第51話 超絶速達! バフォメット便!
マグディエルは、ガラスの向こうのイエスを見た。
智天使に抱きこまれて、四枚のうちの二枚の羽で全身を隠されている。姿が完全に見えない。
アヒさんが、にやーっとすごく嬉しそうな顔でこちらを見て言った。
「聞いちゃう~? あそこにイエスいるもんねえ」
わざとだ。
ガラスの向こうにいるイエスに、答えを聞かざるをえない問題を出されたんだ。
マグディエルはモニターを見た。問題文が映っている。
『イエスが一番好きなのは、タピオカミルクティー、マックシェイクチョコレート味、ヨハネが入れたお茶、のうちどれか』
マグディエルとしては、推し様の入れたお茶と答えたい。
いや、でも、この前のショッピングでは、タピオカミルクティーをあんなにスラスラと注文していた。もしや、タピオカミルクティーではないのか。しかしマックシェイクの情報がなさすぎる……。
二問目で、質問を使ってしまったら、三問目は自力で解くしかない。
どうする。
マグディエルは、悩みに、悩んで……、決めた。
「イエスに……、聞きます」
アヒさんがガラスのほうに向かって叫んだ。
「出してやれ!」
智天使にかつがれて、イエスが出てくる。
イエスが、マグディエルのとなりにおろされた。
「イエス、答えを教えてください」
推し様のお茶ですよね。
「マックシェイクチョコレート味です」
——。
ああ、主よ。
聞いてよかった。
無事に正解して、イエスはガラスの向こうに戻された。
アヒさんが、マグディエルに向き合って言う。
「さて、最後の問題だ。サービスで簡単にしておいてやる」
マグディエルは、気を引き締めた。
アヒさんが手をあげると、なにやら、気持ちを焦らせるような効果音が流れる。照明があやしく明滅した。
「最後の問題は!」
アヒさんが、真剣な顔で叫んだ。
「ベルゼブブが地上でふるえる力とは、どんなもの⁉」
「えっ」
知らない。
「簡単なんですか?」
「簡単だ。簡単だから、勿論ノーヒントだよ」
「人の心のうちに入り込んで、惑わせるというものではなくて?」
「ノーヒント、ノーコメントだ」
マグディエルはイエスたちの方を見た。
イエスは完全に隠されていて見えない。どこにいますか。ペトロはガラスに押し付けられるようにして拘束されている。かわいそう。アズバは、何かマグディエルに伝えようという素振りをしたところを、智天使にはばまれる。智天使が、アズバのあごをくいっとやって、自分のほうに向かせた。アズバにさわるな。ナダブが何か叫ぼうとして、思いっきり智天使に口を押えられ、あげくに中指を立てた。それは、いけない。
アズバとナダブの様子を見ると、二人は答えが分かっていそうだ。
だが、マグディエルは、ベルゼブブの力について心当たりがなかった。
しかも地上限定で?
そんなもの、聖書に書いてあっただろうか。
イエスノー占いの通り、自力でなんとかできる気がしない。
マグディエルは、ふと思いついて、アヒさんに訊いた。
「外の人に聞いてもいいんですよね?」
「いいよ。できるならね」
マグディエルは腰巻に入れていた山羊ベルを取り出した。
三回鳴らす。
するとすぐに、マグディエルたちが入ってきた扉から、黒山羊が入ってきた。
アヒさんが「くそっ、山羊便があったか」と小さな声で言った。
黒山羊はマグディエルの目の前まで来ると、横長の瞳孔をにいっと細めて、低い良い声で言った。
「マグディエル様、ご利用いただきありがとうございます」
「急いで、ベルゼブブに手紙を届けてほしいのですが……」
ベルゼブブの名を出すと、まわりの智天使がざわついた。
黒山羊はそしらぬ素振りで答える。
「お急ぎでしたら速達便、もしくは超速達便、それか、超! 絶! 速! 達! バフォメット便もご利用いただけます」
「どのような違いなのですか?」
「速達便は当日中、超速達便は半日以内、バフォメット便はできるかぎり早くお届けいたします」
「じゃあ、バフォメット便でお願いします」
「かしこまりました」
マグディエルは黒山羊に紙とペンを借り、ベルゼブブにあてて手紙を書いた。
黒山羊に手紙を渡す。
「返事も急いで必要なので、バフォメット便で送り返してもらうことは可能ですか?」
「勿論でございます。往復バフォメット便でございますね」
そう言うと、黒山羊の目があやしく吊り上がった。
黒山羊が前脚をあげて、後脚だけで立ち上がる。
その姿が、あやしく煙が立ち上るように、ゆらりと変容した。頭の立派な角が、より大きくのびる。身体も筋肉質で大きくなり、人の形に近くなった。頭部と下半身は山羊のまま、背には大きな黒い翼が、威嚇するようにのびた。背丈は、マグディエルの倍ほども大きい。
マグディエルは、おそろしい姿の黒山羊を見上げた。
バフォメットだ。
悪魔の姿が、目の前にあった。
バフォメットは、黒山羊のときの声のまま、言った。
「往復便、たしかに、承りました」
言ったかと思うと、勢いをつけて派手に扉を破壊し、走り去った。
バフォメットが去ると、外で、座天使の金の輪がけたたましくまわる音がした。
数体の座天使が部屋の中に入って来る。完全に目が怒っている。誰が壁を破壊したのかと、まくしたてているようだ。
