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Elvish  作者: ざっか
第四章
101/118

わたしの彼女は剣闘士 二


 琥珀色の液体が注がれたグラスを、ゆっくりと手に取る。

 くるりと回し、けれど決して音は立てず。上品に、芳醇で、格調高く。

 

 西方からはるばるやってきた高級酒。森も草木も酔いどれる極上の一品に口をそっとつけるとシアン――エリスはそれを一気に飲み干した。

 口が焼かれる。喉が焼かれる。胃が焼かれる。そして熱い吐息を吐く。


「あー……」


 高い酒を垂直に傾けるこの快感。名の知れた品を粗暴に平らげるこの至福。こうやって思うさまに飲むのが一番だとエリスは思う。取り繕った仕草などクソ喰らえである。

 

 グラスを置いて、だらりと姿勢を崩す。単なる木の椅子は、しかし不思議と座り心地が良い。床も壁も天井もすべて木造り。店内の明かりはどこか頼りない程度であるが、それが雰囲気を柔らかくしているように思う。

 

 つまり、ここは酒場である。その一言で片づけるには、食事が充実しすぎてはいるけれど。

 剣闘士としての日々はそれなりに順調であり、金銭面に十分すぎるほどの余裕ができた。そのおかげ――あるいは所為で――外食を覚え、酒を覚え、今やこうして常連になってしまった。

 

 マティアの料理を食べる数が少々減ってしまったが、その分彼女の負担も減るのだから悪くは無い、と思う。家で大酒を飲むと良い顔されないし。

 エリスはだらけた姿勢のまま手を伸ばして、つまみの干し肉をもむもむと食べる。保存は凍り付けで間に合っているわけで、つまりこれは純粋に味のための『干し』なのだ。

 

 口内に広がる肉汁と香辛料の味。当然追加の酒がほしくなる。次を求めて瓶へと手を伸ばしてみたが、やけに軽い。持って振っても音がしない。

 さてどうするかと考えていると、カウンターの向こうから声がする。


「もう一本どうですか?」

「ん……じゃあお願いします」


 店主の誘いに、素直に乗る。

 向こうは高い酒が売れて嬉しい。自分は美味い酒が飲めて嬉しい。すばらしい話であろう。


「相変わらず高い酒飲んでますねぇ、姐さん」


 声は背後から。エリスは肩越しに振り返る、あるいは睨みつける。


「その呼び方はやめろっての。だいたいあんたのが歳上でしょうに」

「じゃあ姉さんにしますか。それに固定化済ました後じゃあ歳に大した意味なんかねーっすよ。ようは強いかどうかです」


 にこにこと、人懐こそうな笑顔で現れた青年。名はエティンという。背丈、体格、ともに普通。顔はまぁまぁ綺麗なほうか。腕のほども恐らくそこそこで――つまりはどこにでもいそうな男エルフ、ということになる。


「……あたし、固定化まだなんだけど」

「じゃー強いってことで。あ、俺にも酒お願いしますよ親父さん。トーラエールの一番安い奴」


 注文しつつ、躊躇なくエリスの隣に腰かけた。中々に失礼な態度であろうが、即座に蹴り出す気も起きないのはやはりこの雰囲気ゆえか。まぁにこにこにこにこと、毛ほどの邪気も無い顔をしている。


「で、どうすか?」

「どうって?」

「またまた……うちに来てくれるって話、どうなったのかなーって」


 エリスは鼻からすぴーと息を吐いた。

 このエティンという男、こんな見た目と態度でありながら練団の構成員である。所属しているのは『流木樹』という名で、言葉の通りの弱小組織。なんでも全員足してようやく十に届くとかなんとか。勧誘に必死になるのも、理解できなくはない。

 

 エリスにとってもこの手の勧誘は初めての話ではない。剣闘で勝ち、名が売れれば売れただけ、誘いの声はやってきた。強い戦士はどの組織であっても喉から手が出るほど欲しいものだ。

 

 現状来る話は全て断っている。所属してしまえばしがらみができる。いやだからやめますで済むとは思えないからだ。幸いにして今まで声をかけてきた練団はどこも素直なもので、一度断ればほとんどの所はそれきりである。

 

 その数少ない例外の一つが、まさにエティン。この酒場に飲みにくると、二回に一回は遭遇するのだ。本来であればそのしつこさに切れて拳でわからせるところなのだが――なぜか殴り飛ばすつもりにならないのは、やはり笑顔ゆえなのだろう。こういう強さもあるのだと、見習いたいくらいである。


