第54話 ミザァ‼
マグディエルとアズバが、お互いの涙をふき、お互いの口にキットカットを入れてから、イエスたちのもとへ戻ると、ナダブが仁王立ちで待っていた。
「仲直りしたのか」
「した」
「なんかよくわからんけど不安だったろうが。ぎゅっとしろ」
マグディエルとアズバは、ナダブをぎゅっとやった。
アズバが近くにいたからか、マグディエルの姿は男のままだった。
「もう喧嘩するなよ」
「うん」
「なんかこわかったから、手つなげ」
ナダブを真ん中にはさんで、三人で手をつないで山をおりる。
イエスが、うしろをついてきて言った。
「なんだか微笑ましいですねえ。わたしたちも手をつなぎましょうかペトロ」
「いいのですか!」
「あ、やっぱり、やめておきます」
「なぜです!」
イエスたちがうしろで、手をつなぐ、つながないで、じゃれ合う。結局、ペトロがイエスの手をつかまえて嬉しそうにしていた。
「ペトロ、まことに、まことに、あなたに告げ——」
「やめてください」
「大好きですよって言おうとしただけなのに!」
「あ、じゃあいいです」
「途中で止めたからなしです」
「そんな……」
楽しい道行きになった。
しばらく行くと、雲の中に入った。あたりが真っ白にそまる。みんな慎重に、離れないよう進む。今度は手をつないでいるから、はぐれることはなさそうだった。
しばらく下ると、急に、晴れた。
視界が抜ける。
はるか先まで広がる天の国の姿が、そこにあった。
まだ、はるか下にあるが、聖書で読んだ通りの姿がある。
マグディエルの口から、思わず「うわぁ」と声が出る。
シオンの山のはるか下に、海が広がっている。太陽の光をうけて、水晶のようにきらきらと反射し、輝きをはなっていた。青ではなく、白にちかい。虹色のようにも見える。
ガラスの海だ。
そして、海の中に、島があった。
大きな島だ。
島には緑もあったが、ほとんどは街のようだ。小さな建物たちが、色とりどりに敷き詰められている。
その街の中央に巨大なビルがそびえたっていた。まるで、大きな玉座のような形をしている。全面がガラスでできているように見えた。空の色を映して、輝いている。
それより小さな、同じようなビルが、大きなビルのまわりを囲むように立っている。数えると、二十四あった。
そして、それらすべてのビルと街を囲むように、虹がかかっている。緑玉のかがやきをもつ虹だ。虹に近いビルは、その光をうけて緑色にかがやいていた。
あの、一番おおきなビルがもしや……。
イエスがとなりに来て言った。
「マグディエル、あれが御座ですよ」
ついに、探し求めていた姿が、そこにあった。
マグディエルは、よく見ようと、アズバとナダブの手をはなし、もう一歩踏み出した。
「あれが……み」
雪に足をとられてつんのめる。
つんのめって空をかいた足が、さらに反対側の足にあたってバランスを崩した。言いかけていたマグディエルの口から、思ったより大きな声が出た。
「みざあッッ‼」
シオン山に、マグディエルの声がひびいた。
マグディエルが両手をついて雪に着地すると、きれいな木霊が返ってくる。
「ミザァ…………ミザァ…………ミザァ…………」
イエスが後ろをふりむいて「……あ」と言った。
イエスの視線の先を見ると、急斜面を雪がころころと転がっていた。
ころころと転がる雪は、次々と数を増やした。
イエスが叫ぶ。
「全員、全力でかけおりますよ」
言われて、全力でかける。
背後で、かたくなった雪のかたまりがこすれ合うような、ぎゅぎゅっとした音があった。
マグディエルは、雪に足をとられながら、必死で、転がるように、おりる。
マグディエルとアズバとナダブは、ほとんどひとかたまりで走った。イエスとペトロはすこし右側を、斜面を滑り落ちるように走っていた。
うしろから、少しずつ大きくなる不穏な音が、追いかけてきていた。
どど、とすべてを押し流してしまいそうな音が大きくなる。
マグディエルの背に、ぱちぱちと、小さなかたい雪のかたまりが当たった。ちらと、視線をうしろにやると、雪が煙のように高くまで立ち上り、こちらをのみこもうとしていた。
雪崩が、そこまで迫っていた。
このままじゃ、のまれる。
マグディエルの身体の中心が、主張するように、ぽかぽかした。
なぜかは、わからないが、飛べるはずもないのに、マグディエルの翼がはばたこうと、広がる。
翼が、風をつかむ感覚があった。
雪の煙で視界が奪われる中、マグディエルはアズバとナダブをつかんで、引き寄せた。ナダブが驚いた顔をして女に姿をかえた。アズバとナダブが、マグディエルの首に腕をまわすと同時に、マグディエルは思いっきり翼にちからをこめて飛んだ。
強い力で、身体がぐんと浮き上がる。
マグディエルは必死で、煙の中をぬうように、斜面を飛んだ。煙の切れ目が見えた瞬間、ひときわ大きく羽ばたく。
体感したことのない速さで、雪のなかを抜けた。
一瞬で、雪崩がすべり落ちる斜面が、はるか眼下にあった。
ナダブが叫ぶように言った。
「マグディエル、おまえ、翼、どうなってるんだよ!」
背をみやると、自分の翼が視界に入った。
おおきく立派な風切り羽をもつ翼が、しっかりと風をつかんで広がっている。片側に三枚の翼が見えた。
熾天使だけが持つ、六枚の翼がマグディエルの背にあった。
アズバが叫んだ。
「イエスたちの姿が見えないわ!」
マグディエルは眼下にうねるように流れる、雪崩を見た。
