噂話
「お招きありがとうございます。レイモン伯爵夫人」
アルフォンスは本日のガーデンパーティの主催者に向かって優雅に一礼する。
千夏とセレナもアルフォンスの後ろに控え、じっと目線を合わせないようにアルフォンスの靴を見つめる。
「お久しぶりですこと。アルフォンス殿と会うのも一年ぶりくらいかしら?おいくつになられましたの?」
レイモン伯爵夫人は鮮やかなブルーのドレスを身にまとい、ゆらゆらと手元の白い扇を揺らす。
「はい。今年で16になります」
「あら、それでは今年から社交界デビューなのね。パートナーはもうお決まりになったのかしら?」
伯爵夫人はじろりとアルフォンスを見つめる。
今年の王城での社交界デビューにアルフォンスが参加することは貴族に知れ渡っている。
辺境伯は名の通り辺境の伯爵だが、家格が普通の伯爵と異なる。
広大な領地をもつ辺境伯は準侯爵と呼ばれ、他の伯爵と比べ数倍の領地をもつ。
その一人息子が今年社交界デビューするのだ。
アルフォンス自身は割と呑気に構えているが、王都でアルフォンスのパートナーを巡り様々な細工が飛び交う。
アルフォンスのパートナーはすでに遠縁のロウアー伯爵令嬢と決まっていたのだが、多方面から横やりが入っているのだ。
さりげない嫌がらせが始まり、ロウアー伯爵令嬢はアルフォンスのパートナーから降りたいと言い出す始末だ。その件で今エドはロウアー伯爵家へと使いに出ている。
レイモン伯爵家には18歳になる令嬢がいる。
伯爵夫人はもちろん我が娘をアルフォンスのパートナーとしたいのだ。
願わくば辺境伯の一人息子に嫁がせたいが、注目されているアルフォンスのパートナーになるだけでもその娘が注目されることになる。
貴族の間の見栄の張り合いはとても大切なことだと伯爵夫人は考えている。
「はい。遠縁のロウアー伯爵令嬢にお願いしております」
にこりとアルフォンスは笑顔で答える。
「あら、そうなの。でも変ね。ロウアー伯爵令嬢は最近病に伏せられていると噂でお聞きしたわ。大丈夫かしら?」
「そうですか、知りませんでした。後でお見舞いに行かなければいけませんね」
「ロウアー伯爵令嬢はあの通り線の細い方でしょう?社交界デビューまでによくなられればいいですけれど。他のパートナーをお探しになったほうがよろしいのではなくて?」
「お母様、おひとりでアルフォンス様とお話にならずに私も仲間に入れてくださいな。アルフォンス様、お久しぶりです。お元気でしたか?」
すかさず伯爵令嬢のエレーヌがアルフォンスと侯爵夫人の会話に割り込む。
「エレーヌとアルフォンス殿は背丈もぴったりね。どうでしょう、病弱なロウアー伯爵令嬢の代わりのパートナーはエレーヌがいいと思いますわ。エレーヌは健康ですから何も問題はありません」
伯爵夫人は熱心にアルフォンスにエレーヌを勧めはじめる。
(いったいいつまで、靴を見てればいいの?)
千夏は長々と続く会話をうんざりしながら聞いていた。
エドの話では最初の挨拶が終われば、アルフォンスはパーティ会場に向かい、千夏達は従者用の控室に移動することになっていた。
だがその最初の挨拶がとても長い。
のらりくらりとアルフォンスは伯爵夫人の勧めを躱している。
エドにパートナーの件については迂闊に答えるなと釘を刺されていたからだ。
普段の短絡的なアルフォンスを知っているだけに、今ひたすら会話を躱している姿はとても忍耐強く不憫に感じる。
(貴族って大変なんだなー。庶民でよかった)
伯爵家の執事が伯爵夫人にパーティ会場に戻るようにと忠言をするまで、じっと千夏とセレナはアルフォンスの靴を見続けた。
やがてパーティ会場に入っていくアルフォンスを見届けると、セレナも苦痛だったらしく千夏と目が合うと苦笑いをする。
「お供のかたはこちらへどうぞ」
伯爵家の従僕に先導されて、従者用控室となっている一室へと千夏とセレナは案内される。
レイモン伯爵家は、王都の近くの一部の荘園の土地を持っている貴族だ。
ゆえに王都にある屋敷が本宅といってもいい。
バーナム辺境伯の別邸のおよそ3倍ほどの広さのある。
千夏達が案内された待合室はその屋敷の一階の玄関脇にある小さな部屋だった。
すでに他家の従者数名が待合室にある椅子に座って談笑している。
ここに集まっている従者の主は王都近郊に荘園を持つ貴族で、普段からよく従者同士顔を合わせることが多いのだ。
そこへ全くの新顔の千夏とセレナが加わり、他の従者たちから興味深げに観察される。
「新顔さんね。こちらの椅子にお坐りなさいな」
ピナーグ子爵家のメイドであるミーネが、千夏とセレナを手招き空いている椅子をすすめる。
彼女は今年20歳になるベテランメイドで、この世界ではめずらしい赤毛がとても似合う小柄な可愛らしい女性だ。
「私はミーネ。ピナーグ子爵家のメイドよ。この部屋ではリラックスしてちょうだい。パーティが終わるまで使用人しか出入りしないから」
