4-4.
『今、どこ』
考え抜いた結果、素っ気なくなってしまった俺のメッセージに既読がついたのは、俺が茅ヶ崎の駅に着くころだった。メッセージが見れなかったことに対する謝罪と、ちょうど塾が終わったということと、塾は茅ヶ崎の駅前にあることがツラツラと長文で返ってきている。
よほど慌てていたのか、普段生真面目なあいつにしては誤字の多い文章に俺は思わず笑ってしまった。
嫌われたとか、そんなんじゃなくてよかったって、安堵した気持ちも混ざっているような気がする。
俺は通話ボタンをタップする。それは三コールも待たずにつながった。
「も、もしもしっ⁉」
ひっくり返ったような上擦った声は、たしかに彼のもので、そのことにすら俺はどこかでホッとした。
「あー……急に、悪い」
「ぜ、全然! 大丈夫! む、むしろ、僕、ぜ、全然メッセージ見れてなくて。返信、できてなくてごめんね」
「いいって。俺も、こないだは悪かった」
「だ、大丈夫! そ、その……僕も、ごめん」
「お前、なにも悪くねえじゃん。謝んなって」
塾を終えた高校生の軍団からスマホ片手に歩いているやつを見つけ、
「大道」
俺はその名を呼んだ。
実に一週間以上ぶりの名前が、案外口に馴染んでいることに驚く。
スマホを手にしている大道はキョロキョロとあたりを見回した。こちらに気づくと、すぐにパッと顔を明るくさせる。ご主人さまを見つけた犬と同じ顔。まじで犬じゃん。
俺は通話を切って手をあげる。
「……あー……なんか、久しぶり」
いつもどおりに振舞うつもりだったのに、言葉が濁った。ぎこちない俺の挨拶にも、大道は「久しぶりだね」とはにかむ。
だが、大道は急になにかに気づいたように「あ!」と声をあげる。
「っていうか、な、なんで、新野くんがここにいるの⁉」
聞くなよ。俺は素直にそう思ったけれど、もう、ごまかすのはやめたかった。
自分自身を偽って、変にかっこつけて、傷つかないように守ってばかりいるのは、もうやめたかった。
「……お前と、もう一回、ゲームしたかったから」
瞬間、スッと体が軽くなったような気がした。
遅れて子供みたいな理由に恥ずかしさがこみあげる。くすぐったくて、逃げ出してしまいたくなる。
それでも、不思議と気持ちは清々していて。
大道の驚きがまざった、けれど、嬉しそうな顔を見れば、これでよかったんだってわかる。
大道ともう一度ゲームがしたい。
それだけで、よかったんだ。
塾から解放された学生たちのおしゃべりが、俺と大道の横を通り過ぎていく。セミの鳴き声が踏切の音にかき消されて、大道の声は電車の走行音にかき消された。
大道の表情を見れば、大道がなんて言ったかなんて簡単に想像できるけれど。
「それだけで悪いかよ」
想像した言葉に返答すれば、大道はブンブンと首を大きく横に振って笑う。多分、嬉しいって言ってる。
「……メッセージ、返ってこなくて、まじで後悔して。とりあえず、来てみた」
「あっ、ご、ごめんね! その、ちょっと色々あって」
「色々?」
今度は大道が顔色を変える番だった。ごまかすように苦笑いをして、大道は黙り込む。
大道は、隠しごとなんてしないタイプだと思っていた。けれど、RTAの大会のこととか、今とか、多分、大道にも触れられたくないところがあるんだって、今ならわかる。
翔太たちが俺にそうしてくれたように、俺もそれを受け入れて大道の隣に並んだ。
「別に、話したくなかったらいいから。とりあえず、どっか入ろうぜ」
暑いし、ともっともらしい理由をつけて歩き出す。
駅前のコーヒーショップに入れば、大道はやはりおっかなびっくりに店内を見回していた。
「め、メニューの名前が、長い店だ……」
「はあ? なんだそれ」
「な、なんとか、フラペチーノ……なんとか……」
「大丈夫だって。わかんなかったらメニュー指させ」
「め、メニューいっぱいあるよ⁉」
「あー、じゃあ、季節限定のやつ。うまいからオススメ」
俺は大道の隣で明らかに不慣れな注文を聞き、大道に席をとらせて、大道の分も支払いを終える。押し掛けたからにはさすがに奢りたくて、それが今日、俺のできる精いっぱいのかっこつけでもあった。
「あ、ありがとう」
大道は季節限定のフラペチーノを一口すすって、こんなにおいしい飲み物初めて、と店内に響き渡りそうなくらい大きな声で絶賛し、それから俺を見て嬉しそうに笑った。
「……ありがとう」
二度目の感謝は、やっぱり俺が知っている以上の意味を含んでいるような気がする。
こいつが言葉を大切にするのは、普段、話すのが苦手ってことと関係しているのかもなって、不意にそんなことを思った。
「別に。そんな、感謝するようなことじゃないから」
「うん。そうかもしれないけど、でも……うん、嬉しくて……夢みたいだなって」
大道はフラペチーノを大切そうに飲み、へらりと頬を緩める。それから、大道はもったいぶるようにストローでフラペチーノをかき混ぜると、ゆっくりと口を開いた。
「僕……嫌われたのは、僕のほうじゃないかって、ずっと思ってたんだ」
大道は俺を見ることなく、ぐるぐると渦をまく手元の液体を見続けている。
「新野くんに、信頼してないって言われて、僕……すごく反省したんだ。心のどっかで、やっぱりそういう自分がいたんじゃないかなって」
俺はコーヒーに口をつけようとして、その手を止めた。聞いてないと思われたくなかった。できるかぎりの丁寧さで、うん、と相槌をうつ。
大道は一瞬顔をあげ、俺を見つめた。
最後に見たときから、ほんの少しだけ伸びた前髪の奥。いや、わざと目を隠すようにしているのかもしれない。メガネのガラス越しに、泣きそうな、けれど、涙を一つもこぼしはしない透明な瞳が見えた。
「……僕、中学のとき、いじめられて」
いつもは明瞭な、心地のよい大道の声が、消え入りそうなほどかすれて震えていた。
「親友だって思ってた子だったんだけど」
「……まじか」
「うん。その子、新野くんみたいに、みんなの中心にいる子で。憧れだったんだ。だから、ゲームで仲良くなって、嬉しくて。僕、その子に配信のこと話したんだ。その子も、配信見てくれるようになって。でも……それから、僕のこと気に入らなくなったみたいで」
多分、大道はどうしてそいつから嫌われたのかわからなかったのだろう。だから、余計にトラウマになったのだろう。
「いじめられて、僕、怖くて」
大道は手の震えをごまかすように、フラペチーノを何回も、何回も混ぜた。
悔しいけれど、俺は大道のことをいじめたやつのことを責める気にはなれなかった。大道には言えない。
大道のことを、そいつがどう思っていたか。
大道のことを知って、そいつがどう思ったか。
俺も一緒だったから。
「高校に入って、ちょっとずつ、平気になってきて。ゲームのこととか、話せるようになってきてたんだけど……配信のことだけは、言えなくて」
大道の手が止まる。俺の指先に、カップから滴った結露が伝う。
「……だから、言えなかった。ごめんね」
大道はへたくそな作り笑いを浮かべて俺を見つめた。
「……謝んなよ」
聞いている俺が泣いてしまいそうになるくらい、痛々しかった。
悪いのはそいつや俺で、大道はなにも悪くないって、咄嗟に言えない自分が情けなかった。




