3-10.
「まずは、きらめきメモリアル、通称きらメモの説明を簡単にさせていただきます」
大道によく似た人物――メイは、そう言うと、先ほどまでの緊張を隠して流暢に話し始めた。
きらメモは今から三十年ほど前に発売された恋愛シミュレーションゲームであること。
主人公はきらめき学園に通う高校生であること。
卒業式の日に伝説の泉(学校内にある噴水をそう呼んでいるらしい)の前で告白されると永遠の愛で結ばれるという単純なストーリーであること。
とにかく、そんな分かりやすさがこのゲームの素晴らしいところ、らしい。
ゲーム性もシンプルなもので、プレイヤーは入学から卒業までの三年の間、クラスメイトや先輩、または後輩、攻略対象と呼ばれる女性陣と付き合えるように様々なステータスを上げていく必要があるという。上げたステータスによって、攻略できる女性陣が代わるだけでなく、ときには関係のない女性たちが現れていわゆる『邪魔』をしてくることもあるんだとか。
「このRTAでは、できるかぎり、この邪魔者……失礼しました、恋の行く手を阻むかわいい当たり屋を避けていくことが重要になるんですが」
メイの軽快なトークで、会場から笑い声が漏れる。メイはリモートでこの大会に参加しているが、どうやら会場にはリアルタイムで音声が届けられているようだ。
「このかわいい当たり屋さんたちはですね、完全にランダムで登場するんですよね。人生と一緒で運ゲーなんですよ。なので、今回は皆さまにお祈りをお願いしたいと思います」
お祈り?
言葉の意味がわからず、俺が首をかしげると、画面のコメント欄になにかを祈っているようなキャラクターのスタンプが流れてくる。おそらく言葉以上の意味はないのだろう。運の要素が絡むゲームにおいて、なのか、それともRTA界隈で、なのかはわからないが、お祈りはおなじみの言葉らしい。
一通りコメントが流れ切ったことを確認したのか、メイは「で」と切り出した。
「今回誰を攻略するのか、というのがみなさん気になっているポイントかと思いますが」
たっぷり溜めるように間を一拍。会場からはどよめきが起きている。
先ほどの説明だけでも主要な攻略対象は四人。
それぞれでクリアタイムが変わるらしく、メイはつい先日その四人の中でもメインヒロインにあたる女の子の最速記録をたたき出したのだという。
皮肉にも、大道と同じだ。つい先日、というのが、どれくらい先日かわからないけれど。
まじで、こいつ、なにもんだよ。
ワイプの中でメイの手が動く。なめらかなコントローラーの動きにあわせて、ゲーム画面にはキャラクター図鑑が表示された。
「こちらのキャラです」
「は?」
メイが表示したのはどう見ても男。
「みなさんお馴染み、親友の乙女くんです!」
瞬間、コメントが洪水のように流れていく。『隠しエンディングじゃん』『特殊ルートGG』『乙女くんきたー!』それらすべての文字はまさに踊っているようで、期待と熱狂が画面を超えてあふれている。
親友の乙女くんは、通常、主人公をサポートする役割としてのみ登場するらしいのだが、ある特殊なステータス調整をしたときのみ、乙女くんとの苦くも熱い友情エンドを見ることができるらしい。
「このルートでは、なにを隠そう……そうです、すべての女の子が当たり屋と化します」
メイがまるでホラー映画を語るかのように言うせいで、会場がシンと一気に静まり返る。かくいう俺も、なぜかわからないが生唾を飲み込んでしまった。
「最後の最後に、熱い友情エンドを見ることができるのか、僕も緊張ですが……頑張ります。それでは、きらめきメモリアルを走っていきたいと思います。よろしくお願いします!」
ワイプの中、手の動きしか見えないはずのメイが頭を丁寧に下げたような気がした。
多分、大道ならそうするだろうなって思ったから。
五秒前からのカウントダウンが始まる。
五、四――なぜか、俺の心臓が高鳴る――三、二――大道、お前、今、どんな顔してる?
