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第33話 博多通りもん事件

「こちらです。ちょっと古いのですが、雨漏あまもりなどはしていないはずです」


 そう言ってイエスが案内してくれたのは、ヨハネの家からけっこう離れた森の中にある小さな家だった。イエスがロバに乗って先導せんどうし、マグディエルたちは飛んでついてきた。ヨハネは「お昼ごはんのあとは眠たいので、ぼくはお昼寝します。先生ラビ、いってらっしゃい」と言って、ついては来なかった。


 家の中に入ると、全体にほこりはかぶっているが、じゅうぶんに寝泊りできそうだった。


「ベッドふたつしかないね」


 ナダブが言うと、イエスが答えて言った。


「そうなんでした。うっかりうっかり。明日にでもひとつ追加するとして、今日のところは、なんとかふたつでしのいでいただいても?」

「ええ、大丈夫です」


 マグディエルが答えると、ナダブが「おれ、こっち使う」と言って、ベッドを先取りしようとした。アズバが「じゃあ、わたし、こっち」と言ってもうひとつのベッドを陣取った。


「えっ」


 マグディエルが「わたしのは?」と言うと、ナダブが木の椅子を指さした。

 昨日の夜もミカエルのせいで寝不足なのに、木の椅子なんかで寝れるか。

 イエスが、すごい笑顔で「椅子を四つくっつけたら寝れますね」と言った。悪気があるのかないのか判じられない、まぶしい笑顔をしている。


 イエスは「じゃ、明日にはベッドを用意しますね。お昼ごろに来ますよ」と言って帰っていった。


 マグディエルたちは、ほこりっぽい部屋を掃除した。日が暮れるころには、すっかりきれいに片付く。


 アズバがベッドに腰掛けているところに、マグディエルも並んで座った。


「アズバ、今日一緒に寝ていい? いいよね?」


 マグディエルが訊くと、アズバがすこし悩んでから言った。


「え~、どうしようかな」


 えっ。

 すぐに「いいよ」と言ってもらえると思ったのに。


「アズバ、なんで、そんな……。わたしはまた何か怒らせるようなことを?」


 アズバが顔をぷいっとやった。


 考えるよりも早く身体が動いた。アズバの足元にひざまずいて、ゆるしをう体勢を整える。


「アズバ、大切な友よ。わたしのおろかさをゆるしてください」

「あら、何かも分かっていないのに、ゆるしをうのね」

「怒られてやんの~」


 ナダブが自分のベッドに寝転がって言った。

 うるさいやつめ。


「アズバ、ごめんなさい。ゆるして。今日一緒に寝かせて。おねがい」


 マグディエルが必死にアズバの顔をのぞきこむと、アズバはぷっと吹き出して笑った。


「いいわよ。別に怒ってないわ」

「じゃあ……」

「だって、あなたったら、ミカエルから何度も祝福のキスをもらって、うらやましかったんだもの」

「おれも欲しかった~」


 ナダブが寝転がったまま、うらやましそうに言った。


 くそ、言ってしまいたい。

 マグディエルはぐっとこらえて、なんとか何も言わずにいた。


 その時、外から扉をたたく者があった。


「イエスかしら?」


 マグディエルとアズバは扉のところへ行って、ひらいた。

 扉の向こうに、りっぱな角を持った黒山羊くろやぎがいた。


「こんばんは」


 黒山羊くろやぎが低くて良い声で喋った。

 横に広がる楕円だえん瞳孔どうこうがじいっとこちらを見ている。ちょっと怖い。


「こ、こんばんは」


 マグディエルは戸惑いながら答えた。


山羊便やぎびんです。マグディエル様にお荷物をお届けにまいりました」


 黒山羊くろやぎはそう言うと、からだの右側をマグディエルの方に向けた。荷物入れがある。黒山羊くろやぎは「どうぞ、開けてお受け取りください」と言った。中には、包みと手紙がひとつ入っている。荷物を受けとると、こちらに向き直って丁寧ていねいに言った。


「もし、お返事を書かれるのであれば、お待ちしますが、いかがいたしますか?」

「では、手紙の内容を確認するので、少しだけ待っていただけますか?」

「もちろんです。ごゆっくりどうぞ」


 黒山羊くろやぎはそう言うと、扉をはなれて、家のまわりの草をみ始めた。

 マグディエルはテーブルにあるあかりの前で、手紙を確認した。


「ルシファーからだ」

「えっ!」


 ナダブが驚いた様子で、ベッドからこちらに飛んできた。


 マグディエルは封を開けて中身を見た。

 このように書いてある。


 一枚目には、挨拶あいさつがあり、マグディエルの手紙とゴリアテ饅頭まんじゅうへのお礼が丁寧ていねいに書かれている。羽はもうずいぶん良いので心配しないようにとあり、お返しにお気に入りのお菓子を送りますと書いてあった。この包みがそうだろうか。


 マグディエルは二枚目を見て驚いた。


「どうした?」


 ナダブがマグディエルの顔を見て言った。


「おともだちになったので、三日後にお茶でもしませんかって書いてある」


 アズバが「あらあら」と言い、ナダブが小さな声で「サタンとお茶!」と言った。


「どうしよう?」

「ここを出発するのはまだ先だし、行ってもいいんじゃない?」


 アズバが軽い調子で言う。

 マグディエルは、すこし悩んでから「じゃあ、行ってこようかな」と言った。


「あ、でも、返事を書くにも、紙もペンもないね」

「ありますよ」


 扉から黒山羊くろやぎが言った。


 びっくりした。


 マグディエルは黒山羊くろやぎから紙とペンを受けとって、返事を書いた。黒山羊くろやぎにそれを渡す。


「こちら、初めてご利用の方にお渡ししています」


 黒山羊くろやぎは、案内の紙と山羊やぎベルをマグディエルたちに差し出した。


「いつでも、どこでも、すぐにご利用いただけます。山羊便やぎびんスタッフ一同真心こめてお客様のお荷物をお届けします。ご利用の際は山羊やぎベルを三度鳴らしてください」

