第41話 ここが地獄の一丁目♡
ルシファーがプリンをすくって、マグディエルの口もとにもってくる。
マグディエルはルシファーを睨みつけながら、プリンを口に入れた。
ぜったいに、許してやるもんか。
ぜったいにだ!
シアタールームでマグディエルがおそろしくなって泣いたあと、ルシファーはわずかに驚いた顔をしてから、すぐにいつもの男の天使の姿に戻った。マグディエルは女の姿に変わると、あのおそろしい心地のする状態から解放された。
ほっとしたのもつかの間、信じられないことに、ルシファーは、……笑った。
しかも、口をあけて、さも楽しそうに、あけっぴろげに笑った。
マグディエルは泣きながら、その笑顔を見た。アズバがダビデと話しているときの、あけっぴろげな笑顔が思い出されて、その笑顔は好きだなと思った。
でも、ぜったいに許さない。それとこれとは別だ。
ルシファーは泣いているマグディエルを抱えてリビングに戻ってくると、マグディエルをソファーに座らせた。美味しいお菓子だの、美味しい飲み物だのを持ってきては、かいがいしくマグディエルの口元まで持ってくる。
ひとつの豪華な箱に、四つだけ、まるで玉座に座っているかの如く収まっている、高級チョコは、どれもおどろくほど美味しい。春風にのる花の香りもかくや、という素晴らしい香りの紅茶。この世の可愛いをすべて凝縮したようなマカロンに、黄金ほどの価値もありそうなおっそろしく美味しいプリン。
ルシファーは、楽しそうな顔をして、次々に美味しいものを差し出すが、何も言わない。
「あやまらないのですね」
ありったけの不機嫌な声でマグディエルがそう言うと、ルシファーはさわやかな顔で答えた。
「なぜ?」
「なぜ⁉」
明けの星が輝く瞳が、いまは完全に、にくたらしく見えた。
「わたしはただ仲良くしようと思って、人の女の姿できみのそばにいただけだ」
ルシファーが、もう何度見たか、あのニヤニヤとした顔で続けて言った。
「きみが勝手に反応したんだろう?」
え、そうだっけ。そう……言われると、そうだった、かもしれない。
「わたしは、天使が欲情する条件について話していただけだ、そうじゃない?」
たしかに、そうだった……、ような気がしてきた。
「わたしの身体を見て、不埒なことを考えたのはきみだろう?」
不埒なこと。
マグディエルは確かに考えた不埒なことを思い出して、叫んだ。
「うわーっ!」
「ほら、また考えたな、マグディエル」
ルシファーが笑う。
「よしよし、別にわたしはかまわないよ。ゆるしてあげる」
いつのまにか形勢逆転してしまった。
勝てそうにない。
マグディエルは、あきらめて、ルシファーの手からプリンのカップとスプーンを奪い取った。美味しすぎるので、ちまちまとすくって食べる。
「美味しい?」
「うん」
そのとき、リビングの奥の扉が音を立てて開いた。
そちらを見て、マグディエルは固まった。
ベルゼブブが入ってきて、そのまま真っ直ぐマグディエルのそばにきて、隣に座る。リビングのソファで、ルシファーとベルゼブブに挟まれる形になった。
「なんだ、もう仲直りしちゃったんです?」
ベルゼブブがテーブルの上に散らかったお菓子の中から、可愛いグリーンのマカロンをひとつつまみながら言った。
「マグディエルとわたしが、あんなことぐらいで仲たがいするわけないだろう?」
ルシファーが「な?」みたいな顔をしてマグディエルを見た。
いや、たしかに、騙したことについて『ゆるす』とは言ったけれども、『あんなこと』と言われると、なんとなく頷きたくない気持ちになる。
マグディエルは、ベルゼブブの方を覗った。あんなにおそろしい会話をしたのに、今は何もなかったかのように、マカロンを美味しそうに食べている。
ベルゼブブが、おや、という顔をしてこちらを見た。
「どうしたんです? あ、もしかして怒っているのですか? わたしがいじわるなことを言ったと思っているんですね?」
ベルゼブブが半分かじったマカロンを、マグディエルの口に突っ込む。
「わたし、ちゃんと良いこと教えてあげたでしょう? レビヤタンの件、本当でしたでしょ?」
それは、確かにそうだった。
「それに、言ったじゃないですか、地獄に歓迎しますよって。わたしとも、仲良くしてくださいね、マグディエル。そのマカロン、ピスタチオ味でとっても美味しいですよ」
確かに、歓迎すると言っていた。間にあった恐ろしいこと全部、なかったことにされたけれど、ルシファーのとき同様、口で勝てそうにない。
