5-1.
教室の前、どっちの足を先に出すかとか、どんな力で戸を開くとか、第一声の大きさとか、いつもなら考えたこともないようなことを考えて、俺はぐっと足に力を込めた。
扉にゆっくりと手をかけ、息を吸う。
この扉を開けたすぐ先に、明がいる。学校で会うのは夏休み前以来だし、そもそも夏休み前は教室で明と話すなんて考えられなかった。
けれど、昨日の今日で、じゃあ教室では今までみたいに他人でって、そんな風には思えなくて。
俺はお前の友達なんだって、明に信頼してもらうためにも、絶対に今まで通りじゃダメで。
大丈夫。ただ、昨日の続きをすればいい。コンティニューボタンを押すだけだ。
俺は大きく息を吐いて、ぐっと扉を引く。
「……明」
俺が声をかけると、猫背がかすかな震えを伴ってピンと伸びた。
「はよ」
明の前に座っていた彼の友人は、「え」と目を丸くして俺を見つめている。
明はぎこちなく振り返り、俺に「お、おはよ」と遠慮がちな挨拶をひとつ。驚きが含まれていることが手にとるようにわかった。
こっちは決死の覚悟だったのに、なんか冷たくね? そう思うものの、たしかに、今までの俺たちの関係性を考えれば、そんな簡単には変われないよなって、俺はそれ以上明を責めるのはやめた。
でも、夢だって思われたくはなくて、俺はお前の友達だぞってやっぱり示しておきたくて、俺は目の前で驚いている明の友人の視線にかまわず、話を続ける。
「次のゲーム、決めた?」
まばたきを繰り返していた明の目が、ようやく俺を見据えた。夢じゃないってことは信じてもらえたようだった。
「あ、え、えっと……まだ、決めきれてなくて……」
「じゃ、ラインに候補送っといて。全校集会の間に調べとくから」
「えっ、だ、ダメだよ! 見つかったら怒られちゃうよ!」
明があわてふためく。その様子に俺が笑うと、明だけでなく、明の友人もいよいよ今この時間を現実と受け止めたらしかった。驚きと興奮がみるみるうちに顔へと現れていく。
俺たちのやり取りにも、多分、俺自身にも、思うところがあるのだろう。夏休みの間になにがあったんだって、俺だって同じ立場ならそう思う。
俺はあまり明をからかいすぎないように、明の友人に色々と絡まれる前に「冗談だって」と話を切る。不用意に会話を長引かせるのも迷惑になりそうな気がして、今言っておかなくちゃいけないことだけを頭の中で整理する。
夏休みが終わっても、友達だぞって明に宣言できただけで充分な気もして、あまりたくさんのことは思い浮かばなかったけれど。
ひとまず、次の約束さえ取り付ければ、それ以上は必要ない。
「とりあえず、あとで相談しようぜ」
「う、うん! じゃ、じゃあ、あとで」
俺の提案に、明がようやくいつもの笑みを浮かべた。いつもの、といってもどこか緊張が混じっているのがわかる。多分、周りの視線を感じているからだろう。珍しい組み合わせに好奇の視線が集まってしまうのは仕方のないことで、こればかりは慣れてもらうしかない。
俺だって、
「亮ちん、今のどういうこと⁉」
「詳しく」
「大道と話すなんて珍しいよな」
なんて、席についた途端に、翔太たちから絡まれることには慣れていなくて
「うぜぇ」
とつい本音が漏れた。かまうなって顔に出したつもりだったが、翔太たちに……いや、特に翔太にはそれが通用するはずもなく、翔太がズイとこちらに体を寄せる。
「いやいやいや! だって、大道くんだよ⁉ いつの間に仲よくなったの⁉ っていうか、なに、亮ちんそもそもゲームとかあんまやんないじゃん!」
教室中に響く翔太の声に、周囲から先ほどとはくらべものにならないほどの視線が集まる。みんなが聞き耳を立てているのは明白だった。
興味や好奇心といった純粋な遠慮のない気持ちに教室全体が支配されている。
そのことに、俺はいいようのない嫌悪を覚え、
「……別に」
