第72話 信仰の父の、本気の、本気!
マグディエルたちは、アブラハムについて地下へと降りた。
カラオケ御座の入り口の先は、地下への階段になっていた。下りきると、正面に受付カウンターがあり、中に、人間の男性がひとり立っている。
男性は、こちらに気づいて、笑顔で声をかけてきた。
「いらっしゃいませー! 何名様ですか? あれ、会長! どうされたんです?」
男性はアブラハムに、親し気な笑顔を向けた。
アブラハム、会長なんだ。
アブラハムが、ぴしっと立って言った。
「すみません、予約していた、アブラハムです」
「もう、会長やめてくださいよ~」
男性が慣れた感じで、手をひらひらさせながら笑う。
アブラハム……常にこの感じなのですね。
しかし、部屋は本当に予約されていた。
与えられる祝福って、まさか、いつでもフリータイムでカラオケできます、みたいなことでは、……ないよね? まさかね。
アブラハムが、受付を終えて、振り向いて言った。
「みなさんには、一番大きなパーティールームを用意しております。ミラーボールつきの。それと、マグディエル様には、特別な部屋を」
「特別な部屋? それが祝福ですか?」
「ええ、フリータイムでいつでもお使いいただける、特別な部屋です」
まさか、ほんとうに?
「まず、そちらからご案内いたしましょうか。みなさまも、ご覧になりますか? 特別な部屋」
みんな頷いた。
アブラハムは「こちらです」と言って、廊下を奥へと進んだ。カラオケルームの部屋を次々と通り過ぎる。ちらほらと、部屋から、音楽や歌う声が聞こえる。
長い廊下を突き当りまで進むと、古いひとつのドアがあった。
アブラハムが、古い鍵であけて、入ってゆく。
ドアの先はさらに下へとつづく階段だった。石造りの階段が続いている。照明はあるが、カラオケの店内と比べると、ずいぶん薄暗い。
マグディエルは、アブラハムに続いて、階段をおりた。
空気がひんやりとする。
ふと、手をかけた壁を見て、気づく。
これって、石じゃない? ガラス?
よく見ると、壁も階段も天井も、すべて白みがかった水晶のようなガラス質のもので、できている。
「アブラハム、この階段の材料はもしかして、ガラスの海のガラスですか?」
「はい、ここから先は、すべて、ガラスの海から切り出された、ガラスが敷き詰められているのです」
目が慣れてくると、ガラスの壁も階段も、わずかな灯りをうけて、あやしく虹色に輝いていた。
ずいぶん長く、降りた。
暗い場所に出た。
灯りがなく、ちょっとさきは真っ暗で何も見えない。
アブラハムが壁にある何かを触ると、灯りがついた。
まぶしい。
階段の薄暗い照明とは対照的に、何もかも照らし出すほど明るい。
広い空間が広がっていた。天井も高い。部屋というよりは、広場のようだった。ここも、やはり、すべて、ガラスでできているようだった。光をうけて、響き合うように虹色がゆらめいて輝いている。
マグディエルたちは、広場の中央に進んだ。
ちょうど、中央のあたりに、四角く切り出された、ガラスのかたまりがあった。高さはマグディエルの背の二倍ほどで、美しく整った、立方体だ。
虹色の輝きが、他のガラスよりも強い。
近づいても、継ぎ目が見当たらない。滑らかな立方体だった。
うしろから、アブラハムの声がして、ふりむく。
「ここは、まわりをすべて分厚いガラスで取り囲むようにして、できています。大体、地上に出ている御座の大きさと同じくらいのガラスが、この地下に埋められているのです」
「ずいぶん、大きいですね」
「偉大な力を殺すためには、このぐらいの準備が必要なのですよ」
アブラハムの瞳が、虹色のひかりをうけて、あやしく輝いて見える。
「殺す?」
アブラハムが嬉しそうに微笑んで言った。
「ええ、あなたの力を殺すためにね」
「それは、どういう……」
アブラハムが懐から、ピストルを取り出した。
その銃口が、まっすぐにマグディエルに向けられる。
「二千年も待ちましたよ」
「アブラハム……?」
マグディエルの指先が、しびれたように震えた。
アブラハムは、銃口をしっかりとマグディエルに向けたまま言った。
「マグディエル様、このガラスの性質をご存知ですか」
「……いいえ」
「ガラスの海を渡るときは、必ず一人で渡らなければなりません。なぜなら、ガラスの海の力によって、それぞれが、ガラスの海に閉じ込められるからです。一緒に渡ろうとしても、けっしてともに渡ることはできない」
