5-9.
「……まじかよ」
俺は全体的に一桁から二桁前半の順位が並ぶ成績表を見つめて呟いた。
期末テストは、驚くほどうまくいった。テストを解きながらそう思っていた感覚が数字になって現れ、俺は改めてその現実を噛みしめる。
それでも一位をとれないあたり、俺らしいといえば俺らしいのだが、それはそれとして、いつもと変わらぬ勉強量でこの結果。だとすると、まじで兄貴さまさま、ということになる。悔しいことに、あの兄はやはり完璧だったのだ。
いや、まあ、俺の実力もある。多分。そう思いたい。
ひとり、過去最高の成績表に感動していると、
「え~⁉ 亮ちん、一人だけ抜け駆けぇ⁉」
背中にのしりと重みを感じた。デジャヴだ。俺は翔太の頬をがしりと掴んで、成績表をありありと突きつける。翔太の目に入るんじゃないかってくらい、はっきりとそれを見せると、翔太のほうが「うざぁい!」と身を引いた。
「まじで頭いいのかも、俺」
「その発言がすでにバカっぽいけど」
「はは、たしかに。なに、今回は成績よかった感じ?」
翔太の声を聞きつけたからか、それとも偶然か、大斗と圭介が俺の周りを囲む。それぞれ弁当やらパンやらを机に広げて、俺の成績表を覗き込んだ。
「げ、マジじゃん」
「もしかして……亮、犯罪でもした?」
「いや、これはしてないとおかしいでしょぉ! だって、亮ちん、ずっとゲームしてたじゃん⁉ 俺たちより、ずっと遊んでたじゃん! ずるでしょ! ずる!」
「おい、失礼かよ」
なぜか若干引いている大斗と、素直に驚く圭介、そして大声で文句を垂れている翔太を俺は睨んで、成績表をしまいこむ。まじでこいつら、俺をなんだと思ってんだ。
「あ、もしかしてゲームして頭よくなったとか⁉」
「んなわけあるか」
「じゃ、バグ? それかチート技?」
パンにかじりつきつつ、大斗が俺をチラと見る。兄のことを言うべきか、言わざるべきか、一瞬迷って、
「あー……」
と言葉が濁った。今まで、散々兄のことを色々と言ってきて、今更頼りました、なんてかっこ悪いにもほどがある。それに、成績以上にそのことをからかわれそうで面倒くさい。
いや……こんな算段をしている時点でもうダサいのか。
俺は弁当のシュウマイを飲み込んで、少しの覚悟を決める。
大丈夫、大したことじゃない。俺の気にしていることなんて、ほんと、世界基準で見ればちっぽけなことだって、わかってるから。
「兄貴に、教わった」
覚悟を決めたくせに散々心の中で言い訳したせいか、それは思っていたよりも小さな声になった。
だが、三人が三人とも、パチパチと目をしばたたかせて俺を見つめる。
全員、マジ? って顔をしている。
「マジ?」
最も早くそれを口に出したのは、大斗だった。まだ信じられないって顔で俺を見ている。
まあ、そうなるよな。
俺も、そう思うもん。自分でも、マジ? って。だって、頭こそ下げていないものの、あの兄貴に頼みごとをするなんて思ってもみなかった。少なくとも、兄貴は俺の目の敵で、俺的にはラスボスみたいなもん。生まれたときから、俺に劣等感を植え付けるために存在してんじゃねえかって感じの相手だ。できれば会話だってしたくなかったのに。
「……マジ」
本当に、夢だったんじゃないかって思うくらい現実味がないけれど、それでもやっぱり事実なのだ。
俺は、兄貴を頼ったし、兄貴はそんな俺に応えた。
俺が想像していたよりも、兄貴はマジでただの兄貴だった。俺がうがった見方をしていただけで、ただ、単純に弟のことを思っているだけの、ちょっとウザイ兄貴だったのだ。
たしかに、親が比較するのを可哀想に思ってはいるだろう。同情し、憐れんでいるところはある。
だが、だからこそ、そのぶんだけ、俺をなんとか救おうとしているのだろうとも思った。
兄はまっすぐで、俺よりほんの少しだけ地頭がよくて、俺より経験があり、俺よりほんの少しだけ、いろんなことに恵まれている。ただ、それだけだ。
話してみれば、意外と狡猾なところがあって、俺よりも怠惰で、俺よりも親に対して悲観的で、俺よりも多くの不安や心配にさいなまれている、普通の兄貴だった。
一位になったことのあるやつが言う、一位じゃなくてもいいんだって言葉は、皮肉でも、嫌味でもなんでもなくて、それ相応の経験からくる教訓だということも知った。
兄貴は兄貴で、大変、らしい。
「ウソじゃなくて?」
「嘘ついてどうすんだよ」
俺が笑うと、翔太の手からドーナツが落ちそうになった。圭介がなんとかそれをキャッチして、穏やかに笑う。
「なんか、よかったっつうか……いや、なんだろ、変な感じだわ。亮、ほんと、変わったよな」
「褒めてる?」
「ん? うん」
翔太にドーナツを渡し、圭介も大きなおにぎりにかぶりつく。圭介のわざとらしい適当な相槌がうそっぽくて、俺が「ウザ」と顔をしかめると、圭介の明るい笑い声が続く。
「なーんか、亮ちんばっかり、大人になってくって感じぃ?」
ぶすっと翔太が唇をとがらせる。
「なんで不服そうなんだよ」
「えー、わかんないけどぉ。寂しいじゃん? 俺もなんかそういう感じの話したいんですけどぉ。まおちゃんと進展したいんですけどぉ」
「まおちゃんって誰だっけ」
「猫カフェの子だよぅ!」
「ああ……。うん、まあ……うん、お前も頑張ってんじゃん?」
「あぁ! ほら! そういうとこ! そういうとこがウザい!」
「いや、まじで。お前の猪突猛進なとこ、俺、結構すげえなって思ったよ」
翔太のまっすぐさを見習わなければ、大道とも兄貴とも、うまくはやっていけなかったかもしれない。翔太は恋愛沙汰にはとにかく一途だ。切り替えが早いところはともかくとして。
俺が真顔で翔太を褒めたからか、翔太が再びドーナツを落としそうになった。
「……ヒロ、やばいかも。まじで亮ちん、おかしくなったかも」
「だな。翔太褒めるとかこの世の終わりだわ」
「いや、失礼かよ」
俺のツッコミに、翔太は複雑な表情で、大斗は意地悪な笑みで答えた。
「じゃ、今日は亮の成長記念ってことで? どっか行きますか? テストも終わったことだし」
「お、圭介から提案とか珍し」
「今日、部活ないからなあ」
「はいはーい! じゃ、猫カフェ!」
「こないだも行っただろ」
「いいじゃん! 亮ちん、俺のこういうとこ好きじゃん」
「ウザ。翔太のそういうとこ、ウザい」
「えぇ! ひどぉい!」
「はは、あ、てか、大道くんも誘う? 最近、全然遊んでないんだろ?」
圭介の提案に、俺は明を見つめる。明は相変わらず教室の隅でクラスメイトと飯を食べていた。
と、明は俺たちの視線を察したように、ふとその顔をこちらに向け……バチン、と視線が合った。
――はずなのに、明はフイと視線を外し、気まずそうにうつむく。
「は?」
それはどう見ても、俺を避けるような態度だった。




