怪しい求人広告
いったい何でこんなことに。
斉藤美沙緒二四歳性別女性、職業フリーター、東京都某区在住。容貌スタイルともに問題なし、と言うか、かなりいけてると自分では思っている。
昔から言い寄ってくる男はたくさんいたし、途切れない程度にそのうちの誰かと付き合うこともしてきた。頭だって新聞の一面記事をそこそこ理解できるぐらいには鍛えてあるし、かといって流行のファッションに疎いわけでもない。
たばこは煙いし匂いが嫌いだからパスだが、酒は好きだし食べるのはもっと好きだ。
あらゆる意味でいい女、そしていい女の条件である微妙な性格の悪さだってちゃんと持っている。
これを持っていないと、いい女から鼻持ちならない女に転落して何かと大変なのだ。
なんとか人を貶めたくて溜まらぬ人々に、あの人って美人だけど性格悪いよねーと言わせておくことが平和の秘訣。こんなことを言っているから性格悪いと言われるのだろうけれど。
そんな私が「いったい何でこんなことに」と呟くからには、シチュエーションとしては夜明けのベッドで、隣には見覚えのないイケメンがこちらに背を向けて寝ていて欲しい。いや、見覚えのありすぎる同僚でも、腐れ縁の幼なじみでも構わない。
とにかく、そういう、おそらくは酔った勢いで作り上げてしまった艶っぽい情景から、あら私ってばなんてはしたない、などと思いながら足音を忍ばせておさらばしたかったのである。
ところがどっこい。
私が陥っている状況というのはそんな物とはほど遠かった。
「さっさとこの皿を洗え!」
と、偉そうに仁王立ちで言ったのは、これだけは希望どおりの見覚えのないイケメン。いや、見覚えがないとまでいうのは嘘だな。ここに連れてこられたときにちゃんと紹介は受けた。
確か名前はアントレとかアンシャンテとか……じゃなくて、アンドレだ。アンドレ・フランソワ。それはもしやかの有名なフランス革命漫画の主人公とその従者の名前を足して二で割ったのか?と思わず吹き出しそうになったのだが、名前の主はむくつけきおっさん。推定年齢三十五歳、誤差プラマイ五、たぶん。
とてもじゃないが、銃で撃たれそうになった主人を庇って死んだりしそうにないし、そもそも殺しても死にそうにない。
イケメンなのにおっさんとは残念無念だが、事実は事実。むくつけき、にしても重い鍋釜を振り回すためには是非とも必要な筋肉のせいだ、と本人は熱弁を振るうだろう。
いずれにしても、せっかくのおっさんイケメンなのに皿洗いを強要されるってなんなんだ。
しかもこのおっさん、アンドレなのに髪の毛が緑色。黒髪をさして碧と表現することもあるらしいが、このおっさんは正真正銘緑色。
生まれたときからか、後発性か謎だが、髪を緑に染めようという精神構造はちょっと尋常じゃないし、生まれつきならもっと恐ろしい。
萌え立つような新緑色でおぎゃーと産まれる赤ん坊なんて嫌すぎるというか、実在しないだろう、と思ったあなたは大正解。
実在しないよ、そんな奴、少なくとも地球上には。
というか、いったいどこなんだ、ここ。
事の起こりはコンビニバイトを辞めたことにある。
辞めたと言えば聞こえはいいが、本人が辞めたと言った場合の78%は辞めさせられたである。
なんだそのリアルな数字は、と聞かれるだろうから先に答えておくが、実体験に基づく正確な統計。
学生時代からバイトを変わること九回のうち、辞めさせられたのは七回。
7÷9=0.7777…で繰り上げて0.78。パーセンテージにするにはかける100。
ほらね、算数はちゃんとわかってる。まんざら馬鹿じゃない。それなのにバイトが続かないのは性格が悪いからだ。加えて口も悪い。しかも正直。
性格と口の悪さに正直を加えると客商売に大変不向きという答えが出る。
下手に見てくれがいいからバイトの面接にはほいほいうかるけれど、いざ仕事をさせてみたらレジで愛想笑いの一つもできないし、酔った客にセクハラまがいのからかいを受けるととんでもない罵詈雑言を浴びせかける。そりゃー首にもなりますって。
でも今回は首じゃない。店そのものが潰れたんだから首じゃない。だから辞めたと言っても嘘じゃないはずだ。
