4-1.
隣でマルオカートを一生懸命に解説する大道の姿と、先日、きらめきメモリアルをプレイしていたメイの声が重なる。
「新野くん?」
聞かれて、俺はハッと我に返った。モニターに映ったマルオは周回遅れでブレーキを踏み続けている。俺みたいだ、なんて、馬鹿な考えがよぎった。
俺は握っていたコントローラーを下ろす。段ボールで作ったそれは湿気に弱くて、汗なんかもってのほかで、操作性は悪いし、ゲームセンターでプレイする何倍もうまく運転ができなくなっている。
俺の部屋は、クーラーだってガンガンに効いているはずだけど、麦茶の入ったグラスは結露で机に水たまりを作っていた。
「……どうか、したの?」
不思議そうに俺を覗き込む大道に、俺はただ目を向ける。
俺じゃなくて、お前は。お前は、どうもしねえのかよ。
まだ、RTAの大会に出ていたメイが大道と決まったわけじゃない。大道が、RTAの大会できらめきメモリアルをプレイして、先日自分が打ち出した世界新記録とやらをまた更新して、世界中のいろんなやつから祝福の言葉を投げかけられて、動画配信サイトで数万回再生されるような、そんなすげえやつだって、決まったわけじゃない。
それなのに。
「具合悪い?」
大道の声を聞けば聞くほど、俺みたいにお遊びでやってるような、一位になりたいって子供みたいなわがままでゲームしてるやつとは違う世界の人間なんじゃないかって。
「あ、他のゲームにする? やっぱりこれ、ちょっと難しいよね。僕、あんまり練習できなくてさ。もっと操作性とかいいのかなって思ってたから」
こいつも結局は、一位を取れるやつで、俺なんかとは全然釣り合わないんじゃないかって。なんで言ってくれないんだ、とか、俺だって祝福するくらいの気持ちはあるのに、とか、本当は俺のことずっと馬鹿にしてたんじゃねえのって。
――そんなこと、思いたくないのに。
「……一位、おめでとう」
声に出した瞬間、大道の目がみるみるうちに見開かれた。大道の手に握られていたコントローラーが床に転がって、思っているよりも重たい音がした。
テレビからは次々とゴールしていくキャラクターの声が聞こえる。
「あ、えっと……その、ありがとう」
照れたようにはにかむ大道は、会わない間に少し前髪を切ったらしい。いつもよりよく顔が見える。想像していたよりも長いまつげや、笑ったときにできたえくぼを初めて見たせいで、まるで知らない人と話しているみたいだった。
「なんで、隠してんだよ」
「え……あっ」
困惑が失態を含み、大道の目がレンズ越しに泳いだ。
「……か、隠してたとかじゃ、なくて。その、言うタイミングがなかったっていうか……。そ、そもそも! ぼ、僕なんか、新野くんに見てもらえるほどのものでもないし! っていうか、ほら、新野くん、べ、別にきらメモとか興味ないでしょ?」
そのむなしい笑い声が、俺の心を無性に苛立たせた。
「なんだよ、それ」
一位をとれるやつが、僕『なんか』って言うのが気に食わなかったのかもしれない。
俺が大道のゲームを、すげえって素直に思ったゲームを、興味ないって一言で片づけられたからかもしれない。
だけど、本当のところ、なんでこんなに腹が立つのかなんて、微塵もわからなかった。
わからないから、余計にイライラした。
「僕、普段、マルオとかやんないし……。きらメモばっかだし。あ、新野くんみたいな人にはあんまりわかんないっていうか」
「たしかに、よくわかんねえよ。RTAの大会も見たけど、意味不明だったよ。だいたい、専門用語多すぎなんだよ。身内で盛りあがってるし。お前、ヘラヘラしてるし。普通に友達いんじゃん。有名人でさ」
笑いたくもないのに、鼻から漏れた息が乾いた笑い声になった。
「……一位、簡単に取って、僕なんかって、腰低すぎて逆にうぜえよ」
大道の丸々とした目からは涙がこぼれてもおかしくないほど、大道の顔は哀しみに満ちていたのに、涙の一滴も落ちなくて、代わりに大道はへらりと目を細めて見せた。
「……ご、ごめん」
配信で聞いたものよりも数倍小さな声量だった。
「新野くんを馬鹿にしたわけじゃなくて……。その、ぼ、僕、ほら普段から別におもしろくないでしょ? だ、だから、僕なんかの配信とか、多分、面白くないっていうか……いつも、僕と一緒にいても、つ、つまんないよね」
「そんなの、お前が決めんなよ」
なんだよ、これ。だせえ。
俺はモニターの電源を消して、コントローラーを片付ける。
「別に、ゲームも、RTAも、面白かったよ」
こんな話がしたかったわけじゃない。なのに。
「お前が配信してるって言ったら、喜んで見たよ。応援だってした。RTAの大会も、すげえって思って見てたよ」
「あ、新野くん……」
「なのに、お前は……。ゲーム配信のこと、隠すくらいに、俺のこと、どっかで信用してねえんじゃねえの」
大道がそんなこと、思うわけないって、知ってるのに。
「ち、ちが!」
俺は、こいつの隣に並ぶ資格なんてねえって、そのことが、ただ、悔しいだけなのに。
「もう、いいわ。どうせ、俺、一位とかとれねえし」
大道の荷物をまとめて押し付ける。顔はもう見れなかった。
「悪い……。今日、バイトだったわ」
せめて、この嘘を、君が信じてくれますように。
「今日は帰ってくんね」
押し付けたリュックが俺の手から静かに離れていく。
「ごめんね」
背後で締まった扉の音が、泣いているみたいに聞こえた。かすかに、またね、と聞こえたような気がして、それが俺の空耳なんかじゃなければいいのにって、そう思うしかできなくて。
ただの劣等感を押し付けた。
大道は、なんにも悪くないのに。
階下から「あれ、もう帰るの?」って母の声がした。「お邪魔しました」って愛想のいい返事も。それから、少しして、玄関先の門が開く音と、自転車のストッパーをあげる金属音。それをかき消すみたいな飛行機の音。
窓の外の青い空に、飛行機雲がまっすぐ横切っていく。俺の心を真っ二つにするには、あまりにも白くて、眩しすぎる。
――全部、最悪で、最低だ。




