5-8.
「お」
もう何度見たかわからない、借金返済完了のダンスを踊るキャラクター、その横に表示されたタイマーに、俺は思わず声を漏らした。
「え、まじ」
自己ベスト。それも、過去のものを大幅に塗り替えるタイムだ。
たしかに、うまくいっている感覚はあった。
完全な運要素である町のマップも悪くなかったし、タヌキから命じられるバイト――主に、町の住民たちに荷物を届けるウーバーイーツだ――もいつもよりスムーズにこなせた。そのあとの最も金を稼ぐのに便利なイースターイベントの卵集めもかなり運がよかった。
だから、これはあるかもって、頭によぎってはいた。よぎってはいたけれど。
まさか本当にこんなタイムが出せるなんて。
俺はなんとか興奮を抑え込み、すぐさま画面をスクリーンショットして、そのままRTAのサイトを立ち上げる。
国内外問わず、多くのプレイヤーが利用しているサイトには、様々なゲームのRTAの記録が掲載されている。
俺はそれを手早くスワイプし、どうぶつの町のアイコンをタップした。
画面上に、ズラリと記録が並んでいる。
どうぶつの町、借金返済RTA、春のチャート。
一位は……。
「十四分、二十五秒……」
俺はもう一度、自らの画面に映されたタイムを見つめる。
十五分五秒。
世界記録、四位。
「まじか」
俺はもう一度呟いて、ドクドクと高鳴る鼓動を抑えこむように、深呼吸を繰り返した。
三位は十四分五十六秒と、九秒差だ。そうでなくても、一位から三位まではわずか二十秒の中にひしめき合っている。
そこに、俺。
四十秒の差が大きいことはわかっている。RTAにおいて、この差はでかい。だが、それと同時に、この四十秒差が縮められるタイムであることもわかっている。
大会まで後一か月。
まだ改善できる操作もあるし、まだ、最高のマップじゃない。住民へのウーバーイーツも一か所ミスがあったし、卵集めだってレアな卵を一つ引けていない。
つまり、運さえよければ、簡単に縮まるのだ。
「いけんじゃね……」
あとは、運さえあれば、どうにでもなる。
運さえ。
そこまで考えて、俺は苦虫をかみつぶしたみたいに顔をしかめた。
「運って……どうすんだよ」
そもそも運にたよらず、安定して好タイムを出すのが前提なのだ。その練習もまだ足りていない。
通常のゲームコントローラーと違って、リモコン型のスティックを操作するせいか、キャラクターを最短ルートで走らせたり、正しいコマンドを入力するにももたついたりと、基本的な操作に慣れきっていない。
マップに描かれた家や店の配置を覚えるにも時間をかけすぎているし、住民の名前や顔も覚えきれておらず、ウーバーイーツの時間がかかることもある。
最も運要素が高い卵集めでは、金が少し足りないときもある。その対策やリカバリーはの方法だって、まだ調べきれていない。
それどころか――
『来週のテスト終わったら、久々にどっか遊びに行こぉ!』
スマホに表示された翔太からのグループメッセージを見て、俺は大きくため息を吐いた。
期末テストが目前に迫っているのだ。
いや、正直、勉強なんか適当にやっていればいい。圭介が先輩からもらった過去問を解いて、課題やって、あとはある程度ヤマをはる。そうすれば、そんなにひどい点数にはならない。なぜか、俺は、そういうことだけは得意なのだ。昔から、効率よく、楽をする方法を身につけている。
だから、ある程度の点数でいいなら、問題ない。
だが、もしも万が一、全体的に成績が下がった場合には、だ。母さんがいよいよしびれを切らすに違いなかった。
高校二年の、二学期の期末テストは、大学進学に影響するのよ。
最近の母さんの口癖だ。
