第49話 天国にも、流行りのダンジョン、あります
大きな石の門が、思ったよりも滑らかに、自動ドアです、といった動きで左右に開いた。マグディエルは、その様子を眺めながら言った。
「ひらけごまは、古典的すぎませんか」
イエスが答える。
「門に書いてあるじゃないですか」
見ると、門の上に、こう書かれてあった。
『神にのみひらく』
ナダブとアズバが、ちょっと考えてから「あ~」と言う。
え?
「どういうこと?」
ナダブが、なんてことない、といった雰囲気で言った。
「ヨハネの福音書だよ」
「ヨハネの?」
「最初の聖句思い出してみろよ」
推し様の福音書の……、最初の聖句?
それは、思い出せないと。
マグディエルは、すこし考えてから言った。
「最初はたしか……『はじめにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった』だよね?」
ナダブが頷く。
「ただ、ひらけって言えってことだろ。ことばは神なんだからな」
「あ、えぇ、そういうこと」
イエスも「うんうん」と頷いて言った。
「ここは、シオン山にふさわしい者だけが通れるダンジョンですからね。最初のクイズみたいなものでしょう」
「ダンジョン?」
「ええ、ダンジョン。今、流行ってますでしょう?」
「なんで、シオン山にダンジョンが必要なんです?」
「ヨハネの黙示録で、地上から贖われてシオン山に立つ者は何人となっていましたか?」
「十四万四千人ですね」
「少ないと思いませんか?」
「——たしかに」
十四万四千人なんて、地上にいる人の数にくらべたら、ほんのわずかにすぎない。
「たったの十四万四千人だけが、終わりのときに立つ山なのです。集まった多くの者の中から、もっともふさわしい者を選ぶためのダンジョン、それがシオン山の正体です」
「え……」
「今はまだ建設途中なので、本格的なダンジョンは完成していませんけどね。まあでも、多少、出来上がっている部分では、苦労させられるかもしれませんよ」
十四万四千人って、どうやって選ばれるんだろうとは思っていたが、まさかダンジョンクリアが最終的な贖われる条件とは……。
にしても、苦労させられる?
一体、どんなダンジョンが用意されているんだろう。
マグディエルの心に不安が押し寄せる。
中に入ってすぐ、正面の壁に横断幕がかかっていた。
『贖われた民になりたいか⁉ ダンジョンクリアで、あなたも贖われた民‼』
終末のノリが心配になってきた。
イエスが「楽しみましょ~」と気楽な様子で先へすすむ。
中はたしかに建設中らしく、座天使がそこかしこを走り回りながら、建材を運んだり、何やら資料とにらめっこしたりしている。みんな通り過ぎる一行を、ちらっと見るが、作業が忙しいのか、すぐに視線を戻して、こちらには全然興味を示さない。
ダンジョン内部はまだ、がらんとしていて、何もない。建材が置かれているばかりで、ダンジョンというよりは、天井をささえる柱が立つばかりの、だだっ広い広間のようだった。
中央部分に階段がある。
ダンジョンの中央をつらぬいているのか、階段の下から上を見上げると、螺旋階段が無限に続いているように見えた。
「さ、登りましょう」
イエスが階段に進む。
どの階も建設中のようなので、マグディエルたちは各階を通りすぎて階段をのぼりつづけた。ぐるぐると、一段ずつ、のぼってゆく。
すぐに、息がきれはじめた。
足と腰にくる。
何階分のぼったか、わからないが、マグディエルは眩暈を感じて、立ち止まった。
あ、ちょっと吐きそう。
立ち止まったのに、ぐるぐると回転しているような感覚がする。
アズバが支えてくれるが、アズバも随分ばてているようだった。
ナダブを見ると、ナダブも相当息切れしている。
かたや、イエスとペトロはけろっとしていた。
イエスが、こちらを見て言った。
「天使は足腰が弱いですねえ。いつも飛んでばかりいるからですよ」
マグディエルは、アズバの手を離した。
「アズバ、大丈夫だよ。手すりを掴んで登るから」
アズバが心配そうな顔をしながら頷く。
彼女もしんどそうなのに、支えてもらうのは悪かった。
マグディエルは、ゆっくりと階段をのぼった。無心で足を上げ続けるが、どんどんイエスと距離があいてしまう。
足元を見ながらのぼる。
イエスたちとの距離を確認しようと、頭を上げた瞬間、目の前が真っ白になった。あわてて手すりをつかむが、そのまま平衡感覚を失って倒れる。いま、自分が上を向いているのか、下を向いているのか分からない。アズバの「マグディエル!」と叫ぶ声が、耳に膜がはったように、遠くに聞こえた。
気づくと、あたたかな背中におぶわれていた。
ペトロの背だった。
「すみません、ペトロ」
「お気になさらず」
「——」
ルシファーのことがあるから、なんだか余計に申し訳ない。
ペトロが、落ち着いた優しい声で言った。
「さきほどは、すみませんでした、マグディエル」
「え、いえ、そんな」
「あなたが友を思う気持ちを、けなすつもりはなかったのです」
「はい。分かっています」
「わたしにとっては、本当に苦い思い出です——。ですが、あなたに押し付けるべきではありませんでした。ゆるしてくださいますか?」