「前に断ったの、覚えてないのあんた」

「覚えてますとも。でもほら、何がきっかけで心が変わるかなんて分からないもんですよね」


 悪びれもせずに言う。変わらず笑顔である。


「本音を言うと、うちも大変なんですよ。只でさえ数が少ない上に、一番使える奴が遠出しちゃってましてね。その代わりに一人入ったは入ったんですが、これがまた問題のある奴でして……」

「問題って?」

「いやいやそんな深刻な話ではなく、ちょっとやんちゃだってくらいですよ。腕はまぁまぁ使えますし、追い出すってのも、ねぇ?」


 適当に流しつつ酒を飲む。それでもエティンはめげずに続ける。


「そこで姉さんの登場っすよ。絶対かなわない相手にボッコボコにされれば、無駄に尖ったのもおとなしくなるんじゃないですかね。そうすりゃありがたい戦力になるってもんで」

「なんであたしがわざわざ――」


 ばんっと。威勢の良い音と共に酒場の扉が開いた。入ってきたのは体格の良い男。魔力の質、隙の無さ、ともにそこそこである。

 男はずかずかと大股でこちらまでまっすぐやってくると、


「よぉエティン、話ってのは? 酒おごってくれるってことなら喜んでいただくぜ、俺はよ」


 その言葉だけですべてを察することができる。

 ――最初からそのつもりかこいつ

 じろりと睨む。エティンは素知らぬ顔である。

 ――でもなぁ

 

 確かに強面であり『やんちゃ』な空気を感じないでもないが、逆を言えばその程度である。この街で暮らして早数年、まー性質の悪い悪党はそれなりに見てきたが、目の前の男がそれと同質にはとてもとても。


「言っておくがトーラエールは無しだ。もうちょい上等なのをな……ってなんだよその女は」


 言うが早いか、顔に好色そうな笑みを浮かべつつぐいっと距離を詰めてきて――躊躇なく肩に手を置かれた。エリス自身が魔力を抑えているとはいえ、目利きは苦手なようだ。

 男が言う。囁くような声音ははっきりいって気色が悪い。


「なぁあんた。いったい幾らで買われたんだ? その酒か? 他にも乗せられたのか? エティンなんてほっといてよ、俺と遊ばねえか。幸い金はあるんだよ」

 

 ちゃりちゃりと、懐を鳴らす。わざとらしく。

 エリスは肩の手をぺしっと跳ね除けた。


「消えなさい。さっさと」


 見た目通りの男である、というべきなのかもしれない。それでも娼婦扱いは中々に頭にくるというものだ。たとえ着ている服が妙に露出が多いとしても、空気や雰囲気でわからないのかと。

 男は――大きく舌打ちをした。


「多少顔が良いくらいでいい気になりやがる。なぁエティン? 俺がやさしくてよかったなぁ姉ちゃん。下手すりゃ裏路地に連れ込まれてぐっちゃぐちゃにされるような態度だぜそりゃ」


 嘲り、からかい、そして煽る。

 エリスはゆっくり席を立った。前言撤回である。この男、なかなかに不愉快に出来ているらしい。

 その動きを見て、最初に声をあげたのはエティンだ。


「ちょ、姉さん! 殺すのはダメっすよ!? 再起不能も絶対ダメっすよ?」


 次は酒場の店主。


「あ、あの……できれば外で……せめて店は壊さずに」


 幾人か居た他の客は無責任に盛り上がり、違和感を感じた男の顔だけが僅かに歪む。

 エリスは尋ねた。


「あんた、名前は?」

「……ガドルだ。てめえ、誰だよ」


 にこりと笑って、踵に力を込めて、


「エリス・ラグ・ファルクス。よろしく」


 一気に床を蹴った。




「いてえ……いてえよぉ……」

「バカだねぇお前は。相手は大人気の一流剣闘士サマだぜ? 勝てるわけねーじゃん」


 右腕を捻じり折られた状態のまま、床でもがき続けるガドル。その横で無責任極まる言葉を投げかけ続けるエティン。お前の所為じゃないのかという気持ちで胸がいっぱいになる光景である。

 

 とはいえ、折ったのはエリスなのだが。

 もっとも自他ともに認める絶望的な気短さを持つエリスである。この程度で済ませたことは褒めてほしいとさえ思っている。


「腕……腕が、俺の、腕……」

「あーもう、戻ったら治療の手伝いをしてやるから、とりあえず立ちな」


 エティンはガドルに肩を貸すと、引きずるように歩き出した。首だけで振り返る。目が合う。奴は――にこりと微笑んだ。それには複数の意味が込められているのだろうと、エリスは思う。

 