つまり、ここで成績を少しでも下げようものなら、母さんは俺の部屋に勝手に入って、ゲームを取り上げるくらいはするだろう。俺がゲームにはまっていることは先日話してしまったし、それが勉学の妨げになっていると思っているのだ。短絡的な思考の母親がそれくらいすることは簡単に想像できる。
「だる……」
もう一度バイト代を貯めて買うほどか、と言われれば微妙だし、かといって、ゲームができなくなるのは困る。
俺はゲームデータをセーブして、モニターの電源を切った。コントローラーをできるだけ棚の奥に隠す。
勉強もしなければならない。いや、どちらかといえば、それが先決だ。成績さえ上がれば、あの母親は多分、ゲームのことにも多少目をつぶる。なんで一番になれないの、とそれしか言わなくなるに決まっている。
なんなら。
「一番さえ、とれれば」
俺は今度こそ奥歯で苦虫をかみつぶした。
いや、それができれば苦労しない。努力したって、どうせとれない。棚に並んだトロフィーの色が、賞状が、過去の俺が、毎日俺に話しかけてくるのだ。
お前は、一番になれない。
棚のガラス戸の中、情けない顔をした自分と目が合って、俺はそんな自分を睨みつけた。
「……違うだろ」
気づけば、口走っていた。
世界四位の記録なんて、今までの俺はとれなかった。もっと小さな世界で、二位とか三位だったんだ。今は世界だ。
それも、一位との差は見えている。その背中に手が届きそうなところまで来ている。
あと、一歩なんだ。
俺は、一番になれない。
……なんて、そんなの、誰が決めたんだよ。
俺はぐっと拳を握りしめて、立ち上がる。
RTAで知った。うまくなるためには、うまいやつから直接教わるのがいい。うまいやつは、チャットでもなんでも、素直に聞いて頼んでみれば、意外と心よく教えてくれる。俺をバカにせず、練習にも付き合ってくれる。
RTAで知った。一番になるためには、一番の真似をするのが最も効率のよいやりかただった。そいつのやりかたを真似て、できるようになるまで徹底的に練習して、体に叩き込む。
RTAで知った。練習は、一日数十分じゃ足りない。数時間でも、数十時間でも、嫌になるまでやる。
知った。知った、知った。
――いや、違う。
明が、全部教えてくれたんだ。
こんな俺でも、ここにいてもいいんだって。自分を認めていいんだって。過去の自分とか、嫌いな自分とかに、打ち勝つことが大事なんだって。一番になるためには、どんなことだって、やってみなくちゃ始まらないって。
そうすればできるんだって、実感もしてる。
勉強だって、同じだろ。
重い足を強い意志で動かす。俺のすぐ隣に、一番がいるのだ。ほんの数メートル先に、いい見本がいる。それを真似しないで、そいつに教わりもしないで、一番になれないことをひとりで嘆いている時間はただの無駄だ。
「……ムカツク」
ムカツクけど。あんなやつを頼らなくちゃいけないことも悔しいし、今まで反抗してきただけに恥ずかしいし、くそだりぃし、ウザイし、嫌だけど。
でも、もっと大事なことのために、今まで楽をするためだけにやらないできたことを、今、やらなくちゃいけない。
じゃなきゃ、一生後悔する。
明と、ゲームで一位になる。
そのために俺ができることは、なんだってやらなきゃいけないって、決めたから。
俺は扉を開けて、部屋を出る。ほんの一歩。すぐ隣に並んだ扉の前で足を止める。
扉をノックしようとして、俺はその手を止める。ほんの少しだけ残っているプライドが、俺の手を止めようと食い下がる。俺は必死にそのしがらみを頭から振り払って、怒りにも似た衝動的な、八つ当たりにも近い勢いに任せた。
木製の扉が、鈍い音を立てる。拳とぶつかった感触は冷たくて、俺の体をのけぞらせて、俺の足を自室に戻そうとさせた。
扉が開くまでの数秒が長く、長く感じる。
俺がツバを飲み込んだそのとき、
「どうぞ」
と兄貴の声が聞こえた。