だが辞めたであろうが、辞めさせられたであろうが、無職無収入になったことに変わりはない。
実家暮らしで住まいの不安はないとはいえ、ただでさえフリーターの娘は普段から肩身の狭い思いをしている。なんとか布団で寝られるのも、たとえバイトとはいえ収入があればこそ。月々納める数万円の食費が入れられなくなった日には、即座に追い出されるだろう。
昔から『自分の面倒は自分で見ろ』というひどく教育方針のはっきりした親だったけれど、ここまで徹底されるといっそ清々しい。たった一人の娘にそこまでさばさばと接することができるなんて、今時のへたれ親どもに爪の垢を通販してやりたいほどだ。
いずれにしても職を失った私はただちに就活突入。
とはいえ、そんなに簡単に職が見つかるならフリーターなんてやっているわけがない。
コンビニチェーンのSもLもFも一度は首になっているし、リベンジしようにも一ミクロンもスキルアップしてないことがわかっているから戦う前から負けている。
こいつぁまいったね、と思いながら歩いていたときに、電柱に張り紙を見つけた。
「急募 料理人 経験不問 賄い付き 待遇応相談」
……ふとっぱらだな、おい。
料理人で経験不問、ってすごいわ。いったいどこで何をどんな風に料理させる気なのかちょっと見てみたいぞ。でもって賄い付きってのもちょっと素敵。
ということで、その張り紙の住所を探し当て、辿り着いた先にあったのはそっけないドア。
面接希望の方はお入りください、なんてきっぱり書かれた紙が貼られていた。
なるほどこの求人主は全てを張り紙でこなすのだな、などと思いながらそのドアを開けて、中に入ったのが運の尽き。
ドアの向こうは、緑、ピンク、紫、紺、と天然では存在し得ない色の髪と目の色の人々が、ずらりと椅子に腰掛けて、いらっしゃいませとばかり並んでいたのだ。
これはなんかのどっきりか?と思ったけれど、一般人もいいところの私相手にそんなことを仕掛けるメリットがどこにある。
しかも、彼らの話している言葉は日本語でもなければ英語でもない、もちろんドイツ語でもフランス語でも中国語でも…とにかく、地球上の言葉じゃなかった。
自慢にしか聞こえないと思うし、実際自慢だから正面切っていうが、私は語学も堪能だ。
ほとんどの国の言葉はわかる。少なくとも挨拶と一から十までぐらいは数えることができる。
謙虚が美徳の日本人ならこの状態を『言葉がわかる』なんて言わないだろうけど、アメリカ人なら余裕でOKだ。
わったし、日本語わっかりまーす! と胸を叩いたテキサス野郎に、知ってる日本語話してみろと言ったら、上機嫌で上方落語をやり出したときは度肝を抜かれたが、あんなのは例外中の例外。
たいていは『寿司、てんぷら、おいしーでーす』ぐらいなものである。だから問題ない、私は世界各国の言葉に通じている。
その私が、全く聞いたことのない言葉でしゃべっている人たちが、地球上の人物であるはずがない。ということで異世界決定。
だってね、ドア一枚で違う世界につながってました、なんて今時どこにでも転がっている話である。
どこに転がっているかって? 本屋だよ。ラノベの棚の半分はそんな話だ。
だけど、それがまさに我が身に起こるとさすがに引きつる……というのは性格のよろしいお嬢ちゃんの話。何度も言うように私の性格は極めてしたたかに悪いのだ。
だから、そこがどう考えても尋常な世界じゃないと悟った時の感想は『ウルトラ・ラッキー!』である。
ふっふっふ。こっちの世界で無職無収入、しかもそれまでもフリーターで人生の展望など全く見えない女が、異世界に行った途端人生大逆転ってお約束じゃないか。
道を歩けば、なんと高貴な髪の色だと注目され、人の噂を聞きつけたお城の王子か大魔王かこれから勇者になりますよ、な男かのいずれかが現れて、なんだこの変な女は、と珍しがられてお持ち帰り。
お城で暇に飽かせてうっかり料理なんて作ってみたら、変な女認定あっさり取り消し、大絶賛でハートよりも先に胃袋がっちり。もう絶対にあっちには帰さないと執着されて、いつの間にかラブラブ。
二人は末永く幸せに暮らしましたとさ、で一丁上がりである。
こんな美味しい話はない。異世界万歳だ。
とーこーろーがーーー!!
