第71話 信仰の父の、本気!
「おー!」
マグディエルは、大きなビルを見上げた。
ビルの上には緑玉の虹がかかっている。全面がガラス質のビルは、空の青と、緑玉の虹の緑をうけて、まるで美しい泉のように青と緑に輝いている。
マグディエルたちは、御座公式ラインに届いた地図をもとに、街の中心にある、御座へとたどりついた。
「なんだか、オフィスビル、という感じですねえ」
ベルゼブブが見上げながら言った。
結局、ベルゼブブもミカエルもマトレドも、みんな一緒に御座まで来た。
入り口に近づくと、たくさんの人間や天使が出入りしている。
中に入ると、一階は広いロビーになっていた。天井が高く、全面ガラス張りになっていて、外の景色が見える。開放的な空間だ。窓際にはいくつものソファとテーブルが用意されていて、そこで座って話している人間や天使もいた。
ロビーの中央あたりに巨大な石がある。
マグディエルの二倍、いや、三倍ほども高いだろうか。文字が書かれている巨大な石板だった。全体的に新しい感じのする御座の中で、この石だけが妙に古く見えた。
ナダブが「でか~」と言いながら近寄る。
マグディエルも近づいて見た。
こう刻まれている。
『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神の塔をたてよ。神の選びに祝福を与えよ』
ナダブが難しい顔をして「う~ん」と言った。
「どうしたの?」
「いや、ここに刻まれてるのって……」
ナダブはちょっと悩んだ顔をしてから「いや、やっぱ、いいや」と言って、興味なさそうに先に進んだ。
マグディエルも、もう一度、刻まれた文字を見てから、ナダブの後を追った。
奥に進むとエレベータが並んでいる。どうやら、低層階用と、高層階用にわかれているようだ。
イエスが振り向いて言った。
「何階と言っていましたっけ?」
マグディエルは、御座公式ラインを確認して言った。
「七十階ですね」
みんなで、高層階用エレベータに乗りこむ。
高層階用だけで八基もあるエレベータは、全員が乗り込んでも余裕の広さだった。二十人以上、乗れそう。
エレベータが一気に七十階へと上昇する。
耳の奥がぎゅっとなった。
七十階につくと、窓から御座シティが一望できた。
みんなが窓から、街を見下ろすなか、ペトロだけが、窓に近寄ろうとしない。
「ペトロ? どうかされましたか?」
「いいえ、べつに」
なんだか、顔が青い。
イエスが驚いた顔で言った。
「ペトロ、もしかして高いところが苦手ですか?」
「いや、ある程度は大丈夫ですけど、こんな、高いのは初めてで……」
すると急にルシファーとベルゼブブが両側からペトロの腕をつかんで、持ち上げるようにして窓のそばまで運んだ。
「イヤーッ! 悪魔よ去れーッ!」
ペトロの絶叫がひびいた。
イエスが、のんきに言う。
「えー、知りませんでした、二千年たっても、知らないことはあるものですね」
ペトロはふたりの悪魔にがっちりと腕をつかまれたまま、窓に向いて立っている。マグディエルのいる場所から、それぞれの表情は見えない。見えないが——。
ルシファーと、ベルゼブブは絶対楽しそうな顔してるんだろうな。
ふたりの悪魔が、ペトロにやさしい声で囁いている。
「ほら~、目をあけて見ないと、勿体ないですよ? 神の座から見る景色なんですから~」
「ペトロ、最上階に行ったら、もっとよく見えるよ。あとで行こうね」
悪魔だな。
「マグディエル、お待ちしていました」
そう声をかけられて、振り返ると、ロトがいた。
マグディエルは今になって心配になって訊いた。
「あの、こんなに大人数で来ても、大丈夫でしたか?」
「大丈夫ですよ! 皆さんで来られると思っていたので、アブラハムにも伝えてあります」
ロトはそう言って、奥の方へと案内してくれる。通されたのは、広い応接室のような部屋だった。中央に大きなローテーブルがあり、それを囲むように大きな革張りのソファが置かれている。
そこに、一人の人間の男が座っていた。
えっ。
マグディエルの心拍数が急上昇する。手には汗、喉はかわき、足は震えはじめた。
ソファに座っている人物の見た目が、あまりに怖かった。
マフィアのボスみたい。
いや、みたい、というか、完全にそう。
完全に映画ゴッドファーザーのドン・ヴィトー・コルレオーネだ。
こわいっ。
ドンは立ち上がって、マグディエルの前まで、ゆっくりと歩み寄って来た。
ロトがにこやかに紹介する。
「マグディエル、こちら、アブラハムです」
マグディエルは怖すぎて、つっかえながら、丁寧に挨拶した。
「マグディエル様」
アブラハムはそう言ったかと思うと、身を低くした。
えっ、困ります、困ります。
マグディエルも、慌てて、身を低くした。
するとアブラハムが「そんな、そんな」と言って、さらに身を低くする。
マグディエルも「やめてください、やめてください」と言って、さらに、身を低くする。
アブラハムが膝を折り、マグディエルが膝を折る。
アブラハムが床に手をつけ、マグディエルも床に手をつけた。
そして、アブラハムは完全に床に身を伏せた。
マグディエルも急いで、床に身を伏せた。
それ以上、身を低くできなくて、ふたりの動きが止まる。
応接室に、しん、とした空気が流れたあと、ナダブが吹き出した。
「え、ねえ、おれ、まじで、無理なんだけど、こんなの笑うじゃん」
やめろ、ナダブ!
