第70話 何度でも、想い合う夜
マグディエルは、お皿を片手に、お肉が焼きあがるのを待っていた。
目の前で、ベルゼブブが肉を焼いている。
バーベキューだ。
結局、イエスとルシファーの試合は、小太陽と化したボールがはじけとんだことで、引き分けになった。試合のあと、天軍がてきぱきと処理して、みんな解散した。
御座シティの住人である観客たちは、天軍のきびしい手荷物検査を受けて帰っていった。その手には、明星決戦の団扇があり、みんな笑顔だった。
悪魔たちは全焼のいけにえパイを手土産に、ルシファーが再び開けた、小さめの門から帰っていった。じゅうぶん楽しんでやった、というような笑顔をしていた。
天軍もイエスが再び開けた、小さめの門から帰っていった。ミカエルの「今日は緊急出動したからな、明日は特別休暇だ。ゆっくりしろ」のことばに、満面の笑顔で帰っていった。その手には全焼のいけにえパイがあった。
結局、天軍はミカエルとマトレドが残り、悪魔はベルゼブブだけが残って、今はロトがホテルの庭園に用意してくれた『試合お疲れさまでした打ち上げBBQ』をみんなで楽しんでいる。
ロトは「娘と食事の約束があるので」と準備だけして帰っていった。
ベルゼブブがかいがいしく焼いてくれている肉をじーっと見つめながら、マグディエルは背後の言い合いに聞き耳を立てていた。
さっきからルシファーとミカエルが、ずっと言い合いをしている。
いや、言い合いというよりも、ミカエルが一方的に文句をぶつけ続けている、というのが正しい。ルシファーのとなりにぴったりとはりついて「おまえのせいで」とか「いつも、おまえは」とか、ずっとぐちぐち言っている。
ルシファーはというと、まるで、全然とらえどころのない感じで、さらさらっとかわし続けている。
なんだろう。
マグディエルは背後に聞こえる二人の声を聞きながら思った。
ミカエルが妙につんつんしている気がする。
ルシファーにだけ。
確かに、テニスのせいでとんでもないことになって、天軍まで緊急出動することになったけれど、ミカエルはイエスは責めずに、ひたすらルシファーにつっかかっている。
マグディエルは、後ろをふりむいてミカエルに言った。
「ミカエルは、なんでルシファーにだけ、つんつんするんです?」
ベルゼブブが肉を焼きながら言う。
「ああ、マグディエル、それを聞いちゃあ、かわいそうですよ。あの泣き虫、泣いてしまいます」
「だれが、泣くか」
ミカエルは、もう、完全に化けの皮がはがれている。
昔からの知り合いである、ルシファーとベルゼブブがいるからだろうか。
マグディエルは不思議に思って言った。
「わたしと話すときは、ルシファーのことをかばっていたじゃないですか。わたしに『悪魔だからと、無理に憎む必要はない』と言ってくださいました」
なぜか場がしんとした。
あれ、これ、もしかして言ってはいけないやつだった?
マグディエルの胸が冷えた。
ルシファーがニヤニヤした顔で言った。
「マグディエル、他には何と言っていた?」
他に?
何だったか……。
「たとえ、悪く言われているものでも、良くされたなら感謝すればいいって」
「他には?」
「ルシファーとおれは……、考え方がすこし違うだけだ、とも」
「へえ、で、他には?」
そんなに、興味を引く内容だろうか。
あとは……。
「うーん、あとは、たまに会うくらいには仲良くしているって言っていました」
さらに場がしんとした。
あれ。
ミカエルを見ると、すごい顔でこっちを睨んでいた。
あ、これは、本当にまずいことを言ったのかもしれない。
どうしよう。
突然のことだった。
ルシファーが、ミカエルの唇にキスした。
一瞬。
ほんの、一瞬、ミカエルの瞳から、涙がこぼれたのかと思った。
すぐに、ルシファーが翼で隠してしまったから、何かが反射してそう見えただけかもしれない。たぶん、見間違いだった、のかな。
ベルゼブブが「あ~」と言いながら、マグディエルの皿の上に肉をのせて、腕をひっぱって言った。
「ふたりにしてあげましょう」
ベルゼブブの配慮は意外だった。
「優しいんですね」
「あとで、ミカエルをからかうネタがひとつ増えます」
テーブルに戻ろうとすると、妙な場所にナダブがいるのが見えた。ホテルの建物のすみっこのほうで、マトレドと頭を突き合わせるようにしている。
何してるんだ、あんなところで。
ベルゼブブが忍び足で近づいていくので、マグディエルもついていった。
そっと、ナダブとマトレドが何をしているのかのぞいてみる。
「マリファナですね」
ベルゼブブの言葉に、ナダブとマトレドが飛び上がった。
マグディエルは、ナダブの手の上にある、ちょっと形が変になったマリファナを見て言った。
「ナダブ、いつの間に……」
「いや、ちょっと、中身どんなかなって、気になって」
ベルゼブブがやれやれと言った。
「それで、あなたたち、吸いもせずに、ほじくりかえしてたんです? おばかですね。はい」
ベルゼブブがライターを出す。
ナダブが興味津々の顔でライターを見つめた。
マトレドが「いや、さすがにそれは……」とひるむ。
ナダブとマトレドとマグディエルの視線が交差した。
どうする。
どう、する?
