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第24話 できるほうのミカエル様

 マグディエルが目覚めると、すっかり外は明るい時間だった。


 胸のあたりに、見知らぬ腕があって、なんだ、と背中側のあたたかさを振り返る。

 あ、そうだ、ミカエルの部屋で寝たんだった。

 マグディエルのうしろで、ミカエルがまだ眠っていた。


 そっと、もとの姿勢にもどる。


「起きたのか」


 後ろから声がした。


「はい」


 マグディエルが答えると、ミカエルが腕に力を入れて、言った。


「ん~、朝からやわらかい~、最高~」


 どうやら、ばかばかしい雰囲気がもどったようで、マグディエルはほっとした。

 ミカエルは起き上がると、着替えながら「ここに昼食を用意するから、昼にあのふたりの友だちを呼ぶといい」と言った。


「昼食に?」

「ルシファーとのこと、自分からは説明しづらいだろ?」


 たしかに。


「ありがとうございます」

「人肌代だ」


 大丈夫かな。


「おい、また失礼なこと考えただろ」


 マグディエルは笑った。

 ミカエルは、ダビデに挨拶あいさつに行ってくると言って、さっさと出ていった。


 マグディエルも、昨日ひっぺがされた服を着て、アズバとナダブのもとに急いだ。



     *



 自分の部屋がある場所にもどると、となりのアズバの部屋の扉がすこし開いていて、中から話し声が聞こえた。のぞくと、アズバとナダブが話している。

 マグディエルは扉をノックしながら、あけた。

 振り向いたアズバが、驚いたいきおいのまま、走ってきた。


「マグディエル!」


 アズバのやわらかな腕に、抱きしめられる。

 すぐに、マグディエルの背がのびて、アズバの額が口もとの高さにくる。

 そのまま彼女の額にキスして抱きしめた。


 ミカエルが、やわらかい、やわらかいと言うから、ついアズバの身体のやわらかさに意識がいってしまう。ぎゅっと力をこめて抱きしめると、たしかにやわらかくて気持ちよかった。


「心配しただろうが」


 ナダブが近くに来て、アズバと交代するように抱擁ほうようした。

 ちょっとかたい。

 でも、嬉しい心地は変わらなかった。


「ミカエルが、ランチを一緒にしようって」


 マグディエルがそう言うと、アズバとナダブが嬉しそうに顔を合わせた。

 ふたりとも、そわそわと嬉しそうにしている。

 マグディエルも、あのミカエルの様子を見る前だったらこんな風に舞い上がっていたに違いない。


「そのときに、昨日あったことを話すよ」


 マグディエルがそう言うと、アズバが心配そうな顔をした。


「マグディエル、つらいなら、なぜ言ってくれなかったの」


 ナダブも一緒になって言う。


「そうだぞ、何も言わずにいなくなるなよ」

「うん。ごめん」


 アズバがマグディエルの腕をなぐさめるように撫でた。


「ふたりが、天軍てんぐんを呼んでくれたんだね」

「実際に呼んでくれたのは、マトレドだけどな」


 ナダブが言った。


「おれとアズバの翼じゃ、あんなに早く呼べなかった」

「ふたりとも、ありがとう。あとで、マトレドにもお礼を言わなくちゃね」


 マグディエルがそう言うと、だれからともなく、三人でぎゅっとくっついた。


 寂しくてぽっかり空いたようになっていた部分が、三人いっしょだと埋まるような気がした。



     *



 マグディエル、アズバ、ナダブは、ミカエルの前にひざまずいた。

 ミカエルがそれぞれに祝福のキスをおくり「さあ、立ちなさい」と言った。


 マグディエルは、一瞬跪くかどうか躊躇ためらったが、大天使の祝福のキスはぜひとももらいたかったので、跪いた。やはり、うっとりするような香りの高位の天使の祝福は、別格の癒しがある。


 マグディエルたちは、ミカエルの部屋の奥にある、広いバルコニーにいた。

 ミカエルが、手をひとふりすると、テーブルや、椅子や、食べ物がふわりと、浮かび上がるようにバルコニーに並んだ。れたぶどう、ワイン、パン、肉もあった。

 ミカエルは、マグディエルたちに席をすすめたあと、みんなの杯にワインを注いだ。


「どうぞ」


 ミカエルにすすめられて、ワインに口をつける。


「きみが、第二のラッパ吹きのナダブだね」


 ミカエルがにこやかな顔で言った。

 ナダブは嬉しそうに「はい」と返事をする。


「そして、きみが、第七のラッパ吹きの、アズバ」


 アズバは礼儀正しく礼をした。


「そして、マグディエル。昨日とずいぶん様子がちうけれど、そちらが普段の姿かな」

「はい」


 ミカエルは「そう」とだけ言って、アズバとナダブに目を向けた。


「きのうは、ふたりとも、ずいぶん心配したろうね。きみたちの友に何事もなくて、わたしも嬉しいよ」


 ミカエルの言葉に、なんとなくマグディエルは心がざわついた。ルシファーよりもミカエルのほうが、よっぽど何事か起こしそうな気配だったけれど。と、考えていると、ミカエルがこちらを見た。にっこりと確認するように微笑まれる。