いったい何でこうなった、はようやくここにつながる。いや、まだだ、そこに至るのはもうちょっと先だった。すまん、と正直者らしく謝っておく。
簡単に言えば、ラノベの棚にぎっちり詰まっている話はやっぱり絵空事だった。
異世界トリップしたって、うまくいかない奴はいるのだ。この私を見ろ、である。
ずらりと並んだ不思議な髪の色の面々は、通じない言葉であれこれ話しかけてきた。
訳がわからん、私が知ってる言葉ででしゃべれ、と思いながら愛想悪く突っ立っていると、突然チャクラが開いた。違う。そんな器用なことできるぐらいならフリーターじゃなくて教祖になっている。
チャクラが開いたわけではないが、とにかく言葉がわかるようになった。でもそれは私の能力によるものじゃない。明らかにあちら様の実力。
奴ら多分、翻訳キーでも押したんだな。ほら、検索サイトの左上あたりにある『日本語に翻訳しますか?』とかいう奴。きっと日本語だけじゃなくて、英語もドイツ語もスペイン語も韓国語も対応だ。ご都合主義だな異世界人、である。
そして彼らが発した第一声がこれだ。
「我々は空腹だ。飯を作れ」
キター!!
ほいきた待ってろ助さん、である。
目の前には、見慣れたこちら側の食材がずらり。異世界側の得体の知れないあれこれを持ち出さない辺り、なかなかわかった連中だ。このシチュエーションなら大丈夫。まかせとけー!
これで胃袋からハートまでわしづかみコースのスタートラインに立てたと思ったって仕方がないだろう。他の想定なんて見たことなかったんだから。
だから私は、彼らの空腹を満たすべく早速料理を作り始めた。成人したら直ちに家から追い出してやろうという固い決意の母親に仕込まれた私は、料理なんてお手の物だった。
その性格の悪さで料理上手なんて、いったい誰を毒殺する気だ、と褒め言葉には絶対聞こえない評を貰い続けた私の手料理。十八番は肉じゃがだ。
ありきたりでどこが悪い。過去この肉じゃがで落とせなかったのはインド人留学生ぐらいだ。
奴はジャガイモと絡まってしっかり味のしみた肉を前にイスラム教信者らしき女と、その肉が牛か豚かの検討会を始めた。
挙げ句の果てに牛だといったら後ずさりしやがった。郷に入っては郷に従えと怒鳴りたかったが宗教戦争を勃発させるのはいやだったからスルーした。
目の前の連中は絶対インド人じゃない。万が一インド人だったらガンジス川に一週間ぐらい浸かりっぱなして身を清めた方がいいレベル。だからからこれでOKのはず。
和風だしを効かせてほっこり煮上がったジャガイモと素材の甘さをちゃんと残した人参とタマネギ。 そこに上等の牛肉の脂がまぶされて、えも言えぬ味わい。
これで堕ちなきゃ男じゃない、女だって清水の舞台から墜落、の自慢の品。
さあこい、「こんな美味しいものは食べたことない!」コール、と私は鼻の穴を膨らませた。
でも、そんなコールは来なかった。代わりに浴びせられたのは罵詈雑言。
「なんだこのどろどろの物体は。は? タマネギ? そんなものを私に食べされるな!腰が抜けるじゃないか!!!!」
こいつ、犬系か。
「なんか、ものすごく生臭い匂いがするが何を使ったんだ? こんぶ?こんぶって何だ? 海藻? 海なんて汚染されまくって何が付着してるかわかってもんじゃない。そんな危険な物を使うなんて信じられん」
置いてあったら使うだろうが! そもそもおまえらの世界で海はどうなってるんだ。もしかして殺したのか、母なる海を!
「肉は赤身が一番だ。脂なんて敵だ!」
ヘルシー教信者登場。もう一切物食うな、仙人でもなれ。
というわけで、散々けなされて終了。こんなはずじゃなかった。
でもな、どう考えても私の料理は地球現代日本人には大人気なんだ。
その私の料理が美味しいと思えないのに何でこんなとこで、しかも食材は思いっきり日本バージョン揃えて料理人募集してるんだ! よそへいけよそへ!!
