第46話 モンベルで買おう、マイニューギア
「だれか、お金持っていますか」
ショッピングモール中央の広場で、イエスがそう言った。
マグディエルは思わず大きな声でつっこんでしまう。
「持たずに来たんですか⁉」
イエスが手を頭のうしろにやって笑う。
「えへ」
えへ、ではない。
シオン山に登るために、地上で登山アイテムを買おうと来たのに、お金がなくては話にならない。
イエスが言った。
「お金を持っている者は、正直に手をあげなさい」
マグディエルだけが手をあげた。
えっ、わたしだけ?
イエスがマグディエルを見て、ニコッとして言った。
「よーし、お金はマグディエルが持っています。みな、今日は存分に買い物に興じましょう」
みんなが声をそろえて「わーい」と言った。
なんだろう。
この計画性のなさ……。
不安だ。
登山道具って高くないのかな。
お金……足りるだろうか。
「まずは、あそこに行きましょう」
イエスがそう言って、指さす先には、フードカートがあった。
イエスが小走りにかけていく。彼がお金を持っていないことを思い出して、マグディエルも小走りでついていった。
「タピオカミルクティーのタピオカ増量でお願いします。あ、氷なしで」
イエスが、普段から注文してるのかな、という滑らかさで注文する。
マグディエルはメニューを見たが、メニューの数が多すぎて、何がどうなのか全く分からない。メニューから選ぶのはあきらめて「わたしも、おなじの下さい」と注文する。
すると、アズバもナダブもペトロも、メニューを見るのをめんどくさがって「同じの」と言った。
もちもちのタピオカを食べながら、目当てのお店を探す。
イエスが、店先のぬいぐるみを見たがったと思ったら、アズバが装飾品の店をのぞきたがり、ナダブがガチャガチャのある場所で立ち止まり、ペトロが腹が痛いといってトイレにこもる、という具合に、一行はまったくしっかりと進まなかった。
「マグディエル、観覧車があります」
イエスが指さす先に、観覧車乗り場はコチラの看板があった。
イエスの顔に、乗りたいと書かれてあるような気がした。
観覧車なんか乗って、どうするのだろうか。ふだんもっと高いところから地上を見ているじゃないですか——、と思ったが水を差すのはやめておいた。なんだか、とっても楽しそうだし。
問題は、お金が足りるかどうかだけだ。
観覧車は六人乗りだったが、五人で乗るとけっこうぎゅうぎゅうだった。マグディエルの左右にアズバとイエスが座り、正面にナダブとペトロが座った。
観覧車はゆっくりと上がってゆく。
イエスが急に言った。
「ペトロ、まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴く前に、あなたは、三度——」
「わー! こんなとこで、おそろしい、やめてください!」
ペトロが絶望の顔で叫んだ。
「えー、三度お金をひろうだったのに」
「あ、じゃあいいです」
「途中で止めたからなしです」
「そんな……」
イエスとペトロの漫才を見ているあいだに、観覧車はずいぶんと高くまで上がった。
観覧車の上から眺める地上はなんだか可愛い。
ジオラマみたいだ。
地上から近いので、人間ひとりひとりの動きまでよく見えて、面白い。ショッピングモールのとなりにひろがる公園がよく見えた。母親を追いかける子供。ソフトクリームを食べる少年ふたり。女の子がおかしそうにおしゃべりしている。父親に肩車される子ども。泣いてる子もいる。恋人も。
急に、人の暮らす地上が、生々しさをもって感じられた。
ただ『地上』と言うだけでは、感じられない、息遣いのようなものが見える。
いつか、ここに、第一のラッパが吹きならされる。
本当に、自分が、吹くのだろうか。
この、公園も、すべて、燃えてしまうだろうか。
もっと、あかるく希望に満ちた使命だったらよかったのに。
「マグディエル」
呼ばれて、イエスを見る。
慈しむような、神の子の顔がそこにあった。
「大丈夫ですよ」
イエスが微笑んでそう言った。
神の子には、すべて分かってしまうのだろうか。
マグディエルは、イエスの肩に甘えたい気分になった。
イエスの深い知識をたたえた瞳がマグディエ——。
「マグディエル、お腹がすいたんですね! 今すぐ、フードコートに行きましょう」
ちがった。
まだ、なにも。
まだ、なにも買っていないのに、お昼が近づいただけだった。
観覧車が完全にてっぺんに到達したとき、ペトロが青い顔をして言った。
「おなかいたい」
なんとかペトロの気を腹痛から遠ざけ、観覧車が地上に到着するのを待つ。地上につくと、彼はトイレに走った。ペトロがトイレに行っている間に、お昼の十二時を知らせる音が、ショッピングモール内に響いた。
鶏の声だった。
ナダブが感心して言った。
「ほんとに鶏が鳴く前に、三回トイレに行ったな」
イエスが満足そうな顔で頷いて言う。
「アーメン」
*
昼食を終えると、ようやっと一行はお目当ての店にきた。
「これが、モンベル」
マグディエルは、はじめてアウトドア用品の店に入った。
色とりどりのウェアが並び、かっこいいアイテムがずらりと並んでいる。
なんという、わくわく空間。
マグディエルは、いかにも機能的で、かっこいいデザインの登山靴を見た。
かっこいい。
値札を見る。
——。
神よ。
思わず、神を求めてしまった。
高い。
いや、こんなに機能的で、しっかりしたもの、値段相当なのだろうけれど。
これを人数分買うの?
