笠原みどりの章_2-5
午前中の休み時間では特に変わったことはなく、昼休みになった。
その瞬間――
「ちょっと来て!」
冷たい誰かの手が俺の手を握った。
「うぇ? うぉあ?」
無理矢理席を立たされ、引きずられるように廊下に出た。
「何だ、何だ何だ、一体」
「屋上に行くわよ」
これは、えっと、志夏の声か。
「はぁ?」
「いいからっ」
「ああ、わ、わかった」
で、屋上に着いた。引き戸を開けて、足を踏み入れる。
「風強いから、気をつけてね」
「おう」
確かに、すごい風だな。坂を上って来た斜め下からの風。
小さな子供とかなら簡単に吹き飛ばしてしまうくらいの風だ。
「ここが、屋上よ」
「ああ、そうだな。屋上だが……何でここに?」
「まぁ、色々と理由はありますが、大半は内緒です」
何だいそれは。
「でも、まぁ、級長としては、早く街のこと知ってもらいたいから、街全体が見渡せる屋上で、この街のことを個人レッスンしようかなって」
個人レッスンだと?
「何だ、その、ドキドキシチュエーションは!」
ごく小さな音で呟く俺。
「ん? 何て? 風の音で聴こえなかった」
「いや、何でもない。こっちの話だ」
「そう」
「まぁ、ネットで調べて来たからな、だいたいの街の構造は理解してるぜ」
「あ、そうなんだ。でも、知ってるっていうのと、見たっていうのは大違いだから……」
何が何でも説明したいらしい。しかし俺は、
「別に興味ねえな。どうせすぐに良い子になって元の街に帰るんだ。知らなくても構わないぜ」
そう言った。
ショートカット美女は黙った。
伊勢崎志夏はご機嫌斜めのようだ。
怒りのオーラと、このまちだいすきオーラが出ている。
「本当に聞かなくて良いの? 説明」
「ああ。聞かない」
「もう一回訊くよ? この街の説明……」
「――きかないっ」
俺は言った。
「…………」
悲しんでるようだ。
「ひどいよ。説明したいの知ってるくせに……」
何か、可愛い感じでそんなことを言った。なんか、これはもしかして、笠原みどりのモノマネか?
と、その時、屋上と室内を繋ぐ戸の方から、
「戸部達矢ァ!」
声がした。
不良にして風紀委員の女、上井草まつりだった。
「……もしかしてさっき言ってた『ハナシアイ』ってやつか? 応じるぜ」
俺は言って、まつりの所へ歩き出そうとした。
「待って、達矢くん」
志夏が呼び止める。
「ん? 何だ」
「二人のケンカは、私が間に立つわ。一緒に行きましょう」
「え……ああ……」
そして歩き、二人、上井草まつりの前に立った。
引き戸を閉じた屋上の踊り場で、話す。
「何よ、志夏。この男を庇うの?」
「そういうわけじゃないわ。ただ、どうせ上井草さんのことだから、拳で『ハナシアイ』をしようとか思ってるんだろうけど……」
「さすが志夏ね。よくわかってるじゃない」
「それだと、怪我人が出るでしょう? 今までの例を見れば、それは明らかじゃない。何人病院送りにしたと思ってるの?」
すると上井草まつりはボソボソと言い訳を展開する。
「それは、だって……向かってくるからで……あたし悪くないし……」
「あと、ここは学校で、しかも、皆が更生する場所でしょ? そこで暴力は、よくないわ」
「たしかにそうね。言われてみりゃね。でも、戦い以外で、あたしが楽しめる形でどう決着を……」
「走りましょう」
「え?」
とまつりが首を傾げた。
「走る?」
と俺も言った。
「ええ。今日の放課後、坂の下の湖からスタートして、学校まで。坂道を駆け上がって速い方が勝ち。良いわね?」
ふむ、かけっこというわけか。
「良いわね。それ」
「達矢くんは? それでいい?」
「おう、いいぜ」
こうして、健全な勝負をすることになった。




