5-6.
「あ、おい、やめろバカ翔太! 邪魔すんな!」
「わーい、卵ゲット~!」
「てか、翔太課題は?」
「まだぁ! え、やばい? 圭ちゃん、課題終わったぁ?」
「終わった。翔太に見せる義理はないけどなあ」
「ウソ! お願い! この卵あげるから!」
「全然いらない。それ、亮にあげたほうがいいんじゃない? 多分、欲しがるよ」
「くれ、課題、見せる」
「化けもんかよ」
「いえーい! はい、亮ちん、卵」
「サンキュ……お、これ! 高く売れるやつじゃね? 大斗、見て」
「お、まじ。レアじゃん」
狭い一人部屋にぎゅうぎゅうになっている俺たちは、かたや期末テスト前の課題に追われながらも、みんなでコントローラーを握っていた。
どうぶつの町、借金返済RTAで大会に出て、一位をとる。
そう決めてから早一か月。
学校帰りに部活かバイト、そうでなければ翔太の恋を叶えるために猫カフェへ通うか、どこかの店で寄り道をしていた俺たちは、あれ以来、なにもない日は俺の家に集まってゲームをするのが日課になっていた。
すっかり秋真っ盛りになった湘南地域は、海風が冷たくなって、外に出るのが億劫だ、ということも少し関係しているかもしれないが。
最初は下手くそだった翔太も、今では一般人並みの腕前になっていて、どうぶつの町に登場するキャラクターで推しを見つけたほどだ。
俺が必死に卵を探していると、「てかさ」と翔太が切り出した。
「大道くん、今日も来ないんだっけぇ?」
「あー、なんか、家の用事だって」
俺は翔太から課題と引き換えに手に入れた卵――もとい、それから出たレアな家具をタヌキに売りつけて、休憩、とコントローラーを手放す。
そういえば、あいつ、最近来ねえなって、明の顔が頭によぎった。
いや、学校では毎日のように顔を合わせているし、休日もお互いの都合がつけば、一緒にRTAの練習をしてはいる。
だが、以前なら毎日でも、と言っていた放課後の練習は、今じゃ週に一度顔を出すかどうかになった。
そもそも、明の家は俺の家と逆方向だし、学校まで自転車通学をしている明がうちまで来るのは距離的にもかなり面倒だ。夜まで練習して、電車に乗って、学校の最寄り駅から自転車に乗り換えて自分の家まで帰る、なんて、想像しただけでも体力的にキツイだろう。少なくとも俺なら嫌だ。
大道の家まで行くって提案も、当の本人に全力で断られてしまったから、仕方のないことではあるのだが。
俺はスマホのメッセージアプリを立ち上げる。
『今日、どうする?』『今日はちょっと用事があって。ごめんね』なんてやり取りがパッとスワイプしただけでも数個は目についた。
「でもさ」
俺がゲームを一時中断したことで、翔太も休憩モードに入ったのだろう。コントローラーを傍らに置いて、俺のほうへ体を向ける。
「一緒にがんばろって言ったわけじゃん? 俺たち、一位とろって」
「俺たちっていうか、俺と、明な」
「ままま、細かいことは置いといてぇ、俺が言いたいのはさ、一緒にがんばろって言って、亮ちんは毎日やってんでしょ? 大道くんはさぁ、大丈夫なのかなってことよ。てか、一緒にがんばるんだからさぁ、毎日サボらないでほしいわけぇ」
だらんと俺のベッドにもたれた翔太が、でしょ、と首をかしげる。純粋無垢な瞳は、自分の理屈がひとつも間違っていないと確信しているようだった。
その瞳に見つめられ、俺の心に言いようのない感情がふっと湧きあがる。
それを直視してしまったらなにかが崩れるような気がして、俺はぐっと口を引き結んだ。
「……家の、用事なら仕方ないんじゃね」
なんとかやり過ごすように、自分に言い聞かせるみたいに、俺はぐっと腹に力を込める。
「ま、あいつも色々あんだろ。多分、一人でも練習してっし」