翼はマグディエルの意志に従い、すぐさま下降して斜面に近づく。マグディエルは斜面ギリギリを滑空しながら、白い濁流の中に、別の色が見えないか、さがす。
あちらにも、こちらにも、目をやるが、見えない。
白ばかりが、もうもうと煙をあげて、うごめいている。
そのとき、別の斜面からも、煙をあげて雪崩が、こちらに向かってきた。ふたつのうねりがぶつかり、すさまじい音をあげて、すべてを押し流そうと競うように斜面をすべりおちる。
ぶつかりあった雪が高く舞い上がって、マグディエルたちを包んだ。
大きな雪のかたまりが飛んでくる。
翼がまるで意志を持っているように、すぐさまよけた。
煙をぬけて、斜面に目をこらす。
マグディエルの心に、おそれが押し寄せたとき、それは現れた。
白い雪の煙のなかから、飛び出すものがあった。
白い馬だ。
立派に大きい白い馬が、雪崩の上を駆けた。
背にイエスとペトロをのせている。
イエスがこちらに気づいて手を振った。
マグディエルは身体をかたむけて、そちらに近づいた。
近づくと、白い馬は雪でできていた。馬の氷の目が、こちらをちらと見た。
イエスが大きな声で言う。
「このまま下まで駆けおりてしまいましょう!」
「はい!」
マグディエルは翼に力をこめて、一つはばたいた。
ぐん、と高度が上がる。
不思議な感覚だった。
いつもの自分なら飛ぶことはかなわない高度を、アズバとナダブを支えながら飛んでいる。二人を支えながらでも、翼は安定感を失うことはない。
ナダブがマグディエルの翼を見ながら言った。
「おまえ熾天使だったのか?」
「まさか、これはきっと、ルシファーの星の祝福だと思う」
マグディエルの腹のそこにあるポカポカが、翼まであたためるようにしていた。
アズバがまわりの景色を見ながら、感心したように言う。
「熾天使だとこんなに高いところを飛べるのね。綺麗ね」
しばらく三人でぼーっと景色を眺める。
眼下の雪の斜面を、白い馬が駆けている姿が見えた。その先には、シオン山の裾野と、ガラスの海と御座、そして、はるか向こうまでの景色が空の青に溶け込むように見えている。
ふと、マグディエルは、女の姿になったナダブを見て言った。
「よく、とっさに女の姿になったね」
「おう、ふりむいたら、おまえの翼が六枚になってて、もうほとんど無意識で姿かえてたな」
また、三人でぼーっと景色を眺める。
ナダブが、急に笑って言った。
「おまえと、旅に出てから、とんでもないことばっかだな」
マグディエルも笑った。
「ほんとに、とんでもないよね」
「おまえが、いちばんひどい目にあってるけどな」
「もう、これ以上は、やめてほしいな」
アズバがふふと笑いながら言った。
「でも、楽しいわ」
「そうだね」
「かっこいいアヒさんにも会えたし」
「うっ……、そ、そうだね」
アズバがいじわるそうな顔をして笑った。
マグディエルは、いじけた気持ちを隠そうと、アズバの額に親愛のキスをした。
「ふたりとも、ついてきてくれてありがとう」
マグディエルがそう言うと、ナダブがなんだよ、という顔をした。
「急にどうした」
「いや、ほんとに御座ってあったんだなあって。あらためて御座を見たら、なんだかラッパ吹きの丘を出たのが、すごく前のことみたいで……。色々とあったけど、ひとりじゃなくて、良かったなって」
マグディエルが二人をぎゅっとすると、アズバとナダブも返すようにマグディエルをぎゅっとした。
アズバがマグディエルをまっすぐに見つめた。
彼女の翠の瞳が、空の色をうけて青みがかって美しくかがやく。
「ねえ、マグディエル」
「うん?」
「もし」
「うん」
「もしもね……、御座に行って、それでも、あなたが神を感じられなくても……、自分を責めないで」
ナダブが「そうだぞ~」と言った。
「神を感じられなくても、わたしがいつでも、あなたのために祈ってあげるわ。それでいいでしょ?」
ナダブが「おれも、おれも」と言う。
マグディエルは泣きそうになったが、なんとかこらえて明るい声で言った。
「そうだね! 気楽に御座観光するよ」
アズバとナダブが嬉しそうな顔をした。
「それがいいわ!」
「なんか、美味いもんあるかな」
そのとき、マグディエルたちの身体が、がくっと、一段落ちた。
ぞっとして叫んだあと、様子をうかがっていると、さらに一段落ちる。
がくがくがくっと、三段落ちたとき、ナダブが叫んだ。
「羽が!」
マグディエルの背にある羽が、はしのほうから、金色の炎をあげていた。
金色に輝きながら、先のほうから消えてゆく。
イエスが星の祝福について、言っていた言葉を思い出した。
『ほんのすこしのようなので、すぐに消えてしまうかもしれませんが』
消え始めた翼は、風をつかめず、くずれるように高度を落とした。
墜ちる!
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おまけ ☆聖書豆知識☆
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【御座】
ヨハネの黙示録では以下のように書かれています。
天にひとつの御座があり、御座のまわりには、緑玉のように見える虹があった。
御座の回りに二十四の座があった。
御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。
【白い馬】
ヨハネの黙示録において、キリストの勝利と権威を象徴するもの。
白い馬に乗る者は「忠実または真実」と呼ばれる方とある。




