5-7.
部屋に戻ると、翔太たちが気まずそうに俺を見た。二階にまで母親の声が響いていたらしい、とそれだけでわかった。
「あー、悪い。今日は帰ったほうがいいかも」
ため息交じりに苦笑すれば、翔太たちも気遣ってますって感じの笑顔で答える。
「だねぇ。てか、亮ちんも大変だねぇ」
「比較対象チートだし」
「比べてもしょうがないのになあ。って、亮に言っても仕方ないか。ごめん」
「いいって」
「あ、亮ちん、見送りとかいらないからねん」
「玄関までは行くって。母さんに絡まれたらごめん」
「大丈夫、圭介いるし」
「おい、俺を盾にするなって」
三人が荷物をダラダラとまとめている間に、俺は玄関へ向かう。母親は本格的に夕食の準備を始めたらしく、リビングのほうから包丁とまな板のぶつかる音が聞こえていた。これなら多分、大丈夫だ。
俺が部屋から顔を覗かせる三人に合図を送ると、三人は手早く階段をおりてきた。
「じゃ」
「うん、また明日ぁ」
玄関先、翔太たちを見送って扉を閉めれば、一気に家の中が静まりかえる。リビングからの音もいつの間にか止んでいた。母さんが聞き耳を立てていたであろうことが簡単に推測できて嫌になる。
油断すると出てきそうになるため息をぐっと飲みこんで
「……さあて、勉強すっか」
わざとらしいくらい大声を出せば、リビングからは調理を再開した物音が聞こえた。我が母ながら、なんて単純な、と呆れてしまう。
勉強をしたところで、俺は一番になんて――いや、勉強も、ゲームも、なんでも、そうやって諦めてきたのは俺か。
「やるか」
今度は自分に言い聞かせて、階段を踏みしめる。
と、玄関扉の鍵が開く音がした。
「ただいまあ」
俺の落ち着いた心を再びざわつかせる声。リビングから、パタパタとスリッパの駆ける音と「おかえり」なんて猫なで声がそれに続く。
兄貴は母さんに笑みを浮かべ、そのままその笑みを俺に向けた。
「あ、亮の友達にそこであったよ。来てたんだ」
やっぱり。俺は眉間に寄せたしわを無理やりに引き延ばして、兄を見る。「ああ、うん」と適当な相槌をうてば、兄貴は「仲いいね」とこれまた当たり障りのない返答で俺に一層深い微笑みを投げかけた。
わずらわしいだけのやり取りが癪に障る。まじで最悪のタイミングすぎる。なに、今日、厄日? 俺、なんかした?
当然、そんなことに気づかない兄は、俺に爽やかな笑みを浮かべたまま、「あ、でも」と話を続けた。
「大道くん、いなかったね」
「……ああ」
また明の話かよ。いよいよ舌打ちが出そうになって、俺は足を動かした。残念なことに、兄がそれに続いて階段をのぼってきたから、会話を切ることはできなくて、
「最近、忙しいみたいだしね」
と聞いてもいない情報を話し始める。
そんな兄貴を無視して部屋に戻ろうと扉を開けたとき、
「なんか、元気なさそうだったんだよな」
独り言みたいな兄貴の言葉が俺を引き止めた。
「は?」
「学校だと、いつもと変わりない?」
「……別に」
普通だ。明はいたって元気だし、なんなら、前より少しだけ明るくなったんじゃないかって気がする。
だが、兄は本気で心配しているようで、「じゃあ、気のせいかなあ」なんて言いつつも、その言葉尻を濁した。
「なんで」
兄貴のじれったい態度に、考えるよりも先に口が動く。なんで、そんな風に思うのか。明が元気なさそうだって、塾でしか会わない兄貴がわかるんだって。
兄は少し考えこむようにうつむいた。珍しく俺を見ないままに、
「うーん……発言も、質問も少なかったし。なんか、落ち込んでるって感じかな。中間テストの点数がいつもより悪かったみたいで、それでかもしれないけど」
と、少し自信なさげに答えた。
いつも堂々としている兄でも迷うことがあるんだな、なんて。そんなことを考えながら、俺は普段の明をもう一度想像する。
もともと遠慮がちで控えめだし、一言で言ってしまえば地味で目立たない生徒だ。クラスメイトにも名前を間違えて覚えられるくらいには地味。だから、塾で発言をしている明のことはあまりイメージが湧かなくて、やっぱり、
「普通じゃね」
としか言えなかった。
兄もさすがに俺が二度同じことを言えば、納得せざるをえないらしい。心配をとってつけたような笑みで隠す。
「ま、亮が言うなら、俺の気のせいかな」
「……学校の明しか知らねえけど」
「期末テスト前だから、気が張ってるのかもね。あ、亮は……」
「勉強してるって」
結局そこかよ。母さんの手先かなんかなのか。
ずっと逃し続けていた部屋へ入るタイミングを見つけ、俺は自室の扉を開けて体を滑り込ませた。
扉を閉めれば、数秒も経たぬうちに、隣から扉を開ける音がする。兄貴は母さんほどしつこく俺を問い詰めるつもりはないのだろう。そうやって、いい兄を演じているのだ。勉強のできない、兄と比較されてかわいそうな弟を守っているんだって、そんな感じ。
いつもなら、そんな兄に嫌気がさす。
だが、今日は違った。兄貴のことよりも、明のことで頭がいっぱいだった。
俺はひとり、ベッドに寝転がってスマホのメッセージアプリを立ち上げる。
明の元気がなさそうだ、なんて。兄貴に言われるまで、全然気づかなかった。兄の思い過ごしの可能性もあるけれど……。
いや、たしかに。
俺は、明とのトーク履歴に、兄と同じ違和感を覚えてスワイプする手を止める。
「……いつまで家の用事かかってんだよ」
塾か、家の用事。いつから、そんな風になったんだろう。みんなに明が友達だって、一緒にゲームで一番目指すぞって宣言するまでは、普通だったのに。
俺はどうぶつの町のスタンプを送信して、既読のつかないままのそれを見つめる。
翔太の声が脳内で再生された。
――一緒にがんばろって言ったわけじゃん?
そうだよ。俺はスマホに向かって問いかける。
「一緒に、一位になるんじゃねえのかよ」
自動スリープになったスマホの暗い画面に自分の顔が映る。
まるで、迷子になった気分だった。