足りるか……、お金……。
マグディエルの心に、切実な恐怖が押し寄せた。
マグディエルは、みんなときゃっきゃ言いながら、登山用品を見ているイエスに声をかけた。
「イエス、お金が……足りないかもしれません」
「なんですって」
イエスが手を組んで、目を閉じ、天に向かって言った。
「父よ。お願いします。わたしを栄光で輝かせてください」
イエスの真上にある蛍光灯が、一瞬、他よりも明るくなった。
イエスが、かっ、っと目をひらいて言う。
「ととのいました!」
ととのいました?
「人数分の登山用品を買いたいときにお金が足りないとかけまして——、お茶とときます」
イエスの言葉にペトロが合いの手を入れた。
「そのこころは⁉」
イエスがすごいどや顔をして言った。
「そのこころは——、どちらも、万事きゅうす、でしょう!」
ペトロとイエスが自分たちで「おーっ! できたーっ!」と言いながら拍手した。
マグディエルは全身の力が抜けて、床に崩れ落ちるかと思った。
「はは、マグディエル、ピンチの時こそ、気楽にですよ」
イエスの楽しそうな様子に、なんだかお金のことなんかで悩んでいたのがばからしくなってきて、マグディエルも笑った。
ナダブが、ふと思いついたように言った。
「なあ、おれたちは別に登山用品いらないんじゃないか?」
「え?」
アズバも頷いて言う。
「そうね、わたしたち天使は、暑さや寒さに強いもの。たいした装備はいらないんじゃないかしら」
「えっ」
イエスも「たしかに」と続けた。
「天使なら、ユニクロのヒートテック着込むくらいで十分かもしれません」
「……」
そうなんだろうか。
マグディエルはガリラヤ温泉でのことを思い出した。
ユダよりも暑さに弱く、ナダブほど冷たさにも耐えられなかった、自分自身を思い出して不安になる。
本当に大丈夫だろうか。
でも、天使なら大丈夫だというのなら、己もそのくくりに入りたかった。
きっと、大丈夫。
だよね……。
結局、登山靴だけは全員分を購入し、防寒用のウェアはイエスとペトロの二人分を購入した。マグディエルとアズバとナダブは、ユニクロでヒートテックを買った。
マグディエルの残高は、綺麗に消し飛んだ。
「さて、買い物も済みましたし、目的地に向かいますか」
イエスがそう言って、みんなが頷いたとき、マグディエルは思い出した。
「アーッ‼」
みんなの視線が、マグディエルにつきささる。
押し寄せる後悔。
無念に心がのまれる。
大切なものを忘れてしまった。
わたしの……、わたしの、旅のおともが……。
「ヨハネにお祈りしてもらうの忘れてました」
推し様の祈り……。
預言のせいで、うやむやになったまま、してもらうのを忘れていた。
泣きそう。
イエスが、前に来て、マグディエルの腕をなぐさめるようになでた。
「マグディエル、今から帰って、ヨハネにお祈りしてもらいましょう。あと、ユダに夜ご飯も作ってもらいましょう。なんだか、買い物で疲れましたし、出発は、明日の朝にすればいいですよ。ね?」
優しい。
マグディエルは感極まってイエスに抱きついた。
イエスが「よしよし」と言いながら、背中をなでてくれる。
良かった。
推し様の祈り。
それがあれば、きっと、どんなに高い山も越えられる。
そうだ、スマホで一緒に写真も撮らせてもらえないかな。
ああ、ハレルヤ。
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おまけ ☆聖書豆知識☆
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【アーメン】
ヘブライ語で「まことにそうです」「そうありますように」の意味。
肯定し、頷くようなニュアンスで、便利に使える。
【ハレルヤ】
「ヤハウェをほめたたえよ」の意味。
※ヤハウェは唯一神の名。