なんでもいいだろ、そう答えかけて――口をつぐんだ。
こうやってはぐらかして、なんの意味があるんだって、そんな問いかけが俺の中に木霊した。
これじゃ、明が俺を信用なんてするはずない。昨日、せっかく打ち明けてくれた秘密を、俺が台無しにしていいわけがない。今まで通りじゃ、ダメだ。決めただろ。そうやって、始めたのは俺だろ。
俺は腹に力を込めて、覚悟を決める。
――ここで変わんなきゃ、一生このままだって。
「友達になっただけ」
俺の言葉に、教室がシンと静まり返ったような気がした。窓の外から聞こえる波の音は穏やかで、続けて鳴り響いた校内放送のノイズすらクリアだった。
「だから、別に普通だろ」
沈黙を打破するために、言葉を続ける。
できるだけ、当たり前に、平凡に、けれど、ちゃんと真剣だって伝わるように、明の喋りかたを真似していつもよりほんの少しゆっくりと丁寧に発音すれば、その言葉は自分の体の奥底にもストンと落ちて、綺麗におさまった。
一瞬の沈黙のあと、翔太だけは驚いて、大斗はいつもの無表情で、圭介はやさしく笑った。
「えー! まじ⁉ 嘘! なんで⁉」
翔太の声が弾ける。途端、さっきの沈黙が俺の気のせいだったんじゃないかってくらい、教室には賑わいが戻った。
「翔太、うざ」
「え、ヒロは知ってたってことぉ⁉」
「……知ってたつか、昨日の、ケンカした相手、大道だったんだって察しただけ」
「うそぉ! 圭ちゃんは? 圭ちゃんも知ってた?」
「俺も大斗と一緒かな。そもそも、亮と大道くん、図書委員一緒だったじゃん。むしろ、もっと前から友達じゃんって思ったけどね」
「え~! 俺だけ仲間外れなんですけどぉ! さみしいんですけどぉ」
メソメソする翔太に抱きつかれた大斗は、うざそうに翔太を引きはがしながら、
「キモすぎ。てかこの年になって誰と誰がどうとかどうでもよくね」
と俺に視線を送る。
そう、そうだよな。誰がどうとか、興味ないんだよ。
でも、切りそろえられた紫の髪、その向こうから覗いた瞳はいつもよりもやわらかなものに見えて、大斗のこういうところに支えられてるかもなって柄にもなく思う。
「……だよな」
俺が笑うと、圭介が翔太の頭をわしゃわしゃと撫でる。なぐさめているというよりも、翔太をからかっているようだ。
「亮をとられて寂しいんだよなあ、翔太は」
翔太は翔太で「そうなのぉ」と本気か冗談かわからないトーンで笑う。
だから、俺のほうが呆気にとられた。
「てか、それだけ?」
「いや、それだけってなんだよ」
「俺、もっとおもしろい発表期待してたわ」
「……大斗のそういうとこ、まじうぜぇ」
俺が顔をしかめると、大斗はいつもの意地悪な笑みを浮かべて
「お前、かっこつけすぎ」
と俺の肩を軽く叩く。それを聞いた翔太と圭介は
「「わかる」」
と声をそろえた。そこまで言わなくてよくね。ってか、悪口じゃね。
あっという間に明との関係を受け入れた三人に、俺は肩透かしをくらう。けれど、心の底から湧いてくる安堵にはかなわなくて、結局笑ってしまった。
「わかんなよ」
俺がツッコむと、翔太たちもいつも通りに笑ってみせた。
「でも、そういう亮ちんも好きだよ」
「翔太、キモ」
「とか言って、大斗も亮のこと好きだよなあ」
「うざ。圭介が一番うぜえ」
「俺は別に、みんなのこと好きだけど。いい友達だなって思ってるよ。なあ、亮?」
爽やかな、嫌味のない顔で圭介が俺を見つめる。つられて、翔太と大斗も俺を見た。三人の視線はうるさいほどに生暖かい。
「まじでお前ら、うるせえよ」
強がって、わざとらしく顔をしかめる。
ありがとうって、お前らもいい友達だよって素直に言うには、まだ時間が必要で。悔しいかな、やっぱりかっこつけてんだなって俺は自分のダサさを自覚した。
現実逃避するように視線を背けた窓の外、海が輝いていた。




