第30話 番外編 さいしょのねがいの書
神様どうかお願いです。
ぼくの、たったひとつの願いを聞いてほしいのです。
そのためなら、ぼく、何だってできるのになあ。
*
ウリムはその日、キイチゴの実を食べるのに夢中になっていた。
いつも遊ぶ小川から、ずいぶん遠くまで来た。
すみかに帰れなくなったらどうしよう。でも、この辺りは素敵な花が咲いているし、キイチゴもたっぷりある。帰れなくなったら、このあたりをすみかにすればいいや。
キイチゴを口いっぱに入れて楽しんでいると、かすかに泣いている声が聞こえた。
ウリムは声のするほうへ走った。
キイチゴのやぶを抜けると、リュウゼツランの森があった。
トゲトゲの鋭い葉っぱは、うんと高いところまで伸びている。
「へえ、面白いや」
森を進むと、泣いている声がはっきりとしてきた。
ひときわ大きなリュウゼツランの下に、誰かがうずくまっている。
ウリムはそっと近づいて、声をかけた。
「きみ、どうして泣いているの?」
誰かは跳び上がって、リュウゼツランの葉っぱに頭をぶつけた。
「大丈夫かい? 急に話しかけて、びっくりさせちゃったね」
ウリムが覗き込むと、つぶらな黒いひとみと目が合う。
誰かは、小さな声で「だいじょうぶ」と言った。
話せるんだ!
話しかけてみたけれど、返事をしてもらえるとは思わなかった。
ウリムはこれまで、話せる生き物と出会ったことがなかった。
「ぼくはウリムだよ。きみは?」
誰かは、胸の前でちいさな手をぎゅっとやりながら答えた。
「ぼくはトンミム」
ふたりは、お互いのなまえを呼び合った。
自分のなまえを呼ばれるのは、ひどく素敵なことだった。
「トンミムは、なぜ泣いていたの?」
「お気に入りのサクラの木で作ったネックレス。葉っぱのトゲトゲにひっかけて、ちぎれちゃった。あちこち、とんでいっちゃったんだ」
「ぼくが一緒にさがしてあげるよ」
森に、ふたりの、あったよ! 見つけたよ! という声がひびいた。
トンミムが集めたビーズを器用につなげて、ネックレスを作り直す。
コロンとした木のビーズはトンミムにとても似合っていた。
その日から、ふたりは毎日一緒に遊ぶようになった。
ふたりで過ごす毎日はおどろくほど楽しい。
一日、一日が、あっと言う間に過ぎてゆく。
百年に一度咲くという、リュウゼツランの花を、何度もふたりで見た。
そして、もう何度目か分からない、冬が目前に迫った。
「今年の冬は、暖かい家が欲しいなあ」
ウリムがそう言うと、トンミムが首をかしげた。
「きみは最近、とっても寒がりになったね」
寒がりになっただけではない、目が見えにくくなったし、眠る時間もふえた。
「死が近づいているんだ」
ウリムの言葉に、トンミムがぶるりとからだを震わせ、おびえた様子で言った。
「きみが死を持っているなんて」
ウリムは、なんとなくそうじゃないかと思っていたことを訊いた。
「トンミム、きみは死を持っていないんだね」
トンミムは「そうだよ」と答えて、とてもつらそうな顔をした。
「神様、どうかウリムから死を遠ざけてください」
トンミムはそう言って、わっと泣いた。
ウリムはトンミムを抱きしめた。
トンミムがひとりになることを思うと、たまらなくつらい。
*
その冬、家をつくって、そこにこもると、ウリムはあっという間に動けなくなった。
「トンミム、君にお別れをしなきゃ」
ウリムは枯草のベッドに横になって言った。
「そんなこと言わないで。ぼく毎日神様にお祈りしてるんだ。きみが元気になりますようにって。ぼくの永遠の命をきみにあげるから、どうか元気にしてくださいって」
「トンミム、どうか君のもとに幸せがおとずれますように。いつだって、ぼくがきみの幸せを願っていることを忘れないで」
「忘れないと誓うよ」
「だいすきだよ、トンミム」
「ぼくも、だいすきだよ、ウリム」
ウリムにはもう、トンミムの姿は見えなかった。
神様、どうか、トンミムをひとりにしないでください。
ウリムの上に、しずかに死がおりた。
*
トンミムは、ウリムのそばで泣き続けた。
ウリムに死がおとずれて三日目の昼過ぎに、家の近くにお墓をつくった。
トンミムは毎日、お墓の前で過ごした。
ゆっくりと、冬が過ぎ、やがて、春の風が吹いた。
ウリムの墓の前で過ごすトンミムの手に、テントウムシがとまった。すぐに飛んでいくと思ったのに、そのテントウムシはトンミムの手が気に入ったのか、日が暮れるまでそこにいた。
家に入るときも、テントウムシは離れない。
ウリムは寝床のとなりに拾ってきた木の枝をおいて、そこにテントウムシをうつしてやった。テントウムシは朝までそこにいた。
トンミムは次の日、テントウムシを連れて久しぶりに花畑に行った。
テントウムシと一緒に花の蜜を吸うと、トンミムは、ちいさな幸せを感じた。
でも春が終わるころ、テントウムシは動かなくなった。
また、トンミムはたくさん泣いた。
ウリムのお墓のちかくにテントウムシを埋める。