と翻訳キー経由で叫んでみたら、あっさり言われた。
「こんなに下手な奴が来るとは思わなかった」
帰れこのくそ野郎! と中指立ててやった。
幸い、奴らにはその意味がわからなかったらしい。翻訳キーはボディランゲージには通用しない、ざまーみろだ。
とにかくこれ以上の長居は無用、さらば私の異世界成り上がり生活、と思ったら帰してもらえなかった。おや変な女に執着バージョンはあり?こんなところだけ予想どおりでも参っちゃうわーである。
尋常じゃない色の髪の方々の中で、一番えらっそうな紺色の髪が言いましたとさ。
『料理人では使い物になりそうにもないが、厨房は人手不足だ。皿洗いに雇ってやる』
いらん。皿洗いは私の白魚のような手が荒れる。しかも水商売なんて嵌まりすぎだ。
メーデーメーデー速やかに私を解放したまえ。
ところがその言葉も翻訳キーにはじかれたらしく、紺色の髪の男、もとい名前はリチャード・ハンセン、がこの急な求人の裏事情を説明し始めた。
「料理人といっても臨時だ。本職がちょっとあれなんで、一週間か二週間、間に合わせでよかったのだ。だから多少下手でも構わないと思ったが、さすがにお前はひどすぎる」
やかましい。お前の方がよっぽどひどい。しかも本職がちょっとあれ、ってどういうことだ。
と言ったのは確かに心の中でのはずなのに、リチャードは見事に聞き取った。
うーむ、変な奴と思ったらエスパーだったのか。翻訳キーすら不要だな。
「あれといったらあれに決まってる」
「わかんないよ!」
「ストライキだ」
斬新だ…。
料理人がストライキ中に異世界から臨時雇いの料理人を募集するなんて珍しすぎる。
さては主任シェフ相当有力で、こいつらの国中のシェフを巻き込んで巨大なバリケードでも築いて引きこもったな?
「正解だ。おまけに厨房にあった食洗機までぶっ壊していった」
「ハラショー! できれば私もそっちにつきたい」
「つくな! とにかく、お前は皿洗い決定だ、厨房へ行け」
「いやだってば。異世界でまでそんな下っ端人生冗談じゃない!」
というか、その前に食洗機直せばいいじゃないか! とは思った私は、紺色頭に非常に理の適った助言をした。
「まず、壊れた食洗機を直し給え!」
「食洗機を直す職人もストライキ中だ」
あんたたち、いったいどんな労働条件を強いたんだ。もしかしたらこっちの世界の、こいつらの関係者全員ストライキ中なのか? そこまでいったらもはやクーデター寸前じゃないか・・・…いや、こいつらが政権持ってるとは限らないが、あまりにも偉そうだし、異世界トリップの行き先は国家最高権力者近辺というのも常道だ。
だからきっとお偉いさん。でも『兵糧攻められ・なう』。なんだこの残念な感じは!
だが、私の思考をまるごと見なかったことにしたらしき、『兵糧攻められ・なう』な紺色頭はどうやら最終手段に出ると決めたらしい。
「報酬ははずむ」
報酬っていったい通貨は何なんだ、という根本的な疑問発生。
当たり前である。使えもしないマルクとか両とか持ち出されては困るし、ガエレイルなんて聞いたこともない通貨を積まれてはもっと困る。ってか、ガエレイルって何?
