第59話 セックス・オン・ザ・ビーチ
イエスが土の壁にある小さな蔦に命じると、するすると伸びて、マグディエルの足元を支えた。蔦はしっかりとした足場を作り、そのまま上へと伸びあがってゆく。
暗い地下世界を、蔦がゆっくりとのぼる。
地下世界は、複雑に横穴が広がっていた。
マグディエルたちが落ちて来た穴も、いくつもの横穴がつながったアリの巣のように複雑な形をしている。
「これは、迷いそうですね」
マグディエルが言うと、となりで肩のネフィリムをぽよぽよして遊んでいたイエスが答える。
「そうでしょう。暗いし、迷うし、ちょっと泣きそうでした」
まさかね。
マグディエルは笑った。
「やっと笑いましたね」
そう言って、イエスがネフィリムの手からウリムとトンミムを受けとり、マグディエルの手に渡した。マグディエルは手の上に置かれた、ふたつの異なる輝きを見た。誰かの幸せを願うあの声は、いったい何だったのだろう。
「ウリムとトンミムが光ったとき、声が聞こえました」
「へえ、なんと言っていましたか?」
「幸せがおとずれますように、と。ぼくがきみの幸せを願っていることを忘れないで、そう聞こえました」
「それは、最初の願いの声かもしれませんね」
「最初の願いの声?」
「ええ。ウリムとトンミムは、はるかに古い時代に、願いから生まれた石です。思いやりの心から生まれたと言ってもいいですね。ウリムとトンミムはもともと、互いを思い合う別々の存在だったのですよ」
マグディエルは、掌の石を傾けて、その不思議な輝きを見て言った。
「別々の? だからひとつの石なのに『ウリム』と『トンミム』という名前があるのですね。ひとつの石に異なるふたつの輝きがあるのも、そういう理由からですか」
「そう、彼らの永遠のいのちが、ふたつの異なる輝きを石に与えているのです。彼らは石の中で一緒に生き続けています。寂しくないようにね」
ひとつの石になり、永遠に生きるほど思い合う心とは、どのようなものだろうか。マグディエルには、想像もつかなかった。
「ふたり一緒なら、彼らは幸せでしょうか?」
イエスがにっこりとして言った。
「彼らの物語もまた、道なかばです。幸せな道であることを祈りましょう」
マグディエルが頷くと、イエスの肩でネフィリムも一緒に頷いた。
「イエス、わたしは、あなたにも幸せであってほしいのです」
マグディエルの言葉に、またネフィリムが頷く。
「わたしも、あなたがたの幸せを願います」
イエスが答えると、ネフィリムが嬉しそうに、小さな手でぱちぱちと拍手した。
イエスが嬉しそうに言う。
「ね~、わたしたち三人で好き好きどうしですね♡ みっつのことなる輝きをもつ石になっちゃうかもしれないです♡」
「それは遠慮します」
「マグディエル……あなた、なんだかケファに似てきました?」
マグディエルは笑った。
なんだか、幸せだな。
穴から出ると、アズバとナダブと、ペトロと背の高いネフィリムが、山の斜面で手をふっていた。
近くに行くと、ナダブがマグディエルの羽をにぎって言う。
「おまえは、穴と見たらすぐに落ちるな。心配しただろうが!」
「ナダブったら、あなたが暗がりで震えて泣いてるって、ずっと心配してたわ」
「アズバは地下でのこいつの様子を見てないから暢気にできるんだ。こいつったら死にそうな声で叫ぶんだから!」
「ナダブ……やめて……」
わあわあと、三人で言い合う。マグディエルは笑い合いながら、泣きそうな気持になった。なんて、大切な時間なんだろう。思い合う誰かと、ともにいられるということが、こんなにも身に染みて、大切だと思える。
イエスが「よーし」と大きな声をだした。
「さくっと、閉じちゃいますよ~。地はかたく閉じよ!」
すると、地がわずかに揺れた。揺れて、みるみるうちに、土が盛り上がるように、穴が塞がる。それだけではない、削れて土がむき出しになった地面に、草が生え、花が咲く。小さな木も生えてきた。
あっという間に、まるで今までもそうあったというように、森の姿が再生される。穴があった場所には、一本の立派ないちじくの木が生えた。大きな実がなっている。
イエスが、木に近寄って、ひとつの実をとった。半分に割って、肩にいるネフィリムにわたす。
「このいちじくの木を目印にすれば、あなたとマグディエルが刻んだことばを見に来た者に、あなたの祈りを届けられるかもしれません。いつかね」
やはり、イエスにはすべてが見えているのだろうか。文字を刻んだことは話してはいないのに。
ネフィリムが嬉しそうな顔をしたあと、いちじくを食べようと口をあけて、べちゃっと顔いっぱいに実をくっつけた。
下手くそすぎる。
マグディエルは、そばにいってネフィリムからいちじくを取り上げ、小さく割いて手渡した。ネフィリムは、マグディエルに顔を拭かれながら、満足そうに小さな口でいちじくを食べた。
*
一行はもう随分とトロッコで下ってきていたようだった。しばらく歩くと森を抜けて、すぐに、砂浜に出た。砂浜の先には、ガラスの海がある。
「……思ってたのと……違うな」
ナダブの言葉に、マグディエルは頷いた。
砂浜の先にあるガラスの海には、波はない。波がうちよせるようなものではなかった。砂浜の先に、ガラスの壁が立っている。虹色の輝きをもつ、白っぽく透明なガラスの巨大な壁だった。高さは容易には登れなさそうなほどに高く、左右はどこまでも続いている。
