3-3.
「じゃあ、またな」
放課後、一足先に翔太たちと教室で別れて、俺は駐輪場へ向かう。教室の隅に大道の姿はない。すでに下校しているのだろうか。俺は駆け足で階段をおり、靴を履き替える。駐輪場は校舎の裏で、そこから校門までは距離がある。だから、まだ追いつけるはず。あの大道のことだ。『校内での自転車の走行は禁止』なんてルールも律儀に守っているだろうし。
玄関を出て門へ向かうと、
「あ」
今まさに探していた小柄な青年の後ろ姿を見つけた。俺は足を速める。
「大道」
背中に声をかける。周りに気づかれるかも、というのは俺の余計な心配ですんだ。大道はひとりだったし、その周りにいた生徒たちも知らないやつばかりだったから。みんなそれぞれおしゃべりを楽しんだり、次の予定に向けて急いでいたりする。俺の声に振り返ったのは、名前を呼ばれた本人だけで、
「え」
その本人も、驚きのあまり、足を止めただけだった。
「お疲れ」
大道の隣に並ぶと、大道はますます困惑したように、けれど、嬉しそうな顔で笑う。
「あ、新野くん、今、帰りなの?」
わざわざお前のために急いできた。なんて、恥ずかしくて言えるわけがない。俺は「まあ」となんでもない風を装ってすぐ本題に切り替えた。
「スイッツ、買ったぞ」
報告してから、なんだよそれって自分で思った。けれど、大道はパッと顔を明るくする。
「え! 高いのに! すごいね! やったね!」
なんで大道が興奮してんだ。それとも俺が冷めてんのか?
「別に。バイトしてるし。スイッツないと、マルオ64できねえんだろ」
「そ、そうだけど……。え、でも、昨日の今日だよ? そんなすぐ買えちゃうなんて……新野くんはやっぱりすごいね」
「だから、バイトしてっから。別に金困ってねえって」
嘘だ。正直、先月のバイト代が全部消えたのは痛いし、後悔してないとは言えない。けれど、少しでも早くRTAってものをやってみたかった。それは言えないけど。
代わりに、
「約束、しただろ」
と付け加える。普段通りの口調を意識したつもりだったけれど、少しだけ声が上擦ってしまったような気がして、俺は大道から目をそらした。耳だけで大道の喜びを聞き、俺はついでにもうひとつ荷物を下ろすつもりで口を開く。言いにくいことは、一度に言ってしまったほうがいい。
翔太たちには普段からしている質問。もうすでに人生の中で何度発したかわからないそれをこんなにもためらうなんて知らなかった。
「あー……それで、お前……いつ、暇?」
俺はやっぱり大道が見れず、下り坂の先、光る海を見つめる。すでに海開きを終え、海水浴シーズンとなった七里ヶ浜はいつもよりも少しだけ賑やかだ。波の音と、大学生らしきグループがはしゃぐ声に混じって、
「いつでも!」
大道のはじけるような大声。想定していなかったわけではないが、もっとも大道らしい答えが返ってきたことに、俺の口からなぜか笑みがこぼれた。
「それは嘘だろ」
「ほ、ほんとだよ! 僕、バイトとかもしてないし、部活も入ってないし、ゲームくらいしかすることなくて……。あ、さすがにテストの前とかはちょっと難しいんだけど! でも、家じゃなかったら別に、多分、大丈夫だし」
相変わらずの早口だ。本気で疑っているわけじゃなくて、一種の冗談だけど、とは今更言えず、「はいはい」と適当にうなずいておく。
「あ、新野くんは、バイトとかしてるし、忙しい、よね」
「まーな」
「そ、それじゃあ、えっと……新野くんが空いてる日に、僕、合わせるよ」
踏切の音が鳴って、俺と大道は同時に足を止める。俺は電車通学で、大道は自転車。だから、大道は多分、今日はここでお別れだと思っているのだろう。ちょっとだけ寂しそうな大道の顔に、俺はポメラニアンを思い出した。
「別に、今日でもいいけど」
俺的には結構勇気を出したつもりだったけれど、電車の音にほとんどかき消されてしまったようだった。
「え?」
大道がキョトンと首をかしげる。
「ごめん、なんて?」
「あー……いや」
今度は、電車が通り過ぎるのを待った。踏切がゆっくりと開いていく。波の音だけになって、ようやく
「今日でもいい」
と呟く。普段使わない筋肉を動かしているみたいな感じ。慣れない感覚に少しの気恥ずかしさを感じる。だが、それもすぐに大道の満面の笑みで消えてしまった。
「ほんと⁉」
「嘘つく意味ねえよ」
「え! じゃあ、今日! 今日やりたい!」
しかし、なにかに気づいたように大道の顔がハッと青ざめる。
「あ、でも」
もごもごとどもる大道は、俺が一昨日までイメージしていた大道の姿だった。実際には、今日、初めて見たわけだけど。
「なに」
「その……スイッツって、新野くん家に届くんだよね」
「そうだけど」
なにを当たり前のことを、と首をかしげた俺に、大道は相変わらずうろたえている。
「えっと、その……僕、新野くんの家、お邪魔しても、いいのかな」
消え入りそうなのに、俺の声と違って、大道の声はよく聞こえた。大道が俺をじっと見つめているからかもしれない。
かくいう俺は、大道の質問の意味がわからず、翔太たちにするみたいに乱暴な「は?」なんて返事しかできなかった。それがまた、大道をあわてふためかせる。
「あ、えっと! やっぱり、お邪魔だよね⁉ っていうか、僕みたいな人間が新野くんと遊べるってだけで奇跡だし。なのに、急に家とか。いくら新野くんがいいって言ったからってちょっと図々しいよね、ごめんね」
大道の声がどんどん小さくなっていく。早口なのも相まって、今度こそ俺は最後のごめんねだけしか聞き取れなかった。
俺はさっきの「お邪魔してもいいのかな」という大道の質問に答えてなかったことを思い出し、慌てて「いいって」と答える。
「てか、まじで謝んなって。むしろ、家、逆方向なんだから、来るのだるくねーの?」
「そ、それはそうだけど! でも、その、僕、友達の家とか、あんま行ったことないから嬉しいっていうか……あ、えっと、自転車、どうしよ」
「駅の駐輪場、止めとけばいいだろ。金、出すわ。あ、電車賃もか」
「さ、さすがに悪いよ! 大丈夫! それくらいは、お小遣いもあるし、大丈夫だから!」
大道はそうと決まれば早速、と踏切を渡って自転車を漕ぎだした。
「僕、さき行ってるね! 切符とか買うから! あ、あとで! 駅のホームで!」
前見ろよ。俺は視線にその思いを込めて、ヒラヒラと手を振る。
大道と、ゲームやるなんて、まじで思ってもみなかったな。
でも。
――こんなにも帰り道が楽しみなんて、いつぶりだろう。




