5-5.
大会への出場が決まったことで、俺と明の特訓が始まった。
俺はバイトのシフトを明の塾に合わせて放課後の時間を捻出し、明は明で、土日でも俺の家まで来るようになった。
かくして、まだ夏の暑さが残るシルバーウィーク、いつもなら翔太たちと遊びに出ている俺は、明と部屋でゲームに勤しんでいる。
俺は、隣で画面にかじりついている明をチラと盗み見た。
明と一緒にいるのも、ずいぶん慣れた。もはや、一緒にいない日を数えるほうが楽なんじゃないかってくらいだ。
俺はしっくりと馴染んだ隣人を見つめ、変なの、と一人苦笑する。
数か月前までは考えられなかった。明が俺の部屋で、ゲームをしているなんて。いや、そもそも、大道明というクラスメイトを名前で呼ぶことすら想像できなかった。
画面の中で、ニジイロクワガタを一緒に追いかけるなんてもっての他だ。
コントローラーを必死に操作しながら
「てかさ」
俺はその違和感を雑談程度に切り出す。すると、明のコントローラーから音が止んだ。
ゲームしながら会話をすればいいのに、ゲームしながらでも口は動かせるのに、こいつのこういう律儀なところがどうにも嫌いになれなくて、俺も見習って手を止める。
画面の中の少年は、タヌキにニジイロクワガタを売りつけて、喜んでいた。
「毎回、うちまで来んの、大変じゃねえの?」
高くないとはいえ、電車賃だってバカにならないだろうに。特に明は、バイトもしていない。いや、正しくはしたこともない、らしい。となると、小遣いをやりくりしていることになるが、どう考えても一介の高校生に与える小遣いでは少ないだろう。明の家がよほど金持ちなら別かもしれないが、明いわく、多分普通、なのだそうだ。
俺からすれば、迷惑になってねえの、ってそれくらいの感じで聞いたつもりだった。それ以上でも、以下でもなく、深い意味はなかった。
だが、明は俺の質問の真意を探っているらしい。困ったような顔で、
「あ、え、えと……ご、ごめん」
と謝った。
「いや、なんで」
「だ、だって、い、いつも、新野くん家で……」
「だから亮でいいって」
名前呼び、定着しねえなあ。俺が遮ると、明はますます困りましたって顔で俺を見つめる。
「あ、りょ、亮、くん……」
「うん。で、なに」
控えめな明を促す。明は息を整えて、
「そ、その、迷惑、だよね。普通に考えて、ご、ごめんね。ずっと、気づかなくて」
最後のほうはもはや蚊がなくような声で頭を下げる。
そんなつもりで言ったんじゃないのに、こいつは本当にネガティブすぎるというか、なんというか……。
過去のいじめを相当引きずっていることだけがわかって、俺は頭をかく。こういう少しのわずらわしさが、俺と明の距離を表しているみたいで心がざわめいた。
こいつの一番にすら、まだなれない。
俺はつきそうになったため息をすんでのところで飲み込んで、
「そういうんじゃなくて」
と言葉に変換する。明にため息は厳禁だ。特に、この状況下では。きちんと言葉にしなくちゃだめだ。
「金とか、大丈夫なのかってこと。親とか。なんも言わねえの」
俺がはっきりと聞きたいことを問えば、明は途端に安堵したような顔つきになり、そして、再び困ったような顔に戻った。いや、困った、というよりはまるで反省でもしているかのような、自分を戒めているかのような、そんな顔に近い。なにが違うとははっきり言えないけれど、とにかく、明の誤解は解けたらしい。
「ご、ごめん……ぼ、僕……勘違いして」
「別にいいって。で、大丈夫なわけ?」
「そ、それは」
明が珍しく言いよどむ。明らかになにかを言いかけて、それを口の中に仕舞い込んだのがわかった。もごもごと口を動かして、明は顔を伏せる。
「ちょ、ちょっと、だけ……大変、だけど」
大変なのかよ。だったら早く言えよ。
オドオドしている明に思わずそんなツッコミを入れそうになって、俺は再び自制する。
「俺が、お前ん家まで行ってもいいけど」
提案の形に変える。それだけで、随分印象が変わるんだってことも、明と付き合いはじめてから知った。
これなら、明を怯えさせることもない。
が、
「そ、それはダメ!」
明の声が急に大きくなった。
「え」
今度は俺が驚き、困惑する番だった。
「……あっ」
我に返った明が、置いていたコントローラーをぎゅっと握りしめる。膝を抱えて小さく丸まって座っている明の姿は、強がりな子供みたいにも見えた。
「ご、ごめん……。でも……う、うちは、ダメ、だと思う」
メガネの奥に見える意志の強い瞳が、泣いているみたいにゆらゆら揺れている。
なんでって、聞いちゃいけないような気がして、俺は「あ、そ」と無理やりに相槌をうった。
これ以上は踏み込むな、と『止まれ』を促す白線が明と俺の間にはっきりと見える。
「それなら、別にうちでいいけど」
不満をあらわにしないように、できるかぎりの平静を装って笑う。
俺の家を使うことは実際なんの問題もないわけで、明が毎日遊びに来たって、なにか困ることがあるわけではないのだ。
むしろ、母さんは明をずいぶんと気に入っているようで、明が来た日は機嫌がいい。だから、俺からすれば助かってるくらいだし。
明がホッとしたように笑うのを見つめて、先ほどのことは頭から追いやることにした。
なぜ、あんなに拒否されたのか。その理由を考えても、いいことなど一つもないような気がする。
これで終わり。
俺はコントローラーを握りなおして、その意志を伝える。
「……続き、やろうぜ」
これでいい。なんて、久しぶりに自分に言い聞かせていると思った。だが、これでいいのだ。俺は『ゲーム再開』のコマンドにカーソルを合わせる。
俺たちは、ゲームさえできれば、それでいい。
「こ、これが終わったらさ、あ、秋のチャートもやってみない?」
「だな」
明の提案を受け入れて、俺はスタートボタンを押し、タイマーを動かす。
心にひっかかった小さな違和感を振り払うように、二匹目のニジイロクワガタを探して画面の中の少年を走らせた。