 マグディエルの心配をよそに、ミカエルの説明はすらすらとよどみなく進んだ。エレデに聞いた笛が吹けないことの説明は、マグディエルが『ラッパを吹きたい』と望んだことだけ省かれた。

 ナダブが説明を聞いて、マグディエルに言った。


「ほら、やっぱり、あの湖の上を飛べないのと同じだったじゃないか」

「そうだね」


 その様子を見て、ミカエルが訊いた。


「湖?」


 ナダブが説明した。


「ガリラヤの町のとなりにある、大きな湖です。座天使スローンズは飛べるけれど、おれたち三人はあの湖の上が飛べませんでした」

「ああ、あれか」


 ミカエルは、ふふと笑ってつづけた。


「きみたちは、あの湖が何のためにあるか知っているか?」


 マグディエルは、アズバとナダブと顔を見合わせた後、答えた。


「いいえ? 何かのための湖なのですか?」

「あれは、養殖場だよ」

「養殖場……?」


 思ってもみない答えに、首をかしげる。


「あれは、おわりの時に人のための食料となるレビヤタンの養殖場だ。レビヤタンは、とても大きく育つ。食料としては大きく育ってくれるのは嬉しいけれどね。レビヤタンの本性は荒々しく力が強い。大きく育つほど危険だ。だから、あの湖には一定水準の力をもつ天使以外は入れないようになっている」


 それで、あんなに大量のレビヤタンがいたのか。


「あの湖の底を歩いたとは。ずいぶんと冒険をしたものだね」


 ミカエルがくすくすと笑って言った。


「さて」


 ミカエルが、ひとくちワインを飲んで続けた。


「ルシファーのことについてだが」


 とたんに、ナダブとアズバの表情が曇る。


「マグディエルには悪魔のちからを使って誘惑を受けた痕跡こんせきはない」


 ミカエルの言葉に、アズバが訊く。


「今はまだ、ということですか?」

「そうだね。いまはまだ、ルシファーがマグディエルを堕落だらくせしめようとしているとは判断できない」


 ナダブが口をひらく。


「でも、これから先、誘惑されないとは限らない……。ですよね」

「そうだね。そして、もし、ルシファーが悪魔の力を使って誘惑をしたなら、きみたちにはその痕跡が見えなくとも、気づけるはずだ」

「どうやって、気づけばいいのでしょう?」


 アズバが訊いた。


「悪魔の誘惑を受けたなら、マグディエルの心に傲慢ごうまんさが芽生える」


 ミカエルが、マグディエルの眼を見つめて言った。


「傲慢の火種ひだねは、いちど心にともると、すこしずつ、大きくなる。すこしずつ、思い上がり、他者を見下し、相手を傷つけることをいとわなくなる。まるで今までとは別人のようなふるまいをするようになる」


 ミカエルは視線をナダブとアズバに向けて言った。


「わたしはどんな小さな傲慢の火種も見ることができる。その火種こそが、誘惑の痕跡だ。だが、マグディエルの内に火種は見えない。たとえ、相手がサタンであろうとも、疑わしいというだけで剣を向けることはしない。天軍が剣を向けるのは、天に害をなすものだけだ」

「ですが、サタンはこれまで、数えきれないほどの悪事を働いてきました」


 ナダブの言葉に、ミカエルはすこし間をおいて答えた。


「悪事か……。そう、サタンの悪事と天国で噂されていることが、どういったものだったのか、きみは実際に見たわけではない。過去に天使たちが——」


 ミカエルは、そこまで言うと、にっこりとよそゆきらしい笑顔で「いや、これは余計なことだ。気にしないでくれ」と言った。


「相手がサタンであったとしても、過去の悪事があるからと、それを理由に剣を向けることはできないんだよ」


 ナダブはしゅんとして「はい」と答えた。


「だが、もし、ルシファーがマグディエルに害をなすのであれば、わたしはわたしのもてる力のすべてをかけて、あれと戦うだろう」


 なぜか、マグディエルは、エレデのことを思った。エレデがルシファーを『あの子』と呼んだこと、ミカエルがエレデの手に甘えるように頬を押し付けた姿が思い出された。


 ミカエルがぽんと手をたたく音にはっとする。


「まあ、今は、見極めるしかない」


 ミカエルは「ルシファーのことについては以上だ、あとは……」と続けた。


「君たちが目指している山と御座みざについてだ」


 マグディエルも、まだそれについては話を聞いていない。

 姿勢をただして、耳を傾ける。


「あの山は、シオン山で合っているよ。そして御座もあの山の近くにある」


 ナダブが「合ってた!」と言った。


「だが、あそこにはたどり着けない。どれだけ飛び続けてもね」


 アズバが怪訝けげんな顔をしてきく。


「なぜですか」

「道を知るものしか、あそこにはたどり着けないんだ」

「道を知るものはいるのでしょうか?」

「いるよ。ひとりだけね」


 ミカエルは杯をテーブルに置き、言った。


「イエスだ」





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 おまけ ☆聖書豆知識☆

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【レビヤタン】

ユダヤの聖書解釈では、終末の後の食料として神が用意しているといされている。


【イエス】

イエス・キリストがギリシャ語の音に近く、ジーザス・クライストが英語の音に近いです。

旧約聖書の預言をなしとげた、神の子。

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