「バーナム辺境伯爵家の千夏です」
「同じくセレナなの」
二人が挨拶すると、他にこの部屋にいたメイドや従僕が自己紹介をする。
テーブルの上にあるお茶やお菓子は好きに食べていいとのことだ。
「やっと噂のバーナム辺境伯ご子息のご登場なのね。パーティのパートナーを巡る戦いはどういう決着になるのかしら」
ミーネは笑いながらお菓子を口に放り込む。その発言から話題は一気にアルフォンスのパートナー選びに移行する。
「うちの奥様も張り切っていたけど、やっぱり今日のパーティの主催者であるレイモン伯爵家が一歩リードなのかな?」
「僕のところもすごい力の入れようだったよ。正直ロウアー伯爵令嬢が可愛そうになるくらいにね」
「へぇ、アルフォンス……様はモテモテなんですね」
「そりゃそうよ、なんて言ったって辺境伯爵家だもの。今一番の売れ筋よ。ついこの前まではヴァーゼ侯爵家ご子息のフェルナー様が一番人気だったわ」
「フェルナー様は最近お忙しいらしく、奥様方を全然相手にしてくれないらしいな。それで二番手に下がったみたいなんだ。まさか格上の侯爵家に文句を言えないからね。フェルナー様の急務が終わるまで声をかけられないんだろう」
「知ってる?先日の夜会でロウアー伯爵令嬢のドレスをワインで汚された件」
「ああ、ガジェット子爵夫人が貧血で倒れそうになって、思わずテーブルに置いてあったワインを払いのけたってやつね」
「それよりも月に一度開催される令嬢の集まりの開始時刻を、ロウアー伯爵令嬢だけ2時間遅く伝えてられてたってやつも陰険だよね」
「まともに時間通りに来れない人がアルフォンス様のパートナーなんて、アルフォンス様はお可哀想ってネチネチいびられた件でしょう。
あれはかなり堪えていたみたいよね。私でもかなり凹むわ」
その後もしばらくロウアー伯爵令嬢への嫌がらせについての雑談で盛り上がる。
千夏があったことがある貴族達にはそのような陰険なところはなかった。
といっても会ったことがある貴族というのは大貴族だけなので、そこそこの荘園を配下に任せっきりで暇を持て余した王都在住の貴族とは違うからなのだが。
(貴族うざいわぁ……。王都に住むのはやめておこう)
旅から戻ったあとの持ち家購入計画に重要事項だと心でメモをとる。
(せやかて退屈なもんやな。セレナは寝とるし)
あくび混じりのシルフィンの声が聞こえてくる。千夏も寝ちゃおうかなと考えていたところで、ミーネに話しかけられる。
「アルフォンス様はどんな女の子が好みなのかしら?」
また答えずらい質問をされたものだ。
彼女たちもここで情報を集めているのだろう。
千夏はアルフォンスの下で働いている期間が短く、そういう情報を持っていないことを素直に答える。
千夏の回答にあきらかに期待が外れ数人ががっかりとしている。
竜か妖精を連れてくれば凄い勢いで食いつくよと思わず助言をしそうになったが、ぐっとこらえる。
普通に考えれば道端に落ちているようなものではない。
千夏はトイレの場所を聞き待合室を出る。あまりにも暇でお茶をガブ飲みし過ぎた。
屋敷を出て裏にまわった小道の先にトイレがある。
その道の途中でレモンイエローのドレスを着込んだ女性が疼くまっていた。
かがみ込んでいる方向から察するにトイレに行った後で気分が悪くなったようだ。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
千夏は女性そばにかがみ込み、相手の顔を覗き込む。
「み……水」
真っ青に顔色で絞り出すように彼女は呻いた。
千夏はアイテムボックスから水筒を取り出すと彼女の口元に押し付ける。
すぐに彼女は口を開けたので。千夏はゆっくりと水筒を傾け水を飲ませる。
彼女はこくこくと水を少し飲んだ後、パタリとそのまま気絶する。
呼吸音は最初に声をかけた時より落ち着いている。
ぐったりと倒れ込んできた彼女を抱え込み千夏は途方に暮れる。
トイレの近くの裏道には他に人の気配はないし、千夏が彼女を担いで屋敷まで歩けるだけの力はない。
「どうするかな……。このままここに置いていっちゃだめかな? 駄目だよねー? 相手貴族だし……」
彼女を地面に横たえて、千夏一人で屋敷に戻れば人を呼べる。ただししばらく彼女を地面に寝かせてた場合、後で怒られないだろうか。
面倒になった千夏は気絶した女性に触れながら、転移でバーナム辺境伯別邸前に移動する。
目の前で警護の任にあたっていた門番に声をかけ、彼女を屋敷の中に運び込む。
すぐさま出迎えた別邸の執事に簡単に経緯を話すと、彼はすぐにメイドに主治医を呼ぶように指示を出す。
「チナツさん。一度レイモン伯爵家に戻って当家であのお方を休ませていることを伝えて来て下さい。
お付きの者が心配しています」
千夏は頷くと、すぐにレイモン伯爵家と転移した。