「え~、そういうもん? ま、亮ちんがいいならいいけどさぁ」
翔太は言いながら俺のカバンを勝手にガサガサと漁って、
「とりま、課題ちょっと写していい? さすがにまずいしぃ」
と俺の課題を取り出す。
瞬間、よかった、と俺の心に安堵がよぎった。俺はそんな自分に、思わず、は? と自問する。
いや、なんで? なにがよかった? この会話が終わったことが? なんで。
なにかどす黒いものが、見てはいけないものが、気づいてはいけないものが、俺の中から溢れ出そうになって、俺は思わず立ち上がった。
「なに? どした?」
圭介の驚いたような声が、大斗の怪訝な視線が、俺に突き刺さる。それが俺を現実に引き戻してくれて、俺は「あ、いや」と取り繕った。
「茶、とってくる」
これ以上、翔太との会話の意味を考えてはいけない。
俺は三人にすぐ戻るとだけ言い残して、慌てて部屋を出た。思い出してしまわないように、目の前のことに意識を向ける。階段の段数、フローリングの木目、履いているスリッパを買った場所。
リビングの扉を開ければ、
「なに? お菓子ならないわよ」
冷たい視線を俺に向ける母親の姿。
「別に。茶、とりに来ただけ」
これ見よがしに台所に立った母さんが、冷蔵庫から食材を取り出していく。そのついでに出されたボトルが、シンクの上でドンと鈍い音を立てた。完全なる当てつけだとわかる音だった。
「期末テスト、もうすぐでしょ」
母さんが食器棚から取り出したサラダボウルも、やはり鈍い音を立ててシンクに鎮座する。ゆがめた顔を見られぬよう、俺は母さんの後ろに回った。
「聞いてるの?」
「ああ」
「……ああって、ちゃんと勉強してるの?」
「してるって」
「ゲームばっかりしてるじゃないの」
「勉強もしてる」
「そんなこと言って。こないだの中間テスト、ひどかったじゃない」
母さんは、プチトマトのヘタを取り除くたびに、小言を言わなければ死ぬ呪いにでもかかっているのだろうか。
俺は母さんをなるべく視界に入れないよう、できるかぎり手早く麦茶をカップに注いでいく。
「……ほんと、誰のせいかしら。お兄ちゃんはこんなことなかったのに」
「兄貴、兄貴って……」
「あの子たちのせいでしょ」
「は?」
明らかに反抗の意志が混ざった声になって、俺は咄嗟にその衝動を口内でかみ殺す。
「あの子たちがゲーム好きなんでしょ?」
「……俺がはまってんの。あいつらは付き合ってくれてるだけ」
茶を冷蔵庫にしまいこむ。気持ちもしまいこめればよかったのに、うまくはいかなくて、冷蔵庫の扉がバタンと乱暴な音を立てた。
「ちょっと! 扉バンバン閉めないでっていつも」
「わかったって!」
声をあげて、ハッとした。
俺が母さんを見れば、母さんは顔をこわばらせていた。しだいに、その体がわなわなと震えだす。
あ、まずい。
そう思ったときには、金切り声が響いた。
「あんたねぇ! その態度! いつもいつも!」
悪手だった。母親の小言を効率よくかわす方法なんて、いくらでも知っているはずなのに。
だが、どうしてか俺はその方法を再現することができなくて――それどころか、その聞きなれているはずの金切り声が痛くて、ウザくて、
「てか! ゲームが好きなのは明だよ! 大道明! だからなんだよ!」
俺はどうしてか、そんなことを口走っていた。
途端、母さんの声が途切れ、その目は驚きで見開かれて固まる。
体の先端から、一気に冷えていくのがわかった。
言いたかったことは、そんなことじゃなくて。
「……俺も、好きでやってんだよ。人がやってることに、いちいち文句つけんなよ」
本心を言っても遅くて。
俺は、明のせいにしたことに、自分の言葉に、自分で傷ついたのだと理解して。
気づけば、せっかく入れたはずのお茶も持たずに、リビングを飛び出していた。