 出ていく姿を見送って、エリスは残った酒を飲みほした。

 金貨を取り出しカウンターに置くと、店主からの声がかかった。


「大変ですね」

「そういうもの、なんですかね」

「はは、また来てくださいね。お待ちしております」

「どーも」


 頭を下げて、エリス自身も店を出た。

 夜の路地。空気は少々冷たいが、そのぶん月も星も綺麗だ。

 家へと帰る道を急ぐ。もう遅いのでまっすぐに。その途中で考える。

 

 今日は静かに飲むつもりだったが、蓋を開けてみればこのザマである。下らぬ喧嘩、下らぬ勧誘。しかし、これでもマシなほうと言えるのだ。

 腕自慢に純粋に喧嘩を売られることもあった。暗がりから不意打ちのように襲われたことさえ。名が売れるとはそういうものだと、分かってはいるのだが。

 

 それもこれも、エリスが一人である所為、というのも嘘ではないのだ。強固な後ろ盾があればそれだけ襲うほうにも度胸が必要になるものである。

 ラグの名を持ち、一流と呼べる戦士のほとんどは大抵何かに所属している。金持ちのお抱え。練団の顔。あるいは――軍隊。道はそれほど多くない。ましてや軍属ともなれば剣闘など不可能であることを考えれば、猶更である。

 

 いずれにしても、完全に自由であることなど不可能なのだ。それはエリスとて心から理解してはいる。

 なにしろその証拠に、


「出てきたら?」


 今夜二つ目の客が、もうそこにいるのだから。

 言葉に応えるかのように暗がりから出てきたのは、片目の無い一人の男。見知った顔である。


「エリス殿。返答を聞きにまいりました」

「同じことをまた聞きたい?」


 断っても断ってもしつこい勧誘を続ける、数少ない例外。こいつはその二番目である。練団『いばらの幹』の幹部、らしい。総勢五十名を超える東側中堅上位の組織であり、現在絶賛勢力拡大中なのだとか。しつこい理由は、つまりはそれである。


「望む言葉を聞くまでは、いつまでもお邪魔することになるかと」

「へえ」


 みつめあうように睨み合う。重苦しく空気が軋む。

 横から、声がした。


「おい」


 弾かれたようにそちらを見れば、これもまた知った顔だ。


「ドゥーガちゃん」


 暗い路地の中央に、きわめて立派な体格の男が一人。父の練団の一員にして、元右腕。今はただの花屋だが、腕のほどは十分すぎるほどある。

 援軍だと思ったのか、あるいは目撃者が増えるのを嫌っただけか。いばらの男はいつのまにか姿を消していた。


「ありがとードゥーガちゃん」


 ひらひら手をふりつつ、傍へ。ドゥーガはなぜか低く笑った。


「俺が助けたのは向こうですよ。朝起きたら道に死体が、なんて気分が悪いじゃありませんか」

「……まーね」


 一対一であればたぶん勝てる。しかし組織を相手取るのは少々厳しい。それが今のエリスの自己評価である。ゆえにこの場で始めるわけにはいかないが、襲ってくれば反撃はしてしまう。悩ましく、同時に相手もわかってやっている。

 ――ま、今は良いか

 考えを脳の奥にしまいこんで、エリスはドゥーガに微笑んだ。


「うちよってく? マティアも喜ぶ気がするよ」

「あー……えーと、ですね」

「はいはい、寄ってくのね」


 この巨体で照れてどうする、と思う。それでも結局ついてくるあたり、分かりやすいというかなんというか。


「ちなみに言っておくけど、泣かしたりしたら下半身がみじん切りになると思ってね」

「……少しも冗談に聞こえませんね」

「本気だもん」


 くだらないことを言い合っているうちに自宅についた。王都に移り住んだ時にもらった家から、結局引っ越しはしていない。

 ゆえに狭い。正直ぼろい。それでも愛着らしきものは沸いてしまった。

 扉を開ける。見慣れた服の、心から大好きな彼女が、満面の笑みで迎えてくれる。


「シアンお嬢様!」

「ただいまぁー」


 とりあえずとばかりに、エリスはマティアに抱き着いた。深く深く、彼女の感触を確かめるように。

 今でも、マティアだけはシアンと呼ぶ。エリスもそれで良いと思う。

 

 マティアの優しい匂いに混じって、甘い甘いお菓子の匂い。エリスはきょろきょろと出所を探した。

 見つけた。テーブルの上。抱き合った姿勢からするりと離れて、目的の菓子を手に取った。

 

 単純な焼き菓子。特徴は驚くほどきれいに形が整っていることくらいか。これもマティアの腕ゆえである、と思う。

 口に入れる。さくっとかみきる。もぐもぐと味わう。甘い。


「ドゥーガちゃーん、お茶入れて」

「わかりました」


 もう、とたしなめるようなマティアの声。エリスは笑う。大きく息をする。家の空気で肺を満たす。

 次の試合は明後日だ。

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