馬がいないのに馬車とはいかに
「中央、ですか……?」
呟くように返したルネッタに対して、ルナリアが小さく頷いた。コツコツとブーツを鳴らして、執務室の中を歩き、いつもの椅子へ。
どかりと座り、ごとりと肘をついて、ため息を一つ。
「直近の盗賊……というよりひとさらいの話、当然覚えているよな?」
「もちろんです」
何しろほんの少し前の話だ。ルネッタは一切何もしていないものの、ルナリア、エリスの二人が関わった話である。死人だって出ている。賊側に、だが。
「そのひとさらいの退治を手伝ってくれと、私宛に話が来た。王を通してのものであり、かつ相応の見返りを用意してあるようで……『行って帰ってくれば』、それで騎士団は完全に復活だと。謹慎処分の終了どころか追加で予算も回してくれるとさ」
「誰からのものなんです?」
ソファーに座ったまま、しかし少し厳しい目つきでエリスが訪ねた。なんとなくの不穏を感じて、なのだろうか。確かに妙に話が上手いような気はする。
再びのため息、そしてたっぷりと沈黙を挟んでから、ルナリアは答えた。
「シェリン・レム・ヴィートリヒ」
「なっ……」
目を見開いて、明らかに驚いた様子を見せるエリス。しかしルネッタには聞き覚えが無く、それを察してくれたのだろう、エリスが即座に補足してくれた。
「古老の一人ですよ」
思わず、息をのむ。ただその一言だけで、事態の重さは簡単に分かってしまう。そのくらいの知識はもうルネッタにもあるのだ。
エリスが額に手を当てて、眉をしかめた。
「妙ですね。古老ともあろうものがあんな賊の駆除に外部の手が必要とは思えません。背後が巨大? いえ、であればなおさら私たちを引っ張る理由がない」
「アンジェの言っていたこと、覚えているか?」
「ええ、まぁ……つまりはそういうこと、なのでしょうが。それにしても疑問は消えません。こんなものの処理に団長を引っ張り出す必要が無いのは変わらない。我らの援助の言い訳づくりで一応の筋は通りますが」
ルナリアの指が、そっとテーブルをなぞる。
「一人では足りないから二人で。そんな感じのことをアンジェが言っていたな。これがその答えなら……何をやらされるんだか」
「とはいえ、行く以外の選択肢も無いですよね」
「そりゃそうだ」
彼女はすっと立ち上がった。
「さて、とりあえず準備でも――」
言葉を遮るように、ドアをノックする音が響いた。
「団長」
低く、重い声。ガラムのものだ。
「どうした? ああ、入っていいぞ」
「いえ、それが……」
扉を開けて入ってきた巨漢の顔つきは、明らかに訝しげだ。
「お届け物、なのですが」
「誰からだ?」
「シェリン・レム・ヴィートリヒ老となっています。しかし問題はそこではなく」
首をかしげるルナリアに、ガラムは咳ばらいを一つ。
「見てもらったほうが早いでしょう」
頷き、ルナリアが歩き出した。ルネッタとエリスも後を追う。なんとなく、反射で。
すでに慣れた木造りの廊下をぞろぞろとみんなで歩き、そのまま宿舎の入口へ。扉を開けて、外に出る。見慣れた風景、聞き慣れた喧噪――の中に、見知らぬ異物が、確かに一つ。
――これは
「あー……」
「んー……」
なぜか二人が唸る。ルナリア、エリスの両名が。
ルネッタはと言えば、反応の理由がいまいちわからない。だって、これは、
「馬車、ですよね……?」
文字通りだ。ただし明確な違いが二つ。馬がいない。そして車輪が六つ付いている。さらに、前の部分は手動で角度を変えられるような作りにさえ見える。
「これで来いってことかぁ」
「はぁー……面倒ですねぇ」
明らかに気乗りしない二人の声。疑問に思い尋ねる――までもなく、こちらの顔色を読んでくれた。
「これは、まぁ名前はもう忘れたが、要するに魔力で動く馬車なんだよ。車輪に魔力を注ぐとぎゅんぎゅん回るので、馬無しで移動ができる」
それを聞いてルネッタは目を見開いた。だって、そんなことが出来れば、
「あ、今凄いと思ったでしょう。思いましたよね?」