いや、それよりも……、思っていたのと違う要素は、別にあった。
砂浜には、色とりどりのパラソルがあり、その下で人々が寝ころんだり、座ったりして、ビーチを満喫している。浜の奥には、海の家のようなものも見える。そちらからうっすらと音楽まで聞こえていた。そのむこうには、コテージのようなものも見えた。
海の家に向かうと、音楽がはっきりと聞こえて来た。ポップミュージックがかかっている。屋根が連なる下にカウンターがあり、飲み物や食べ物があるようだった。中で座天使が、あっちへこっちへ、音楽にのりながら動き回っている。
「あ、コテージ受付ありますよ、あいているか聞いてみましょうか」
イエスの言葉にみんな頷く。もうそろそろ夕暮れ時だった。
受付に行くと、カウンターの奥で小柄な智天使が、椅子にだらっと腰掛けて読書中だった。こちらに気づくと、手をあげてにっこりとする。
「よお、お客さん」
イエスが人数を確認して言う。
「ちいさいのも含めて七人で泊まりたいのですが」
「お! ネフィリムじゃん。山から下りてくるなんて珍しいな。え? もしかして、あんたたちシオン山から降りて来たのか?」
「はい」
「まじか! え! ダンジョン通ってきたの⁉」
「ええ」
智天使が嬉しそうな顔をして、カウンターから身をのりだす。
「えー、いつぶりだよ、ダンジョンから来たやつ~。アヒちゃん元気にしてた~?」
アズバがにっこり答えた。
「とっても元気にしてましたよ」
マグディエルは訊いた。
「アヒさんとお知り合いなんですか?」
「おう、おれもほんとはダンジョンでのお仕事担当なんだけどさ~。あまりにも人来ねえから、五百年ほどサボってんの。こっちはいいぜえ、人気スポットだから、御座から人いっぱい来るしよ」
智天使があっけらかんと笑う。サボると言いつつ、ここで仕事をしているのも、なんだかおかしい。
「コテージあいてるけど、ちょっと準備するのに時間かかるから、となりのバーでウェルカムドリンクでも飲んでゆっくりしててよ」
智天使はそう言うと、そそくさと出ていってしまった。
マグディエルたちは、さっそくとなりのバーに行った。座天使が砂浜にある大きなパラソルのある席に案内してくれる。人数分のメニューを配って、あとで聞きに来るね、と言いおいて戻っていく。
マグディエルがメニューをひらくと、小さいネフィリムがそれを見て、まっさきにメニューの中を指さした。指した先にはビールと書かれている。
「え、お酒、飲めるの?」
ネフィリムが自信たっぷりに頷く。
本当だろうか。
背の高いネフィリムも同じようにビールを選ぶ。もしやネフィリムはビール好きなんだろうか。
メニューにはほかにも、たくさんのドリンクが書かれている。けっこう本格的なカクテルが用意されていた。
「わたし、シャンディガフ」
アズバのチョイスに、それもいいな、とマグディエルは思った。冷えたビールにジンジャーエールの爽やかな香りと甘み。疲れた体に優しそうだ。
「おれ、キューバリブレ」
ナダブのチョイスに、マグディエルの心が揺らぐ。ラムとコーラの鉄板の組み合わせに、さっぱりとしたライムで、浜辺で飲むにはぴったりの一杯だ。
「ペトロ、テキーラショットいきましょう」
「はい。いきましょう」
イエスとペトロは、最初からぶちかますつもりだ。これは、真似しないでおこう。
マグディエルはメニューをにらんだ。
「あッ!」
あこがれのカクテルを見つけてしまった。しかもここは浜辺、今飲まずしていつ飲むのか。マグディエルはおごそかに言った。
「わたしは、セックスオンザビーチにします」
イエスが「おっ!」と言って反応した。
「トム・クルーズの映画でしょ。絶対それに憧れましたね、マグディエル」
マグディエルとイエスが映画の話で盛り上がっていると、背後に翼の羽ばたきが聞こえた。すぐそこに天使が着地する。
「アズバちゃーーーん! さっそく会いにきたよーーーッ‼」
アヒさんがそこにいた。
隣に、コテージの受付をしていた小柄な智天使が立っている。
「久しぶりに存在思い出したら、会いたくなったから、アヒちゃん呼んできた~。せっかくだから、みんなで飲もうぜ」
座天使がちょうど注文を聞きにきた。
アヒさんが大きな声で答える。
「とりあえず、テキーラ三瓶と‼ 人数分のショットグラス‼ あとライムをたっぷりください‼」
ネフィリムふたりとイエスが、いいぞ! というような反応をした。
みんな、いっせいに喋って騒ぐ。
笑いがあった。
ガラスの海が、夕陽に染まり始めた。
虹色に輝くガラスの壁に、美しい赤が映える。
泣きそうな、美しさがあった。
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おまけ ☆聖書豆知識☆
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【ウリムとトンミム】
「光と完全」という意味。
大祭司であったモーセの兄、アロンが神の前ではかならず胸に入れていたという謎の石。
どんな石であったかは、諸説あり、謎につつまれています。
【ケファ】
アラム語で岩の断片、石という意味。
イエスはペトロのことを、ケファという愛称で呼ぶことがあった。
【いちじく】
イスラエルの代表的な作物のひとつ。
アダムとイヴが葉を腰にまいたり、イエスが呪ったり、聖書では象徴的に何度も登場します。




