6-1.
明も今ごろ親と話してんのかな。
夕食の鍋を食べ終えた俺は箸を置いて、深呼吸をひとつ。
俺も、頑張らなきゃいけない。
そう思って、結局こんな時間になってしまった。けれど、今を逃したらもう二度と言えないような気がして、俺は覚悟を決める。
隣には兄貴、斜め前に母、そして目の前に父。
家族が集まるタイミングは今しかないのだ。
――明が戦ってるんだ。俺だって。
「俺」
口を開いて家族を見る。兄貴が俺を見て、母は「なに」とそっけなく答え、父は新聞を読んでいた。
「ゲームの大会出るから」
俺が宣言すると、鍋に雑炊用の溶き卵を入れていた母さんが手を止めた。だが、やはり俺を見ることなく卵液が鍋に沈んでいくのをただ睨みつけている。父は反応すらしない。
気まずい沈黙を破ったのは兄貴で、
「え、すごいじゃん」
とわざとらしいほど明るい口調で俺に笑みを向ける。以前までの俺なら、こういう兄貴の態度すらうざくて、一人になろうとしていた。けれど、今は、兄貴が味方だってことも知っているし、味方が多くて困ることはないってことも知ってる。
わざわざ感謝するほどのことでもないけれど、雑炊は少し多く譲ってやろうと思った。
「勇輝」
母さんの冷たい声が、卵液の入っていた椀と一緒にドンとテーブルに落ちた。
「なに?」
母さんの不機嫌に気づいているはずの兄貴は、それを少しも表情に出さず、むしろ穏やかな笑みを浮かべている。
「亮を甘やかさないでって言ってるでしょ」
「甘やかしてないってば。大会に出れるなんてすごいことじゃない?」
「……大会って! たかがゲームでしょ!」
兄貴の同意が得られず、いよいよ母さんはその不機嫌さを俺に向けた。鬼の形相というに相応しい顔だ。般若ババアめ。
「亮、聞いてるの?」
俺の心の毒を見抜いたとでもいうように、母は更に瞳をぎらつかせる。
「ゲームなんて今すぐやめなさい」
「なんで」
「ゲームする時間があったら勉強しなさいって言ってるの! だいたいあんたは、お兄ちゃんと違って、なんにもできないんだから」
母さんは雑な手つきで雑炊をかきまぜ、だんまりを貫いている父さんにも怒りの矛先を向ける。
「あなたもなんとか言ってよ!」
制御できないのか、それともそうしなければ気が済まないのか。とにかく四方八方、もはやお構いなしのようだ。
「……別に、いいんじゃないか」
新聞から顔を上げた父さんは、面倒くさいことを表現するようにため息をつく。
「良くないわよ! 大学受験だってあるのに」
「……君が、この間言ってたんじゃないか。亮の成績が今までで一番よかったって」
父さんは新聞を丁寧に折りたたむと、いつもは無関心そうな表情を親の顔にかえて、俺に向き直った。
父さんと目が合うなんて、何年ぶりだろ。
子供のころの俺は――いや、正直に言えば今でも少し――父さんのこの目が苦手だった。大人特有のほの暗さというか、何もかもを諦めてきましたって感じの、世の中の嫌なところを見て来ましたっていう、そんな目が。
だけど、今はそらしちゃいけないって、俺の直感が告げる。
俺はテーブルの下でひざの上に置いていた拳を握りしめ、背筋を伸ばした。
この家の大黒柱は父さんだ。母さんは文句こそ多いが、結局のところ、父さんにはかなわない。兄貴も、父さんとは少し距離を置いているようだし。
俺だって、そうだ。
でも。
「俺、一位になりたいんだ」
覚悟を決めて、はっきりと口にする。
今までは、言われて生きてきた。一位になれ。一番じゃなきゃ意味がないって。だけど、そうじゃないんだ。
俺が、一番になりたいって思わなきゃ。
ほの暗い瞳で、父さんがじっと俺のことを観察する。バイトの面接よりもプレッシャーを感じて、こういうのを圧迫面接って言うんだろうな、なんて緊張を逃すために、俺は頭の片隅でそんなことを考えた。
やがて、父さんは鼻から長い息をはき出した。
「……ゲームでも、なんでも、亮が一番になりたいと思えるものができたなら、全力でやってみなさい」
父さんが俺に向けて笑みを見せたのは、いつぶりだろう。
目を合わせるよりも、もっと、もっと、昔のことのように思えて、俺の口から「え」と驚きが漏れた。
「いまどき、ゲームもすごいんだろう。イースポーツって言うのか」
「……あー、いや、俺がやるの、RTAだけど」
「なにが違うんだ」
「いや、うん、まあ、色々」
俺が濁すと、父さんはいつものふてぶてしい態度に戻って「なんだ、色々って」とおもしろくなさそうに呟いた。
それから、父さんは母さんに視線を投げる。母さんはといえば、ワナワナと震えていて、今にも雑炊をかき混ぜている箸を俺たちに投げつけるんじゃなかろうかって感じだった。
「見守るのも、親の役目だよ」
冷徹の中に威厳を混ぜた父の声が、母さんの体から力を抜く。母さんはそれでもまだ不満を残しているようで、
「なんなのよ、みんなして」
と俺を睨んだ。
俺は母さんとも向き合って、もう一度腹に力を込める。
「……母さんにも、いつも、迷惑かけてごめん」
兄貴みたいに、出来のいい弟になれなくてごめん。
俺が頭を下げれば、母さんも先ほどの俺と同じく「え」と驚きを漏らしたのが聞こえた。
「俺、頑張るからさ」
見守っててほしい、なんて図々しい気がして言えないけれど。
「……一番になれるようにさ。ちゃんと、全力でやるから」
代わりに、そんな約束を覚えていてほしい。そして、ダメだったときは、いつもみたいに叱ってほしい。これからも、頑張れるように。
俺が言うと、母さんは泣きそうな顔になって、それを隠すようにくしゃくしゃの顔を作った。
悔しさをごまかすみたいな「ふん」という母さんの強がりを聞き、俺は苦笑する。
素直じゃないのは、母親譲りなのかもしれない。こんな母さんに似てるって気づいたって、別に嬉しくねえけど。
俺の前に、たっぷりの卵雑炊がよそわれた椀が置かれる。俺の好物のひとつだって、わかっているのだろう。
「……ありがと」
俺が礼を述べると、「明日、台風かしらね」と母さんが呟いた。
「ウザ」
俺が笑うと、母さんが意地悪な顔で笑う。
母さんの笑みを見たのも久しぶりで、俺も、明日は台風じゃなくて雪だな、と思った。