「ガエレイル? この世界の過去から未来に渡ってそんな通貨はないはずだが……」
「だから、人の心を読むなって!」
「すまん。お前の感情が強すぎて勝手に流れ込んでくる」
「気が強いって言いたいわけ?」
「まさに」
「あのねー!!」
「吠えるな。耳に響く。報酬はあれだ、なんといったかな……」
「なに? お金じゃないの?」
「お前が欲しがってる、何とかショーとかいう……」
「別にショーなんて見たくないよ」
「いやそうじゃなくて、動物だ。灰色の縞模様。欲しいんだろう?」
「アメショー!?」
「そういう名前だったかもな。とにかくそれだ」
「だってあれ純血種なら二十万とか三十万とかするよ!?」
「それが高いのか安いのか私にはわからないが、我々の世界には沢山いる」
猫が多いのだこの世界は。
紺色頭のリチャードはやれやれと言わんばかりに首を振った。
猫が多くてどこが悪いのかよくわからない。そこらを歩くだけでアメショーがわらわらよってくる世界なんて素敵すぎるじゃないか。
猫は気まぐれで気高くて私みたいで大好きだぞ。
家で飼ってた三毛が儚くなったのは一年前。あのときはさすがの私も涙がこぼれた。一年経ってやっと気持ちも落ち着いて違う猫でも飼おうかな、と思ったが昨今野良猫なんて拾いにくいし、ペットショップは馬鹿高い。保健所に行けばもらえるらしいと聞きつけて、もらいに行こうかと思っていたが、アメショーの仔猫が保健所にいる確率はかなり低い。
だから、アメショーをくれるという話は非常に魅力的だ。
「確かに愛らしい生き物ではあるが、奴らは春先やかましすぎる」
「あーなるほど」
野良猫化しているアメショーが一斉に盛ったらそれはやかましいだろう。でもそれでまた仔猫がわんさか生まれるならいいじゃないか。アメショーの仔猫なんて垂涎だ。もふもふ最上級。
「あのやかましいのが一匹でも減るならありがたい。好きなだけ連れてっていいぞ」
二週間の皿洗いの報酬が純血種のアメショーの仔猫。
悪くない取引だった。本当に悪くない。むしろ大歓迎。まとめて持って帰ってペットショップに売れば大もうけ……ってそこまで性格悪くはない。
生き物には優しいのだよ、私は。ただし、人間除く。
だがしかし、いくらこっちの世界で二十万円の仔猫でも、こいつらの世界ではただの野良猫。
それをして『報酬は弾む』っておかしくないか? さてはこいつ性格悪いな?
とはいえ、ではこちらで希少価値のあるものを、とか言われて、それがなんだか足の多い虫だったり、足の少なすぎるくねくね類だったりしたら悶絶もの。
ここは譲って、アメショー一匹で折り合うことにする。
イエス、マスター。洗うぜ、皿! あとでハンドクリーム、プリーズ!
ということで、私は二週間の約束で皿洗いを始めることにした。
でも微妙に気になるのは、我が家の面々。
いくらフリーター娘でも、同じ家の中に暮らしている人間が二週間丸々どこぞやに行きっぱなしで帰ってこないとなったら、心配する……はずだ。
はずだ、と付け加えねばならないところが情けないが、以前、大皿の上の唐揚げ全部にレモンを搾った母親へのレジスタンスとして三日ほど家出してみたことがある。
だがその間、うちの家族ときたら、私の携帯電話に連絡するでもなく、友人知人に電話しまくって探すこともなかった。根負けして四日目に帰ってみたら、家の中はもぬけの殻。
ぽかーんとしながら入った茶の間には置き手紙一枚。
「懸賞で温泉旅行当たったの忘れてた。期限切れそうだから行ってくる。あんたは適当に生き抜け!」
そりゃないぜ、母上。私も連れてけー! と叫んでみても答えるものはひとりもいなかった。
そりゃそうだ。母が当てたのはペア旅行券。親二人+子一人の三人家族で、両親がそれに出掛けたのであれば、残っているのは私だけ。返事があった方がなにかと迷惑な事態。
仕方がないから、自分で唐揚げ揚げて食べたけど、どうにも虚しかったな、あれは。
べちゃっとなるし、酸っぱすぎるから唐揚げにレモンはノーサンキューの私だが、二泊三日湯河原の旅を逃すほどのことではない。
というよりも、さすがに大学生にもなって唐揚げレモン家出事件はあほすぎた。今度から家出の理由はもうちょっと高尚なものをあてがおう。
だがしかし、皿洗いで二週間行方不明というのはどうよ? 報酬あるだけましとすべきか? 唐揚げレモンより高尚なのか?