「ゆるすなど……、わたしは、もとより、あなたの心をせめることなどできません。あなたがイエスを思う気持ちは、なによりも尊いものです」
「あなたが友を思う気持ちも……、同じように尊いものです」
ペトロの優しい気持ちが、背から伝わるようだった。
「ペトロ……、ありがとうございます」
ペトロのしっかりと幅の広い肩に顔をうずめると、やさしい香りがした。
イエスが近寄ってきて言う。
「仲良しさんしたんですね。良かった。良かった。ペトロ、代わってあげましょう」
マグディエルは、あわてて言った。
「もう、自分で登ります」
「いいえ、まだ顔が青いですよ、無理をしてはいけません。もうすこし、おぶわれていなさい」
マグディエルは、今度はイエスの背中に背負われた。
「すみません」
「いいのですよ」
イエスはしっかりとした足取りで階段をのぼりつづける。
マグディエルは、イエスに何度か、声をかけようとして、ためらった。
なかなか、切り出せない。
イエスが、顔をすこしマグディエルのほうにかたむけて言った。
「聞きたいことがあるのですか?」
「なぜ分かったのですか?」
「はは、さっきから、動きが怪しいので」
マグディエルは、すこし間をおいて、言った。
「ルシファーと友になったことです……。イエスは、責めないのですか?」
「責めませんよ、マグディエル。それどころか祝福したいくらいです」
「なぜです」
「だって、ルシファーに友ですよ! 滅多にできるものではありません。喜ばしいことです」
喜ばしいことだろうか。
ルシファーが、喜んでくれるなら……、いいな。
イエスが、急にそわそわとした様子で言った。
「わたしも、マグディエルに聞きたいことがありました」
「なんでしょうか」
「ルシファーとは本当にただの友なんです? 結婚するとかではなくて?」
背後から全員分の「えッ⁉」が聞こえた。
マグディエルの「えッ⁉」がかき消される勢いだった。
イエスが、そわそわした雰囲気のまま言う。
「ほら~、だって、そのラッパにある祝福、ルシファーの羽の祝福でしょ? マグディエルにはじめて会った時からずーっと、気になって気になって気になって、夜しか眠れないほどだったんです。しかも、マグディエル——、あなた星の祝福までもらっているじゃないですか」
「星の祝福?」
「星の力を持つものだけが、あたえることができる祝福です。堕天したルシファーのことを『明けの明星が天から落ちた』と、聖書に書いてあるでしょう。ルシファーのことをさす明けの明星という言葉は、ただのたとえではありません。彼が持つ星の力のことを指して、そのように言うのです」
「そんなすごそうなもの、もらった記憶がないのですが——」
「遭難している間にもらったのでしょう? その前には、あなたの内に、星の祝福は見えませんでしたから」
「あ」
あれかな。
ルシファーが息を吹き込んでくれて、身体があたたまったやつ。
イエスが、つづけて言った。
「ほんのすこしのようなので、すぐに消えてしまうかもしれませんが、それは本当に貴重な力ですよ。ルシファーの力の根源のようなものです。で、結婚するんです?」
「な、なんで、結婚になるんです」
「え~、だって、フクロウって、求愛行動で羽をプレゼントするじゃないですか」
ルシファーはフクロウではない。
「しかも、星の祝福まで~。もうそんなの、ダイヤモンドじゃないですか。羽と星ですよ‼ リングとダイヤモンドみたいなことでしょう⁉ それってつまり婚約指輪みたいなものじゃないですか~⁉」
一人で興奮しはじめたイエスに、マグディエルの心は逆に冷えた。
「ぜったいに違うと思います」
「え~」
イエスと、絶対そう、絶対ちがう、と言いあっていると、目の前に扉があらわれた。
階段はここまでのようだ。
イエスに背から降ろしてもらって、礼を言う。
扉をあけると、目の前に、何人かの智天使が立っていた。四枚の大きな羽をもった、りっぱな天使だった。彼らの持つ、ひと、しし、うし、わしの顔が、こちらを見ている。
真ん中の、いちばん身体の大きな智天使の、すべての顔が、こちらを見て大声で叫んだ。
「挑戦者、来たーーーーーッッッ‼」
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おまけ ☆聖書豆知識☆
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【ヨハネの福音書】
福音書とはイエスの言行録のこと。
新約聖書には四つの福音書が存在する。
マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書。
【聖句】
聖書の中のことば。
【十四万四千人】
ヨハネの黙示録で、シオン山に立ち、御座の前に新しい歌をうたう贖われた人の数。
【明けの明星】
聖書において、明けの明星がしめすのは以下の三者。
・ルシファー
・イエス
・黙示録で終末にあらわれるという勝利者
【智天使】
ひと、しし、うし、わしの四つの顔を持ち、四つの翼を持っている天使。
神学者による天使の階級では第二位に属する、力のつよい天使。
・第一位 熾天使
・第二位 智天使
・第三位 座天使