ある時は、綺麗なチョウが、ある時は、よくはねるバッタが、ある時は、美しい声のスズムシがやってきては、動かなくなった。
トンミムはお別れのたびに、たくさん泣いた。
「ああ、神様。なぜぼくに永遠の命を与えたのですか。もう、友だちが死んでいくのを見るのはたくさんだ」
トンミムはそう叫んで、ウリムのお墓の前で泣いた。
声が枯れるほど泣いた後、神様に謝った。
「永遠の命があるからウリムと会えた。別れがあっても、出会いにはよろこびがあります。ぼく、本当は友だちとの出会いに感謝しています。ただ、別れが苦しくて、あんなことを言ってしまったんです」
その後も、色んな生き物がトンミムの友達になった。
ある日、トンミムの家の前に、美しい羽を持つシラサギが、どさりと落ちてきた。
疲れた様子で、怪我もしている。
トンミムが近づいても、シラサギは逃げようとしない。じっと、トンミムのことを見ていた。トンミムが近くに座ると、シラサギはその頬を、トンミムの頬に寄せた。
その瞬間、トンミムはシラサギの魂の形にふれた。
ウリムとそっくりだった。
トンミムは、シラサギの怪我の世話を一生懸命にしたが、すでにひどく弱っていた。シラサギは心配そうな目で、ウリムを見つめて、白い羽をひとつぶるりとやったあと、動かなくなった。
トンミムは、またたくさん泣いた。
その後、友だちはやってこなくなった。
何度目かの春に、ウリムのお墓からサクラの木が生えた。そして、数えきれないほどの季節がすぎて、サクラの木も、その命を終わろうとしている。もう、一年ももたないだろう。
トンミムは、たまらなく悲しくなって叫んだ。
「神様はぼくのことが嫌いなんだ。友だちは、もうぼくのもとには来ない。こんなことなら、最初からどんな友だちとも出会わなけりゃよかった!」
トンミムはサクラの木が完全に枯れてしまう前に、木を削って像を作った。ウリムの姿に似せて彫る。
その像を見て、楽しかった日々を思い出した。
そういえば、はじめて出会った時、サクラの木のネックレスをなくして、ぼくは泣いていたんだっけ。ふたりで、木のビーズを見つけるのは、とても楽しかったなあ。
トンミムは神様に謝った。
「友だちと出会えたから、あたたかな気持ちがぼくの心にあります。出会わなけりゃよかったなんて言って、ごめんなさい。つらい気持ちで、本当じゃないことを言ってしまったんです。ウリムがぼくの幸せを願ってくれたから、ぼく幸せにならなくっちゃ」
トンミムは花を摘んだ。
木の象の前で、甘い蜜を吸う。
トンミムの目から、ぽろりと、ひとつ涙が落ちた。
ああ、ぼくはなんて弱いんだろう。花の蜜は甘くてちいさな幸せをくれるのに、まだ、寂しいなんて思ってしまうんだ。
その時、トンミムはふわりと抱きしめられた。
なつかしい、ウリムの匂い。
目の前に、ウリムがいた。
ふたりは、お互いの名を呼んで、抱きしめ合った。
「ああ、ウリム、どうして」
トンミムは泣きながら訊いた。
ウリムが答える。
「きみが、ぼくをサクラの木から彫り出してくれたろ」
見ると、木の象がなくなっていた。
「あのシラサギは、ウリムだったんだよね?」
トンミムが訊くと、ウリムは嬉しそうに言った。
「そうだよ! シラサギだって、テントウムシだってそうさ。きみのところに、百回行ったよ」
「百回も!」
「そうさ、百回目がサクラの木だよ」
「ぼく、ぼく、まさか、サクラの木がきみだなんて思いもしなかったよ。でもずいぶん話しかけたりしたなあ」
「ぼく、きみは気づいていると思ったのになあ」
ふたりは笑った。
トンミムは、ためらったが気になったことを訊いた。
「ウリム、きみは今も死を持っているのかい?」
「ぼく、神様にお願いしたんだ。トンミムをひとりにしないで下さいって。神様はぼくの願いを聞いて下さった。トンミム、きみもお願いしたろ? 神様はきみの願いも聞いて下さったよ」
トンミムははるか昔に毎日願ったことを思い出した。
「ぼくお願いしたよ。ぼくの永遠の命をあげるから、どうかウリムを元気にしてくださいって」
ふたりに永遠の命があった。
永遠の命が半分ずつ、あった。
ウリムがトンミムの手を握って言う。
「はんぶんこだから、いつか今の形は失われてしまうだろうけど、ずっと一緒だよ」
トンミムは、すこし考えてから言った。
「じゃあ、ぼく綺麗な石になりたいな」
「綺麗な石?」
ウリムがくすくす笑った。
「ぼくはずいぶんくよくよ悩んだから、みちびきを与える石になりたいよ。ぼくが、それを欲しかったくらいさ」
ふたりは笑った。
ウリムが言う。
「じゃあ、ぼくたちが石になったら、それを必要とする誰かに渡してくれる誰かがいるね」
「神様にお願いしてみようか」
「そうだね、とりあえず、ぼくはお腹がすいたから、キイチゴでも食べた後で、お願いしてみよう」
「きみがいない間に、キイチゴの森がおっきくなったよ」
「本当に? 行こう、行こう」
森に、ふたりの笑い声が響いた。




