしようぜ」
俺は明の肩に手を置いて、その手にぐっと力を込める。明が逃げないように。明が、俺だけを見てくれるように。
「……あ」
明の強張っていた肩から力が抜けたのがわかった。ついで、明はその場にへなへなとへたり込む。
「……ぼ、ぼく……」
明は何かを言いかけて、ぎゅっと口をつぐむ。
謝らせたり、泣かせたりなんか、ぜってえしねえ。
俺はしゃがみこんで、明と目を合わせる。俺自身にも、明にも言い聞かせるように口を開いた。
「俺は、お前とゲームしたい」
「……」
「俺、お前とゲームしたいんだよ」
「……ぼ、ぼく……も」
「俺、お前と一番になりてえし」
「……ぼ、ぼくも」
「俺、お前の、一番の親友にもなりたい」
「ぼくも!」
「じゃ、行こうぜ」
笑顔を作る必要なんてなかった。ただ、自然と本能のままに笑顔がこぼれた。
俺が手を差し出せば、明はその手に捕まって、黙ってゆっくりと立ち上がる。
明が立ち上がった先、俺の後ろを見て、「あ」と声を漏らす。その顔が再び曇った。先ほどより情動的ではなかった。
明が深呼吸したのが聞こえて、俺もゆっくりと振り返る。
誰がそこにいるのか、振り返らずとも明白だったけれど。
「春田……」
俺が睨みつけると、その男はバツの悪そうな顔で俺たちを見つめた。