エリスがまるで差し込むように告げた。ルネッタは――頷く。おずおずと。
「そんなうまい話はないんですよ。これ動かすの、死ぬほど疲れるんですよね。私や団長なら走ったほうが全然楽です。しかもそっちのほうが速い。挙句動作効率が劣悪なのか、ガラムくらいじゃ動かすこともできません」
「……面目ない」
「別に責めてませんて」
ふぅ、と少し大きめの息をルナリアが吐いた。
「というわけで、ガラム。しばらくここを留守にするので、後を頼む。訓練もできずまぁ暇だろうが……なんとか皆を見ておいてくれ。何かやらかさない程度に」
「それは構いませんが……どこに出かけるのでしょうか」
「そりゃヴィートリヒ領に決まっている。三人で行ってくるよ。元からエリスも連れて来いとのことだったし」
「了解しました。お気をつけて」
ぱん、と手を叩いて、ルナリアは続ける。
「はいはい、じゃあ準備開始。これ動かすなら食料たくさん積んでおかないとな」
「はーい」
気だるげに答えて、そそくさと動き出すエリス。ルネッタは、
――えへへ
何も言わず、言われず、一緒に行くことになっている。それが、うれしかった。とても。
「これで最後っと」
どずん、と音を立てて、冷箱が馬車の中に積まれた。元から豪華なつくりのために客室の広さは十分なはずだが、それでも四人用が二人用になっている。もちろん着替えと食料が埋めているからだ。
エリスが尋ねる。少しだけ、鋭い顔で。
「……で、どっちが動かすんです、これ」
「あれ? いつもはこういうの、さらっとやってくれるじゃないか」
「むぅーーー……」
口をとがらせる。これほどまでに『拗ねる』という表現がふさわしい顔も無いと思う。
「だってー……私が動かすってことは、私だけが御者台送り、一人寂しく外に追放ですよ? その間中で何する気ですか」
「何するって、何かするなんて言ってないだろうが」
が、ルナリアはすすすっとこっちに寄ってきて、そっとルネッタの髪を、なでる。
「何もしないとも、言ってないけど」
「むーーーっ」
抗議の声。抗議の唸り。膨らむ頬。エリスのそんな様子は――もちろんかわいいだけだ。どうしようかとルネッタは思う。どちらにつくかといつも思う。結局どっちも選べない。
悩むルネッタをまるで置いてけぼりにするかのように、ルナリアが今度はエリスに詰め寄り、そっと――今度はエリスの髪をなでる。指を絡めて、すくように。
「ちゃんと途中で変わるから。それでいいだろ?」
「そっ……いっ……良い、けど」
一目でわかるほどにエリスの顔が赤くなった。言葉遣いまで乱れている。
――うーん
なんというか、最近はもう主導権の比重が明らかにルナリア優位になっている気がする。タガは風に飛ばされ山の向こうまで消えているのだろう、たぶん。
「はいはい、じゃあ行きますよ。私が動かしますからっ!」
明らかに照れつつ、エリスが御者台に上った。勢いよく座った――のだが、音はまるでしない。あらゆる意味で高級品だ。さすがは古老の品、なのだろうか。
「じゃ、行くぞルネッタ」
「はいっ」
客席に二人で乗り込んだ。こちらも負けず劣らず豪華なつくりで、長旅でもお尻が悲鳴を上げないであろう質の椅子だ。深く沈み、柔らかい。並んで二人が座っても、まだまだ余裕はある。
――仕事のはず、なんだけど
どことなしの旅行気分だ。もっともそれは――三人とも似たようなものかもしれないけれど。
「しゅっぱーーつ」
「はいはーい」
ルナリアの、まるで子供のような掛け声に、あきれた様子でエリスが返す。
そして馬車が動き出した。
「う、うわっ、わっ」
思わず声が出てしまった。速い。思ったより遥かに速い。
「おいおい、通行人を轢くなよエリス」
「わーかってますって。信じてくださいよ」
何しろここはまだ王都の通りだ。そこら中にひとはいる。怪訝にこちらを見る男、慌てて横に飛びのく女、その隙間を縫うように、エリスの動かす魔力馬車が爆走していく。
――凄い技術、だけどなぁ