アヒさんがマグディエルを指さした。
座天使の怒りの目が、すべてマグディエルに向く。
マグディエルは座天使にとりかこまれた。
「ご、ごめんなさい」
座天使が口々に、文句を言っているようだが、あまりに同時にけたたましく言うものだから、聞き取れない。マグディエルは、座天使にかこまれた状態で、正座した。
怒りが静まるのを待つしかない。
マグディエルが「ごめんなさい」を繰り返していると、また扉のあった壁が派手に破壊された。座天使たちの金の輪が、もうそれ以上は無理じゃないか、というくらい高速回転する。
壁から、バフォメットが入ってくる。
マグディエルはその姿を見て、ぎょっとした。
バフォメットの肩にベルゼブブが乗っている。
ベルゼブブが、まわりを見渡して言った。
「へえ、これがシオン山ですか。ふうん。中身は地味ですね」
ベルゼブブがけたたましくしている座天使に「うるさいですね。このベルゼブブに文句でもおありで?」と言うと、座天使たちはお互いに目を見合わせたあと、恐れるように、いっせいに壁の向こうへ逃げて行った。
バフォメットは、ベルゼブブをマグディエルの目の前におろすと「ご利用ありがとうございました」と言って、さらに壁を破壊して姿を消した。
マグディエルは正座したまま、ベルゼブブの切れ長の目を見上げた。
「こんにちは、マグディエル。返事を書くひまもなく、連れてこられてあげましたよ。まだ、手紙の中身すら見ていないのに」
「すみません。ベルゼブブが地上でふるえる力について、教えてほしかったのです」
「いいですよ。お駄賃は何をくれるんですか?」
「お駄賃?」
「え~、対価もないのです? せっかくここまで、時間をさいて来てさしあげたのに?」
「なにか、わたしにできることはありますか?」
「そうですねえ。でも、あなた、何もお持ちではないですものねえ」
グサッときた。
「とくに、これといって魅力的な能力もなさそうですし」
マグディエルは胸を押さえた。
メンタルに直接ひびく。
ベルゼブブが、正座をしているマグディエルの目の前にかがんで、右手をあげる。すると、そこに金色のラッパがあった。
まただ。
ベルゼブブに第一のラッパを取られてしまう。
マグディエルの胃が、キリキリと痛んだ。「返して」と言おうとした瞬間、ベルゼブブが部屋のすみのほうへラッパを容赦なく投げた。
ラッパが、けたたましい金属音をたてて床に転がる。
ラッパが身体から遠くにはなれた途端、耳の内側が痛んだ。頭が割れるように痛い。マグディエルは、はげしい痛みに、床に手をついた。急激に手足が冷える。身体に力が入らない。全身が崩れ落ちるような感覚に、震えた。
痛む頭をあげて、ベルゼブブを見ると、楽しそうな顔がそこにあった。
ベルゼブブが、こちらの様子を覗っている智天使たちに、ちらりと視線をやって言った。
「邪魔すると容赦しませんよ」
アヒさんが、大きい声で答える。
「はい!」
アヒさんがさらに、まわりの智天使に言う。
「我らは安全第一。おまえたち、ぜったいに邪魔するな!」
まわりの智天使が叫ぶ。
「はいッ‼ ご安全にぃーーッッ‼」
ベルゼブブが「良い子たちですね」と言ってから、マグディエルに向き直り、なぐさめるような声で言った。
「ああ、かわいそうに、マグディエル。しんどそうですね」
「ラッパを……」
マグディエルは、なんとかラッパのもとへ行こうとした。
すると、ベルゼブブが立ち上がり、マグディエルの肩を蹴るようにした。
マグディエルは、なすすべなく床に転がる。
力が入らない。
仰向けに倒れたマグディエルの上に、ベルゼブブが馬乗りになった。
楽しそうな顔が、こちらを見下ろしている。
ベルゼブブの手が、マグディエルの首にかかった。
「ねえ、マグディエル。何ももたないあなたが、ルシファーの友になろうなんて、思い上がりではないですか?」
マグディエルの喉に、ベルゼブブがすこしずつ力をこめる。
ベルゼブブの顔がゆっくりと、マグディエルの顔に近づく。
近づくほどに、ベルゼブブの重みが喉にのしかかった。
「苦しそうですねえ。やめてほしいです?」
マグディエルは、ベルゼブブの手を引きはがそうと、手をかける。だが、力が入らない。ベルゼブブの手に、ただマグディエルの震える手が重なっただけだった。
ベルゼブブが、じいっとマグディエルの瞳をのぞきこんで言う。
「やめてあげてもいいですよ」
ベルゼブブは、楽しそうな顔のまま、言った。
「二度とルシファーには近づかないと誓ってごらんなさい」
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おまけ ☆聖書豆知識☆
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【バフォメット】
聖書には出てこない。
騎士修道会であるテンプル騎士団が崇拝しているとして、異端審問に告発され、有名になった悪魔。
ちなみに、この異端審問は冤罪であった、とカトリック教会は位置付けている。
【ベルゼブブ】
旧約聖書では異教徒の神、バアル・ゼブブと書かれている。
新約聖書では悪霊のかしら、と言われるシーンもある。