鳩便はとびんとはまた違うのですね」


 マグディエルが訊くと、黒山羊くろやぎは横長の瞳孔どうこうをにいっと細めて言った。


鳩便はとびんは天国のサービスで、われわれ山羊便やぎびんは地獄のサービスでございます」


 黒山羊くろやぎは「またのご利用お待ちしております」と言って、森の中へと消えていった。



     *



 次の日、お昼ごろにイエスがやってきた。

 ロバが荷車をひき、ヨハネがちいさなかごを片手にぶら下げ歩いてきた。イエスは、長くて重そうな木材を背にかついでいる。


「まさか、その重そうな木材をかついで来られたのですか?」


 マグディエルが言うと、イエスはにっこりと笑って言った。


十字架じゅうじかに比べれば軽いものです」


 あまりにも爽やかな顔で言うが、イエスが磔刑たっけいにされたときの十字架じゅうじかのことだろう。どういう反応をすべきか分からず、困る。


「お昼ごはんを食べたら、ささっとベッド組み立てますね」


 ヨハネが家の前に大きな布を広げて、かごからパンを取り出した。皆でその布の上に座る。

 マグディエルは部屋から包みを持って出た。昨日ルシファーにもらったお菓子だ。今日イエスたちと食べようと、まだ開けていない。


 イエスが包みを見て言った。


「おや、なんですか?」

「友だちからもらったのです。お菓子だそうです」


 開けると、中には饅頭まんじゅうが八個入っていた。

 イエスが叫んだ。


博多通りもん(はかたとおりもん)ではありませんかッ‼」

「博多通りもん?」

「ええ、これは、おそろしく美味しい饅頭まんじゅうです。危険ですよ」


 真剣な顔で言うイエスに、マグディルは笑った。


 ひとつずつ饅頭まんじゅうをくばった。三つ残る。


 お昼ごはんのあとにでも食べようかと思っていたが、イエスは受け取ったとたん袋をやぶいて口に放り込んだ。ヨハネが「もう、先生ラビ~」と言いながら、袋をやぶった。アズバとナダブも、同じようにした。マグディエルも、同じようにして、一口食べてみる。


 これは!


 イエスが「ホサナ―ッ(どうか救ってください)‼」と叫んだ。


 マグディルもつられて「ホサナー!」と言った。

 皆、ホサナ、ホサナ、言いながら食べる。


 バターの香りがふんわり香る、極上のしっとり饅頭まんじゅうだった。


 マグディエルは、今まで色んなことを知ろうともしなかったおのれを深く恥じた。

 もっと色んなことを知りたい。

 こんな美味極びみきわまるものが世界に存在するなんて。


 昼食は大満足のうちに終わり、イエスは持ってきた材料であっという間にベッドを作り上げた。


 事件は、ベッドを作り終わって、みんなで談笑しているときに起きた。


 マグディエルは、残りの博多通りもんを最後に皆で分けて食べようと箱をあけた。


「ないっ!」


 大きな声で叫ぶと、皆の視線がこちらに向いた。

 ちょうどナダブが、饅頭まんじゅうを今まさに口に放り込もうとしているところだった。


「待っ——」


 マグディエルが声を掛ける間もなく、ナダブがまるっと口の中に放り込んだ。


「あーッ‼」


 思わず叫ぶ。


「ナダブ! 全部食べたのか!」


 怒りが込み上げる。

 あんな美味しいもの一人で食べつくしたのか!


「じぇんぶはたべてない」


 ナダブがもごもごしながら答えた。

 じゃあ、一体だれが!


 肩をいからせて周りを見ると、ヨハネが手をあげた。


「ごめんなさい、マグディエル。美味しくてつい、ひとつ食べちゃった」


 肩をきゅっとして上目遣いに謝られる。

 正直なうえに、すごく可愛いので、これ以上怒ることはできない。


 あと、ひとつは誰が!


 イエスがふいーっと視線をそらした。


 あやしい。


「イエス、食べましたね」

「ホサナ―」


 イエスがしょんぼりしながら言った。


 なぜか一番ゆるしがたい。


「なぜ、パンをくように、饅頭まんじゅういて下さらなかったのです‼」


 マグディエルはこんなに力を入れて誰かに物申したことはない、という勢いで言った。

 イエスは、ハッとした顔をしたのち、膝を地につき、両手も地について叫んだ。


「しまったー‼ けばもうあとひとつふたつ食べれたのに‼」

「やだなあ、先生ラビったら、うっかりさん」


 ヨハネが笑った。

 笑い事ではない。


 わたしの博多通りもん。

 あんなに美味しいもの……、もうひとつ食べたかった。


「ごめんなさい、マグディエル」


 イエスが謝る。


「わたしの……、わたしの、通りもん! 食べたかったーッ‼」


 マグディエルの叫び声が、あたりに木霊こだました。





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 おまけ ☆聖書豆知識☆

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【十字架】

十字架刑、それは残酷な処刑。

手足を打ちつけられるのですが、実はこれ、何時間~数日かけて窒息で殺す方法だそうです。

横隔膜を伸縮するために、手足に力を入れて身体を持ち上げないといけないのですが、だんだんそれができなくなるという……。残酷ですね。


【ホサナ】

「どうか、救ってください」という意味ですが、

キリスト教では歓呼の叫び、または神を称讃するときなどに使われます。

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