笑いそうになるだろ!
マグディエルは下唇をかみ、腹筋に力を入れて、耐えて言った。
「アブラハム、お願いです。もう、ここまでにしましょう」
「わかりました」
アブラハムは、さっきまでの様子は一体何だったのか、というくらいあっさりと起き上がった。
また、ナダブが笑う。
「無理だって、なんか、おかしいって」
だまれ、ナダブ!
信仰の父だぞ!
立ち上がると、アブラハムが言った。
「あらためまして、アブラハムでございます。お待ちしておりました——」
アブラハムが、じっとマグディエルを見つめて、続けた。
「マニュニエニュ様」
たぶん、マグディエルのうしろで、全員吹き出した。
ナダブが、また、笑いながら言う。
「さっきは、言えてたじゃん! ぜったい、わざとだって」
マグディエルは、口をすぼめて息をはきだし、何とか耐えた。
イエスが急に歌い出した。
「アブラッハム~♪ アブッラハム~の♪ ハムをと~ったら♪」
アブラハムがノリノリで言った。
「ただの油♡」
マグディエルは、耐えきれずに、吹き出した。
くそ!
こんな、しょうもないことで!
神の子と、信仰の父が、何をしているんだ!
イエスはまだ歌う。
「アブラをと~ったら♪」
「素敵なハム♡」
アブラハムが、かわいいポーズを取ったところで、もうだめだった。
「何をしているんですか」
マグディエルは、たまらずそう言って、思いっきり笑った。
全員の笑いが完全におさまるまで、十分ほどかかった。
ルシファーが「マニュニエニュ様」と言ったことで、さらに十分ほどかかった。
腹筋が痛い。
油断すると思い出し笑いしそうなので、顔をぎゅっと引き締める。
場をしきりなおして、アブラハムが言った。
「マグディエル様、預言を受けて二千年、ようやっとお会いすることができました」
「預言?」
ナダブが「あ!」と声をあげて、言った。
「じゃあ、あの一階にあった石板の言葉って、やっぱマグディエルのこと?」
一階のあの大きな石板?
「どういうこと?」
「おまえ、ちゃんと見てなかったのか?」
「見てたよ、『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神の塔をたてよ。神の選びに祝福を与えよ』のことだよね?」
「おまえの事じゃん」
「えっ」
アズバが、あきれたような声で言う。
「マグディエル、あなたったら、自分の名前の意味、忘れたの?」
名前の意味?
それは……、ほぼ二千年前の、まだ小さなころに座天使から聞かされたような気がする。
「どんなだっけ」
覚えていなかった。
ナダブが、目を見開いた。
「おまえ、まじか」
イエスが笑って言った。
「あなたの名前はすこし特殊です。はっきりとした意味が与えられているわけではありません。『神が特別に選んだもの』とか『神のえり抜きのもの』というような意味もあり、『神はわたしの塔』という意味も含まれていますね」
アブラハムが頷いて言う。
「あの石板に刻まれているのは、預言のほんの一部にすぎませんが、核となるものです。ここは、もともとすべてガラスの海でした」
「えっ、もともと島があったわけではないのですか」
「はい、預言が下ってから、ガラスの海を切り出して作られたのが、この街です。御座も、ガラスの海から切り出されたガラスで作られています。預言にしたがって、神の塔をたてたのです。この御座を」
なるほど。
「この御座が、神の塔なら、わたしの名前が『神はわたしの塔』で……つまり……、え? 何でしたっけ?」
アブラハムがこけた。
イエスが羨ましそうな声で言った。
「え~、マグディエル、あなたいつのまに、そんなボケができるようになったんですか」
ボケてはいません。
アブラハムが持ち直して言った。
「神の塔をたてたのは、神の選びに祝福を与えるためです。それだけが、御座の役割ではありませんが、神の選びである、マグディエル様、あなたに祝福を与えることこそが、御座の第一番の目的なのです」
壮大すぎてついていけない。
本当に、そんなことが、あるんだろうか。
目の前で言われても、いまいち実感がわかない。
「では、まいりましょうか」
アブラハムがそう言って、外へと促す。彼は、一行を一階のロビーへと案内した。マグディエルたちは、ふたたび、あの古くて大きな石板の前に来た。
アブラハムが石板の裏にまわる。
「えっ」
石板の裏には、入り口が隠されていた。
いや、隠されていたと言っても、ただ、隠れて見えていなかっただけで、全然隠れようという気持ちは見えない。
電飾でビカビカに光っている。
入口には『カラオケ御座』と書かれていた。
カラオケ……御座……?
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おまけ ☆聖書豆知識☆
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【ペトロ】
いじめられてかわいそうなので、豆知識を記しておきます。
カトリック教会では、ペトロを初代ローマ教皇であるとみなしています。
バチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂(聖ペトロの大聖堂)の地下に彼の墓があるという伝承があり、実際に遺骨も発見されていますが、本当にそうなのかは、謎につつまれています。
【アブラハム】
神に祝福されて、多くの財産やしもべを持ち、よくそれらを守りました。
ロトが戦のとばっちりで全財産を奪われた折には、アブラハムが取り返しています。アブラハム自身が指揮し、しもべ三百十八人を招集・展開し、敵を追跡して打ち破り、すべての財産を取り返しました。かっこいい。
【マグディエル】
旧約聖書に登場する名前。
名前の意味は「神のえり抜きのもの」と解釈されたり、「神は私の塔」と解釈されることがあります。