一……。
「スタートです」
合図とともに、画面上のタイマーがスタートする。
同時、メイの手がとてつもない勢いで、それでいて正確にコントローラーを操作していく。
少しでも時間を短くするための名前の入力、誕生日の設定。テキストをスキップするなんてのはお手のものだ。その合間にも今からやるべきこと、今後重要になっていくステータスなど、わかりやすい説明が挟まれる。
そこからのコントローラーさばきは見事なものだった。
まさに可憐なる『乙女』を攻略するためにひたすら自分磨き……という名の、ステータス調整を繰り出すプレイヤー、メイの手は、神の手に等しい。
恋愛シミュレーションだと思って馬鹿にしていた少し前の俺が恥ずかしくなるほど。
コントローラーのスティックアクションは、意外と繊細で難しいのだ。それをなんなく操作する腕前はRTA走者の鑑と言わざるをえない。
いや、それだけじゃない。メイの巧みな話術はときに視聴者を驚かせ、ときには不安にさせて、ときにはたくさん笑わせた。
俺のよく知るハスキーな声と、俺の知らない軽快なトークが、メイはやっぱり大道なんかじゃなくて、たまたま同じゲームをプレイしている他人なんじゃないかって思わせるくらいだ。
でも、やっぱりそのゲームへの真摯な姿勢や、心地のよい声や、俺の周りでは珍しい『僕』なんて一人称や、小さな手が、俺の中で、メイを大道たらしめる。
見ればみるほど、ああ、大道ならそうするよなって、大道ならそう言うよなって、俺を確信に近づける。
クリアタイムの目標時間は一時間三十分。世界記録は一時間二分だというから、余裕はあるものの、特殊ルートであるこの乙女くん攻略はステータス、選択肢ともに一つでも間違えるとあっという間に一時間半を超えることもあるという。
俺はただ、タイマーと、画面と、ワイプの中のメイをそれぞれ繰り返し見つめる。
ゲームが終盤に進むにつれて、メイの口数は少なく、それぞれの選択肢を選ぶ手つきも慎重なものになっていった。
卒業式は三月十四日。
女の子たちとのデートを一度もすることなく、季節がめぐっていく。三月十四日に向けて、ゲームの中のカレンダーが一日、また一日と進む。
「……来た」
確信めいたかすれた声が、メイの口から漏れた。
完璧なステータス調整。三月十四日、卒業式のシーンが流れる。ゲーム画面には美しい桜が舞い、やがて、伝説の泉がゆっくりとズームアップされていく。
「このあと、乙女くんが現れて、セリフが流れます。そのあと、エンディングが流れ終わったら、タイマーストップです」
タイマーはすでに一時間になろうとしていた。
エンディングのアニメーションが何分くらいあるのかわからない。
気づけば俺は両手を握りしめていた。
「……いけ」
大道。いけ。
タイマーの進みが早く見える。泉の前にキャラクターのシルエットが浮かび――
「乙女くんだっ!」
嬉しそうなメイの声と、会場のどよめきと、桜吹雪みたいなコメントと。それを祝福するみたいな、エンディングの曲。
エンディング中に流れる乙女くんと主人公の男同士の熱い掛け合いみたいなものを、メイは朗々と読み上げて、最後までみんなを楽しませた。
だが、それももう終わる――
「それでは、タイマーストップです!」
メイの合図と同時、エンディングが終わり……。
一時間一分十五秒。
タイマーが示していた時間に、メイが、みんなが、声をあげた。コメント欄までもがまるで声をあげているみたいだった。
「終わった……」
世界新記録だ。
大道は、たった今、世界一位の男になった。
世界一位の男に、なってしまったのだ。
祝福の声であふれる。配信は大盛り上がりで、ワイプの中のメイもまた喜びを隠すことなくはしゃいでいた。
俺はそんな画面を見つめる。
喜びや祝福が体の奥から湧いているのがわかる。
それと同時、それだけでは隠しきれないほど大きな穴が心に開いたのがわかった。
喪失や、絶望や、俺が見ないようにしてきた現実が、真っ暗になった画面にくっきりと映り込んでいた。




