5-10.
「おい」
どう見たって空き巣に入った泥棒か、さもなければ万引き犯のそれに近しい行動で帰宅準備をしている明の首根っこを捕まえれば、
「ひゅぇぁっ⁉」
と聞いたことのない音が明から聞こえた。
恐る恐る、という言葉が似合う速度と表情で明がこちらを振り返る。
まさか、俺が玄関先、昇降口の死角に隠れて待ち伏せしているなんて考えてもみませんでした、と正直な感想がそこに書かれている。
「あ、あ……あの、えと」
しどろもどろな口調と同期するように、メガネの奥の瞳がせわしなく動く。
その態度だけでわかった。
こいつ、俺になんか隠してる。っていうか、俺のこと、避けようとしてね?
「なに隠してんだ」
俺が明を見つめると、明はギクリと体を硬直させる。ダラダラと汗をかいているように見えるのは、気のせいではないはずだ。
「べ、別に……なにも……」
完全に委縮した明は、笑みを作ることすらせずに俯いた。
「なにもねえなら、今日、付き合えよ」
「えっ」
「翔太たちとカラオケ。行くだろ?」
明は「あ」と顔を上げた。俺を見る瞳になぜか痛烈な悲哀が浮かんでいて、そのことに胸がドキリと音を立てる。心臓がギュッと握りしめられたみたいな感覚が、俺に警鐘を鳴らすようだった。
「……ご、ごめん、僕……」
「用事?」
「う、うん……」
「家の用事って、そんなに色々あんの?」
明の視線が再び俺から外れて、下へ下へと向かっていく。つられて、明の声も小さくなった。
「い、色々……あ、あるよ……」
「例えば?」
「た、例えば……。そ、その……い、色々……だから」
例えば、色々。そんな家の用事は聞いたことがない。嘘をついていますと正直に言っているようなもんだ。いや、嘘をついていると言われたほうがまだ疑いの余地があるってくらい下手な嘘だった。
今まで馬鹿がつくほど正直だった明が、俺に言えない用事があるらしい。
その事実が無性に俺の心を苛立たせ、焦燥感を与える。
だからだろうか。
「……そうかよ」
自分でも想像してなかったレベルの冷たい声が出た。
途端、明がバッとこちらを見つめる。メガネのレンズに、情けない顔の俺が映り込んでいた。
いつもなら、その奥に輝くまっすぐな瞳に救われている。今まで、ずっと、救われてきた。
でも今は――
「もう、いいわ」
ただ、ウザいだけだった。
明の瞳が、素直に傷ついた、と告げる。そのことがまた、俺をイライラさせる。
なんでお前が泣きそうなんだよ。
「家の用事、頑張れよ」
誰が聞いても皮肉だってわかる口調になって、そんな心の狭い自分がまた嫌になって、明の顔も見れなくて、俺は慌てて踵を返した。
翔太たちが先に向かっているであろうカラオケに向けて一歩進むたび、剣呑とした気持ちが加算されていく。
毒とか麻痺とか、継続ダメージってこんな感じ?
ゲームのしすぎで、そんなことを考えてしまう自分を自嘲しつつ、俺は後ろから俺を追う足音を無視する。
わかってる。明だって、塾があるし、家のことで時間がとれないときもある。ただ、忙しいだけだ。なにも、俺とゲームがしたくなくなったわけじゃない。
俺だって、バイトがあればそれを優先させるし、テストが近けりゃ多少なりの勉強に時間をとる。翔太たちと遊ぶときもあって、すべてをゲームにささげているわけではない。
明だって、暇じゃないこともあるだろ。
わかっているのに。
明が大事なことを隠している、そのたった一つの事実が、明の全てを拒否させる。
――俺と、ゲームがしたくなくなったのかも。
その可能性を考えるのが怖くて、その可能性を否定できなくて、怖かった。
「ま、待って!」
ハスキーな声が、足早に地面をこする音が聞こえる。
それでも、振り返る勇気はなくて。俺はポケットからイヤフォンを出して、耳にはめる。音楽を流す気にはなれなくて、ただ聞こえないふりをした。
「あ、あら……亮くん!」
明の声が泣き叫ぶみたいに、イヤフォン越しに聞こえる。
「亮くん!」
待って、待って、とついにその足音が走りだして、やがて、グン、と俺の服の裾を引っ張った。
明の手の震えが、俺の制服から肌へと伝わって心臓を震わせる。
「亮くん」
振り向くには、時間が必要だった。明が息を整えるのと同じくらい、俺も心を整えなくてはいけなくて。そのための時間は、明の荒い呼吸がおさまるよりも少しだけ長くかかった。
明にも、事情があるだろ。俺のわがままばっかり押し付けて、こいつを……友達を、困らせるのは、お門違いだろ。
情けなくなってもいけないし、怒ってもいけない。今まで通りを装って、また明日って自然と明が笑って言えるような、そんな態度をとらなくちゃいけない。
俺はなけなしの理性で自分にそう言い聞かせる。
なのに
「……なに」
たっぷりと時間をかけて絞り出した声は、ダサくて。
明はやっぱり傷ついた顔で、俺を見つめていた。
「ご、ごめん……」
「別に。謝んなって、いつも言ってんじゃん」
そんなことが言いたいわけじゃない。つっけんどんな声を出したいわけじゃない。
「でも、ごめん」
「別に、いいって」
こんな態度をとりたいわけじゃない。
俺は自分にもっとうまくやれよって、もっと大人になれよって言い聞かせて、無理やりに笑みを作る。
絶対うまく笑えてないって、自分でもわかった。でも。それ以外の方法なんか知らない。
「もう、いいから」
「……亮、くん」
明がただ、そんな俺をまっすぐに見つめる。
隠しごとをしているのは明なのに、なぜか、俺が抱えているこのくそダサい感情を見透かされているみたいで、居心地が悪かった。
俺は、この目が、この手が、明が、俺を裏切るのを心底怖いんだとわかって、それは、この先一生一番になれないことなんかよりもずっとずっと恐ろしくて、こんなことなら、明となんか仲良くならなきゃよかったって、そんな、失恋したときみたいなことを考えた。
「……うざ」
自分が嫌になって、そんな感想が漏れる。
途端、俺の制服を握っていた明の手がゆっくりと離れていったのがわかった。
冷たい冬の気配をはらんだ海風が俺たちの間を吹き抜けていく。潮の匂いをたっぷりと含んだそれは、俺の鼻をツンと刺激した。