「こら」
「ウワーッ!」
うしろから急に声が聞こえて、マグディエルが一番に飛び上がった。
ミカエルがいた。
思わず、聞く。
「あれ、もうルシファーと仲良ししなくていいんですか」
マグディエルがそう言うと、ベルゼブブが大声で笑った。
ミカエルが、マグディエルの首根っこをつかんで言った。
「マグディエル、お仕置きが必要なようだな」
「なぜです!」
ミカエルはマリファナを没収して、マグディエルの首根っこを持ったまま、みんながいるテーブルまでもどった。
もどりながら、ミカエルが言う。
「おまえは、きょうは、女の姿でわたしの部屋に来いよ」
「いやです。きょうはアズバと一緒に寝る約束をしているんですから」
テーブルで、すでに食べ始めていたアズバが振り向いた。
「あら、なんの話?」
「今日は一緒に寝てくれるんだよね?」
「ええ、そうね?」
マグディエルは、考えなしに言った。
「ミカエルはルシファーに女の姿で来てもらったらいいじゃないですか」
ミカエルがすごい顔をした。
わあぁ、こわい。
なんでルシファーのことになると、そんなにこわい顔をするんだ。
マグディエルは、あわててミカエルから距離を取ろうとした。
あわてて、離れようとして、足がもつれて転ぶ。
皿と肉が飛んだ。
イエスがすごい反射神経で、皿をつかんで肉を救い上げるようにするところが一瞬見えた。
転んで、地に手をついた瞬間、袖口からころころと、転がり出た。
凄十が。
まずい!
必死に手をのばしたが、凄十はあざ笑うかのように勢いよく、転がった。転がって、アズバの足元で止まる。アズバがそれをひろいあげた。
……まずい。
このタイミングはきっと、まずい。
マグディエルは小さな声で言った。
「アズバ、ちがいます」
ベルゼブブが、わざとらしく大きな声で言った。
「おやおや~! マグディエル! あなたったら、アズバの部屋に寝に行くのに、精力剤を飲んでから行くつもりだったんです?」
「ちがっ」
アズバと目が合う。
冷ややかな目をしていた。
マグディエルは勢いよく走り寄って、跪き、アズバにすがりついて言った。
「アズバ、ちがうんです、これは、ちょっと味が気になって、ほんのすこしだけ舐めてみようかなって思っていただけで、ほんとうのほんとうに邪な気持ちはひとつもないんです、ほんとうなんです」
一息で言った。
ルシファーが来て、アズバの肩を抱いた。
そして、なぐさめるような声で言う。
「アズバ、おいで、あぶないからわたしが守ってあげる」
アズバがつんとした顔をしてから、ルシファーに抱きついた。
マグディエルの喉から、情けないこえが出る。
アズバが思わずといったように笑った。
みんな、笑う。
「ほんとうに、ちがうんだ、アズバ~」
「わかってるわよ、ばかね」
イエスが言った。
「今日はもうみんなで寝ましょう。星空も綺麗ですし。ここに、何か敷けばいいですよ」
そういうことになった。
バーベキューが終わると、ルシファーが手をひとふりして、ふかふかの敷物とクッションをたくさん出してくれる。
イエスとペトロが並んで寝転がった。
「ペトロ、まことに、まことに、あなたに告げま……」
「——」
「あれ、止めませんね」
「大好きですよって言ってくださるのですよね?」
「ばれていました」
ふたりが楽しそうに笑う。
良いな。
ナダブはマトレドと並んで寝ころんでいる。マトレドが大きな翼を、ナダブにかけて温めていた。ナダブがマトレドの翼を、掛布団みたいにつかんでいるのが、なんだか可愛い。ふたりは、星空を見上げながら、なにか小声で、くすくすと笑いながら話している。
親密な思いが、こちらまで聞こえてくるようだった。
ミカエルはルシファーとベルゼブブにはさまれるようにして、寝ころんでいた。ルシファーのほうに顔をむけている。仲直りしたのかな。ルシファーの翼がミカエルにそっとかけられる。意外なことに、その上から、ベルゼブブが翼をかけた。まるで、ふたりとも温めてやろうというように、大きく広げられている。
ベルゼブブって、本当は優しいのかな。
ミカエルの表情は、ルシファーの翼にかくれて見えない。
もう、寂しい香りを、纏っていなければいいけれど。
どうか、ルシファーとベルゼブブの翼が、ミカエルの心まであたためますように。
マグディエルはアズバと並んで寝ころんだ。反対隣りにはナダブもいる。
アズバと手をつないで、星空を見上げる。
星がきれいな夜だった。
アズバの手と、星の光が、マグディエルの心をあたためるようだった。
どうか、だれのもとにも、安らぎの夜が訪れますように。
だれもが、寂しさも不安も、手放す夜でありますように。
マグディエルは、ほっとするような安らぎの気持ちで、眠りに落ちた。