アブラハムの顔に、ぞっとするような微笑みがあった。
「このガラスには、力があるのですよ。封じ込める力です。どんなものも、外へ影響することはできず、また外から影響することもできない。強力な呪いのような力を持っているのです。ガラスの海から切り出してしまえば、それぞれを離れ離れに閉じ込めるほどの力は失われますが——」
マグディエルは、ちらと周りを見た。
すべてのガラスが、無機質な表情で、逃げ道などないと言っているように見えた。
「あなたがたの力は完全に封印される。どれだけの力を出そうともね」
「アブラハム、一体何をしようというのです」
「言ったでしょう、あなたの力を殺すのですよ」
アブラハムはそう言って、マグディエルに向けたピストルを、しっかりと握り込んだ。引き金にかかる指が、ゆっくりと、押し込められる。
マグディエルは、震えを打ち消そうと、手を握りしめ、まっすぐにアブラハムの瞳を見つめて言った。
「わたしだけですか?」
マグディエルの言葉に、アブラハムの手が止まった。
「殺すべき相手は、わたしだけですか?」
「ええ」
「では、他の者は外へやってください」
アブラハムが、表情のない顔で、マグディエルをじっと見つめている。
マグディエルは、震える足にも力を入れて、言った。
「どうか、お願いします」
しばらく、静けさだけが、あった。
アブラハムが急にほがらかに笑った。
え?
「いやあ、参りました。マグディエル様は、立派な心の強さをお持ちですな」
「えっ?」
アブラハムがピストルをぴらぴらっと振って言った。
「おもちゃですよ、ちょっと脅かそうと思いましたのに、全然気づいて下さらないので、とんでもない悪者みたいになってしまいました」
「ええっ⁉」
「いや、しかし、見るからにオモチャと分かるように選んだのですが、そんなに本物に見えましたかあ」
よく見ると、ほんとうに安物の、ちゃちなおもちゃだった。
見るからに……、プラスチックの。
「エーッ‼」
「マグディエル様以外、皆さん、気づかれていましたよ。しずか~に見守ってました。ほら」
そう言われて、振り向くと、ナダブがルシファーとベルゼブブに口を押さえられている。ナダブの目は、見るからに、——笑っていた。
ルシファーとベルゼブブがはなす。
ナダブは、ひきつれたように、変に笑いをともなった声で言った。
「マグディエルまじで、なんでなんだよ、もう、どこから突っ込んだらいいんだよ。見るからにプラスチックのおもちゃじゃん。なのに……、おまえが……、最後にかっこよく決めるから、余計におもしろかっただろ!」
細かく丁寧に説明するなよ。
くそ。
いや、よく考えたら、たしかに、みんな静かすぎた。
あんな……、銃口を向けられているのに、 神の子までだんまりなのは、どう考えてもおかしい。
マグディエルがむすっとすると、アブラハムが「悪いことをしました」と言って、また急激に身を低くしようとしたので、マグディエルは「やめてください! やめてください!」と叫んで、止めた。
で、結局、なんで、ここに来たんだっけ⁉
だんまりの神の子が言った。
「良かったですね。マグディエル」
マグディエルは、すねた気持ちで聞いた。
「いったい、何が良いというのですか」
イエスが、ははと笑って言う。
「ガラスの部屋ですよ、とくに、あの真ん中にある入口のない部屋は、純度の高いガラスをそのまま切り出しているようですから、その力は強力です」
イエスが視線をやった広場の中央には、滑らかな立方体がある。
マグディエルが首をかしげると、アブラハムが言った。
「ええ、あの部屋は、ガラスの海の深い場所にある、まじりけのないガラスを使って作られています。どんな力も、封じ込めます。どんな力も——、殺すことができるのですよ」
「それが、わたしに与えられる祝福ですか?」
アブラハムが微笑んで頷いた。
「先ほども、言ったでしょう、あなたの力を殺すのですよ」
マグディエルは、はっとして、虹色に輝く部屋を見た。
七色に変化する輝きが、まるで波打つように光をはなっている。
アブラハムの声が、まるで、現実味のないような音で聞こえる。
「あのガラスは封じ込め、殺します、——終わりをはじめる音でさえ」
それは、つまり——。
喉が、かわく。
イエスの声が聞こえた。
「あの部屋の内側でなら、あなたの第一番のラッパを吹きならすことができます」