この国でも本当の上澄みしか動かせない、という点さえ無ければ恐ろしい技術なのだろう。もっともその点がまさに致命的なのだろうが。同時に――エリスもルナリアもこの馬車より足が速いのだと、改めてその凄まじさを実感させられたりもする。
「後ろに乗る分には悪く無いなぁ」
少し茶化したような、ルナリアの言葉。
駆け抜けて、駆け抜けて。建物が左右から消えて、そのうち道から人もいなくなって、草原の中にどこまでも引かれた一本の道を、魔力馬車はどんどん進む。
流れていく景色を見送る。速度が普通の馬車の軽く倍は出ているせいか、とても感覚が新鮮だ。
見とれるように景色を眺めていると、
「るーねったっ」
呼ばれる。振り返る。
「んっ」
小さく声を出しつつ、彼女は腕をがばっと開いている。抱きとめる寸前のように。
――こい、と。
それ以外に考えられない。一瞬迷う。けれどそんな逡巡は、一気に寂しそうな顔をするルナリアの前では、あっという間に消えてしまう。
「んーっ……ふふふ」
抱きしめる。抱きしめられる。彼女の匂い。感触。暖かくて、優しくて。彼女の手が伸びてきて、そっと頭を撫でられて。
もう数えきれないほどこうしているのに、飽きるなんてまったくなくて、それで、
「こらーーーーっ!」
エリスの声。思わずびくりと体が縮こまる。
「もー、人に動かさせといて本気でそれやります!?」
「良いから前を見てろって、危ないなぁ」
全くひるまないルナリアに対して、ルネッタは多少罪悪感は出る。一応仕事中、でもあるわけで。少しだけ、体を離す。ただし腕は抱き着いたままだけど。
「あの……」
「どうした?」
「いえ、向かう先はどういう場所なのかなと思いまして」
ふむ、と彼女は呟いた。
「古老についてはもう説明もいらんとは思うが」
頷く。当然だ。この国を支配する大貴族中の大貴族、王にも並ぶ力を持った支配者たち。一人は直接知っている。
「古老の中でも、建国時からその地位にいる最古の五家は、それぞれが担当があるのさ。ライールは商、ラナティクシアが政、ベリメルスが武、レシュグランテが法、そしてヴィートリヒが――工だ」
「工……ということは」
「分かったみたいだな。そう、作ること。単なる鎧、あるいは食器、様々な魔術道具まで、とにかくこの国に流通する物のかなりの割合をヴィートリヒ老の領土で生産しているのさ。立ち位置としては極めて重要だろうな」
ルナリアは一度言葉を切った。まるで考える時間を作ってくれるみたいに。
そして、続ける。
「今から向かうのはそのシェリン老が直に治める場所、造工都市ヴィトニス……らしい」
「らしい?」
「行ったことが無いからな」
肩をすくめる。まさに、それにかぶせる様に、
「はいっ! はいはーい! 行ったことありますよ私! これは交代では!」
馬車の外から元気よく。ちょっと苦笑しつつ、ルナリアが返した。
「いいよ、そろそろ交代しよう。一回止めてくれ」
「はーい!」
がくん、と体が傾く勢いで魔力馬車の速度が落ちる。進むにしろ止まるにしろ、中々にじゃじゃ馬なようだ。
止まると同時にエリスは飛び降り、客室の扉をがちゃりと開ける。
何か言おうとしたのだろう。たぶんそうなのだろう。
その口を、その前に。ルナリアの唇がそっとふさいで。
「……ごくろうさま」
エリスは……ぱくぱくと、呆然と。もう数えきれないほどしている口づけだって、こんな急にされれば、無理もない。見ているこっちだって恥ずかしい。
「――こほん。だいぶ改善されたみたいですよ。前よりは動かす魔力がだいぶマシです。……とはいえ、という感じですが。根本改善には程遠そうですね」
「なるほどね。まぁ気を付けるさ」
二人が入れ替わり、今度はエリスが隣に。一気に距離を詰めて、即座に腕を組んで指を絡めて。今度はエリスの体温、感触、そして匂い。思わず頬が緩むけど、でも、
「いやー…………最近、私ずっと負けてません?」
「……それは、まぁ」
自覚はある、のか。でもこれはこれで、すごく、しあわせ、だと思う。
そして――魔力馬車が動き出した。