とかぐるぐる考えていたら、目の前の紺色頭が力一杯飽きれた顔になっていた。
「誰が住み込みだと言った。通いでいい、通いで!」
わお! 異世界とこっちの世界を通いで行ったり来たり、でもって毎日皿洗い。
・・・・・絶対高尚じゃない。
でもまあいい。通いでいいならノープロブレンだ。私は正直者なので、自分の欲求にも極めて正直。アメショーは欲しいがペットショップに払うお金はない。
皿洗いでアメショーゲットならお安いもんだ。
家出問題無事解決。二十四歳フリーターめでたく皿洗い就任。
かくして紺色頭のリチャードに厨房に連れて行かれ、緑色頭のアンドレに引き渡されたという次第。
さっさとこの皿を洗え、と威張ってるおっさんを尻目に、はいはい、と素直に山積みになった皿を洗い、さあお次は? と振り向いたときには、アンドレはいなかった。
そういえば、私に皿洗いを指示した直後から気配がない。
もしかしてこれは……と思ったら案の定、遠くから狼狽しまくって声が聞こえた。
「アンドレがいませーーーん!」
厨房最後の料理人遁走。
劣悪な、いや知らないけどね、労働条件でも健気に耐えて働き続けていた最後の料理人は、ただでさえ劣悪だったのに人手不足でにっちもさっちもいかなくなり、とうとう逃げ出した。
それでも最後の最後で皿洗いを指示していく辺り、立派な心がけである。
にしても笑える。就任直後の皿洗い、直ちに失業。だって、料理する人がいなければ皿だって汚れないじゃあ、あーりませんか。
これは首なのか、それとも店が潰れた状態か、どっちのカウントを増やすべきなんだ? と悩んでいても仕方がない。
仕事がなくなっちまいした・アゲイン状態の私は、元来た方に引き返し、紺色頭のリチャードを探した。仕事がないなら帰るぜ、である。
だがようやく見つけたリチャードは、最後の料理人遁走にどっぷり落ち込んでいる。ちょっと気の毒になり、ついうっかり訊いてしまった。
「あのさ、外食ってわけにいかなかったの?」
「外……食? ああ、お前たちの世界で、外で金を払って食う飯のことか。こっちの世界にはそんなものはない。だからこそ家に料理人を置いているのだ。もっとも下々の者の家で女たちの仕事だが」
「ぎゃー主婦過労死!」
「そうか? 余程の大きな家じゃない限り料理人だって一人でずっとやってるぞ。まあ当家には三人いる……いや、いた、がな」
そりゃストライキも起こる。一日三食、三百六十五日全く休みなしに料理し続けるなんて過酷すぎる。主婦なら家族への愛情とかなんとかで無理やりクリアーするかもしれないが、職業としては無理だ。
私の料理がこの連中の口に合わなくてウルトラ・ラッキーとしか言いようがない。
にしても、最後の料理人がいなくなったこの家はいったい食事をどうするのだろう。
この連中の誰かが料理が出来るならこんなに困った顔もしていないはず。正真正銘兵糧攻められ・なう。いやわかってるさ、食材はたっぷりありそうなことぐらい。でもそれを食べられるように加工する技量に欠けてるなら同じことだろう。
ちょっと気の毒と思って言ってはみたが、外食もできないならそれ以上は知ったことではない。何度も言うが性悪なのだ、私は。頑張ってあなたのお口に合うものを作ります、とかとんでもない。
ではまあ帰るか、と入ってきたドアに足を向けたところで気が付いた。
そっちにないなら、こっちで食べればいいじゃん。
ということで再び、ご提案差し上げた。ひどく丁寧に、くれよアメショー、という下心満載で。
「たった二週間のことで、しかも私ごときが自由に行ったり来たり出来るほど優れものの連絡通路があるなら、皆さん、おそろいでこちら側のレストランにでもお出かけ遊ばしてはいかがですか?」
私の料理は口に合わなかったかもしれないが、我々の世界にはレストランなんて山ほどあるのだ。
その小うるさくゆがんだ舌にあう店だってあるかもしれない。
もちろん、急がないとその店潰れる寸前かもしれないけどね。なんてったって私の料理をまずいと豪語するからには、こっちの味覚と全く合ってないのは確か。
そんな店が繁盛し続けるわけがない。
でもまあ、世の中潰れかけの店、しかもあそこがなぜ潰れない? と言われる店は結構ある。気合い入れて探せばきっと見つかるだろう。
「ということで、外食がおすすめ」
「なるほど、それはいい考えかもしれない。お前が職にあぶれたのは気の毒だから、何か仕事でも探してやろうかと思ったが……」
あれ、腹黒紺色頭、実はちょっといい奴? ツンデレ系? とちょっと笑ってしまった。
でもそんな心配いらないよ。異世界就職が上手くいかなそうなのはよくわかったし、労働条件も非常にブラック。ならば私はあっちに帰るぞよ、とは言いながらアメショーへの未練だけはたっぷり残っていた。
「対価がアメショーじゃ、職にあぶれたとほとんど変わらないよ。なんぼかわいくてもネコ飼ってお腹が膨れるわけじゃない。むしろ餌だの予防接種だので生活費食いつぶし案件だ。あーそれでも、アメショーは捨てがたい。もふもふは心の飯だ。アドバイス料ってことで、是非一匹……」
どうせ増えすぎて困ってるんでしょ? とにやりと笑う私。うーん、我ながら見事な腹黒笑いだ、目の前の紺色頭といい勝負すぎる。
だがしかし、紺色頭は一枚上手だった。
「そうか、アドバイス料というのはいいな。お前、我々の口に合いそうな店を紹介しろ」
「はあ?」
勘弁してくれ。美味しい店ならいくらでも知ってるが、拙い店なんて知らん!知りたくもない! なんで私があんた方のためにわざわざ「拙い店」探し歩かねばならないんだ。
だが、腹黒リチャードは、新手の懐柔策に出た。
「アメショーだぞ? いい感じにもふもふだぞ」
とばかり、卑怯で性格の悪い紺色頭は、私の頭の中に生まれて一ヶ月ぐらいのそりゃあもうかわいいグレーのアメショー映像を送り込んできたのだ。
そんな技もありなのか、『兵糧攻められ・なう』のくせに!