マグディエルはあきらめてマカロンを食べた。
美味しい。
「仲直りしたところですか?」
「いいや、すぐに仲直りして、映画を観てた」
「へえ」
そのまま、ルシファーが流れるように、さらさらっと、さきほどのマグディエルの状態異常を、ベルゼブブに説明しはじめる。マグディエルが途中で「うわーッ!」とか「やめてーッ!」とか叫んでも、止められなかった。最後に泣いたことまで全部言ってしまう。
ベルゼブブがリビングの床に転がって、笑った。
手をたたいて、笑っている。
それを見て、ルシファーまで笑いだす。
また、あけっぴろげな笑顔。
マグディエルは思わず持っていたプリンのカップをテーブルに打ちつけようと思ったが、まだ中身が入っていた。こんな美味しいもの、そこらに飛び散っては困る。控えめにテーブルにカップを打ちつけて、勢いよく立ち上がる。
腹の底から、声を出した。
「悪魔めッッ‼」
ベルゼブブが床にころげたまま、マグディエルを指さしながら笑った。
ルシファーまで、ソファーの上に倒れて笑う。
あどけない顔のルシファーと目が合った。
もしかして、このあけっぴろげな笑顔に弱いかもしれない。アズバの時はこちらに向けられていなかった笑顔が、マグディエルに向けられている。そう思うと、嬉しさまであった。
マグディエルは、心を強く持とう、と心に決めて、ソファに座り、プリンを食べた。倒れるふたりの楽しそうな様子を見て、マグディエルは理解した。
このふたり、反省しないとかそういうレベルではない。そもそも悪いことをしたなんて、これっぽっちも思っていないんだ。
マグディエルは、もう、いろいろと考えるのをやめた。
もう知らない。
プリンのことだけ考えよう。
*
「あーッ‼ ベルゼブブッ‼」
マグディエルが叫ぶと、ベルゼブブが嬉しそうに笑った。
ベルゼブブが容赦なく狙ってきて、マグディエルは一度も勝てない。
マグディエルとルシファーとベルゼブブは、リビングのソファに並んで座って、スマッシュブラザースをしていた。初心者のマグディエルをベルゼブブが執拗に狙ってきて、ほとんど始まると同時に、すぐ倒される。
マグディエルがむきになって叫ぶほど、ベルゼブブは喜んだ。
ベルゼブブとルシファーは、若干ルシファーの方が勝ったかな、という感じだった。二人とも強くて、何をどう操作しているのか分からない。ルシファーが、丁寧に何度も教えてくれたが、マグディエルはついに一度もベルゼブブに勝てなかった。
二十回以上したかもしれない。
「さて、わたしは、そろそろ帰りますよ。楽しくなりすぎて、デートのお邪魔しちゃいましたね」
ベルゼブブが、別に全然悪くは思っていなさそうな顔で言った。
「マグディエル、また遊びましょうね」
ベルゼブブがマグディエルの頬にキスした。前回同様、形式だけのキスだった。
ベルゼブブが帰った後で、ルシファーがゲームを片付けようとしたのを、マグディエルは止めた。次にベルゼブブと勝負するときは絶対に勝ちたい。ルシファーに教えてもらいながら、練習する。なんとか勝とうとするが、なかなか勝てない。でも、しばらくすると、たまに勝てるようになった。
勝てた!
勝利を堪能していると、ルシファーが言った。
「そろそろ帰った方がいいんじゃない?」
「もう一回だけ」
もう一回、もう一回、と頼んで三回すると、三回とも勝った。
「……手加減してますね」
「いいや、強いねマグディエル」
ルシファーが笑って言う。
偽りかもしれないけれど、連続で勝ったし、マグディエルは気分が良くなった。
「さあ、そろそろ帰らないと、ラッパ吹きの友だちが心配するよ」
マグディエルは、そう言われて頷いた。ずっと握り締めていたコントローラーをテーブルにおく。
ルシファーが、マグディエルを抱きしめた。
ずいぶん慣れたけれど、近づくと、強い天使の香りに、やはりうっとりしてしまう。しばらく、ルシファーは何も言わずにそうしていた。
「ルシファー、これでは、帰れませんよ?」
「楽しかった?」
「むかつきました」
ルシファーが笑った。振動が直接伝わって、親密な気持ちになる。
マグディエルは、正直に言った。
「楽しかったです」
「わたしも楽しかった」
ルシファーがマグディエルをはなして、言った。
「キスしても?」
「はい」
ルシファーが、そっとマグディエルの唇にキスした。
マグディエルが今まで誰にもしたことがない、心をあけわたすような親愛のキスだった。