「う……くぁわゆい……だめだ、そんなの見せるな!」
「こんなのもいるぞ」
次は本当に生まれたての、目も開いていないような茶色のちびすけ。満足に歩けもしないのによっこらしょ、と立ち上がろうとして尻からぽてん。くーーーー!!
「どーだ、どーだ、ほれほれたまらんだろう?」
おまえはどこのエロ親父だ。どこで覚えた、そんな台詞! とは思ったが、もう限界。
「わかった! 何とかする、何とかするからその映像は止めてくれーー」
頭の中のもふもふに萌え上がった私は、とうとう奴らの外食コーディネーターを請け負わざるを得なくなった。しかも、まずめし専門……。お代はアメショーもふもふ仔猫。
ああ、本当にいったいどうしてこうなった……
それから一週間、朝飯だけはこれで我慢しろ! とこっちの店で買ったパンとコーヒーと果物で間に合わせ、残りは四苦八苦であっちの店こっちの店に連れて行った。
正直、彼らが満足するほど『まずい』店なんてなかったけれど、それなりに薄情そうな味の店は見つけられたと思う。
きっと店の方は、明日にも潰れそうな店にどやどやとやってきた不思議な髪の色の一団は、どっかのパンクロックグループだとでも思っていたことだろう。
どこからどう調達したのか、ちゃんと日本円を持っていたから、あの店たちは、明日潰れそうから来月潰れそうぐらいには潤ったに違いない。めでたいことである。
二週間丸々かと思えばうんざりだったが、途中で労使交渉がまとまったらしく、ストライキは五日目で終了。私もお役御免となった。
期間不足でご破算にされるかと思ったアメショーも、好きに選べ、とばかり何匹も取りそろえてくれた。私はその中から、かねてからの希望どおり、グレーの仔猫を選んだ。
さらば紺色頭、もう二度と私の視界に入ってくるな! という私の考えを、エスパー・リチャードはちゃんと読み取ったはずだし、これに懲りて料理人もちょっとは大事にするだろう。職人も戻ったらしいから、食洗機も速やかに修理されて、皿も片っ端から洗われる。
彼が私の前に現れることは二度とないはずだ。
一週間のまずめしガイドの結果ゲットした仔猫は大変愛らしく、一日中もふもふしてくれて家族も大喜びだった。
ただ、仔猫の出所を聞かれてもさすがに説明できず、怪しい夜のバイト稼いだ金で買ったと思われたのは痛かった。
確かに怪しすぎるバイトだったが、家族が思う怪しさとは方向性が違いすぎる。そっちの怪しさで稼げるならとっくにそうしている。
この性格の悪さと口の悪さに萌えてくれるおじさまとかいないだろうか? いたらいたで怖い気がするけれど……
いずれにしても、異世界からの求人広告は、あらゆる意味で「びみょー」すぎた。
ストライキが短期間で終わってくれたからよかったようなものの、そうでなければ私は延々とめしまずレストラン巡りを続けねばならないところだった。
アメショーは一匹で十分。もう、二度と怪しげな張り紙広告には近寄らないでおこう!と心に誓う私だった。
End.
お読みいただいてありがとうございました。




